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  「『ふたりのベロニカ』(クシシュトフ・キェシロフスキ監督)は、くるおしいまでに切ない気持ちにさせる映画だ。世界のどこかにいるもう一人の自分が死に、その死者に救われて生きている。センチメンタルなテーマだが、監督の繊細な技法で情感豊かに仕上がっている。イレーヌ・ジャコブの豊穣な感情を振りまく熱演は特筆もの。情念を内部に取り込んで結晶化させるエマニュエル・ベアールの演技とは対照的だった」

 「大林宣彦監督自身が、『集大成』と呼ぶ『はるか、ノスタルジィ』は、これまでにも増して心が透明になる。大林ワールドの一つの頂点と言えるだろう」「少しくどいけれども。最初は、小樽を舞台にして軽やかに始まる。しかし、やがて戦争の悲惨さを背景に、重い現実へと進んでいく。『切実になれないことが切実な悩み』を抱える現代において、この映画のストレートな『思い出の切実さ』は、胸の深部を刺激する」

 「ピーター・ワトキンス監督の『ムンク 愛のレクイエム』は、ドギュメンタリー・タッチを採用した実験的な作品。ただ伝記的な内容を異化する出演者のよそよそしさは、映画として評価が分かれるだろう」「僕は、繰り返される喀血のシーンに、3日間うなされた」「キルギスタンのトロムーシュ・オケーエフ監督の『白い豹の影』は、500年前と現在を結ぶ『共生』のメッセージを、天山山脈を中心とする壮大な映像が支えている。特に大雪崩のシーンは文字通り『息を飲む』、稀に見る迫力だったね」

 「同じ山に面するのでも、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の姿勢は屈折している。極限志向の舞台としてセロトーレ山の登頂を選んだ『彼方へ』は、しかしラストの瞠目すべき映像のみが際立ち、ストーリー的には単調だった」「85年ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した『冬の旅』(アニリス・ヴァルダ監督)は、南フランスの冬をリアルにとらえた映像表現は認めるものの、反抗少女というテーマの凡庸さは、拭いきれない」

 「思わず『オバタリアン映画』と呼んでしまったロバート・ゼメキス監督の『永遠に美しく』。お金をいっぱいかけたおフザケ・コメディ。メリル・ストリープのミュージカルという導入部は、とてもうまくいったけれど、古くさい説教が気になる終盤に向けて、ガラガラと評価が落ちていく。青春タイムトラベルの傑作『バック・ツー・ザ・フューチャー』には、遠く及ばない」

 「『美しき獲物』(カール・シュンケル監督)は、サイコ・スリラーとしては底が浅かった。チェス・ゲームと幼児体験と連続猟奇殺人の組み合わせも安直だ」「収穫は少女役のキャサリン・イソベルだね。同時上映の『ボディ・ヒート』(カット・シー・ルービル監督)も、悪女ものとしては物足りなかった。2、3カ所、ハッとする鋭いカットはあったけれど」

 「さて、待ちに待った塚本晋也監督の新作『鉄男2』。終始圧倒的なパワーで押しまくった『鉄男』に比べ、『鉄男2』には静的な時間が意図的に挿入されていた。白黒ならではの鉄の質感は、今回のカラー化で半減したが、新しい世界が開かれた」「色調の妙は楽しめた。実験、冒険が随所に散りばめられ、破壊的なメッセージを発信している。石井忠の暴力的なサウンドも健在。ラストの布袋寅泰の『MATERIALS』は、『鉄男2』のために作曲したかのようにピッタリだったね」「都市を破壊しつくす鉄男は、誰にも負けないが、あの騒音の中でずっと眠っていた隣の席にお姉さんにだけは、負けるな」「同感」


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   「『ちびまる子ちゃん−わたしの好きな歌』は、予想以上の出来映えだったね。ちびまる劇場用ストーリーだけでなく、独自の音楽シーンでは、さらに不条理な『さくらももこワールドを』を展開している」「その奔放な想像力はディズニーの記念碑的な傑作『ファンタジア』を連想させる。少し褒め過ぎだけれど。大人も十分に楽しめるアニメの新世界だった」

 「一方『ゴジラVSモスラ』(大河原孝夫監督)は、教育映画に堕落していて評価できない。悪役のバトラがラストで善玉になってしまったのは情けない。前作『ゴジラVSキングギドラ』(大森一樹監督)は、ストーリー的にはタイムスリップものの矛盾を抱えていて不満だったが、荒唐無稽な展開にはパワーがあり、サイボーグ=キングギドラの登場シーンは圧巻だった」「今回は、紋切り型の環境保護キャンペーン映画で、お行儀が良すぎる」「ゴム状の幼虫のいかがわしさと小林昭二のおおげさな演技だけが、救いといえる」

 「アルコール依存症の女性と同性愛の二人の男性の三角関係。『きらきらひかる』は極めて上品に洗練された作品だ」「プライドが高くてしっかりしているが、ひどくもろい所を持っている笑子役を薬師丸ひろ子が好演。ウエートレス役の土屋久美子は、独特な存在感を放っていた。『生きてくってことが、幸せってもんよ、お客さん」という彼女の言葉が忘れられない」「無駄がなく、滑らかな仕上がりだけれど、もう一歩踏み込めなかったかとも思う。しかし、自覚的にあえて踏みとどまったのかもしれない。松岡錠司監督にサインしてもらったから、まっいいか」「僕は、セザンヌの自画像で終わる小説の方も気に入っています」

