桜を見に行こうということになり、吉野に向かった。もうひとつの目的が宮滝遺跡を見たかったこともある。朝11時20分に家を出た。最近開通したかつらぎICから京奈和自動車道に乗った。この道はまだタダであり、交通量もさほど多くないのでありがたい。いままで1時間以上かかっていた橋本までが40分ほどで行けるようになった。五条北インターをおり、国道24号線を西に戻り国道370号線に入る。国道370号線に入り、坂道の頂上あたりに源九郎大明神と山高大明神と扁額のある小さな社がある。そこで昼食にした。 ![]() 昼食を終えて再び国道370号線を東に走る。少し街並みが賑やかになり、近鉄下市口駅を過ぎてすぐに道は国道169号線に入る。 もう大淀町である。 国道から左にそれて旧街道に入った。以前来たが覚えていないのでもう一度どうなっているか見たかった。街並みは駐車場が増えているがそれほど変わりはなかった。蛭子神社の前にKLEを駐め、散策することにした。到着は1時30分であった。神社からほどなく土塀の蔵があった。その横に暖簾がかかった「吉野絵」のお店があった。なんのお店だろうと中に入ろうとすると鍵がしまっていた。休みかなと思ったが暖簾が上がっているので、前をウロウロしていると隣からおじいさんが現れて、「今日は休みですけどあけましょうか?」と声をかけてくれた。「お願いします」と中に入れてもらった。 中に漆塗りのお椀や盆がたくさんあった。「ここで近所の人に吉野えを教えているのです。今日は道の駅大淀でお椀などを売っています」ということだった。聞けば秀吉の時代からここの吉野絵は重宝されたそうだが、塗がめくれるので衰退したという。歴史は古いのだ。それを復活させようと、ここの息子さんが一生懸命に取り組んでいるということである。話を聞けばなかなか面白そうな息子さんのようで、一度会いたいと思った。今度道の駅のを通りかかった折にはぜひ立ち寄ろう。 お店を出て、会話の中で出てきた日本一の林業会社、北村林業さんのおうちを見に行った。なるほど通りのほとんどすべてが北村林業株式会社の建物があった。このあたりのおうちのほとんどが、どんなことがあっても土地を売ってはならないという家訓ということで、それぞれ自分の土地を大切にしているということである。したがって都会に出た人達は、売ることもかなわずさりとて家の改修は無駄となるため、やむを得ず駐車場などにしているという。北村林業は大きな陣屋のような建物は現役の事務所のようであった。 街角を歩いていると大きな煙突があった。そこを通り過ぎると杉玉があげられており、酒蔵とわかった。 かなり大きな酒蔵であった。それにクラシックでいい。以前街道の本道の時は、人通りも多く街も賑やかだったが、国道が川側にできてから急に寂れたという。新しい道ができるとどこでもこうなる。再び蛭子神社のところに戻り、国道169号線走り出したのは14時20分であった。 大淀を出てから宮滝はすぐである。宮滝遺跡を通り過ぎて先に桜木神社に行った。 ![]() 桜木神社は医薬と疱瘡の神として信仰されているという。万葉集にもここで詠んだ歌がたくさんあるとのこと、歴史は古いのだ。トイレの入り口に雪隠と書かれている。 これは気に入った。吉野らしい。 境内はきれいに掃除がされていた。キャンプもできるらしく看板があり東屋があった。 シャクナゲが咲いていた。神木は巨大な杉の木で、そびえ立っていた。案内板には高さが35mから40mと書いていた。 ![]() 何か遺跡として形あるものが残っているのかと期待していたが、少しがっかり。この宮滝遺跡には天武・持統天皇がたびたび行幸した、吉野離宮があったと言われるところである。いろんな形の岩ときれいな川が印象的で、この美しい景色を詠んだ万葉歌が多いのもわかる。 宮滝遺跡から桜木神社に向かう坂の入り口付近にうたたね橋跡がある。義経がうたたねしたということからこの橋の名が付いたという。 桜木神社に戻り、奥千本なら桜がまだ咲いているだろうと、吉野山に登ることにした。桜木神社から吉野に道が延びているので吉野に向かって走り出した。ところが在所が切れる頃に小さな橋があり、道に鎖がはってあり通行止めであった。この道の途中には万葉歌碑などいろいろと見所が多いのだが、交通止めでは仕方がない。桜がまだ咲いていた。やむを得ず元の道を引き返し、普段の吉野への道を登った。 ![]() 吉野へ着いたが桜はやはり遅かった。奥千本に行けばまだあるかと金峯神社に行ったが、今度は時間が遅くなってきたので帰ることにした。 帰りは来た道と同じ道を走った。途中大淀町の吉野川沿いの公園のようなスペースで夕食をとった。17時30分であった。ルアーセットを持っていたのでジャコでも釣れないかと少し振ってみたが気配はなかった。オシャレなおばあさんが何か山菜を採っていた。そこでゆっくりと夕食をとり、再び走り出したのは18時20分頃であった。少しゆっくりしすぎた。 国道169号、370号、京名和自動車道、国道24号線とノンストップで走り、家に着いたのは19時30分であった。 走行距離は161kmで春先のツーリングとしてはまずまずの距離を走った。気温も日中は20℃近くあり快適な温度であった。日が落ちると10℃を切り、一気に寒くなった。春先のツーリングはきちんとした装備が必要である。
