<2002年初乗り> 暖かい冬の午後、いろいろ仕事もあるが、冬の青空を見ていると居ても立ってもいられなくなった。 行く当て知れずであったが、エンジンをかけた。 そういえば、有田鉄道はどうなっているのだろうか、ふと気になっている鉄道路線が頭をよぎった。よし、それを見に行こう、行き先を決めた。JR藤並駅に向かった。 ルートは、国道42号線を南にとった。いつもながらよく混む。そのまま藤並駅まで行くのも芸がないので、有田川沿いから県道20号(有田湯浅線)に右折し、田村海岸に向かった。 途中須佐神社を見た。かなり古い神社である。白い馬や鹿の像があった。この神社の詳細は、熊野古道のページで触れたい。田村、栖原海岸をゆっくりと走るのは気持ちがいい。海は波もなく穏やかで、カヌーを漕ぐのには最高のコンディションである。ふと、カヌーにしたらよかったかなとも思った。道は湯浅の漁港近くに出る。カモメが20羽程群れていた。 湯浅を抜けて再び国道42号線に出て、藤並駅に向かった。藤並駅で有田鉄道の発着時間を見てびっくりした。一日往復2便しかない。それも朝だけである。それに土曜日も隔週しか走らず、日曜日は運休である。 撮影をあきらめ、原谷を熊野古道沿いに走ることにした。この原谷は、阪和自動車道ができるまでは、国道42号線が渋滞する抜け道であった。元国道であるが、非常に狭く走り難かったが、最近拡幅され走りやすくなった。 広い道を走るのは面白くないので、原谷の地図にもない林道を走っていると、死んだ鹿が無造作に道の脇に置かれてあり、鉄砲を持った人がいた。ハンターで鹿を撃ち獲ったのである。仲間が来るまで休憩していたハンターと少し話をした。他のチームはイノシシを獲っているという。山道を走るとまわりの山肌でパンパンと鉄砲の音がひっきりなしに鳴っていた。 原谷から再び国道42号線に入り、夕暮れが近かったので県道189号線を西に走り、日高町産湯海岸に向かった。 ちょうどいい日の暮れで、空は茜に染まりかかっていた。 夕日をバックにKLEの写真や、海岸をスナップし、帰途についた。帰路は、もと来た道を走り、広川町で阪和高速道路に乗った。帰ってオドメーターを見ると200kmであった。
夏になってきた。 台風がすぎて、いい天気が続いていたが、どこにも行っていないので、山道を走りたくてうずうずしてきた。そこでちょっと走った。コースは、気の向くまま走った。 貴志川から、美里町に抜ける新しい道を走った。 一組のご夫婦が汲みにきていた。 20リットルのポリタンクを5つほどと、2リットルのペットボトル10ほどにいっぱい詰めていた。 私も飲んだが確かにおいしい。 「ここに時々汲みにきているのですか」 「うん、コーヒーやご飯がおいしいからね。普段はけんかするぐらい並んでいるんやけど今日は少ないね」きけば、この湧出するところから10mくらい下に、雨水の出口がほぼ同じスタイルであって、雨の日などは、知らない人は間違って雨水を汲んでいるという。USJの工業用水よりはましだろう。 美里町に入るトンネルを抜け、あえて山道などのルートを取りながら、美里のメインストリートでガソリンを入れた。 スタンドの奥さんは、「暑いのう。写真撮りにきたんかい?」と気軽に話しかけてきた。 10リットル入った。 国道370号線を、美里の中心部を抜け、しばらく走ると、「だるま湯」がある。見ると、その間に道があり、ダートらしき気配がするので、コースをそちらにとった。案の定、とぎれとぎれではあるがダートであった。山稜に、見晴らしのいいところがあり、かなり遠くまで見渡せた。夏の青い空が綺麗であった。 ここまでくると、気温もそれほど高くなく、むしろ涼しかった。 ダートコースを降りて、しばらく走ると、民家がちらほらあり、カーブのところに移動販売車がきていた。ちょうど腹が減っていたので、休憩した。 近所のおばさん連中が、かごを持って買い物にきていた。 