後記 2007-07-07   


 

 飾磨郡夢前町字護持の辻過ぎてなにゆゑこの喪失感

 平成7年6月号「短歌」に掲載された塚本邦雄のこの歌、ある日偶然眼にした時から長い間不思議に思っておりました。
 「飾磨郡夢前町字護持」(現在は市町村合併によって姫路市夢前町護持となっています。)というのは私の生地でありました。40年前に出奔して以来、ほと んど帰ることのない故郷、そこには父母の墓も先祖伝来の田畑・家屋も朽ち果てることなく、望ましい形として残っておりますけれど、私はといえば遠く離れた 都の幻楼下に首筋までどっぷりと埋もれて息絶え絶えに生息しております。――それは兎も角として、なぜ塚本邦雄が我が故郷に?という疑問がずうっと脳裏に 巣くっておりましたが、昨年塚本邦雄に関するサイトを運営されている方に問い合わせしましたところ、その謎も漸くのこと氷解いたしました。塚本邦雄は何か の語彙に強い印象をうけたり、物語性を感じた時、その地に行くこともなく行くはずもなく、ただ幻を見る如く頻繁に歌に詠み込んでいたということでありまし た。確かに彼の歌には多くの地名が読み込まれております。「われには娘あらず 地下鐡谷町線喜連瓜破てふ驛名かなし」、「ナプキンに書かるるアドレスの紅 がにじみて宇治市木幡花揃」、「酸素自動販賣機などありやなし因幡國氣高郡青谷」、「京都下京月讀町のまひるまを犬あゆみ女一人したがふ」、「はしきやし 生駒郡は斑鳩町三番地くらやみのやまざくら」、「不易糊賣りゐるよろづ屋があるはうれし太秦和泉式部町」等々、歌集をざっと拾い読みしただけでもこれだけ の歌がありました。有名な「山川呉服店シリーズ」などもその産物のようです。その中の一首としての我が生地ということでありましょうか。それにしても「飾 磨郡夢前町字護持」という語彙の中に感じた「喪失感」とはどのような物語の果てであったのか聞いてみたかったものです。
 「視る」ために目をとざす―――、歌人(うたびと)として「幻想するとき、あるいはし始めた時から歌人もまた、異端者、反逆者として生きてゆくことを決 意せねばならぬ。」と、地獄ともいうべき歌人の宿命を説いた塚本邦雄の本質を私は理解したいのです。実人生を歌わず、反写実を基とした抽象的で想像力を鼓 舞する歌、三十一文字を「死」から「生」に至る不変なる詩にかえて私は読んでいるのです。 

 短歌で出会い、その死によって消えてしまった友、杉原一司ただ一人の蘇生を願って書かれた百二十部限定版「水葬物語」。――「てのひらの迷路の渦をさまよへるてんたうむし蟲の背の赤と黒」
 塚本邦雄は「若き死者への手紙」にこう記したのです。「君の死後六度合歓が咲いて散った。僕の喪は六年続いた。そしてこの喪は生涯明けることはあるま い。僕のその後の作品はすべて君に献じた挽歌だった。短歌は、国家のために、社会のために、民衆のためになど決してつくられるものではない。それはただ一 人の人のためにのみ書かれるものだ。過去に於ても将来も僕は君以外の誰も懼れない。信じない。愛しない。君は死者、常にかつ永久に二十四歳の青年の死者。
その死者のただ一枚のポートレートがここにある。その年の晩夏のとある夕暮であらう。君はくたびれた白いシャツをまとひ、特攻隊崩れみたいにごついベル トを締めて突立ってゐる。後には糸瓜がぶざまに垂れ君はいつものやうに不機嫌だ。煙のやうな髪、厳かな額、漆黒の眉、冷酷で優しい限、若い唇、それらがど うしたことか全体にくしやつと歪んでゐる。(略)
 杉原、この汗のにじんだ黒シャツの歌と、この黄昏の肖像を見る時、わづかにその時だけ、僕は決して『孤り』ではない。」


 「幻を視る」、あるいは「幻を視ず」、無い場所で顕れ、有る場所で消え、この物語が真実であるのかどうかさえも私は知らないのです。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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