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熊井家の由来




情報提供のお願い


 御家の由来、家系、家紋等についての情報をお寄せください。情報を蓄積することにより、より確かな仮説をたてることができます。お手数をおかけしますが、どうかよろしくご協力のほどお願い申し上げます。

 そして、全国各地から情報をお寄せ下さった皆様、当「熊井家のホームページ」は、皆様方のお力添えをいただき、月日を経るごとに内容豊かなものとなってまいりました。これすべて皆様方のおかげ、と心から感謝いたしております。



 Entchuldigung
 …「勉強とは想像力と実証」は『箸墓幻想』(内田康夫)の中の言葉。情報を得るためには、希求しながら待つだけでなく、足も使わなければならない。よーく分かっているのですが……。
 時間的・精神的・経済的余裕ができ次第、全国行脚にでかけたく思います。それまでの間、内容の不備はお許しください。

 また、「先祖がどうだとか、ルーツがどうだとかいうのは、階級社会の悪しき遺物だ。氏素性だとか、生まれ育ちだとかいう意識は、差別思想の根元となる。現在を、そして未来を正しく、楽しくいきることが大切なのであって、過去の亡霊に縋ったり、疎んじたりするようなのは大嫌いだ」(『菊池伝説殺人事件』内田康夫)というお考えの方がおられることも、付記しておきます。



熊井の郷風景



【熊井姓いろは】

熊井姓の由来
 太田亮著の『姓氏家系大辞典(第二巻)』の「熊井」の項には、(1)武蔵の熊井(2)信濃の熊井(3)豊前の熊井があげられています。熊井姓が一番多い県は長野県で253戸、二番目が埼玉県の249戸で、三番目に福岡県の145戸ですから、ほぼ姓氏家系大辞典の記載されていることと符合しています。
 
 しかし、これでなるほどと納得してしまったなら、三県の熊井姓がそれぞれ別個の場所で呱々の声をあげたことになってしまいます。
 
 本当にそうなのでしょうか。


「熊井姓分布図」と「源頼朝の知行国」との不思議な一致


市町村別熊井姓分布一覧(添野正明氏調査)
(これとは別に、全国の熊井さんの住所と電話番号を図書館で調査済みです。しかし、個人情報保護法に抵触しますので、公表は差し控えます。熊井姓の分布は、添野氏調査とほぼ一致)

熊井姓集中地区



熊井家の家紋
 熊井姓の皆様、御家の家紋・遠祖菩提の地を是非お教えください

          

全国の熊井さん・熊井という地名
 インターネットの中にはこんなにたくさんの熊井さんがいました。
 地名も数カ所ありました。……「個人情報保護法」が施行されましたが、このページの記載はすべて、インターネット(出版物も含む)で公開されている情報に基づいております。掲載を望まない方は、ご連絡いただければ、すぐに削除いたします。


「熊井一族」という姓氏本についての感想



【熊井姓調査の手掛かり】

「木越家のホームページ」
 ルーツ調査の参考にさせていただきました。

「須崎のホームページ」
 名字のランキングが検索できます。
 熊井は1789世帯で、2080位でした。
 熊井と書いて「クマガイ」と読まれるお宅もあるようです。


この苗字はどの都道府県に多いか
 長野市にお住まいの添野正明氏が、皆様の苗字の分布を有料(「県別分布調査」の手数料は一つの苗字300円、「市町村別調査」手数料は一つの苗字500円)で調査してくださいます。
 
 県別と市町村別があり、それぞれ、一覧表と地図がついています。

 「添野氏ホームページ」
アドレス
http://www5a.biglobe.ne.jp/~myouji/welcome.htm


         