 「『ドラキュラ』は、フランシス・コッポラ監督らしい厚みのある映像。キリスト教を守るために、トルコ人らを10万人以上くし刺しにして殺戮したドラキュラは、教会に裏切られて吸血鬼へと変身する。この辺の展開は納得できるが、最後に神の慈愛に救われるというハッピーエンドは残念だった」「ウィノナ・ライダーの熱演が印象に残った。『ナイト・オン・ザ・プラネット』で、アイドルから性格俳優に急成長した彼女は、ミナ役を見事に演じ切った」「B級スプラッター的な大げさな演出は、評価が分かれるだろう。僕は、血の洪水、わざとらしいシーンの連続が、この作品を平板にしていると思う」

 「カトリーヌ・ドヌーブ主演の『インドシナ』(レジス・バルニエ監督)は、スケールの大きな作品。これほど壮大なフランス映画は久しぶりだ。自らの歴史的な反省の上に立ち、インドシナとフランスの関係を力強く描く。ドヌーブは美しいだけではない。その固い決意のようなものが、この映画全体を支えていた」

 「『クーリンチェ少年殺人事件』は、台湾ニューウェーブの一人、エドワード・ヤン監督の日本初公開作。1961年、台北で実際に起こった中学生による少女殺害を素材に、60年代初めの台湾を多面的に描写していく」「さまざまな世代の苛立ちとやり切れなさ。その一人ひとりを距離を置いて描く手法。カチッとした構図と計算された色彩の中に、分かりにくい人間模様がしだいに浮かび上がってくる」「3時間を超す大作だが、前半はやや単調。私は幾度となく睡魔に襲われた」


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「国境が難民を生み出し、難民は越境を試みる。孤独と離別とかすかな希望。『こうのとり、たちすさんで』(テオ・アンゲロプロス監督)は、ともすれば私たちが忘れがちな難民の重層化した厳しい現実を、叙情性豊かに描いてみせる」「92年9月に東京で公開されて以来、一刻も早い札幌上映を待ち望んできた。しかし、この作品は冬に観るべき映画だと感じた。雪の降る川と湖の舞台に、スッと入っていける」

「アンゲロプロス監督の映像は、時とともに発酵し、より鮮やかになっていく。何年も経ってから、私の身体に深く根を下ろしていることに気づく。『旅芸人の記録』が、私にとってかけがえのない映画と実感したのは、初めて観てから5年も経過してからだった」「『こうのとり、たちすさんで』にも、数々の秀抜なシーンがある。浅田彰氏が『民族の歴史と個人の運命の交差を描いて荘厳というしかない』(92年9月30日、読売新聞夕刊)と指摘した『クルド人が内紛で殺された現場に夫人(ジャンヌ・モロー)が乗った汽車が入ってくる』シーンのほか、ホテルのバーで『少女』と主人公のアレクサンドロスが視線を合わせ、じっと見つめ合うシーン、国境を隔てる川の両岸で『少女』が行う結婚式、そして嵐で切断された電話線をつなぐため電柱に上がり、コウノトリのように見える難民たちの象徴的なラスト。いずれも忘れがたい」

「様々なテーマが盛り込まれているね。私が特に感じたのは『名』の問題。有望な政治家だった『男』(マルチェロ・マストロヤンニ)は、失踪した直後の電話で『夫人』に名前さえないのだと話す。ベッドを共にした後、アレクサンドロスは『少女』に『誰かの名を呼んだね』と言い、それが国境で隔てられた幼なじみとの結婚シーンにつながっていく。アイヌ民族や朝鮮人らの名前を奪った歴史を持つ私たちは、今あらためて『名』というものの重要性をかみしめる必要があると痛感した」「自由に向かって飛び立ちかねているコウノトリに、安易に自分たちを重ねるのではなく、難民が足を踏み入れることのできる場を、いかに用意することができるかを考えるべきだ」

「ロバート・アルトマン監督の『ザ・プレイヤー』は、冒頭の『長回し』と全編にただよう皮肉なムードは評価できるけれど、薄っぺらなハリウッドの内幕を描きながら、作品自体も薄っぺらになってしまったのではないか。少なくとも、展開にもう一ひねりほしい」「ティム・ロビンスは、この作品でカンヌ映画祭主演男優賞に輝いたが、私は『ジェイコブズ・ラダー』(エイドリアン・ライン監督)の方が、はるかに熱演していたと思う」「『ジェイコブズ・ラダー』は、あまりにも陳腐な結末を除けば、ベトナム戦争がアメリカ人に与えた切実な恐怖と不安を見事に映像化した数少ない作品だったね。その強迫的なイメージは、後で効いてくる」

