竹中 郁 たけなか・いく(1904—1982)


 

本名=竹中育三郎(たけなか・いくさぶろう)
明治37年4月1日—昭和57年3月7日 
享年77歳(春光院詩仙郁道居士)
兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1–39 能福寺(天台宗)



詩人。兵庫県生。関西学院大学卒。『近代風景』など白秋主宰の雑誌で詩人として出発。大正15年第一詩集『黄蜂と花粉』を刊行。昭和元年に『詩と詩論』に参加。5年『四季』同人になる。7年詩集『象牙海岸』刊行。『ポルカマズルカ』で読売文学賞受賞。『一匙の雲』『動物磁気』などがある。



 
 


透きとおる空気
透きとおる窓
透きとおるガラスの器
この透きとおる部屋に
柿 五つ
十二月をひきしめる

いのちの終りに
なお一そうかがやく朱と紅
語れ 五つの柿よ
無言で語れ
一年の終り 十二月をひきしめる秘密を
無言で語れ

(無言で語れ)



 

 生家も養家も裕福で、ハイカラを地でいった育歴のお坊ちゃん。〈あんな紅顔美少年が何や〉とか〈あんな気障なもん殴って了へ〉とか、こんな言葉は、昔から郁さんについて聞いとった。が、と稲垣足穂はつづける。〈郁さんはその名の示すとほりの我日本の新しき、海港の詩人やな。これは一人よりないな〉。
 郁さんは無垢なものに美しさを求めて歌い、明晰する。〈長い旅路の終わりに到りついて したり顔にもみえる しかめ面にもみえる 砂浜にうちあげられて ゆっくりと乾いてゆく流木〉、昭和57年3月7日午前5時40分、血小板低下および貧血のため入院していた神戸中央市民病院で脳内出血をおこし、〈神戸の詩人さん〉、竹中郁は永遠の眠りについた。 



 

 神戸は港町だ。六甲山系の連なりを背後に街並みが横に長く広がっている。ハイカラさんの詩人にこれ以上似合った街はない。平清盛の福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められた寺には、清盛の廟所や兵庫大仏もある。港に近く、神戸の観光名所にもなっていて、山門を入ると多くの人たちで賑わっているのだが、道を隔てた境内裏にある墓地はそんな喧噪とは我関せずとばかりに、ひっそりと佇んである。
 鮮やかな夕陽がさしている大仏の背中を仰ぎみている二基の墓があった。「家」の字をきらって省いた自筆刻の「竹中累代墓」。焦げ茶色の陶製花筒があるばかりの簡潔な墓碑、〈光の詩人〉、〈日本のコクトー〉と称された詩人竹中郁はここに眠っている。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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文学散歩 :住まいの軌跡


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