竹の葉擦れだけが聞こえておりました。
東京都心の高台、本堂裏にこぢんまりと静まった奥津城の午後、5月の風が一瞬緩んだと思ったら、白いリボンのポニーテールを揺らせて走ってきた少女がひょっこりと立ち止まりました。私を認めたからではないのでしょう。「こんにちは」と声をかけたのにまったくの無反応。瞬く間に踵を返して、小花模様のワンピースの後ろ姿は小さなスキップを踏みながら何処かへ消えてしまいました。正直、その少女がいつ何処から現れたのか気づかなかったのです。幻を見たのかと、しばらくの間、墓地の片隅に珍しく栽培されていたイチゴの赤い果実にぼおっと見とれていました。忘れていた詩を思い起こすように、ぽつりぽつりと。それから思い直したように歩き出そうとしたら、無彩色の碑の間に間に現れては消え、消えては現れる少女がまたもや目に入ってきたのです。一人かくれんぼをしているように、私の存在などまるで感じる様子もなく一心にあそぶ少女には、私が見えなかったのではなく私という存在がそこにはなかったということなのでしょうか。小雀がちゅんと鳴いて、空からいちまいの花びらが少女の肩にふりかかったと思ったら、きらりと一粒の輝きをのこして裏木戸の向こうへとたちまち時は閉じていきました 。
世阿弥の能様式は「有を現はす物は無なり」から成立したといいます。
若さはそれ自体が美しいものです。どの断片を切り取っても輝きは失われません。その反面、老いの美しさというものもあります。すべてのものをそぎ落とした美しさというのでしょうか。枯淡、寂びることや枯れることの心にも艶は清かに、幽玄を醸します。死から生を見る、生から死を見る、徒然草の作者も観念します。「春暮れてのち、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気をもよほし、夏より既に秋はかよひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにあらず、下よりきざしはるに堪へずして、落つるなり。迎ふる気下に設けたるゆへに、待ち取るつゐではなはだ速し。生老病死の移り来ること、又これに過ぎたり。四季はなほ定まれるつゐであり。死期はつゐでを待たず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死ある事知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遙かなれども、磯より潮の満つるが如し」と。人が心するかぎり、自然や人の世の無常が絶えることはありません。
今回掲載した中村苑子は現世と来世を行き来する俳人といわれています。「死ぬまでの予定を立て淡々とこなしていた」と長男の鱗次氏が語っておられるように、本当の死の5年も前に、自選遺句集を刊行、以後の作句の発表を封じ、生前葬まで挙げていたといいます。
鈴が鳴るいつも日暮れの水の中
海の中にも都の在るや桃洗ふ
身のなかの一隅昏らし曼珠沙華
耐ふるものみな死に絶えて虫は在り
桃のなか別の昔が夕焼けて
胎内の水音聴いてゐる立夏
八方に枝垂れる花の中の空
生きてゐてがらんどうなり炎天下
雲海荘厳ふはりと我の終りかな
膝抱いて影と居るなり十三夜
俗名と戒名睦む小春かな
生前も死後も泉へ水飲みに
いつよりか遠見の父が立つ水際
余命とは暮春に似たり遠眼鏡
融通無碍の句を挙げていったらきりがありません。
小さな寺の裏墓地で、花びらのきらめきと共に消え去ってしまった少女を思い起こしていたら、こんな句が好きになってしまいました。
「帰らざればわが空席に散るさくら」
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