「第7回中国映画祭では、『心の香り』(孫固監督、92年)と『五人少女天国行』(玉進監督、91年)を観た。『心の香り』は、京劇という伝統を背景に、さまざまな人間関係を的確に描いた秀作。確かに大傑作だが、江戸木純氏の『我々はこの作品を見るために中国映画を見つづけてきたと言っても過言ではない』は、褒めすぎ。張芸謀や陳凱歌らに比べると、やや小さく固まってしまっている」 「『五人少女天国行』は、美少女たちのファンタジーかと思いきや、中国の重苦しい封建制度、女性差別を鋭く批判していた。少女たちは、その抑圧から逃れようと集団自殺を試みるが失敗し、結婚させられてしまう。原題は『出嫁女』。『五人少女天国行』という邦題をつけた人は、相当ブラックユーモアがある人だ」


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「スパイク・リー監督の『マルコムX』は、アメリカの偽善を正面から撃っている。そし て、あざとい手法でケネディ大統領暗殺事件に迫った『JFK』(オリバー・ストーン監督)の空々しさをも突いてい た。『ドゥ・ザ・ライト・シング』で、ロス暴動の素地を正確に見据えることのできた黒 人監督ならではの視点が貫かれている」「黒人への熱いメッセージが全面に出ているので 『ジャングル・フーバー』の重層化した差別の複雑な構図に比べ、単純化されていること は否定できない」「しかし、それも監督が自覚的に選択したことだろう」「ただ『一人の 人間を重要視したやり方は間違っていた』と冷静にカリスマ化を批判していたリー監督の 思いが、映像からは十分感じられなかった」

『愛の風景』。男女の辛辣な会話では右に出る者がないイングマル・ベルイマンの脚本を、『ペレ』のビレ・アウグスト監督が、映画化した。ベルイマンの両親を描きながら、 1910年のスウェーデンをも描写し、雄大なスケールを持つ。アウグスト監督は、巨匠 の脚本に負けることなく、十分な距離感を保ち、独自の映像感覚を発揮していた」「ベル イマン特有の裸形の感情のぶつかり合いを静かに包んでいる。両親は対立しつつも妥協し 、結婚を誓う。しかし波乱に満ちた生活になることは十二分に予感できる。そして母親の お腹の中には、ベルイマンがいる」「こんなにも辛いハッピーエンドは久しぶりだ」

『エドワード2』は、デレク・ジャーマン監督らしい耽美が冴えわたっている。セット を限定し演劇的空間を創造したことで、ゲイ差別への抗議は鮮明になった」「ゲイの男性 たちも、なかなか素敵だが、ティルダ・スウィントンのマヌカン的な美しさは抜きんでて いる」「ジャーマンの新しい世界は、黙示録的な美しさに満ちた『ザ・ガーデン』とは、 また違った魅力に満ちていた」

『赤い航路』は、倒錯した愛を描こうとしながら、古典的な結末へと回収してしまった。屈折したユーモアの『水の中のナイフ』、シュールな美しさの『反撥』、ホラーの新地平を開いた『ローズマリーの赤ちゃん』など、シャープな映像とテーマで、時代の先を歩いていたロマン・ポランスキー監督だが、60歳直前という年齢には勝てなかった のかな」「倒錯ならV&Rプランニングの方が、ずっと腰がすわっている」

『ラスト・オブ・モヒカン』は、ダニエル・ディリ・ルイスのいつもながらハマッた演 技、戦闘シーンと壮大な自然の対比など、澄んだ映像は評価できる。しかし、肝心の人間 が描けていない」「男のダンディズムが、単純化されすぎているからだろう。英仏戦争に 巻き込まれるアメリカの先住民というテーマが十分に生かされず、ほとんど冒険活劇にな っている」

『シティーハンター』(バリー・ウォン監督)は、ジャッキー・チェンの新しいエロティシズムだけが、収穫。 後藤久美子はアクションに追いつけず、ジョイ・ウォンに完全に食われていた。彼女は、 眼の演技が得意だけれど、アクション映画はきつかったかもしれないね」


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『僕らはみんな生きている』(滝田洋二郎監督)は、アジアで働く日本のサラリーマン を描いたコメディ。サラリーマンの姿を自虐的にとらえながら笑わせるテンポはなかなか いい。エンターテインメントとしては、評価していいだろう」「しかし、現実を丸ごと描 き切っているか、毒のあるパロディになっているかといえば、大いに疑問だ」「政治の生 々しさから、眼をそむけているからだよ。原作のセーナは、日本のサラリーマンの現地妻 で反政府ゲリラでもある。この重要なセーナ役を、映画では男に置き換えてしまった。そ のため、展開がすっかり平板になった。男性中心の視点から外に出ることができず、そこ に居直ってしまった」

「政府のスパイをしていたサラリーマンが、ゲリラに捕らえられた後、残ったサラリーマ ンたちが、取り返しにいき『お前らが、8人も9人もガキ作っている間、俺たちは電卓た たいてた』と、たんかを切り、サラリーマンを解放してもらうストーリーも、あまりにも 非現実的だ。厳しい政治に向かうよりは、それを揶揄することで安心してしまう日本人好 みの水準にとどまっている。全ては、日本人男性に都合良く出来上がっている」「それを観 客に気づかせようとしたというのは、深読みかな」

