田村泰次郎 たむら・たいじろう(1911—1983)


 

本名=田村泰次郎(たむら・たいじろう)
明治44年11月30日—昭和58年11月2日 
享年71歳(田村泰次郎大人命)
埼玉県所沢市北原町980 所沢聖地霊園と地区5側18番 



小説家。三重県生。早稲田大学卒。大学在学中、井上友一郎、坂口安吾、北原武夫らと同人誌『桜』を創刊、未完の長編『をろち』を連載。日中戦争で応召。戦後『肉体の門』で流行作家となる。画廊『現代画廊』を経営、のち洲之内徹に託す。『地雷原』『肉体の悪魔』『春婦伝』などがある。



 



 私はこの戦争の期間を通じて、肉体を忘れた「思想」が、正常な軌道を踏みはずしたような民族の動きに対して、なんの抑制も、抵抗もなし得なかったのを見た。また長い野戦の生活で、私はもっともらしい「思想」や、えらそうな「思想」をかかげている日本人が、獣になるのを体験した。私もその獣の一匹であった。(中略)「思想」への不信は徹底的である。私たちは、いまやみずからの肉体以外のなにものも信じない。肉体だけが真実である。肉体の苦痛、肉体の欲望、肉体の怒り、肉体の陶酔、肉体の惑乱、肉体の眠り、----これらのことだけが真実である。これらのことがあることによって、私たちははじめて自分が生きていることを自覚するのだ。肉体はいまや、一せいに蜂起した「不逞の徒」に似ている。肉体が、蓆旗やプラカードを押し立て、銅鑼を鳴して「思想」にむかって攻め寄せているのが、今日の現実ではないか。

(肉体が人間である)



 

 否応なく中国戦線のただ中に身を置かざるを得なかった苦難の体験が、野獣のごとく、官能の迸るままに闊歩する一人の作家を産んだ。しかし作家の背には払っても払いきれない重荷が負い被さってもいたのだ。〈人間のどんな考えも、肉体を基盤にしなければ、頼りにならないものであることを、私は信じる。肉体こそ、すべてだ〉と宣言した心情の奥底に潜む凄惨な記憶を私は思いやる。
 昭和58年11月2日午後2時14分、心筋梗塞のため千代田区富士見の東京警察病院で冥府に旅立った彼の脳裏に流れたのは、大陸の谷や風、「魂の故郷」であったのだろうか。美術マニアでもあり西銀座に画廊「現代画廊」を経営していたが、後に経営を戦時中、中国山西省に従軍した当時からの友人洲之内徹に託している。



 

 砂利庭の塋域、草切れの一片もなく、無機質な墓地の一点景。気は乾いている。まもなく黄昏もやってくるのだろう。見上げた空、雲間から解き放たれた青い光が、一瞬間、敷石の表面を切り裂きながら滑っていった。一方の境石の影から、蟻の隊列が小石を避けながら黙々と墓誌の裏側に消えては現れる。墓誌に「田村泰次郎大人命 昭和五十八年十一月二日 帰幽 行年七十一才」とある。戦地の山河、行軍に明け暮れた遠い日の光景を、小さな生き物が目の当たりに映し出している。
 人間であることを拒否した日々は重い。ドライフラワーとなった供花を抱いた「田村家先祖代々」墓は、弱々しい夕日によってさえ影色となった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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