山の雑記帳6

 ピストンになっちゃいました  1998.07.30 記

 ホームページ開設1周年で思うこと  1998.08.11 記

 至仏山の木道  1998.08.18 記

 今年の夏山登山  1998.09.04 記

 続 夏山登山 他  1998.09.11 記

 夏山登山の締めくくり  1998.09.16 記


ピストンになっちゃいました  1998.7.30 記

かねてから夏休み登山として計画していた光岳、聖岳登山を、この7月27日からの3日間で実行した(本当はしようとしたという表現が正しい)

結果はタイトルの通り光岳へのピストン登山だけに終わり、楽しみにしていた光岳から聖岳への縦走を断念せざるを得ない状況となってしまったのである。

そして、本来なら今頃聖岳登頂後下山して帰宅途中の車の中にいるはずであるところを、今横浜の自宅で晴天の夏空を羨ましげに眺めながら、 この「山の雑記帳」を書いている状況である。

今回図らずもピストン登山になってしまった原因は天候にあり、7月27日月曜日に登山口である易老度に着いた時には晴れていた空も、 途中の面平を過ぎる頃から曇り始め、 易老岳頂上では雨となり、 光小屋に着く頃には完全に雨とガスの世界であった。

幸いテントを設営した後、光岳頂上に行ってみた時は雨が晴れて記念写真だけは撮ることができたものの、光岳の名前の由来と言われている 光石もガスの中で行ってみることが叶わずじまいであった。

そして、光岳頂上からキャンプ場へ戻る途中、崖下約5分の所にある水場で水を汲んで戻ってくる頃には雨が再び降り始め、 テントの中に避難してから翌日出発するまで、 この雨は降りっぱなしであった。

特に夜半に入ってからの雨足は大変強く、テントをたたく雨音が一段と激しくテント内に響きわたり、おまけに途中から強くなってきた 風がテントを揺さぶるようになって、 まるでテントの防水性・耐久性のテストを受けているのではないか と思うほどの凄い状況が続いた。

さらに、ラジオで天気予報を聞くと、大雨雷雨注意報が出ているとのことで、「雷が鳴り出したらテントを捨て小屋に逃げるしかない」 「私の持っている自動車の鍵に落雷したらどうしよう」などと、 心配することしきりであった(幸い雷は鳴らなかったようである)

実際は、朝3時半起きだったことと、久々に20キロの荷物を背負って長い登りを歩いた疲れから夜の8時には寝てしまったのであるが、 上述のように激しい雨音とテントの揺れで 10時40分に一旦目が覚めて1時間ほど雨の音を聞き続ける羽目になり、 この間に翌日の天候に応じた登山ルートの見直しを考えることになったのである。

そして考えた結論が、

「翌日雨が上がって、 晴れまたは曇りであったならば、当初の目論見通り聖岳まで縦走する」、

「雨がこのまま激しく降り続いている場合は、 折角の光岳から聖岳への縦走もただキツイだけで、 途中の景色を楽しむこともできず、 ましてや写真など撮ることはできないのであろうから、 縦走を中止して登ってきたルートを戻り下山する」

ということであった。

そしてまた眠りにつき、今度は朝の3時半頃、隣のテントがモゾモゾする音で目を覚ましたが、雨は一向に降り止んでおらず、 「これは下山かな?」と思いつつまた寝込み、 5時に再々度目を覚ました時点でも雨が止んでいなかったので、 下山することに決めたのであった。

天気予報を聞くと、本日はやはり雨や雷雨の見込みとのことであり、ツキのなさを嘆きながらシュラフの中で、 ここのところの天候の不順を恨めしく思ったのであった。

思えば天気予報では、私が夏休みに入る7月25日からは梅雨が明けて晴天が続いているはずであり、 25日からの梅雨明けが叶わなくなった時点でも、 天気予報は7月27日の月曜日から晴天となる との予報を出していたのであった。

それが毎日天気予報はコロコロ変わり、晴れマークもいつのまにか曇りや雨マークとなったため、 業を煮やしての 月曜日からの登山だったのである。
まあ、 昨年の台風といい今年の長梅雨といい、本当に天候には泣かされる夏休みが続いている。