「アメリカのインデペンデント映画に決定的な足跡を残したカサベテス監督の6作品が、 相次いで上映されたね。老いていく女優の苦悩、葛藤を描いた『オープニング・ナイト』 、病んだ大人たちの複雑な人間模様とその間で傷つく子供たちを描写した『ラヴ・ストリームス』。しかし、カサベテスの映画では、そんな要約はほとんど意味がない。まっ、本当を言えば、すべての映画がそうだと言い換えることもできるが、カサベテスの世界は、 とりわけその事を再確認させる力を持つ」「出演者の表情と身振りの共振。そんな空間に 私たちを引き込んでいく。どの作品も、深刻で何の解決も示されないのに、何故か励まさ れる」

『めぐり逢う朝』(アラン・コルノー監督)は、驚くべき密度を持った作品だ。音楽と 映画が息を飲むほど緊密に融合している」「絶品だ。17世紀の弦楽器ヴィオールの名手 コロンブと、その弟子マレの音楽を巡る闘いと和解を描きながら、人間の奥深い魔的な情 熱を、極めて抑制された映像に封じ込めている。狂おしいまでの美意識が、全編を支配し 、バロック音楽が柔らかく、時に激しく映画を染め上げていく」「出演者も皆素晴らしい 。コロンブ役のマリエルは、当然評価されていいが、娘役のブロシェは、とりわけ忘れが たい」「音楽にも、深くハマッてしまいそうだ」


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 「ベルトリッチ監督の『1900年』は、圧倒的だったね。イタリアの20世紀前半を描き、ファシズムに対して社会主義の正義を訴えるという、かなりイデオロギー的な映画なんだけれど、今見ても全然古びていない」

 「人間が描けているからじゃないか。激動の中で生きる一人ひとりが、くっきりと描かれている。ロバート・デ・ニーロ、ジェラール・ドパルデュー、ドミニク・サンダ、皆とても若いのに凄い演技をしている。彼等を起用した監督の目の確かさに敬服してしまう」 「自然を描く映像の美しさも特筆もの。それが大地に生きる農民を基本に置くという監督の姿勢と固く結び付いている。冒頭の放牧シーンの美しさと言ったら…。最初からベルトリッチの世界にとらえられてしまった」

「5時間16分の長さを必要とした映画だった。ただ第1部と第2部のタッチが違っていたので少し驚いた。第1部はとてもテンポ良く展開してきて、ファシズムの台頭で終わる。しかし第2部はファシズム下の、よどんだ雰囲気が支配している。好みから言うと第1部のテンポで見せてほしかった気もする」  「ベルトリッチは第1部と第2部を、並行公開を前提とした独立した作品として構想していたらしいよ。第2部から見ても理解できるようにしたようだ。でも、結局両方で4時間8分に短縮された。5時間版の劇場公開は10年前の日本が初めてだった」 「札幌でも公開されたんだけど、残念ながら見てないんだよね。だから今回の上映は感動もんだった。ビデオも未発売だったから」

 「『ベティ・ブルー』の完全版も公開された。このごろは最終版とか完全版とかが流行っているけれど、『ベディブルー・インテグラル』(ジャン・ジャック・ベネックス監督)の場合は、新しい映画になったと言っていいほど印象が変わった」  「5年前のを見ていないから、なんとも言えないけれど。男女の感性、詩情とアクション、静と動のバランスがとてもいいと思った」 「前回は、とにかくベディ役のベアトリス・ダルの肉感と狂気だけが衝撃的。今回は主人公がゾルグに移っている。いや、二人が対等に生きている。二人の切実さが伝わってきた。ますます新しく輝いていた」  「傑作だよ。ラストシーンもいいよね」  「それだけに、映像の修正は犯罪的。監督が日本の検閲に抗議してわざわざ来日し、怒っていたのが、とても残念に思った」

 「クリント・イーストウッドの『許されざる者』は、各方面で絶賛されているけれど」 「まっ、イーストウッドもやっと監督として認められ、アカデミー賞に輝いたわけだから。極めてすぐれた脚本を極めて寡黙に仕上げた力量は、相当なものだと思う」  「私憤を核とする西部劇で、密かに私憤を晴らした象徴的な作品でもある。たしかに、最後の西部劇と呼ぶにふさわしいた出来栄えだ。しかし、重すぎて…。私は西部劇の定石に沿った『ペイルライダー』の方が好きだな」

 「最後の…という印象を受けたのは、ルイ・マル監督の『ダメージ』。心臓手術を控えて、監督自身も遺作と覚悟していたらしい」 「でも全然悟っていない所が凄いよね。悟るのではなく、人間を見つめ続けている。激烈な恋愛が悲劇的に終わった後、すべてを失った男がなおも生き続けるのは共感できた」 「ギリシャ悲劇的という評価があるけど、破局のきっかけが、かなりわざとらしいと思った。それまでの緊張感が台無しになった」 「カチッとした映像感覚、音楽センスの良さはさすがだけれど、最高傑作という評価は違うと思うな」