【お寄せいただいた情報】

全国各地にお住まいの熊井様



埼玉県内各地にお住まいの熊井様


福岡県内各地にお住まいの熊井様


調査にご協力くださった熊井様へのお便り


熊井英水様からのお便り
クロマグロの養殖に成功された 熊井英水教授

 お便りばかりでなく、お電話までいただきました。先生の優しくあたたかい励ましには、ただただ感激するばかりでした。


一ノ谷鵯越逆落しの図(熊井英水教授
 福井県の勝山に熊井姓のお宅があり、妻の実家がある白山市(旧鶴来町)では古くから人形芝居「熊井太郎」が演じられています。どうしてなのだろうか、と前々から疑問に思っていました。
  先生にお教えいただいた『週間義経伝説紀行』の第25号「義経と歩く」で、「白山系山伏衆の協力がなければとても無事に奥州までたどり着けるものではなかった」、と読み、そうかそうだったのか、と目を開かれる思いがしました。 
 そうそう、うっかり忘れるところでした。『週間義経伝説紀行』には毎号錦絵が掲載されていて、「一ノ谷鵯越逆落しの図」の他にもまだ沢山「熊井太郎忠(照)基(元)や喜(鬼)三太」の晴れ姿?を見ることができますよ。


雪氷学者熊井基様(ニューヨーク在住)


小林信也様
「江戸の都市行政」を研究テーマのひとつとしてとりくんでおられる小林信也先生から、江戸の名主熊井理左衛門に関する情報をいただきました。

 ……「天保改革の際に功があり苗字使用を許された名主として、文化〜安政年間の代の熊井理左衛門の名前だけは、一部の研究者に知られていましたが、その業績については、まったく研究が進んでいませんでした。
 そこで熊井理左衛門が関与したさまざまな仕事の史料を集めたところ、彼は、天保改革期から安政年間にかけての江戸の都市行政において、驚くほど重要な役割を果たしていたことがわかってきました。
 彼がリーダーとなって作り上げた名主組織の実力は、江戸町奉行所の権威すらも脅かすものだったと考えています。このような彼の業績は、いずれ、広く知られるようになると思います」

小林信也様が書かれた熊井理左衛門に関する論文
『江戸の民衆世界と近代化』(山川出版社、2002年)
第7章「天保改革と江戸の名主」

                        
熊井党の館跡(埼玉県比企郡鳩山町妙光寺


鳩山町熊井の風景(「里の春」撮影三好紘一氏 掲載朝日新聞埼玉版)


熊井太郎忠基の館跡(横浜市緑区川和町妙蓮寺)


熊井太郎忠基に関する資料


東京駅「銀の鈴」広場

 床面の古地図(焼き付けタイル)に「熊井町」


岩石城(福岡県田川郡添田町)
 熊井越中守久重が城主でした。


片岡源五右衛門
 赤穂義士片岡源五右衛門は尾張徳川家藩士熊井家(元浅野家家臣)の生まれでした。片岡家といえば、『平家物語』卷第九「三草勢揃」、義経に従う人々のなかに熊井太郎とならんで片岡太郎経春(茨城県鹿島神宮宮司の子孫)がいます。
 赤穂浅野家は笠間(茨城県)から移封されたのですが、熊井家と片岡家との間には源平の頃からの深い因縁があったのでしょうか。

吉田忠左衛門
 熊井家と関わりのある赤穂浪士がもう一人いました。


             

【図書館情報】

検索条件【著者=熊井】で検索してみた公共図書館の蔵書目録


熊本大学図書館・永青文庫・細川家古文書目録
 熊本領関係「220藩士事蹟」に「熊井三郎右衛門病死届け」がありました。
 
 熊本県宇土市には熊井姓が集中しています。みなさんは、この熊井三郎右衛門御一門の御子孫さんなのでしょうか。


熊井家文書について
 大阪府立図書館蔵書『日本史学年別論文集』
 蔵書館名 中之島図書館
 所在    書庫2−2
 請求番号 210・04/65N
 資料番号 1410411480