朝食をとり、ザックの整理をして雨具を着てからテントを出ると、雨は幾分小降りとなっており、 このチャンスを逃すまじと 慌ててテントの片づけに入った。

昨日のような大雨のままであったなら、テントは片づける際に使い物にならぬほどビショビショになってしまったに違いなく、 少々濡れたとはいえ、 小降りの中で片づけられただけでもラッキーと思わねばならないのかもしれない。

雨がもの凄い量だったことを示すように、テントの周囲には大きな水たまりがいくつもできており、 またテント場の周囲に掘られていた溝は 完全に水で満杯になっていた。

光岳のキャンプ場を出発する頃には雨は完全に小降りとなり、また途中雨が止んだりしたこともあったので、一瞬 聖平あるいは茶臼岳まで進もうかとも考えたが、 周囲は完全にガスの中で展望がきかず、 またこれからの2日間完全に晴れるという公算がかなり低かったことから、 やはり下山することに決めた。

その怒りもあろうか、重い荷物にもかかわらず、地図上では5時間20分程かかると書いてあるところを4時間10分程で下ってしまった。

その間、太陽が見えたり青い空が一瞬覗いたりしたこともあったのだが、車を置いてある易老度に着いた時には再び雨が強く降り始め、 また帰りの車の中でも何回かかなり強い雨に降られたりしたこともあったので、 下山は正解だったと思う。

ちなみに、行きは八王子ICから中央自動車道を通って飯田ICで降りるというルートをとったものの、同じ道ではつまらないということで、 帰りは遠回りを覚悟で151号線にて東名高速道の豊川ICまで行き、 そこから横浜ICまで一気に車を飛ばしたのだが、 何と東名自動車道に入ってからは一滴の雨にも降られず、 目の前に夏空が広がっているのには唖然とさせられた(一方、 中央自動車道では大雨のために 速度規制が何ヶ所かでとられているとのラジオ放送があった)

そして、私の今回の挫折をあざ笑うかのように横浜も大変良い天気で、先にも述べたように本来なら聖岳に登って下山する日である本日も 横浜は良い天気である。
先ほどテレビの天気予報を見ていたら、 南アルプスの所も晴れマークになっていたようであるから、 もしかしたら本日は快晴の聖岳頂上に立てたのかもしれない。

しかし、無論頂上に立つことは本来の目的であり、第一義に考えねばならないのだが、そこまでの行程に面白みがなく、周囲の景色も分からずに 黙々と登るだけではツマラナイのであり、 また下山を覚悟した時点では この日の晴天は予測できなかったのであるから 仕方があるまい。

そして冷静に考えてみると、途中下山したのは天候が70%、片づけるときに雨に濡れてしまってその日の夜の使い心地が少々気にかかる テントのことが5%、 後の25%は あまりに重い荷物に少々根を上げ気味だったのが理由と言えるかもしれない。

まあ、山は逃げないし、聖岳だけなら今回の登山口より少し奥にある便ヶ島の登山口から1泊のピストンで登れることも分かったのだから またの機会を考えれば良いのだが、 それでは今回断念した光岳聖岳の間の南アルプス縦走路を味わうことができない。

きっと私のことだから、取りあえずは聖岳便ヶ島からのピストンで登っておき、光岳聖岳の間の縦走については、百名山を登り終えた時に、 心残りの山として再度チャレンジすることになるだろう。

それにしても悔しい今回の山行であった。


ホームページ開設1周年で思うこと  1998.8.11 記

昨日8月10日にて、この Tagawa's Homepage も目出度く開設1周年を迎えた。

1年という期間はホームページの更新をしなくても必ず訪れるわけだから、大して自慢になるわけではないのであるが、 それでもこの間、 更新はかなり行ってきたと思うし、 ホームページを書くことによってパソコンの勉強もするようになり、 我がパソコンのグレードアップに伴って私のパソコンの知識も少しは進歩したかな、 と思っている。

しかし、本来我がホームページのメインであるはずのに関しては、この1年間、その山行回数、また百名山の登頂数などにおいて あまり芳しい状況ではなく、 大いに反省しなくてはならない。