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「まず昨年の第1回東京レズビアン・アンド・ゲイ・フイルム・フェスで話題になった『ノー・スキン・オブ・マイ・アス』(ブルース・ラ・ブルース監督)と『途方に暮れる三人の夜』(グレッグ・アラキ監督)から…」  「よく札幌公開になったな、と思った。すごく観たかった作品だった。特に『ノー…』のパワーはすごい。いちおうスキン・ヘッドの少年とゲイのヘア・デザイナーのラブストーリーなんだけれども、映画の文法なんて完全に無視した撮影をしている。本当にでたらめでむちゃくちゃ。でも、ゲイ差別に対する挑戦と自分自身を笑い飛ばす力に引き込まれていく。パンクなアンダーグラウンド感覚。最後に『みんなが俺たちをゲラゲラ笑っているような気がする』という発言には、会場から笑い声が上がった」  「へえー。僕が見た時は、みんな終始冷静に見ていたけれど」  「隣の若い女の子なんか、しょっちゅう笑っていたけどなあ…。世代の違いかな」

 「『途方に…』はゲイの問題をバイセクシャルの方向から日常の空虚感をベースにとらえた作品。低予算ながら、さり気ない身振りの積み重ねと的確な構図で、生きがたい3人の辛さに共感できた」  「うまい監督だと思うよ。ただ、ラストはもっとひねってほしかった。まあ、3人で三角関係のまま生活していくというのが、ひとつのメッセージなんだとは思うけれどもね」 「『ノー…』とは別な意味で感動したのは『ピンク・ナルシス』。作者不明の伝説的な少年愛の作品。71年の制作だけれど、60年代のあやしい雰囲気がいっぱいだった」  「ゲイの映画って、どこかに差別に対する抗議とか人生に対する屈折とかがあるものだけれど、この作品は見事に自閉的恍惚に浸り切っている。煽情的な色彩とナルシスティックな幻想に満ちた、本当の意味でのポルノグラフィーだと思う」  「インパクトあったよね。ちょっと忘れられない。ケバい半面メルヘンしてたり、どっかアートしてたりもして」

 「期待外れだったのは『ポイズン』(トッド・ヘインズ監督)。私たちの世紀は毒薬(ポイズン)の世紀です、というジャン・ジュネの言葉をコピーに採用し、ジュネから着想したというからどんな展開になるかと思ったら、とっても平凡だった。アメリカでは監獄内のレイプシーンが問題となり、わいせつ論争が起こったらしいが、政治的な意味と作品の評価は別だ」  「期待し過ぎってことも、あったけど。ゲイ、ヒーロー、ホラーの3つのストーリーが迷宮のように絡み合うという触れ込みだったのに、全然迷宮感がない。テンポもひどくギクシャクしていた」  「『ポイズン』には、何といってもジュネのような毒が欠けていたと思うな」

 「各紙で評判になってた『赤い薔薇ソースの伝説』(アルフォンソ・アラウ監督)はどうでしたか」  「いかにもメキシコ映画って感じ。人間の運命を幻想的、神話的に描いている。重いテーマを、ユーモアを交えてテンポ良くまとめているけれど、あまりにも分かりやす過ぎて、僕は少し物足りなかった。ラストでマッチを食べて身体が炎上するのもどうかと思った」 「ガルシア・マルケス原作の『エレンディラ』(ルイ・グエッラ監督)のようにめくるめくような幻想、底深い悪意、壮大な魔術的映像はないけれど、より大地にねざした感じがする。原作が女性だと言う事も関係しているかもしれない。新しいラテンアメリカ映画として評価したいな」


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「弱冠28歳、クエンティン・タランティーノ監督のデビュー作『レザボア・ドッグズ』には唸ったね。山根貞夫じゃないけど『いよお、やるじゃないか…』って感じ。久々に心底気に入ったギャング映画に出会った。ことしのベスト5入りは確実だな」

 「宝石強盗を計画したギャング達が、警察に張り込まれていて失敗し、相互に疑いだし、同士討ちする。基本的にはよくあるパターンの映画と言えるけれど、普通なら核となるはずの強盗シーンをあえてカットし、失敗後の疑念と狼狽の深まりの中で、徐々に物語を再構成していく手際は見事なものだ。そして、全編に暴走する男達の体臭が立ち込めている」 「キャスティングと選曲も申し分ない。前半はやや観客を戸惑わせるけれど、『ブロンド』がラジオのボリュームを上げ、いかにも楽しそうに警官の耳を殺ぎ落とすシーン後の過激な展開は、本当に瞠目すべきものだった」

 「アンジェイ・ワイダの『婚礼』、テオ・アンゲロプロスの『狩人』、ベルナルド・ベルトリッチの『暗殺のオペラ』と、相次いで巨匠の70年代の作品が公開された。いずれもビデオ未発売なので初めて見たのだけれど」 「自国の歴史への思い入れの強さに、打ちのめされたと言うか、本当は少しうんざりされられた。どの作品も、その国の歴史をよく理解していないと核心の部分が分からないように思う。90年代になってみると、世界的に状況が変わって、さらに共感しにくくなっているのでは…」

 「ワイダの『婚礼』は、1900年のポーランド・クラクフでの詩人と農民の結婚式後の披露宴を舞台としたもの。クラクフって、『ふたりのベロニカ』で少し身近になっていたよね、まだポーランドがロシア、プロシア、オーストリアの三国に分割支配されていた時代だけに、独立への熱情は凄まじく、全編が熱気に満ちあふれた幻想劇となっている」  「中期のワイダの作品は全然知らなかったから、そのパワーに驚いた。製作された73年はポーランドにとって絶望的な時代で、それだけに当時はインパクトがあったのだろう。佐藤忠男が解説で書いてたけれど『殆ど狂おしいばかりに身悶えしているような作品』であることは間違いない」