「なんぞいい魚ないか」「あるでー、この太刀魚どうや」「ええのーそれもらうわ」 そのおばさんは、立派な太刀魚を買った。 「今日は暑いから涼しいとこへ止めてくれてうれしいわ」 「そやろ、暑いとかなわんわなー」買ったパンと魔法瓶(古い?)で持ってきていた冷たいコーヒーを飲みながら、漫才のような会話を聞くのは楽しかった。おばさんたちが帰った後、ご主人と話をした。 「そうや、もう17年これやっている。もうやめたいけど、何かほしいとき電話かかってきて、もってくるんや」 お年寄りだと買い物も近くで調達するほうがいい。こうして気心の知れた人が、角まできてくれるのはうれしいだろう。 それに町の情報も入ってくる。無表情にレジを叩くスーパーでは、味気ない。この車はさしづめ、移動コミュニケーションスーパーである。おばさんたちが帰った後、このご主人は、コーヒーを私にくれた。100円のパンを買って100円のコーヒーをもらったわけで、申し訳なかった。コーヒーを飲みながら、いろいろ話をする中で、同じ紀南出身ということなどがわかり、より近く感じられた。こういう出会いはうれしい。趣味は小鳥を飼うことだという。 ルートについて聞けば、私の走ってきた林道は個人所有で、走ってはだめな道らしかった。 入り口にも進入禁止と書いてあるというが、見落とした。 帰りは、県道19号を美里町に向けて走り、再び国道370号線を走った。貴志川に沿って、野上町を抜け、帰った。 山道や迂回路などを、ぐるぐる回りながら走ったので、150kmほど走っていた。
いい天気が続いた。これでは外に行かないとストレスがたまる。9月に、連休が続いたのに、カヌーもバイクも出来てなかっ カヌーは川は鮎釣りでうっとおしい、海は少し風波が高かった。ということはバイクしかなかった。実はこの日、熊野21世紀のイベントで、熊野川下りがある。熊野古道の熊野川下りが、まだきちんと出来ていないので、ちょうどいいイベントである。 それを見に行くことにした。 マップルを眺めていると、龍神から本宮に抜ける長い林道がある。おすすめコースになっている。近くに東の川林道もある。これはダートがある。これを走ることに決めた。KLEにはトランクバッグを付けたばかりで、ツーリングの際の使い勝手はまだ試していない。またシート下のフックも試す必要があった。リアシートの取っ手に付けたリングフックはきわめて有効。このニコンのカメラバッグをきちんと固定できる。これで背負わないで走ることができる。転けてもカメラに影響がない。今回はテントなど何も持たなかったので、このカメラバッグをトランクケースに入れようと思えば入った。 今日こそ朝早くにでようと思い、前の日準備をしたのだが、やはりいろいろ不足や持ち物の出し入れや弁当作りがあり、予定より少し遅れて出発した。毎度のことだが、持っていくカメラをいろいろ考えていると、いつも遅くなる。 KLEのチェンにグリスアップし、荷物をくくりつけ出発したのは予定より、一時間近く遅れてからであった。 家を出る時のオドメーターは、7297kmであった。 ![]() 時間が惜しかったので、普段走る海南から金屋ルートではなく、阪和自動車道を吉備まで走った。吉備インターから金屋に抜け、美山の椿山ダム堰堤を走った。車も少なく、快調にとばせた。スズキアルトの若い女性が、タバコを吹かしながら抜いていった。KLEのスピードメーターを見ると100kmであった。 国道424号と425号の分岐で、龍神方面と新宮方面に分かれる。 龍神への道は、371号と425号がクロスしている。役場の少し手前に道路標識があり、上山路橋をわたると本宮への道となる。 道は丹生川に沿って走る。この川が抜群に綺麗である。日高川もダムがなければ、この綺麗な水を集めてすばらしい川になっているはずである。本当に残念。 しばらく走ると殿原という集落があり、小さな、かなり年月を経た神社があった。惣大明神である。 