この山行低迷の理由を自分なりに分析してみると、まず第一に挙げられるのが自宅近辺の百名山の減少である (といっても山が無くなったのではなく、 登っていない百名山が自宅近辺には無くなってしまったということである)

さすがに百名山も4分の3近く登ると、日帰りできる未踏の百名山はもう残り少なくなってきているし、例えあったとしても 蔵王のように往復の交通費が馬鹿にならないという問題に直面するのである (但し、 「山の雑記帳:新幹線の割引サービス」 に書いた割引を利用すれば 約半分の料金で済む)

そして第二は、百名山以外の山にはあまり交通費をかける気がしないという、私の曲がった性根に問題があるようで、 従って自ずと行動範囲も狭まり、 行く山も限られ、 結局なかなか行きたい山が見つからずに 山行回数が減るという悪循環になっている。

そして第三には、年をとるにつれて起動する力(?)が弱まっているということである。
一旦立ち上がってしまえば なかなかのパフォーマンスを発揮するのであるが、 いわゆるエンジンの掛かりが悪いというか、 ガソリンエンジンから始動性の悪いディーゼルエンジンに変わってしまった というか、 山へ行こうという強い意志が近頃欠け始めているし、 山行を計画しても前夜になると止めようかなどという気持ちがわき上がってくることも多々あり、 また 当日も早く起きるのが億劫になってきているといった状態なのである。
山に登り始めてしまえば、 来て良かったと思うし、 山はやはりイイなと思うのだが、 この気持ちが下山後長続きしないのである。


このように低迷の理由を書いてくると八方塞がりのようであるが、以前は敬遠していたマイカー登山を近頃頻繁に行うようになってから、 少しずつ気持ちが変わりつつある。

以前は長い距離を車で走って目的地まで行き、結構肉体的にハードな登山をした後、再び長い距離を運転して帰ってくるということが 大変なことのように思え、 肉体的にも精神的にもとても厳しいだろうと考えていたのだが、 実際にやってみるとそれ程苦痛ではなく、 返って帰りの電車やバスの時刻を気にせずに済むし、 また汗くさい身体のまま公共の乗り物に乗ることを避けられることから、 これはマイカー登山をもっとやるべきだという様に 考え方が変わり始めているのである (以前にも「山の雑記帳:車で行くのが楽」に書いた)

これは先般の八ヶ岳光岳登山の際、かなり長い距離を走ったことで大いに自信を得たことも大きく、 今まで食わず嫌いならぬ 使わず嫌いであったことを反省している次第である。

ところで、車を使っての登山における最大のメリットは、電車やバスを使うと2日を要する所でも、車ならば日帰り可能となる所が結構多く (無論、 肝心の山歩きがそれなりのスピードでなくてはならないが・・・) 行動範囲が大きく広がるということであり、 例えば日光の皇海山や、 最近登った八ヶ岳 巻機山などはその良い例ではなかろうかと思う。

電車を使った場合、皇海山の日帰り登山は無理で、最低でも前日までに麓のかじか荘か更に先の庚申山荘に入っている必要があるし、 また八ヶ岳とても前夜の夜行で行くか、 前日に八ヶ岳周辺の山小屋に泊まるか、 あるいは登った日の泊まりを頂上近辺の山小屋にするとかしなければ 登ることができず、 最低でも1日半はかかってしまうのである。
巻機山 バスが六日町から麓まで出ているものの、 前日には六日町か麓の清水まで入っておかねば 翌日に登ってから帰宅することは困難である。

ところがこれが車を使えば日帰りが可能というのだから、私自身行動範囲が広がるということで嬉しく、現在少々興奮気味であるし、 また何故もっと早く車を使った登山をいろいろ検討しなかったのかと 反省しきりである。

確かに、車の場合は登り始めた場所まで戻らねばならないことから、ヘタをすれば登りも下りも同じルートを辿る いわゆるピストン登山になりがちであるが、 工夫次第では色々バリエーションを考えられると思うし、 それを考えるのがまた楽しいのである。

これまでは、山までのアプローチを時刻表を見ながら考えるのが楽しみであったが、百名山が遠くなってしまった現在においては、 車でどのようにアプローチするかということと、 登山ルートをどうとるかということを考えるのが楽しみになってきた。