 「しかし、自分との間にどうしようもない溝が残ってしまう。その距離感がいつまでもひっかかっている。そんな感じがする。アンゲルプロスの『狩人』もそうだ」  「軍人や実業家たちが狩りをしていると、かつての内戦時代の兵士の死体を発見する。存在するはずのない死体を巡る証言から、ギリシャの欺瞞的な現在が浮かび上がる。こちらの方は、ファシスト達の幻想劇といえる」

 「アンゲロプロスらしい極めて印象的なシーン。信じられないほどのワンシーン・ワンカットの連続。それが、中島洋さんが書いているように『映画全体の恐ろしいまでの潔癖感を生んでいるのは間違いない』」 「中島さんは、その後で『近寄りがたいほどの意思とエネルギーを称えたい』と書いているけれど、僕は何故そこまでこだわるのかが分からない。ギリシャの現代史を知らないからなのか。歴史的感性が乏しいのか」  「『暗殺のオペラ』も、反ファシズムへの切実なこだわりに支えられていた」  「ベルトリッチらしい繊細な色彩と華麗な映像美は評価するけれど、ストーリーはどこか浅い気がする」  「池澤夏樹が『美しいけれどもどこか人工的な水中花』と評していたけれど、確かにテクニックの方が目立ち過ぎていた」


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 「シリル・コラールの『野性の夜に』って混んでたよね。若い女性たちで一杯だった」「初めて監督、主演してエイズで死んじゃったからね。美形だし、泣けそうだし」  「僕は全然泣けなかった。切実さは伝わってくるけれど、今一歩自分の深部に踏み込む事を躊躇している。ラストシーンも、命の叫びというよりは自己陶酔に近い」  「哀れだったけれど。映画としての評価はね。エイズキャリアであるデレク・ジャーマンの作品、癌で死んだタルコフスキーの遺作の自己への悲痛なまでの距離感、清明さと比べると映画に対する甘えがある。もっとも、そこまで求めるのは酷なのかもしれない」

 「石井輝男監督の14年ぶりの新作『ゲンセンカン主人』も、なんか自己満足的だった。つげ義春の世界をかなり巧みに映像化してはいるけど、どこか中途半端なんだ」  「つげの暗く湿ったエロスとユーモアをもっと徹底的に追究すべきだった。でなければ竹中直人監督の『無能の人』的に、生きる恥ずかしさを演出するか、どちらかだ」

 「さて、幾分湿った世界を描いていた、話題のニール・ジョーダン監督の作品『クライング・ゲーム』に移りますか」  「ボーイ・ジョージの甘くけだるい歌声は、今も耳に残っている。印象的な主題曲…」  「だるい雰囲気の映像はいいんだけれど。現代のラブ・ストーリーとしてはもう一つひねりが欲しかった。絶対もう一ひねりあると信じてたから、肩透かしを食らった」

 「期待してた『ラスト・アクション・ヒーロー』(ジョン・マクティアナン監督)も肩透かしだったんじゃないの」  「アーノルド・シュワルツネッガーの映画俳優としての自己総括に、力点を置いて観ていたからね。アクション映画への愛情に満ちた引用が前面に押し出されていた。アクション映画としてのテンポは上々だし『ターミネーター2』の主役をシルベスタ・スターローンがやっているなどのパロディも楽しめた。でも、僕は『トータル・リコール』の世界を映画と現実に置き換えたバーチャル・リアリティ的な迷宮感を予想していた。それは電脳的な近未来であるとともに、映画の誕生と共に準備された方向でもあった。だから、映画の世界と現実の世界が結局きちんと分けられた結末は不満だった」

 「様々な時代、様々なジャンルの映画のヒーロー、ヒロインたちが現実世界に雪崩れ込んだり、相互に横断したりするスラプスティックな展開に、僅かな可能性を開いた点は評価したい。現実にははなはだ困難だけれど」 「『マチネー』(ジョー・ダンテ監督)もキューバ危機時代のB級ホラーへのオマージュに溢れていた。ラストは安直だったけれど。そして収穫だったのは同時上映の『ブレイン・デッド』(ピーター・ジャクソン監督)。久々のスプラッターの傑作。君はこういうの大好きだよね」

 「内臓のカーニバル、血の消尽。うさんくさくてコミカルでちょっとH。これまでのスプラッターのアイデアをとことん押し進めて表現した極めて背徳的な作品だ。このところスプラッターは、サイコ物に押されていたから、久々に堪能してしまった。『羊たちの沈黙』(ジョナサン・デミ監督)や『レイジング・ケイン』(ブライアン・デ・パロマ監督)などのサイコ・スリラーは意識の底にある抑圧された欲動を暴くけれど、スプラッターは、身体の秩序そのものを破壊する『お祭り』の快感だよ。散乱する身体、哄笑する臓物たち…」  「この話しになると止まらなくなる」  「仕方ない。帰って愛読書の『人体カラーアトラス』でも楽しもうかな」