 熊井姓集中地区のひとつである大分県西国東郡香々地町狩場の熊井家に関わる文書です。これらの資料は平成12年、北九州市の田中智子氏から寄贈されたもので、寄贈者である田中氏は狩場村の熊井家の出身という。
  ただし、添付「熊井家文書目録」を見ると、この文書を残した保長役久吉の姓が「熊井久吉」・「隈井久吉」の二通りに書かれています。
「熊井家文書について」をまとめられた櫻井成昭氏の「T解題 1熊井家文書の整理」において、「隣接する夷村の庄屋隈井献一郎が狩場村の村政もとっていた」(『庄屋来歴』(松成家文書))とありますので、ひょっとすると、この狩場の熊井家は、もともとは「熊井」ではなく「隈井」だったのかも知れません。
 同じ熊井姓を名のっていても、「熊井」・「隈井」の二つの流れがあり、しかも「隈井」姓は大分県と福岡県に多く、全国212世帯のうちで33%が大分県、そして21%が福岡県に集中しています。この分布は九州地区における「熊井」姓の分布ともほぼ符合しています。
 ご参考までに「隈井」姓を名のった人に「白河結城氏」一族の中畠晴時がいます。戦国時代、この白河結城氏は、分家が仙台伊達家家臣、本家は佐竹氏家臣となりました。しかも結城家からは越前松平家も出ていて、この図を眺めているとなんだか熊井姓の分布とも重なっているような。俄然、面白い展開になってまいりました。



参考資料(インターネット検索)

『大分歴史事典』(大分の歴史と自然
 項目50音目次「や」→「屋形氏」に「熊井六郎左衛門」(鎌倉中期)
           「み」→「宮時荘」に「熊井兵衛尉」(鎌倉後期) 

武田家家臣団人事ファイル』小幡昌盛被官「熊井孫四郎」


隈井氏」に関連する参考資料
 インターネット検索、「隈井氏」に関連する事柄を、ここに二三添付します。
「く」のつく苗字

白河結城氏一族・家臣

俳人相良等躬の祖



    (大岡アルプス展望公園からの北アルプスの眺め:熊井貞勇氏提供)

      

【長野県関連資料】

 長野各地の熊井姓の家々には、熊井城落城とともに逃れ、帰農したという伝承が残っています。塩尻市内を北上する河川に奈良井川と田川があります。
 この二つの河川は、松本市街を過ぎたあたりで薄川・女鳥羽川と合流して犀川となります。この犀川に上高地を源流とする梓川と、明科町で北から流れ下ってきた高瀬川が流れ込みます。
 犀川は長野市落合で千曲川と合流し、やがて信濃川と名をかえますが、不思議なことに長野県内の熊井姓のお宅の分布は、ほとんどがこの犀川水系と千曲川水系の中に集中しています(253世帯のうち220世帯)…熊井恒次氏調査が元になっています。
○高瀬川水系…松川村(10)・穂高町(14)・明科町(14)
○奈良井川・田川水系…塩尻市(27)・岡谷市(8)
○犀川水系…松本市(20)・豊科町(19)・大岡村(12)・長野市(50)
○千曲川水系…上田市(11)・更埴市(7)・須坂市(11)・山ノ内町(7)・牟礼村(10)
 犀川の支流のひとつ田川が、塩尻市片丘熊井を北上していることから、塩尻熊井を本願とする熊井一族に何らかの大事件が起こった結果、ばらばらになって川沿いに逃れ、それぞれの地に落ち延びていった、とHP管理者は推測します。
 それでは、その大事件とはなんでしょう。やはり伝承の通り、天文14年(1545)6月14日熊井城落城だったのではないでしょうか。


熊井郷(塩尻市片丘)
 長野県地名大辞典(角川書店)・日本歴史地名大系長野県(平凡社)からの抜粋


信濃国の郡と郷・庄(奈良時代・平安末期)
『倭名類聚鈔』・『吾妻鏡』からの抜粋


北熊井諏訪社(長野県塩尻市片丘北熊井)


全国の諏訪社


熊井城1(長野県塩尻市片丘北熊井)


熊井城2(長野県塩尻市片丘北熊井)