また、車を使えば、その行動範囲の広がりによって、百名山以外でもドンドン遠くの山へ出かけることができることから、 ホームページ2年目に入ったのを機に 車を中心としてもう少し登山に力を入れていきたいと思う。


ところで話は変わるが、百名山の1つでまだ私が登っていない山でもある北アルプスの焼岳で、 近頃地震が頻発しているとのことである。
火山活動が活発化すると、 観光地である周辺への影響が心配だが、 個人的には浅間山のように 再び焼岳が登山禁止となってしまうのが怖い (エゴでスイマセン)

先般の岩手山といい、いつでも登れると考えていると、相手は自然のことだからこちらの都合ばかりを聞いてくれるわけではなく、 とんだ計算違いが生じる場合がある。
やはり 積極的にチャンスを見つけて登るようにすることが肝心で、後で後悔しないようにしておきたいものである (そういう意味からも2年目は頑張りたい)


ホームページ2年目を迎え、 もっと内容を充実したいと考えたら、 以前書いたものと同じ様な内容になってしまいました。
しかしまあ、 それだけ決意が固い(?)ということの表れであるとお考え戴き、 2年目に入りました Tagawa's Homepage にご期待下さい。


至仏山の木道  1998.8.18 記

先週の土曜日、尾瀬の至仏山に登ってきた。

金曜日に年休を取って新潟県(両親の故郷)などを回った後、その日のうちに群馬県の水上高原にあるホテルに入って、 翌土曜日にホテルの送迎バスにて尾瀬の鳩待峠まで送ってもらい、 正味5時間の尾瀬ヶ原近辺自由行動の後、 再び同じ送迎バスにてホテルに帰るという日程であった。

実は今回は家族と一緒だったので、時間的に余裕があれば家族と一緒に至仏山登山も考えられたのであるが、 午前9時に鳩待峠着 午後2時に鳩待峠出発という正味5時間という時間制限の中では無理と判断し、 妻と子供2人は尾瀬ヶ原ハイク、 私は至仏山登山という形をとらせてもらった(家族の協力に感謝)

家族を大事にしない罰なのか、せっかくの至仏山は曇りでガスが立ち込めており、視界はほとんど得られず、 いつ雨が降ってもおかしくないという空模様であったが、 幸い鳩待峠−至仏山−山ノ鼻−鳩待峠 という行程の間に雨に降られることはなく、 返って暑くないことが幸いして快調に歩くことができた。

登山記はいずれアップするが、それにしても至仏山には少々驚かされた。
遠くから眺める至仏山はなだらかな山容をしていることから、 尾瀬ヶ原を挟んで対となる燧ヶ岳と比べると 女性的というイメージがかなり強かったのであるが、 どうしてどうしてハイマツのある岩稜地帯が多くあり、 最近登ったばかりの 南アルプス光岳よりもアルペンムードを味わうことができたので ビックリさせられたのである。

さらに、時間に余裕があったので山ノ鼻へと下ったところ、早池峰山を思わせるような広々とした岩の斜面が続く高天ヶ原の風景や、 ガスの切れ間に眼下に広がって見えた尾瀬ヶ原に出会うことができ、 思わず快哉を叫んでしまったのである。

残念ながら至仏山と対峙する燧ヶ岳は見ることができなかったし、尾瀬ヶ原もガスに霞んでハッキリ見えた訳ではないのだが、 深田氏が登った時のように これが秋の晴天であったのなら、 その驚きはさらに倍加したことであろう。

ところで、鳩待峠から小至仏山を経て至仏山に至る登山道には自然保護のための木道が多く敷かれており、 また木道が敷かれていない所にも空輸されたのであろう、 木道設置のための木材が多く登山道脇に置かれてあって、 いずれ木道が敷設されるための準備ができていた。

