南アルプスと北アルプスを少しずつかじり始めると、どうしても中央アルプスにも手をつけたいという思いが湧いてくる。
従って、木曽駒ヶ岳、空木岳の縦走をどのように行うかが研究 (それ程大袈裟ではないが・・) 対象となったが、 山と渓谷社の " アルペンガイド別冊 東京周辺の山 " を読んでいると、 中央アルプス主稜縦走が紹介されており、この縦走ルートから南駒ヶ岳以降をカットし、 空木岳から下山するルートをとれば 1泊2日も可能だということが分かったので、 早速 実行してみることにした。新宿発 23時50分の急行アルプスにて辰野まで行き、辰野から飯田線に乗り換えて伊那市にて下車、 そこからタクシーにて桂小場まで行ったが、辰野に着いたのが夜中の 3時半過ぎで、辰野始発の飯田線が 5時少し前と、 列車の中でも、辰野駅においても寝るには中途半端な時間で、かなり寝不足気味になりながらの登山開始であった。
また、伊那市の駅前にはタクシーが四六時中待機しているものと思うのは都会ずれした感覚で、 念のために前日にタクシー会社に電話をして問い合わせたところ、予約しなくてはならないことが分かり、 伊那市駅前に 1台待っていてくれたタクシーでスムーズに桂小場まで行くことが出来たのだった。桂小場からは、林道を少し歩き小黒発電所取水口手前から登り始めたが、 登山口には駒ヶ岳頂上まで 5時間50分の案内板とともに " クマに注意 " の看板があったので、 誰もいない寂しい尾根道歩きは非常に心細く、クマの方で人間に気づいて退散してもらうべく、 歌を歌いながら道を登り始めた。
途中にあるブドウの泉にて顔を洗って頭をすっきりさせ、暫く進むと、道はジグザグの長く急な登りとなり、 寝不足がモロに応え始め、喘ぎ喘ぎ登ることになった。野田場と呼ばれる水場を過ぎ、カラマツの林を抜けていくと、祠のある馬返しとなり、 権兵衛峠からの道と合流して、今度は暫く原生林の中を進むと五合目の大樽小屋の前に着いた。
空は明るくなってきてはいるものの、雲が多いため完全に光が届いていなかったこともあって、誰もいない大樽小屋は少々不気味に感じられ、 また塗り立てだったのか、新しいニスの臭いがやけに鼻についた。
小屋から暫くは平らな道であったが、やがて胸突き八丁と呼ばれる急坂となり、かなり苦しい登りとなった。
しかし、後ろを振り返ると木々の間から大好きな南アルプスの 甲斐駒ヶ岳がシルエットのようになって見え、 何となく元気が沸いてきた。弘法石を過ぎると、津島神社の標識がある所へに着いたが、 ガイドブックによればここは岩の間にヒカリゴケが自生している場所であり、 その場所を探してヒカリゴケを確かめようとしたが、どこなのか見つけることができなかった。
キツかった登りもようやく終わり、稜線上に立つと (分水嶺)、 目の前に 御嶽の大きな姿がパッと目に飛び込んで来て、 その火山であることを示すようなベージュ色の頂上部分が何か現実の離れしたものを感じさせ、その雄大な姿と併せて感動すら覚えてしまった。
右方には、南アルプス 地蔵岳のオベリスクを彷彿とさせてくれるような行者岩の特徴ある姿を認めることができ、 そこまで往復してこようかという気にもなったが、やはり睡眠不足か、身体の方が言うことを聞いてくれそうにもなく、 あきらめて足を西駒山荘の方へと向けた。西駒山荘でポカリスェットを飲んで、先へ進もうとしたところ、先ほどの分水嶺では見逃したのか、 北アルプスの槍穂高連峰を認めることができ、先般 槍ヶ岳に登ってきたばかりだったので何となく嬉しくなってしまった。
小屋からは、白い砂と花崗岩と緑のハイマツとのコントラストも美しい気持ちの良い道を進むことになり、 今までの登りの苦しさも忘れて心も浮き立つようになった。
色々踏み跡があり、正規のルートからやや右寄りにはずれた道を進むと、花崗岩上の小さな窪みに水が溜まっている天水岩と呼ばれる所に偶然たどり着くことができ、 御嶽を背景にその天水岩の写真を撮ることが出来たので、 我ながら良い構図での写真が撮れたと一人悦に入った。このコースの楽しみは、例の聖職の碑 (いしぶみ) を確かめることであったが、 それは縦走路上にあり、やや風化した大きな花崗岩の裏に遭難記念碑という文字が大きく彫られていた。
