多田智満子 ただ・ちまこ(1930—2003)


 

本名=加藤智満子(かとう・ちまこ)
昭和5年4月6日(戸籍上は4月1日)—平成15年1月23日 
享年73歳 ❖風草忌 
兵庫県神戸市灘区大石字長峰山4–58 長峰山霊園12号地ち5
 



詩人・随筆家。福岡県生。慶應義塾大学卒。昭和31年第一詩集『花火』を出版、個人的感傷は一切排除した独特の感性で注目される。第六詩集『蓮喰いびと』で現代詩女流賞。第九詩集『川のある国』で読売文学賞受賞。『贋の年代記』『祝火』『川のほとりに』などがある。







葉が枯れて落ちるように
人は死ねないものか すぎてゆく季節のままに

時間は絶えず問いかけ
空間は答えをくりひろげてやまぬ

そのこたえはしかし星と風のもの
森と獣と湖のもの
自然の意匠は人間を容れないものか

蒼空に顔を映してわたしは立つ
古拙的の仏像のように
生れつきの微笑をうかべて

かつてわたしがさからったことがあるか
かつてわたしの失わなかったものがあるか
そしてかつてわたしが不幸であったことがあるか

わたしの瞳に魚が沈む
わたしはおもむろに悟りはじめる
わたしがしあわせな白痴であることを

腕よ樹の枝になれ
髪よ木の葉になれ
わたしは自然の序列に還ろう

わたしの肋骨の隙間に
秋の風よ ふけ

(葉が枯れて落ちるように)



 

 その日の朝、神戸の空には鮮やかな冬の虹が立っていた。束の間、四方を輝かした虹は青白い光をうっすらと残して怜悧な風をゆるめた。子宮がんで闘病中の六甲病院緩和ケア病棟で没後出版物のプランについてや挨拶状のこと、自身の葬儀、など後事を冷静に示し、死への準備をすべてなし終えたあと、平成15年1月23日午前8時58分、肝不全のため閨秀詩人・多田智満子は自らの挽歌を携えて、静静と天国に向かって歩んで逝った。
 〈魂よおまえの世界には 二つしか色がない 底のない空の青さと 欲望を葬る新しい墓の白さ〉。樹の枝になり、木の葉になり、自然の序列に還っていく彼女の後ろ姿、ゆらめく風の旅立ち——。
 〈草の背を乗り継ぐ風の行方かな〉。



 

 矢川澄子は自殺する直前に闘病中の智満子を見舞った。見舞ったはずの本人が先に死ぬという乱調を配して。病臥の中で智満子は追悼し、〈来む春は墓遊びせむ花の蔭〉の句を贈るのだが、その半年後、彼女もまた花の蔭に横たわることとなる。
 紀伊半島が遠くに霞み、神戸港は眼下に見える。遮るものとてない六甲山系長峰山の高園、この霊園に夫加藤信行に並んで多田智満子の墓碑銘がある。傍らに〈めまいして墜落しそうな深い井戸— あの蒼天から汲みなさい 女よ あなたのかかえた土の甕を 天の瑠璃で満たしなさい〉と、『甕』の碑が。
 花はもう散ってしまったけれど、うぐいすが啼き、緑の濃さを増した葉陰で「墓遊び」に興じる澄子と智満子。その面影を追って私は黙祷する。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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