![]() せっかくのいい天気だったので、かなり遅くなったが2時30分頃から走りだした。 走ることに意義がある。とは勝手なこじつけだが・・・ 先日交換したエアクリーナーとプラグの実力も知りたかった。 行き先は、特に決めなかったが高野の麓を目指した。424号線を走り県道13号線、そして国道480号線はいつものルートである。 休日でもあり、対向車線はバイクが多い。ピースサインをしようにもカーブが多いのでなかなか難しい。 最近このあたりの道はかなり改修が進んで、走りやすくなっている。長いトンネルもできた。 トンネルを抜けてすぐに国道480号線は花坂で国道370号線とクロスする。 そのまま高野へ登ることも考えたが、それではいつも通りなので花坂の焼き餅屋に立ち寄り焼き餅を買った。 餅屋の道の奥に「茶屋坂恵比須神社」があったのでそこの階段に腰掛け餅を食べた。いつもながらここの餅はうまい。バイクツーリングらしき人も立ち寄り買っていた。話をしたかったが私が店の前に行くまでに餅を買って走り去った。 食べ終わってから、来た道を引き返し、国道370号線に入った。 10分ほど走ると長谷地区に入って花園村に抜ける県道115号線がある。そちらに曲がろうとしたが右側を見ると、神社があった。気になったので立ち寄った。 「丹生神社」で、丹生都比賣命・大黒主の命の二座を、主祭神として、弘法大師高野山入山後も、六ヶ七郷を天の大社の社領とし、年中祭礼の料也とあった。七郷の中の長谷村(現伊都郡かつらぎ町新城地区、海草郡紀美野町長谷宮地区)の鎮守社として祀られてきた社であり、現在の社殿は明治30年に改築されたという。 ![]() 小振りだがきれいな神社である。境内には大きな銀杏の木があった。幹回りが5.5m高さ22mの堂々たる銀杏である。 この神社の歴史は1000年以上前にさかのぼるらしい。 10月10日には神幸祭があり、御旅所まで青年団子供会氏子中で「山車」を先頭に神輿の渡御をするという。境内にもその写真が飾られてあった。 神社を見終わり、県道115号線を南に走った。 以前はもっとくねくねした道であったがかなり道がショートカットして改修されており、走りやすくなっていた。長いトンネルもできてかなり時間が短縮できている。 約8kmほど走り花園村に着いた。そこからどこへ向かおうか考えたが、小原洞窟のある恐竜ランドに向かうことにした。 ここは子供が小さい頃に一度来たことがある。それからもう30年近く経つ。施設がどんなになっているかも見たかった。恐竜ランドは土産物があったが、車も一台しか駐まっていずかなり寂しい感じであった。恐竜も少しくたびれていた。入場料が800円もいるので入るのをやめた。バブル期の名残のような気がする。塗装もめくれて傷ついたブラキオサウルスが寂しそうに、来る人を出迎えている。 三叉路があり、高野町とかつらぎ町の分岐を示す看板があった。高野川の道は橋の崩落で通行不可能と看板が掛かっていた。見覚えのある道だと思ったら、昨年10月に高野に登ったとき走った道であった。三叉路をかつらぎ町新城の方に向かった。前に見た湯子川の滝の脇を走り湯川有中林道を北に向かった。 途中見たことのある神社があった。またもや丹生神社である。このあたりは水銀がでたのか「丹生」という神社や地名が多い。ここは2002年に板尾沼谷林道を走ったときに通り過ぎた。当時はこの先が崖崩れで不通であった。 そこで小休止することにした。神社の道向かいは「高野町立花坂小学校湯川分校」だった。いかにも山間の小学校という感じだがすでに廃校である。朽ちた朝礼台やオブジェに寂寥感が漂う。 学校敷地の中に集会場があり、そこの椅子に腰掛け持ってきたコーヒーとお菓子を食べた。 山の中で聞いたことのない鳥か獣の鳴き声がした。校庭には鹿の糞もあり、生徒がいないこの学校敷地は、動物たちの遊び場かも知れない。 続く道は山道で、舗装はしているが一段と狭くなり高野の方に向かっていた。少し心配しながら走ったが、道はいよいよくねくねと曲がり、ところどころ崩落していた。かなり長い間そんな道が続いた。ナビのガイドも道が途中でとぎれた。 再び国道370号線にでた。右に行くと高野で左が紀美野町であるが、ルートを紀美野町にした。 すでに時間は4時30分を過ぎていた。 ![]() 紀美野町に入って、食事をしなければならないのでいいところがないか探しながら走った。美里天文台への分岐がある道を過ぎてしばらくすると感じのいい橋があった。それを渡り貴志川の対岸で食事をした。 貴志川支流の真国川の水はきれいで、ルアーを打ちたいような瀬もたくさんあった。ロッドとルアーを持っていたので時間があれば振ってみたかったが、もうあたりはかなり暮れていた。 山間は特に夕暮れが早い。 食事を終わって再び370号線を走り、紀の川市への分岐の道で北に向かい山田ダムの堰堤を走り、貴志川に帰った。すでに時間は8時になっていた。走行距離は98kmであった。
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