山ノ鼻への登山路の方も、蛇紋岩の間に多くの木道、階段が設置されていて、このように登山道を整備された方々の苦労には 本当に敬服する次第である。

登山をしていて時々、最初に登って道を開いた方は本当にスゴイと感心することがあるし、またその登山道の整備に尽力をされている方々の努力にも 驚かされることがある。

無論、国立公園なら国からの予算で専門業者に整備を依頼することもあろうが、山によってはボランティアの努力や 山小屋の主人の努力に負う所も多いと思われる。

私は登山道が整備されているのを当たり前のことと思い、時として登山道の整備に尽力されている人たちがいることを忘れてしまいがちなのであるが、 安全に楽しく登山できるのはそういった人たちのお陰であるのだから、 いつも感謝しながら登らねばなるまい。

しかし、それにしても至仏山への登山道がほとんど木道となってしまうとしたら、自然保護のため致し方ないこととはいえ、 少し寂しい気がする。

木道をずうっと歩き続けて頂上近くまで行けてしまうというのも登山といえば登山なのだろうが、昔深田氏が道無き道を登り、 6時間掛けて至仏山の頂上に辿り着き、 眼下に広がる尾瀬ヶ原の美しさに心打たれたというようなことは、 本当に遠い昔のことになってしまうのであろう。

例えは悪いかもしれないが、ゴルフで言うなら飛距離のハンデを考慮したレディースティといった感じがするし、 幼い子供がボーリングを行う際に左右の溝を埋めてガーターなしにするのと同じだ といったら言い過ぎだろうか。
丸太の階段に比べて木道は歩きやすいし、 急坂も物理的に作り得ない(その場合は階段)ことから、 登山が大変楽になるのだが、 それが本来の目的ではないことは十分に承知しているものの、 やはり登山をイージーにし過ぎるという面では少し残念な気がする。


なお、話は変わりますが、 私が尾瀬に行っている間に我がホームページのヒットカウント数が 10,000 の大台に乗りました。
これもひとえに皆様のおかげであり、 この場を借りて厚く御礼申し上げます。


今年の夏山登山  1998.9.04 記

先に「至仏山の木道」のことを書いて以来、この「山の雑記帳」は2週間ほど休止状態にあった。
仕事が忙しかったことの他 (会社に長く居たくないので、 時々仕事を持ち帰っている) この間、 パソコンの不具合が結構見つかったたために 「パソコン記」 の出番が多くなったことがその理由なのであるが、 考えたら毎日会社と家でパソコンに触っているので、 そちらの話題が多くなるのも当然であろう。

山については、登山を始めた頃ならいざ知らず、もうこの頃は山のことで頭が一杯というようなことは無くなってしまい、 時として見るガイドブックや 山に関するホームページで刺激を受ける程度である。

従って、そう毎日のように「山の雑記帳」に書くようなネタもないのが実状であるが、9月になって一気に秋が進み始めた気がする今日この頃、 今年の夏・夏山に対する愚痴を少し。

一言で言えば、 今年の夏はなかったというのが正しいだろう。
昨日の新聞を見ると、 今年は日照時間が大変少なく、 一部を除いて日照時間は全国的に平年以下だったということであるし、 東京などは7月19日からの夏休み期間中、 日中晴れたのはたったの5日間しかなかったとのことで、 統計的にも感覚的にも夏らしさを感じたことは本当に少なかったと言えよう。

夏山登山のバロメータでもある私の腕の日焼けは、やや薄れたとは言えまだ左腕の時計の跡が白くハッキリ見えることから 昨年よりはまだましな状況なのだが、 この跡がついたのは梅雨の晴れ間の7月18日に登った 八ヶ岳の時なのである。

その後、8月1日に登った巻機山でこの日焼けに少し上塗り ? をした程度で、日焼けはほとんどが地上で仕上げたといってもよい。

本来真っ黒に焼けるはずであった南アルプス登山は、光岳の項をご覧頂ければ分かるように雨に降られて散々であったし、 8月半ばに登った至仏山も太陽にお目にかかることはなく、 夏らしさを全く感じない登山状況であった。

思い出せば、私が夏山で一番焼けたのは1992年の北岳間ノ岳塩見岳南アルプス縦走で、 3日間とも本当に良い天気に恵まれて真っ黒に日焼けし、 帰途、 八王子駅で列車を降りた際、 これから新宿に向かうと思われる登山姿の若者達に 「焼けてますねー、北アルプスですか ?」 と聞かれたくらいである。