以前、龍神にアメリカ空軍のB-29が墜落したところがあるとは聞いていたが、ここがその場所であった。神社境内の隅に石碑が建っていた。B-29のジュラルミンの破片が、土台のコンクリートの中に埋め込まれていた。聖書の一節を石碑に刻んでいたが、残念ながら現在の世の中はその反対を行ってる気がする。 碑には、「彼らはその剣を打ち変えて鋤とし、その槍を打ち変えて鎌とし、国と国に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いごとを学ばない」(イザヤ2章4冊)とあった。 もう一つ驚いたことがあった。 神社の少し先に、安倍晴明がこの地に来て妖怪を封じ込めたという伝説があるという。安倍晴明については、熊野古道の大阪を歩いた時その存在を知ったが、大阪から遠く離れて龍神の地で名前を残しているとは知らなかった。 殿原を少しすぎたところに、妖怪退治を記す石碑と案内板があった。 本宮への分岐道は加財というところから始まる。 分岐点の土手の上に、元宮内大臣伯爵田中光顕大臣がここに逃げ込んだという石碑がある。 ウキペディアによると、 「天保14年(1843年)閏9月25日、土佐藩の家老深尾家々臣である浜田金治と金沢正敏の娘である献の長男として、土佐国高岡郡佐川村(現・高知県高岡郡佐川町)に生まれた。 土佐藩士武市半平太の尊王攘夷運動に傾倒してその道場に通い、土佐勤王党に参加した。叔父の那須信吾は吉田東洋暗殺の実行犯だが、光顕も関与した疑いもある。しかし文久3年(1863年)、同党が八月十八日の政変を契機として弾圧されるや謹慎処分となり、翌元治元年(1864年)には同志を集めて脱藩。のち高杉晋作の弟子となって長州藩を頼る。第一次長州征伐後に大坂城占領を企図したが、新撰組に摘発されたぜんざい屋事件を起こして大和十津川へ逃れる。薩長同盟の成立に貢献して、薩摩藩の黒田清隆が長州を訪ねた際に同行した。第二次長州征伐時では長州藩の軍艦丙寅丸に乗船して幕府軍と戦った。後に帰藩し中岡慎太郎の陸援隊に幹部として参加。」 とある。動物写真家の田中光常さんはこの人の孫だそうだ。私なら、逃げ込んで石碑が建てられたら恥ずかしいけれど。 龍神本宮林道を走り出したのは、11時45分であった。 目的の龍神本宮林道へは橋を渡る。林道は、細いが綺麗に舗装されている。当然のことながら登りばかりである。 途中はススキや彼岸花が咲き、秋を実感するシーンが続く。 空は青く高く、絵に描いたような秋のツーリング日和であった。 道は尾根の斜面を切り拓いて延びている。高度が上がるにつれて景色がよくなってきた。 熊野三千峰が右手に広がっている。 気温が高いので、青くかすんだようになってはいるが、それがまた峰峰に存在感と神秘性を与えていた。 途中、仮谷前和歌山県知事の書による碑があった。 途中でいい景色があり、写真を撮りたかったが、木立がじゃまをしていた。頂上近くになってやっと開け、熊野の山々を見渡せる位置に来た。写真にもう少しクリアさが欲しかったが、UVフィルターでは限界があり、偏光フィルターをおいてきたのを後悔した。 ひとしきり写真を撮り、下りにかかった。奈良県との県境を示す碑があった。ここが奈良県とは知らなかった。 下りきったところに、林道東の川線の分岐があり、通行止めの看板がでていた。 この林道は、昔、道に迷って入り込み、分厚い氷の張ったトンネルを怖い思いをしながら抜けた経験がある。そのときは何という林道かも分からなかったが、当時の記憶がよみがえってきた。本宮まで、トンネルを二つ抜けた。 三越トンネルを越えてすぐに熊野古道とクロスする。三越の関所が右手に見える。 休憩所と公衆電話がある。休憩所には椅子とテーブルがあるので休憩にいい。 三越の関所から少し走ると、発心門王子に着く。 昨年、本宮はNHK朝の連ドラ「ほんまもん」の舞台になったので、看板があちこちに立っているが、ここにもあった。 