「同地(大岡村川口)の塩入氏のいわく『我が家も古くは熊井を称した』」(熊井恒次氏 「熊井城と熊井姓」)

塩入氏(全国で1080軒…「須崎のホームページ」による検索)も長野県に姓が集中(38%)しています。

今年の春の彼岸にお参りのお際に伺いした話ですが、前橋市天台宗円融院円満寺(管理者家代々の菩提寺)御住職の御尊父様は、天台宗関東総本山喜多院(川越市小仙波町)で修業をされたそうです。

そのときの喜多院貫首の姓が塩入姓(喜多院貫首塩入秀知師、平成17年12月28日遷化喜多院名誉住職塩入亮善師)、また御住職の御先祖御先祖も長野善光寺(同じく天台宗)にいたとのお話しをお聞きしたときは、誠に不思議な縁を感じたものです。

江戸時代には、菩提寺の住職からその地宛の住職への紹介状がなければ、移住することは出来なかった。ましてや長野総本家は曹洞宗にもかかわらず、私どもの前橋本家は天台宗です。当家六代前の先祖が、どうやって長野から前橋に移住できたものか、不思議で知りたくてならなかったのです。長野の天台宗の寺として有名な善光寺がありますが、我が菩提寺の近くにも同じ天台宗教区寺の善光寺がありました。

(管理者調べ)
インターネットには
天台宗浅草寺強化部長 塩入亮乗師、
大正大学助教授 塩入法道師、
長野県上田市国分寺御住職 塩入良道
の御名がありました。


書きかけで、文章が推敲されていません。お許し下さい。


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