昨年の夏の山行はお恥ずかしい限りの実績で日焼けする間もなく、また2年前の赤石岳悪沢岳立山 剱岳も天候には恵まれず日焼けもそれ程ではなかったし、 その前の年の火打山妙高山 さらにその前年の鹿島槍ヶ岳 五竜岳でもそれ程日に焼けた記憶がないから、 この北岳を中心とした山行がギラギラとした太陽のもと、 夏山らしさを味わった最後だった気がする。

会社の夏休みが7月の末であることから、特殊事情があった火打山妙高山を除いては、毎年ほぼ同じ時期に夏山に行っていることになるのだが、 日焼けという観点から言えば、 このところ7月末はあまり恵まれていない。

だいたいこの時期は、「梅雨明け10日(だったか ?)と言われて天候が一番安定する時期に該当することが多いのだが、 近年はこれが狂ってきているようである。
そしてその中でも今年の気象は、 遅い梅雨明け (東北地方では梅雨明けさえなかった) と大変な被害をもたらした先日の集中豪雨に それが象徴されているように思う。

勿論、こういう年でも十分に夏山らしさを堪能されたラッキーな方もいるであろうが、会社の長期休みが夏山登山の書き入れ時であるサラリーマンにとっては 今年は最悪であり、 7月半ばの方が夏山に最適な天候であったにもかかわらず 夏休みにこだわり続けて失敗した昨年と同様、 今ひとつ楽しめない夏であった。

こうなってくると、来年からは会社の夏休みを、皆一斉に休むという方式から個人個人が夏休みを調整するやり方に変えてもらおうかなどと 真剣に考えてしまうくらいである。

ウカウカしていると9月の終わりには高い山に初雪が見られるに違いなく、残された時間は少ないことから、 是が非でも近日中にもう一つ 3,000m級の山に登っておきたいと思う。


続 夏山登山 他  1998.9.11 記

先般この雑記帳に書いた 「今年の夏山登山」 における私の嘆きを読んでのことかもしれないが、 ある方から簡単な登山報告のメールを戴いた。

その方は8月10、11日に 間ノ岳農鳥岳を登ってこられたそうであるが、農鳥小屋のご主人が、「今シーズン1番の天気」(無論この日までのことを言っているのだが) と言っていた程の好天に恵まれたそうで、 充実した登山をされたようである。

暦を見れば8月10、11日は平日で、私はその週末の14日に年休をとって新潟方面へ行く予定でもあったし、 その時期に会社を休んで登山できるはずもなかったのだから 嘆いても仕方がないのだが、 それにしても羨ましい限りである。

当社は、前にも述べたように毎年7月の末から8月の頭に掛けて9日間ほどの休みがあるのだが、 世の中の企業はむしろ、 この方が山に登られた週をお盆休みとして長期に休むところが多いようである。
そして、 今年はというよりはここ数年、 7月末よりもこのお盆休みの週の方が登山にとっては正解の状況 (良い天候) が続いているようであり、 我が身の不運を嘆かざるを得ない。

尤も、このお盆休みの週末に私は至仏山に登ったのだけれど、登山記に書いたようにまたもや天候からは見放されてしまったのであるから、 私の日頃の行いの方に問題があるのかもしれないが・・・・・・。

となってくると、縦軸に日にちをとって、横軸には登りたいと思う山域(例えば、白根三山、朝日連峰、鳥海山・月山など) をとり、 その交差したところにお天気予報の状況を記したマトリックスを作り、 それを見ながら 臨機応変に天候の良さそうな山域に行くことができるようにすれば良いのだが、 実際はいろいろな柵(シガラミ) から、 登山に行くべき日が先に決まってしまう。

そして、その後行くべき山域が決まってきて(あるいは逆に山域が先の場合もあるが)、肝心の天候はと言えば神頼み、 天気予報に一喜一憂ということになるのが現実である。

しかし、この頃は天候が不順で、週間予報などは滅多に当たらなくなっているものだから益々腹立たしいのである (今年の夏はこの長期予報にどれほど泣かされたことか)