発心門王子から本宮はもうすぐである。発心門から5分ほどで、熊野川が見えてくる。本宮の竹の本で林道はここで終点となる。T字路になった突き当たりに道の駅「ほんぐう」がありにぎわっていた。 午後1時40分に着いた。午前11時45分に加財の分岐で林道に入ったので、かれこれ2時間走ったことになる。 1時間ぐらいで走れると思っていたが誤算であった。 「ほんぐう」は、新しい施設で裏には芝生が拡がり、駐車場も広い。ビッグバイクが、10台ほど並んで駐輪していた。私はその端に止めたが、KLEは、車高の高さでは一番だった。 計画では、本宮に1時頃着き、熊野川のイベントを撮影して、海岸を走って帰るつもりであった。 ところが、龍神本宮林道は距離的にはそれほどあると思えないが、途中何度も写真を撮ったりしたため2時間もかかり、到着が大幅に遅れ、イベント見学はあきらめた。 実は、今回のツーリングでは、昼食は龍神でお話をしながらと思い、とりあえず弁当を作ったのだが、それを積まずに来た。それが失敗の元で、龍神から林道入り口までにはお店が見つからなかった。おかげで、水筒の水とホットコーヒーで空腹をしのぎながらのツーリングとなった。いつもは最低でもイカの足と柿の種があるのだが、今回はそれも積んでなかった。 今年は、天候には恵まれているが、食べ物ではどうもうまくいかない年である。 道の駅での昼食は、カレーにした。まずくはなかったが、何となくインスタントっぽい味がした。 そこから、どう走るかいろいろ悩んでいるところに橋本の友達から電話があり、区画整理される田圃の写真を撮って欲しいと言われ、帰りのルートが決まった。 ![]() 戦前に、五条から新宮までの鉄道「五新線」を敷設に掛かったが、結局途中で工事を終わっており、壮大な税金の無駄遣いをしているところでもある。久しぶりの168号線はほとんど変わってはいなかった。 十津川温泉に遊覧船が浮かんでいた。また、折立あたりが、橋の大規模な工事がいくつか進行中で、数年後にはかなり走りやすくなるであろう。 途中、いろんなツーリンググループと、抜いたり抜かれたりしながら走った。たくさんのバイクに出会ったが、KLEはなかった。 谷瀬の釣り橋は昔のままあった。 たくさんの観光客が、きゃーきゃー言いながら渡っていた。ここに別のルートが出来るまでは、この橋をカブ型のバイクで渡る地元の人がいた。KLEで渡る勇気はない。谷瀬の釣り橋を過ぎてからは、夕暮れも迫り、途中道の駅「吉野路大塔」で休憩した後は、橋本まで日があるうちにと思い、ひたすら走った。途中、橋本の恋野で約束通り、田圃の写真を撮り、貴志川に帰り着いたのは、7時に少し前であった。 オドメーターは7687kmで、走行距離はちょうど390kmであった。一日の行程としては少し走りすぎた。本宮あたりでキャンプをしたかった。
今日は寒いが晴れるという予報である。休みである。林道を走りたい。地図を見ると、花園村に2本ダートがある。それに決めた。KLEは8000kmになっていたので、オイル交換をし、11時に出発した。 ![]() 鞆渕を抜けて走った。鞆渕でお店に入り、昼食を調達した。 懐かしい感じのお店で、そこでは感じのいいご婦人が店番をしていた。 カップヌードルを一つとビスケットを買った。「写真を撮らせていただけませんか?」と聞くと、 「まーこんなおばーさんでもええんかの」といって気軽に撮らせてくれた。 そして奥へ行って、柿をたくさん持ってきてくれた。恐縮、恐縮。いいなー。昔は、あらゆるところでこんなやりとりがあった。 今の日本人が忘れつつあるのは、こんなコミュニケーションではなかろうか。 鞆渕から少し走ると、殿原というところに着く。ここは国道24号と高野への分岐点である。ふと見ると、道の上に、小さな祠があった。交差点で、枝豆等を売っているご夫婦がいた。 いろいろ話の中で、小さな二つの祠について教えてくれた。