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『ジュラシック・パーク』の紹介、気がのらないね」「興行収入ベスト1候補で、すごい人気なんだってね。公開前から大騒ぎしていた」「私は映画としては評価しない。実際に恐竜を見た人がいるわけないのに、本物そっくりだったとしか褒められないなんて、ひどすぎないかい」  「スピルバーグの中では、すでに映画は死んでしまっている。初期の作品は良かったん だけどね。今はお祭り騒ぎをしながら、映画の墓を掘っている」「CGの利用の仕方とい う観点では、大林宣彦監督の『水の旅人−侍KIDS』の方が、まだ映画の未来を開いて いた。大林作品としては、けっして成功作ではないが。つまらないギャグばかりが目立っ て盛り上げに失敗した」

 「同時上映だった『卒業旅行−日本から来ました』(金子修介監督)はどうでした」「一発太郎かい。同じ一色伸幸脚本の『僕らはみんな生きている』と、逆の方向から描い ていた。アジアと日本の歪んだ関係性をベースにしている点は共通しているが、『僕らは みんな生きている』のサラリーマンが、アジアに日本流を強引に持ち込んだのに対して、 『卒業旅行−日本から来ました』はアジアのイメージするデフォルメされた日本に、日本 人の気の弱い青年が同化していく。どちらも、一生懸命頑張ってしまう所は同じなんだ。 しかし『卒業旅行−日本から来ました』のラストは、日本に回帰せずアジアに向かって開 かれていた」「ただ、大笑いしているだけかと思ったら、めんどくさいこと考えながら観 ていたんだね」

 「男女6人の複雑で辛口の恋愛コメディ『ハモンハモン』(ビガス・ルナ監督)に移ろ う。いかにもスペイン的な、性と食が一体化した展開だったけれど、予想していたよりも しつこくなかった。スペインの荒野を背景に、淡々と描いている。性と食が融合した神話 的な世界は、『赤い薔薇ソースの伝説』と共通しているが、メキシコとスペインでは、土 着に対する距離が微妙に違う」「逸脱した快楽を正面から描いたスキャンダラスな前作『ルルの時代』よりも、格段に人 間描写が深くなったと思う」

 「『季節のはざまに』は、ダニエル・シュミット監督としては、持ち味の頽廃的な映像 が少なく、やや物足りなかった。虚構としての回想というテーマも、うまく伝わってこな い」「1924年のアメリカで起きたゲイの青年2人が犯した理由なき誘拐殺人をテーマ にした『恍惚』(トム・ケイリン監督)は、収穫だった」「前半の詩情豊かな、それでい て透明で闊達なテンポは見事だ。ただ後半は、史実を追いかけ過ぎて膨らみを失ったのが 残念だった」「ズボンから鳥の死体を次々に取り出すシーンは、ちょっと忘れがたいもの があった」

 「このところ、フランスの音楽映画が相次いで公開されている。『愛を弾く女』(クロ ード・ソーテ監督)、『伴奏者』(クロード・ミレール監督)は、音楽の使い方はとても 巧みだが、いずれもストーリー展開が今一つだった。『めぐり逢う朝』の高みには、遠く 及ばない」


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「93年の『さっぽろ北方映画祭』の最大の収穫は、カナダのジャン・クロード・ローゾン監督の『レオロ』だと断言しよう。カナダから、クローネンバーグに匹敵する独創的なイマジネーションを持った監督が登場した」「監督の少年時代の思い出をもとに幻想的なイメージが溢れ返っている。グロテスクとファンタジーの絶妙なバランス、強烈なブラック・ユーモアに込められた屈折した家族への愛情表現が見事だ。神々しい光への指向に、宗教的な資質を感じる」

「92年は『柔らかい殻』に打ちのめされた。どちらも少年時代の切実でしかも滑稽な 妄想を描いている。笑っているうちに、身につまされる。忘れていた思い出を暴かれたよ うな気分。会場で、周りの女性たちがゲラゲラ笑っていたレバーを使ったオナニーも、身 近すぎて笑えなかったよ」「映像の温度は違うが、ローゾン監督が敬愛するフェデリコ・ フェリーニに通じるものがある」「音楽も実に多彩だった。特に冒頭に流れる念仏のよう な音楽が一週間耳に残った」

 「念仏と言えば、仏教によって危機を乗り越えたティナ・ターナーを描いた 『ティナ』 (ブライアン・ギブソン監督)は、どうだった」「本人が生きているうちに描くと、どう しても美化され、人間としての深みに欠ける展開になってしまう。エネルギッシュに歌う シーンの方が、圧倒的に印象に残った。アンジェラ・バセットは好演したと思うけれど、 良質のプロモーション・ビデオの域を出ない」  「バセットは、『マルコムX』で妻役を演じたけれど、両者を同時に観るべきだろう。 そうしないと『ティナ』の歴史的な背景が分からない。アイク・ターナーは、たしかに暴 力的だが、露骨な黒人差別に耐えながら苦難を乗り越えてコンサートを続けていたという 観点は不可欠だと思う。その点の描写が弱い」