また、比較的年休がとりやすい夏が終わってしまうと、あとは土日の山行が中心となるのだが、 私の思い過ごしかもしれないけれど この頃は平日に晴天が続き土日はやや崩れるか、 雨となることが多いような気がする。

事実、今週もこの9日、10日と本当に快晴が続いており、テレビの天気予報を見ると南・中央・北アルプスのある地域には 完全なる晴れマークが広がっていて、 何とも言えない気分にさせられる。
そして、 週末の予報は晴れ時々曇りとなっていてやや下降気味のようであり、 今週末、 山に登ってこようと思っているだけに、 ここのところの快晴には逆にイライラさせられる次第である。
果たして実際の週末の天気はどうであろうか (登る山は秘密です)


話は変わるが、先日会社の帰りに本屋に立ち寄ったところ、最近私を大いに楽しませてくれたスティーブン・ハンターの 「ブラック・ライト(扶桑社ミステリー) やマイクル・コナリーの 「トランク・ミュージック(扶桑社ミステリー) 藤原伊織の 「テロリストのパラソル(講談社文庫) ジェイムズ・エルロイの 「LAコンフィデンシャル(文春文庫) といったミステリー・サスペンス小説関係の文庫本が積まれているコーナーの横に、 深田久弥氏の 「山岳遍歴(主婦と生活社・TODAY BOOKS) が文庫化されて置かれているのが目に止まった。

実は、深田氏の名前は私の頭の中に大きく広がっているものの、氏の著書自体は 「日本百名山」 しか読んだことがないのであり、 それも 氏が登ったルート を調べるために一度ザッと目を通しただけという状況で、 じっくり読んだのは私自身が登り終えた山の章だけなのである (新たに百名山に登ってくる度に、 「日本百名山」 の中の当該の山の章を読むことにしている。 従って、現在75座分だけ読破)

とは言え、「日本百名山」は1つづつ踏破する度のお楽しみとして取って置くこととして、いつかは氏の他の著書も読んでみたい と思い続けていたのであるが、 わざわざ古本屋などを探すことまでして読む気にはなれず、 今日まで入手できずにいたのである。

しかし、こうして目の前に山と積まれたものを見てはもう手を伸ばすしかない。
直ぐさま他の文庫本と一緒に購入したのは言うまでもなく、 今後、 氏が山に対しどのような想いを持っていたのかを知るのが大変楽しみである。

ただ、私の中の読書プライオリティは、同時に買った真保裕一の 「ホワイトアウト(新潮文庫) の方が高いのだが・・・・・・。


夏山登山の締めくくり  1998.9.16 記

ここのところ仕事が忙しくて家にまで持ち帰っている状況で、このホームページの更新ができずにイライラしていたのだが、 ようやく本日アップすることができた次第である。

実は、 先般「山の雑記帳」にて予告したように、 土曜日に山に登ってきたのである。
とは言え、 実は山に行くと決めはしたたものの、 出発するまでには結構葛藤があった(少々大袈裟)

その雑記帳でも書いたように、快晴が暫く続く中、肝心の土曜日から天候がやや下り坂になるようであったので、 せっかくの登山がガスなどに巻かれて台無しにならないかと心配になり、 あまり天候が良くないようであったら止めようかと思っていたからである。

これは今年の夏、かなり天候に裏切られた経験からくるものであるが、羮(アツモノ)に懲りてなますを吹く の類ではないが、 あまり慎重になるのも考えものである。

金曜日の午前中に出された天気予報では、目的地の天候は一日中曇りとなっていたため、 この金曜日までの晴天を思うと腹立たしい限りであったのだが、 午後の天気予報では 曇り時々晴れ といった状況に変わったので、 後は運を天に任せてとにかく山に行ってみることにしたのである。
結論を言うと 現地の天候は天気予報通りであり、 山自体はもう秋であったのだが、 紫外線は意外と強く、 カアーッと照りつけるような日差しではなかったものの結構日に焼けてしまい、 今も首の後ろがヒリヒリして痛い状況である。

そして頂上に着いた時はガスもなく、素晴らしい展望が待っていてくれ、その後の山頂部回遊の時にガスが出たものの、 要所要所ではガスが引いてくれて大変ラッキーな山行であった。

