後記 2006-12-01


 

 思いはいつも少年のままでいるのに、目を閉じ、目を開けると肉体だけが急速に衰えているのは不安なものです。
 ある日、思い立って飛び乗った寝台列車。北の町の何とはない駅の改札口、数人の帰郷者は早々と家路に散り去って一人駅舎に、それから一息ののちおもむろに歩きだすのです。
 朝もいまだ明けやらぬ乳色の町並みをぬって、細々とした路地を歩くのが私の旅の流儀なのです。そしてその時にこそ私はきっと生まれ変わるのです。生涯にかけがえのない一瞬があるとすれば、今がその一瞬であると確信しながら。夜露の凛とした輝きや、密やかに吹き抜ける和らかな風、少しばかりの湿り気を帯びた足音を背に聞き、軒先に掲げられた誰某の表札を見やりながら、いつか遠い未来にこの場面を思い出し、そこに真実の自分を見いだすことができたなら、それは生きてきた甲斐があったというものでしょう。
 
 稲穂が揺れている庄内平野、鶴岡を発ったバスはのんびりと30分ほど走ると真新しいトンネルを抜け、日本海に小さくひらけた港町に下っていきます。わずかな校庭に雑草がはびこって古びれた二階建ての木造校舎、潮気を含んだ浜風が吹き上って、港に引き寄せられるように流れていく道の両側には遙かなる荒廃を留めて、息を潜めた鈍色の家屋がならんでいます。人口千数百人、戸数550程のこの港町を加茂といいます。北前船でにぎわった町も今は昔。バス停の辻を曲がると静寂が支配する一筋の道は目指す寺の山門に続きます。港を見下ろす山腹にある浄土真宗のこの寺、浄禅寺に詩人茨木のり子の墓はありました。
 「三浦家之墓」、色とりどりの供花が華やかに日差しを浴びています。手を合わせ、黙祷を捧げている背後から思いがけない声がかかりました。「住職ですが、茨木のり子さんのお参りですか。今日はまもなくお彼岸の法要があります。着替えてきますのでちょっとお待ちください。茨木さんのお墓にも経をあげますから」と、おっしゃったかと思う間もなく引き返されて、一心にお経をあげてくださいました。私といえばただただ恐縮して神妙に頭を垂れておりましたが、読経が終わると「せっかく遠いところいらっしゃったのですから本堂での法要に参加されませんか。気のおけない地元の人たちばかりですから是非に」とのお話。まもなく無遠慮にもご住職の後ろからついて行く自分自身が信じられませんでしたが、本堂にあがってまたびっくり。堂隅に「茨木のり子」コーナーが設えてあり、詩集や写真、新聞記事や雑誌の切り抜きなどのスクラップ、最後の挨拶状も公開されていました。一時の読経とお話のあと、膳を囲んでの精進料理。何処までも厚かましい自分がおりましたが、なんだかとても温かく居心地の良い時間と空間でありました。あまりにも長居をしてしまったために、乗り遅れてしまったバスを追いかけるように、わざわざ車で送っていただいた檀家の奥さん、夕日が防波堤の向こうに沈んでいくような優しい気分に浸って、助手席で私はまどろんでしまいましたが、それはそれは二度と繰り返すことのないさわやかな初秋の出来事でした。

 これほど幸福な一日が、何処かの町の何処かの路地に今も在るのだとしたら、きっと其処には生まれ変わった私が日だまりの中に佇んで、あの岬の向こうに、あの丘の向こうに、あの家並みの向こうに、夕日が沈む瞬間を待ち続けていることでしょう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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