熊井城3(長野県塩尻市片丘北熊井)
 「熊井の歴史を語る会」会長赤羽夏樹氏は、熊井城落城後、武田軍の追求を逃れ、安藤姓を名のった熊井一族の流れを汲んでいます。


 熊井姓の資料として、長野市にお住まいの郷土史家、熊井恒次氏の興味深い資料が、『長野郷土史研究会機関誌』第97号(1981年5月 改訂版2002年3月) 山城・館特集号 (500円)に掲載されています。ご一読ください。
 長野郷土史研究会ホームページアドレス
http://www.janis.or.jp/users/kyodoshi/somokuji-2.htm


地方史研究雑誌データベース


熊井恒次氏からいただいた青柳氏資料の順序をちょっと書き換えてみました。
 文末に重要な参考資料


「熊井」に関して記述のある、長野県立図書館において閲覧できる蔵書目録


「犀狭 第29号(平成8年12月15日)」(犀狭郷土史研究会)
 熊井惣一郎氏の御曾祖父熊井伊右衛門(大岡村川口熊井家第28代)筆写の弘化大地震資料「震洪鑑」を掲載。惣一郎氏寄贈の「震洪鑑」原書は長野県立図書館蔵書の中にあります。


鎌倉時代の説話集『沙石集』に出てくる「熊井の地頭」とは
 長野郷土史研究会機関誌『長野』第113号「信濃史必携」に掲載されている平安末期の信濃の荘園11頁を見ると、筑摩郡熊井郷の地頭は諏訪下社となっています。「熊井の地頭」は「諏訪下社」で、その大祝(おおほり)は金刺氏でした。金刺氏って一体どんな一族だったのでしょうか。


(熊井の遠祖:仮説1)

国司補任 永承2(1047)〜保安元年(1120)

 『美名鏡』(長野県立図書館蔵書)に大岡村川口のもう一軒の熊井家先祖は、大和源氏源頼親(ウィキペディアフリー百科事典で検索できます)の末孫、とありました。源頼親は『尊卑分脈』によると永承2年(1047)に前信濃守として名が掲載され、大和・周防・淡路等の国司も歴任しています。
 任期を終えた前任国司の子弟はそのまま任国に土着して介や掾という国衙の官人となり、古来から在地に基盤を持つ土豪たちとも手を結んで、都からくる受領国司(守)のもとで実権を握っていましたから。塩尻熊井庄を開拓したのは、この頼親と縁の繋がる官人たちかも知れません。


(熊井の遠祖:仮説2)
信濃小掾美努包光とはどんな人
 国司補任ならびに信濃史料補遺卷上に載る美努氏の一族が、井戸掘の土木技術を駆使して荘園熊井郷を開拓した気がしてならないのです。


(熊井の遠祖:仮説3)
 現在蒐集中の郷土資料名のみ掲載


『高白斎記』熊井城の記述を残す)を著した駒井氏とは誰?


「熊井の苗字のこと」(熊井邦隆著『私の八十八年』抜き刷り)
「大岡の熊井も数部落に分かれていて、お互いに家系が同じという話も聞いていません」について


熊井家の由来を探る一補助線として(丸山家についての考察)


熊井家の由来を探る一補助線として(塩入家についての考察)


『甲信美名鑑 第1編上下』
(小池満慶/編 出版者 甲信美名鑑発行所 1896年出版)
『美名鏡(びめいかがみ)』
(小池満慶/編 出版者 小池連太郎 1903年出版)

 いずれの書物にも大岡村川口熊井家の姓氏系譜に関する記述があります。従弟叔父(父の従弟)の熊井増秀氏が大岡村川口のもう一軒別の熊井姓のお宅で『美名鏡』を見せていただき、本の存在を始めて知りました。
『甲信美名鑑』・『美名鏡』とも長野県立図書館に所蔵(貸出不可)。系図師小池満慶の手によるもので、ご参考までに紹介しておきました。……なお『美名鏡』は東京都立中央図書館・国立国会図書館の両図書館で、『甲信美名鑑』は国立国会図書館でも見ることができます


『美名鏡』「熊井渋雄君」の項 


前橋熊井家のこと


エッセイ「山を背負う」
 我が家の遠祖菩提の地がようやく分かりました。


母方鈴木家のこと

熊井家由来 道しるべ