右が、眼の病気に効く薬師さんで、左が商売繁盛のありがたい神様ということである。枝豆を一束買った。これで今日のビールの当ては決まった。 昼食を、カップヌードルですまそうと思ったが、ちょうどこの薬師さんの前に食堂があり、何となく心引かれたので、入った。 おじさんが先客で二人いた。私は、卵とじうどんを頼んだ。 ふと見ると、文珍さんとカイヤさんが、ここにテレビの取材に来た時の写真があった。 カイヤさんがバイクに乗るとは知らなかった。お店の方に聞くと、アメリカではよく乗っていたのだけど、日本のこんな地方の道を走ると、狭いので怖いといっていたという。そうだろうね。 地元のものでも、何遍走っても緊張する。道は狭く曲がりくねっている。 殿原食堂のうどんは凄くおいしかった。麺に腰があって出し汁もおいしかった。 じつは、過去の経験から、山里のこうしたお店はあまり美味しいところがないのだが、ここは美味しい。 得した感じになった。店内も、懐かしい感じで、よかった。 今日は一眼レフを持たずに出た。オリンパスPEND、オリンパスXA4、そしてキャメディアC-900の3台だけ持った。 バニアケースには、コンロとシェラカップだけを入れた。ツーリング用のレインスーツは入れなかった。これが間違いの元であった。雨が降ってきたのである。食事を終わり、走りだした。林道入り口の看板を見ると花園にはいけないと書いてあった。少し考えたが、バイクなら何とかならないかと、走ることにした。 町道との分岐でまた通行止めとあった。それでも走り続けた。 林道への分岐点には橋があり、標識があった。そのまま走りこんだが、こじんまりした集落がありそこからすぐに、崖が大きく崩れた現場に着いた。これは越えられなかった。復旧の手もつけられてなかった。 やむなく引き返し、町道を行こうとしたが、ここも交通止めであった。 手前に橋があり、そこからダートが延びていたので、もしやと思って入ったが、途中で木の切り出しをしていて、先に進めなかった。3本のルートすべてが通行止めだったので、これは戻るしかなく、元の370号へ引き返した。 長谷宮で県道115号を花園に向かった。道は曲がりくねっているが、きれいに舗装されている。 頂上は地蔵峠で、美里町と花園町との境となる。碑があった。 林道に入り、しばらく走ると、毛原沼谷林道との分岐点に来る。ここは左にルートを取る。三叉路の手前にかわいいお地蔵さんがある。しばらくは舗装されたみちで、舗装されてしまったのかと思ったが、途中できれいなダートになった。やっと今日の目的を果たせた。ダートといってもよく整備されており走りやすい。 ただ所々、雨がえぐった深い溝ができているので、コースを取り違うと、走りにくくなる。 分岐点から3kmほど走ると、こぎれいな観音様を祀った、岩坂観音がある。 寺の前は、広い公園になっていて、護摩壇山から高野龍神スカイラインが遠くに眺望できる。ここはお勧めコースのひとつに上げられる。 このルートも、昨日10月31日に走っていれば、通行止めだったのである。途中崖崩れ防止の吹きつけをしていた。 清水町には、棚田100景に選ばれたあらぎ島がある。ここは以前から時々写真にとっていたが、今はもう秋で、田も茶色に変わっていた。ここは四季折々に美しく変わる風景がたのしい。 国道480号線からよく見え、最近は手すり付の撮影場所が作られている。 ここを過ぎてまもなく、雨がぱらついてきて、二川ダム堰堤からは、本格的に降ってきた。 有田に抜けて帰ろうと思っていたが、雨は降り止まず、空を見ると北が明るいので、ルート変更し、生石高原を越えて貴志川に帰った。雨は一時激しく降り、天気予報を信じレインスーツを持ってなかったので、コートを通して水が浸入し、ズボンが濡れ冷たかった。
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