安藤氏 ……「熊井城と熊井姓」(熊井恒次:長野郷土史研究会機関誌『長野』第97号山城・館特集号)からの抜粋

ここに「古くは熊井氏を称したが、仔細ありて姓を変えた。」という安藤氏が北熊井にいる。
17代目の当主安藤雅美翁のいわく

永正年中(1504.4.14〜1521.8.23)小笠原の幕下熊井某、熊井城を築く。
天文年中桔梗ヶ原合戦には本陣たり。
天文22年(1553)5月7日、熊井軍兵衛、同源十郎勇戦奮闘遂に討ち死、城は落ちた。
武田軍監小松数馬之助甲州より入りて城を収む。
熊井衆への追求殊の外厳しく、一族山野に潜み、あるいは縁故を頼って四方に離散した。
中に軍兵衛の一子十四郎もあったという。
故に南・北熊井に熊井姓絶えたと。
安藤家の祖、母方の姓なるや安藤を名乗って、今に残っているのである。


下って文政元戌寅年十月、当時庄屋だった12代安藤市右衛門が、時の代官山辺の桐原作右衛門を通じて証拠の品を添え、熊井姓に復したいと小笠原家に願い出た願書写がある。
ただ、願の節の聞き届けがなかったのか、今も安藤を名乗っている。


早春の一日、語り終えた安藤翁の案内で熊野権現を祀る屋敷神に詣でて後、常光寺から熊井城跡に登る。
眼下に広がる筑摩野は渺々、梢を渡る鉢伏おろしは颯々と耳底に残る。

(リンク資料)

赤羽家(塩尻)

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小松家(塩尻)

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