さて、ここまでじらすように山の名前を伏せていたが、 実は登ってきた山は御嶽(オンタケ)である。
この御嶽 「夏でも寒い」 と民謡に謡われていて、私も名前だけはよく知っていたのだが、 実際にその姿を見たのは木曽駒ヶ岳空木岳に登った時が初めてで、 「聖職の碑」 で知られる桂小場からのコースを登って分水嶺に出た瞬間、 目の前に薄黄色の大きな山容がいきなり目に飛び込んできて、 これまで登った山とはあまりにも違う姿にビックリさせられたものである。

また、翌日宝剣岳からご来光を見た時に、朝日が徐々に当たっていく御嶽の荘厳な姿にこれまた感激し、御嶽には良いコンディションの日に登りたいものだ と思った記憶があるのである。

従って、この夏 (もう秋だが) を締めくくる登山として御嶽登山を考えた時、どうしても天候が気になって仕方がなかったのである。

そしてもう一つ御嶽に登る際に決めていたことがある。
それは6合目、7合目まで車で行くような登り方ではなく、 麓から登る開田口コースをとるか、 あるいは例え交通路の発達した黒沢口コース、 王滝口コースを登るにしても、 もっと下の方から登ろうということだったのだが、 結局今回はその決意を破り、 田ノ原まで車で行ってしまったのである。

御嶽は私にとっては遠い山で、山中1泊が必要と思っていたのだが、先般南アルプス光岳に車で行ってロングドライブに自信を持ったことから、 御嶽にも車で、 しかも日帰りで行けるのではないかと思い始め、 そうなるとこの田ノ原まで行くしかないこととなり、 若干引け目を感じつつ王滝口コースを選んだのである。

しかし、田ノ原まで車で行って驚いたのは御嶽の懐の深さで、車でもなかなか田ノ原まで着かず、 王滝口コースを下から登ろうなどという考えが 如何に甘い考えであることを思い知った次第である。

無論、昔の人は下から登ったのであり、それは道の至る所に石碑(?)が建てられていることからも分かるのだが、 下から登ろうと思ったら途中で1泊、 山中で1泊、 下山で1泊といった長い時間を要することであろう。

私のようにあまり時間に余裕のない者にとっては、そのような登山が叶うはずもなく、今回引け目を感じる分、 御嶽の概要をより多く知ろうと、 山中を結構欲張りに歩き回った次第である。

ところで、以前 重廣恒夫氏が短期間での日本百名山踏破を目指している中、 御嶽については田ノ原と剣ヶ峰のピストン登山という形であったことを知って とても残念に思ったことがあったが、 実際に御嶽に登ってみて、 剣ヶ峰だけの登山ではこの山の魅力の3分の1も分かりはしないだろうと 思った次第である (偉そうに・・・)

無論、重廣氏の目的は決められた山に如何に短期間で登るかということで、それがたまたま深田氏の百名山だっただけのことであり、 深田氏が百名山を選んだ趣旨とは別の所にあるのだから とやかく言うべきことではないのだが、 もし同じように百名山のピークハントだけを考えていらっしゃる方がいたら、 本当にもったいない。

私個人としては、ピークハントとその山の良さを知ることが一致するような山行を心掛けたいと思っている。

話が支離滅裂気味になったが、 ということで私は、田ノ原から登ったという引け目もあって、 王滝頂上 − 剣ヶ峰 − 一ノ池外輪山(?) − 二ノ池 − 賽ノ河原 − 摩利支天山 − 飛騨頂上 − 継子岳 − 四ノ池 − 三ノ池 − 賽ノ河原 − 二ノ池 − 王滝頂上 − 奥ノ院 − 九合目 − 田ノ原 というコースをとった。

いずれ登山記をアップするが、1日で歩くにはチョッとキツイものの、その変化に富んだ景色の素晴らしさを満喫するとともに、 自分の足の丈夫さを確認できたことで大変満足のいく登山であった。
散々の状況であった夏山登山も、 この御嶽登山でようやく溜飲が下った思いである。
終わりよければ全て良しである。


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