遭難記念碑の大文字の横には、遭難の内容を記した文字も刻まれていたが、長年風雨にさらされたためか、 ほとんど判読することができない。
聖職の碑を過ぎてからは、稜線の両側が狭まって馬の背と呼ばれる尾根道となり、濃ヶ池への分岐を左に見て岩稜の道を登っていくと、 やがて木曽駒ヶ岳頂上が見え始めるようになった。この尾根道は大変風が強く、また足場もゴツゴツとした岩に変わっていたので、 バランスを崩しかける所もあったが、左下に濃ヶ池 (水がかなり干上がっていた) が見え、 また途中から明日登る 空木岳などが見え始めるなどなかなかの展望であった。
木曽駒ヶ岳の頂上は広く、木曽側には石で囲まれた祠、伊那側には赤い屋根をした木造りの祠というように 2つの祠が置かれていた。
展望も申し分なく、雲が空高くにあるだけとなった山頂からは、東方に鋸岳、甲斐駒ヶ岳から始まって、 仙丈岳、北岳、 間ノ岳、 また農鳥岳の右後ろに 富士山を見て、 その右横に 塩見岳、 続いて 悪沢岳、荒川中・前岳、 赤石岳、 聖岳と、 まるで南アルプスの解説図を見ているような、素晴らしい光景を得ることができたのだった。北アルプス方面は少々見えにくかったものの、乗鞍岳が印象的で、 その左方にある 御嶽は、 先程分水嶺付近で初めて見た時の驚きをそのまままた伝えてくれていた。
南に目を転じれば、明日登る 空木岳とその後ろに南駒ヶ岳が三角形の姿で堂々とそびえており、 そこまでの距離の長さに明日の行程のハードさを想像させられた。頂上からは宝剣岳方面へと下り、大きな剣が奉納してある中岳を過ぎて、宝剣山荘に着いたが、 小屋の周りは駒ヶ岳ロープウェイにて登ってきた観光客と思しき人たちで大変混雑していた。
その人たちの軽装を見ていると自分までそういったイージー登山組と見られるような気がして、 俺は君たちとは違って下からちゃんと登ってきたんだぞ ということを誇示したくなったが、 それは叶わぬこと、その晩、同宿者との語らいの中で若干ウサを晴らさせてもらったのだった。宝剣山荘着がかなり早い時間だったので、伊那前岳まで行き、帰りに岩の上で暫く昼寝をして過ごした。
小屋そばの宝剣岳では、頂上の、てっぺんが平になった小さな岩峰の上に人が交互に立ち、 歓声を上げているのが見えた。
先ほども述べたように小屋着がかなり早かったので、何かのんびりした心地よい午後を過ごすことができた。
こういう登山もまた楽しい。以下、空木岳の項へ続く。
木 曽 駒 ヶ 岳 登 山 デ ー タ
上記登山のデータ 登山日:1990.8.24 天候:曇り後晴れ 単独行 前夜車中泊 登山路:桂小場−野田場−大樽小屋−弘法石−光苔− 分水嶺−西駒山荘−聖職の碑−濃ヶ池分岐−木曽駒ヶ岳−中岳−宝剣山荘−伊那前岳−宝剣山荘(泊) 交通往路:瀬谷−(相鉄線)−大和−(小田急江ノ島線・小田原線)−新宿 −(中央本線)−辰野−(飯田線)−伊那市−(タクシー)−桂小場 交通復路:空木岳まで縦走。空木岳の項参照 その他:8月23日 夜行にて出発。翌24日 木曽駒ヶ岳登山。
24日は宝剣山荘泊。その他の
木曽駒ヶ岳
登山桂小場−野田場−大樽小屋−弘法石−分水嶺−将棊頭山−聖職の碑−濃ヶ池分岐−木曽駒ヶ岳−中岳−宝剣山荘−駒飼ノ池−濃ヶ池−濃ヶ池分岐−聖職の碑−西駒山荘−分水嶺−弘法石−大樽小屋−野田場−桂小場 ( 2007.10.13:曇りのち晴 )
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    ここをクリック千畳敷駅−極楽平−三ノ沢分岐−三ノ沢岳−三ノ沢分岐−宝剣岳−中岳−木曽駒ヶ岳−乗越浄土−千畳敷駅 ( 2013.5.24:快晴 )
    ここをクリック上松Aコース登山口−敬神の滝小屋−三合目−金懸小屋−天の岩戸−八合目−木曽前岳−九合目−木曽駒ヶ岳 (往路を戻る) ( 2016.6.1:晴れ )
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