 「同時上映の『隣人』(アラン・J・パクラ監督)には、あえて触れないことにする。夫婦交換、そして殺人。うまく作れば、ゾクゾクする 傑作になったかもしれないのに、展開が紋切り型で緊迫に欠けていた」「『ヒドゥン2』(セス・ピンスカー監督)も失敗作。『ヒドゥン』(ジャック・ショルダー監督)は、SFとしては底が浅いとはいえ、実に多彩な要素を盛り込み、結構楽しませてくれたが、『2』はその人気の上にあぐらをかいた上げ底の映画だった。『2』はたいてい『1』を超えられないものだが、これはひどすぎる例だろう」

 「デビット・リンチの娘シェニファーが監督した猟奇的な映画として、えらくセンセー ショナルに宣伝された『ボクシング・ヘレナ』にも、肩透かしをくらった」「出だしのセ ンスは、なかなかだったのに、人間の所有欲の不気味さに迫るのではなく、漂白して美化 しただけ。猟奇をファッションとして楽しむ世代の象徴なのだろうか。リンチの『イレイザー・ヘッド』が、説明のつかない妄想を生のまま露出させていたのとは対照的だ」

 「アラン・ルドルフ監督の『墜ちた恋人たち』は、都市でおびえつつ暮らす孤独な人々 を描いた作品。湿った色彩感覚と鋭い傷口を開いたまま終わるシーンは捨てがたい」「僕 はああいうまどろっこしい作品は苦手だ」「ロバート・レッドフォード監督の『リバー・ランズ・スルー・イット』は、美しく心なごむ映画だった。配役もいい」「安心させ、しみじみとさせる映画だ。でも僕はクリント・イーストウッドの『許されざる者』のような屈折がないと物足りなさを感じる」

 「若松孝二監督の『シンガポール・スリング』は、最近の日本映画には珍しく骨太の主張を持った映画だった。ただし、余りにも図式的すぎるのが欠点。現実は、もっと錯綜している」


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 「10年に一本しか映画を撮らないビクトル・エリセ監督の新作『マルメロの陽光』は 、まさにマルメロに当たる陽の光に捧げられた作品だった。ただただ、至福に酔う。映像 も冴えわたっている」「そうかな。僕はあまり評価しない。極めて映画的に見えながら、 どこか概念で作っているような匂いがする」  「『オルランド』も同じじゃないの。内面に踏み込まずに、淡々と変化に身を任せる」

『オルランド』のさわやかさは、格別だ。エリセ監督にはかなりの期待があったので、評価も厳しくなる。サリー・ポッター監督はうれしい誤算だった。あまりにも、はつらつと足早に展開されるので、物足りなく感じるかもしれないけれど、この作風は貴重だよ。知的で華麗だが、ピーター・グリューナウェイ監督のような押しつけがましさがない。苦悩も悪意も露骨には出さない」

 「男性が不死になり、女性に変わって400年の歴史を生きる。バージニア・ウルフの原 作。現在的なテーマであるアンドロギュヌスを扱っている」「そして最後に、自分の子供 に『悲しいの』と聞かれ『幸せなの』と答えて涙を流す」「僕は、不死は悲しいと思う。 この悲しみは天使と共通している。たゆたう映像の傑作『ベルリン・天使の詩』(ヴィム・ベンダース監督)の永遠の傍観者の悲しみ。だからこそ、最後に天使がやって来る」「重いテーマを簡潔に軽やかに表現して余韻が残る。きっとカルトになるだろう」

 「市川準監督の『病院で死ぬということ』は『オルランド』の対極に位置する映画だ」 「僕は同じ日に2つの作品を続けて観たので、その振幅の大きさに疲れてしまった」「こ の映画の淡々とした視線も天使的だ。病院の定点観測的な構図と様々な風景スナップの対 比が絶妙だ。こういうセンスは独壇場だな。死を巡る家族愛は、いくら淡々と描いてもど こか紋切り型になる。浮浪者だった孤独な患者がラジオを直したりしていて、すぐに死ん でしまい、空いたベッドが写るシーンが一番心に染みた」 「一般的な死ではなく、『死 ぬということ』の一人ひとりの固有性。かけがえのなさ。『オルランド』を観た後だった ので、死ぬという『幸せ』を感じた」

 「山田洋次監督の『学校』は監督らしいテーマを扱っているが、『息子』の簡潔な表現 には及ばない。脚本は良くできているが、学校批判、教育賛歌としての切り込みは浅い」 「ここでも、最後に『幸せ』が問われる。何が幸せなのか。何が不幸なのか」「しかし、 『それを探すために生きている』という結論は、ほとんど宮沢賢治だな。そういう問いの 立て方こそが、問われなければならないのに」

 「ロブ・ニルソン監督の『ヒート&サンライト』も自己のアイデンティティを探す映画 という意味で、倫理的な作品だ。表現は暴力的ではあるが」「『20歳の微熱』(橋口亮輔監督)は、幸せという感覚も変質してしまった新しい世代を描いた、全く新しい物語。感性が希薄になったようにみえながら、実は僕等とは異質な感じ方のスタイルを持ちはじめた世代を、ここまで説得力ある形で描いた映画は珍しい」


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