後記 2005-02-11


 

 数年前のその日、神田古書店の安売りコーナーで手にした松永伍一著「荘厳なる詩祭―死を賭けた青春の群像」。
 生を賭し、死を賭し、全身全霊を青春に捧げた幾多の詩人達の壮絶な叫びを目の当たりにしたときの震えるような感情の高ぶり、久しく憶えることのなかった青春の疼き、美しさや醜さというものを遙かに超えて押し寄せてくる怒濤のような輝きがありました。詩とそうでないものの狭間を歩みつづけて、幻滅的な渇きや飢え、永遠などというものを信じ込もうとしてきた現実を、否応なく直視させられたのです。
 「長澤延子」――73年前の2月11日、桐生に生まれたこの少女の名をはっきりと意識しはじめたのはこのときの衝撃からでした。坂口安吾終焉の地であったからかも知れませんが、桐生という町に一種独特の不定型な詩情を抱いてもいました。そんな桐生をどうして訪れることになったのかは一年前に遡ることになります。2004年1月、編集後記に記した長澤延子の「別離」という詩がきっかけで、桐生にお住まいの新井淳一という方(のちにテキスタイルプランナーとして世界的に有名な方だと知りましたが)からメールをいただき、何度かのやりとりののち紆余曲折を経て、ようやくの訪問となったのでした。
 みぞれ混じりの小雨が降る日、教えていただいた長澤延子の墓にお参りしたあと、ただ一言お礼を述べるつもりでご自宅をお訪ねしたところ、突然の訪問にもかかわらず、仕事部屋にまで通されて、現在は新井氏が管理されている長澤延子の遺稿やアルバム、貴重な資料の数々を見せていただいたばかりか、彼女にまつわる氷結した時々の事柄をひとつ、またひとつ、遠く懐かしい青春の苦さを解きほぐすように話してくださいました。「長澤延子は世間の印象とは違って、本当に明るい娘でした。」、「長澤延子は死のうとしたのではなく、最期まで生きようとしたのです。」、「長澤延子を世に出した張本人として、以後の人生は彼女によって生かされてきたように思います。」と。
 新井氏が望まれていることは、未だ発表されていない長澤延子の遺稿を整理し、何かの眼に見える形で存在させたいということでした。いつか近い日に、新井氏の想いが重なった形象を私たちはどこかで見ることになるでしょう。私はそう信じ、どこでもない確かなその場所に私の想いが芽吹くのを思ったりもしています。

 編集後記を書き始めたつい先日、紫紺の織り布で装幀された本が手元に届きました。とうてい手にすることは叶わぬだろうと思っていた本、背には「海 長澤延子遺稿集」と銀箔の刻印。奥付けに著者の略歴―1932.2.11 桐生市小曾根町1丁目1234番地に長澤竹次の次女として生まれる/1938.4. 桐生市立西尋常小学校入学/1944.3. 桐生市立西国民学校卒業/1944.4. 群馬県立桐生高等女学校入学/1949.3. 同校卒業/1949.6.1 死去――、限定五百部、昭和40年10月15日発行、発行者 長澤竹次。
 遺稿集が上梓されるのに16年もの歳月が必要であったということでしょうか。あとがきに長澤延子遺稿集編集スタッフ 長澤弘夫 塩谷成子 高村瑛子 新井淳一とありました。
 長澤延子の遺稿の中に、ただ一つ日付の記されなかった詩があります。「寄港日誌」、閑かに書き始めた詩文も最後の一枚は判読するのも困難な文字列となっていました。絶筆であるのでしょうか、8枚ものスケッチブックの紙片に叩きつけられたペン先の烈しさにたじろぐばかりでありました。

 10章からなる長い詩の最終章。最後の力を振り絞って書かれたと思われる字句は判読が難しい箇所もあって、あるいは誤読があるかもしれませんがここに記載しておきます。

  出帆だ。
  のこされたわずかな命はこの叫びだけに向かってもえる
  出帆だ。
  この意欲に満ちた肌シャツを私は人に知らさず
  黙々と何度(イクタビ)洗い流したか。
  出パン。
  帆を張り錨をあげ
  もう二度と寄港はするまい。
  最初の港。そしてこれが最後の港。
  白い船腹が青波に美しすぎる。
  疲れた魂は海に抱かれて目を閉じる。
  出パンだ。
  もう二度(と)寄港日誌は開かれない。
  港へ。
  白い帆。
  帆にはらむ潮風。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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