今までのひとりごと(98年11月分)

ひとりごとを書き換える度に消すのはもったいないので、残すことにしました。
思ったことをそのまま書いた、まさにひとりごとです。よって、書いたことに責任は持てません。
なお、ひとりごとの更新は不定期です。たまにチェックしてくれるとうれしいです。


11月30日のひとりごと
え?今日で11月もう終わりっすか?
はっやーい。
毎日一応充実した日々を送っているつもりやのに…。

それはそうと、昨日(11/29)、大阪は梅田に新しくできた「HEP FIVE(ヘップファイブ)」というところにに行ってきた。
関西の人は知っていると思うが、これはいわゆる複合商業施設(ショッピングモール)である。
ここがさすが大阪!というところがあって話題になった。
それは、ビルの上に観覧車があるんである。
大阪のど真ん中にである。
全く大阪人の考えることは…。

オープン2日目だったのでさすがにすごい人で、自分の好きなショップにどんな服があるかだけ確認して帰ってきた。
もちろん観覧車には乗っていない、自分は人混みが大嫌いなのである。

そして、今日は予備校のあとに何となく「踊る!大捜査線」を見に行ってきてしまった。
テレビでも見ていたのでふと勉強の休憩がてらに見たくなって行ってしまった。
分かってはいたが全くの娯楽映画であった。
その点ではおもしろくて、いい息抜きになった。
ただ、映画館で見るべきものかというとそれはちょっと疑問符が付くが…。

それにしても、映画館に行くといつも思うことがある。
それは、映画の最後の字幕の途中で席を立つ人があまりに多いということである。
申し訳なさそうに出ていくのならまだしも、今では出ていく人の方が多数派になってしまっているので、堂々としたものである。
映画館によってはそこで次の客を入れるところもあるらしい。
一応映画の途中である。
映画を作った人にとっては映画に関わった人を紹介する字幕等を含めて見てもらいたいはずである。
そして、音楽を聴きながら余韻を楽しむべきである。
それが映画ファンのマナーというものだと思う。
これからもこの傾向は続くだろうが、それではこの前亡くなった淀長さんも悲しんでいるであろう。
ちょっと愚痴っぽくなってしまったが、気になっていたので書いてみた。
(11/30)


11月24日のひとりごと
昨日(11/23)、しし座流星群の特集をNHKでやっていた。
実は、自分も、先週の17日夜から、アルバイト先の塾のみんなと見に行ってきた。
自分が住んでいるところは大阪の北の方で、夜でもかなり明るいので、そのままではほとんど星は見えない。
そこで、車でちょっと行ったところにある山に登って見に行ってきた。
さすがに、新聞やテレビでいろいろ紹介していただけあって、すごい数の車が来ていた。
しかも、その日から急に寒くなったいたので、山の上ではそれはもう寒かった。
肝心の星だが、山の上まで行っただけあって、結構たくさん見られた。
しかし、願い事を叶えようにも、「あー」とか行っている間に流れていったので、出来なかった。
かなえたい願い事はいっぱいあるんやけどなぁ。

アルバイト先の塾のみんなとは、仲が良くて、結構こうやっていろんなところに出かけたりする。
昨日(11/23)も、急にラーメンを食べに行こうということになって、車で大阪のミナミまで食べ行ってきた。
ラーメンはおいしかったんやけど、調子に乗って2軒もはしごして食べたので、今日おなかをこわしてしまった。
夢の中でおなかが痛くて苦しんでいる夢を見ていて、起きたらほんまに痛かった。
しかも、ニンニクを山ほど入れて食べたので、自分でも分かるほど今でもニンニク臭い。
今日はどこにも行かない予定なのでまあいいか。
(11/24)


11月11日のひとりごと
ちょっと前から、「臓器提供意思表示カード」というものを持つようになった。
文字通り、臓器移植の意志の有無を表す物だが、脳死段階での臓器移植が認められてから出来たもので、知っている人も多いと思う。
前々から探してはいたのだが、ニュースなどで紹介している割にはなかなか見つからなかった。
しかし、つい最近手に入れた。
なぜ前々から探していたかというのには訳がある。
自分は、予備校の行き帰りなどにバイクを利用しいるので、脳死になる確率は、普通の人よりも高いと思う。
それに、今、無職で、親のすねをかじって受験生をさしてもらっているという身分やから、 このまま死んだら何の役にも立たへんまま死んでしまうことになるから、せめてつかえるもんぐらい使ってもらおうと思ったからである。

脳死については、最近、移植目的に限って認められるという変わった法律が作られたが、国民の意識はまだまだついてきてないと思う。
法学上も、死の定義の通説は未だ三兆候説である。
自分も、もし子供がいて、その子が脳死と言われたら、複雑な気分になって、認めないかも知れない。
しかし、自分が脳死になる分には、上に書いた理由からかまわないと思った。

こうやって書くと、死ぬことを考えるなんて、ネガティブな考えだと思われるかも知れない。
しかし、いくらポジティブに生きていてもいつ死ぬかは分からない。
しかも、今の制度では、脳死段階での移植を行うには、いくら本人が生前移植を希望していたとしても、 意思表示カードによる意思表示が必要なのである。
だから、たった1枚のカードを持つぐらいのことなので、持っていても損はないと思う。
(11/11)


11月6日のひとりごと
今日いつものように答練に行ってきた。
昨日夜遅くになって急にやる気が出てきたので、かなり寝不足で、頭が回らないまま行った。
そういったときに限って、昨日やってないようなところから出た。
というか、やっぱり寝不足の頭では思考が追いつかなかった。
でも、近くの人を見てみると、20分ぐらい経っても、まだ書き始めている様子がない。

「何やぁ、みんなもわからんねやん。」
と思ってちょっと安心して、うんうんうなりながらやっていた。
ところが、1時間を過ぎて、自分が2通目の答案構成に入ろうと思った頃…。
その人は、なんと、1問に続けて、続けざまに2問目を書き始めた。

「や、やられた!」
その人は、1度に2問とも答案構成するタイプの人だったんである。
その時、自分はといえば、あと40分で答案構成用紙を眺めていた。
結果は、当然…。
最後の30分ぐらい、腕がつるほどペンを走らせないといけない羽目になった。
人を見て、安心しては行けない、自分がどうであるかが大切。
当然のことやけど、今日そのことを痛感した。
(11/6)


今までのひとりごと

99年
1月] [2月] [3月
98年
1月] [2月] [3月] [4月] [5月] [6月] [7月] [8月] [9月] [10月] [11月] [12月
97年
10月] [11月] [12月


あなたのひとりごとも聞かせてください。メールを。
(c)1998 Y.Hotta