山の雑記帳 27

 暑い ! 涼を求めて  2001.07.06 記

 暑い ! 涼を求めて (その2)  2001.07.10 記

 霊峰 富士山  2001.07.25 記

 蝦 夷 富 士  2001.08.06 記


暑い ! 涼を求めて  2001.07.06 記

毎日太陽がジリジリと照りつけ、本当に暑い日が続いており、 あたかも梅雨はとっくの昔に明けてしまったような感覚に陥るが、 この天候は梅雨の中休みということなのだそうである。
その証拠に今度の土日は傘マークが出ていて、 土日しか休みのないサラリーマンとしてはまたまた山に行けそうもない状況である。

しかし、週間天気予報を見ると今度の土日だけが雨模様で、再び月曜日からは晴れマークが並んでおり、こうなると毎日横浜駅で電車を待つ間、 ビルの谷間に覗く青い空を見て思う、 「会社を休んで山に行こう」 という気持ちがますます強くなる。

ただ、こういう時はよほどの高さの山に登らなければ暑さをしのげない気がする訳で、近間の丹沢、それも丸裸に近い塔ノ岳頂上などでは、吹く風がなければ 非常に暑いような気がする。
理論的には、 高度が 100m上がる毎に気温は 0.6度下がるということだから、 1,491mある塔ノ岳でも、 平地の温度から 9度近く下がることになり、 平地の気温が 32度であれば 塔ノ岳頂上では 23度と快適な温度になる訳だが、 実際のところはどうであろう。
このように疑いを抱くのは、 暑くてたまらなかった九州の山での経験があるからで、 どうも 2,000m以上の高さがないと涼しくないのではないか という考えを私は密かに持っているのである。

私は色々なところで書いたように、1992年から 1995年までの 3年間、九州宮崎に単身赴任していたのだが、この間の登山で何が辛かったかと言えば、 暑い盛りの夏の登山で、 なかなか 「涼」 を求めることができなかったことである。
九州の山は最高でも 1,791m 九重山中岳) の高さしかなく、 さらに九州は南国の地であることから、 折角 頂上に立っても 山での涼しさを感じることはなかなかできないのである。

中でも、今思い出してもゾッとするのが 1994年7月に登った大崩山 (1,643m) で、暑さに加えて体調も悪かったのだろうか、身体が水分を異常に欲しがり、 その水分が汗となってすぐにダラダラ出てくるものだから、 Tシャツは言うに及ばず、ズボンまでもがビショビショになって、 全身水を被ったような状態となってしまった訳で、 こんなことはそれ以前、それ以降の山登りでもないことなのである。
この話をある人にしたら、 炎天下で野球の練習などをハードにやると、 そのように全身汗でビショ濡れ状態になることがある と言っていたが、 やはり山登りでこうなったのは 余程平地との温度差が少なかったからなのだろうと思っている (もしかしたら湿度との関係もあるのかもしれないが・・・)

それから、一応九州ではベスト 10に入る高さを誇る国見岳 (1,738m) に登った時も、草いきれとは言わないまでも全く涼を求められず、 頂上の祠の前でジリジリと照りつける太陽にイライラしっぱなしであった。 そして、2,000m以上の高さを持つ山が九州にないことを嘆き、 九州の人には申し訳ないが、 島流しにあった人々の心境を垣間見た気がしたのであった (これは登山環境という観点から言っているのであって、 決して九州のことを侮蔑しているのではありません)

と、少し話が脱線しかかったが、この暑さの中で涼を求める手頃な山はどこであろう。 狙い目はこの前 小川山に登った時に意外と近いことを知った金峰山であろうか。
もしチャンスがあれば是非川端下、 廻目平方面からのチャレンジをしてみたいものである。

先に述べた高さと温度の関係から言えば、この 7月1日に山開きを迎えた富士山が一番涼しいことになるが、私の記憶には、遮るものが全くない登山道を ジリジリと太陽に照りつけられながら登った苦しい思い出しかない。 何回か書いたように、 登山道脇に山小屋が現れる度にポカリスエットを買い求めては小休止する と言った状況で、 バテバテであった。 そして、さらにショックを受けたのは、 朝、富士吉田駅から登山口である中ノ茶屋までタクシーで向かう間に追い抜いた登山者に、 8合目付近で追い抜かれたことである。 その人が若い人ならそれほどまでにショックを受けなかったのだが、 明らかに私よりも年輩の方のようで、 白いキャップをかぶり、キャップの後ろに白いタオルを垂らして あたかもビルマ戦線などの旧日本陸軍を思わせるような格好が印象的で、 ペースを乱さずに飄々と歩く姿に驚くばかりであった。 このショックもあって、負け惜しみではないが、 やはり富士山は登る山ではなく、 周囲から眺める山であるという思いを強くしたのであった。

ただ、中ノ茶屋を出発したのは 8時半頃であったのだから、五合目を過ぎて草木のない登山道を歩いた時刻は一番暑い時間帯 (午後1時から3時頃) ということになり、 朝早いうちに登り始めることができたのなら、 この富士山に対する悪い印象も変わるかもしれない。 でも、もう富士山にチャレンジすることはないであろう。

さて、こうなると、 雪渓の上を吹く風に涼を求めて白馬岳北 岳 飯豊連峰などが俄然クローズアップされてくるのだが、 如何せん登山口までのアプローチやルートそのものが大変で、 手頃な山とは言い難い。
先に金峰山にも登りたいと書いたが、 それは嘘ではないけれど、 心の底では以前登った山に登るよりは 初めての山に登りたいという気持ちがある。 涼を求めるに手頃な (日帰り登山可という意味も含む) 、しかも初めて登ることになる山はどこかにないであろうか。


暑い ! 涼を求めて (その2)  2001.07.10 記

前回の雑記帳で、 「今度の土日は雨で山に行けそうもない、平日は晴れているのに・・・」 といった恨みがましいことを書いたら、 神様の気まぐれであろうか、 どんどん土日の天気予報は良い方へと変わり、 終わってみれば両日ともなかなかの天気であった。

こうなるとやはりこの登山チャンスを逃す訳には行かない訳で、登山への心構えが出来ていなかった土曜日は休養に充て、この日曜日、急遽山に登ってきた。 登った山は色々迷ったものの、 結局、前回の雑記帳でも候補に挙げていた 廻目平・金峰山荘からの金峰山である。

ただ、このコースはかなり短い時間で金峰山の頂上に到達できるものの、結局ピストン登山をせざるを得ないことになり、何か物足りなさを感じる訳で、 登山前日の土曜日、 登山コースのバリュエーションを求めて、 久々にじっくり地図を眺めたのであった。
そしてまず候補に挙がったのが、 金峰山に登ってから千代の吹き上げを通って大日岩へ下り、 大日岩から前回の小川山登山で通った八丁平へと下って、 そこから小川山の時と同じ下山ルートを辿って金峰山荘へと戻るものである。 しかし、このルートは下山時に同じ道を通らないで済むものの、 ほとんどが以前通った道であり、 それほど魅力があるというものではない気がしたので、 他に良いコースが見つからない時の最後の選択肢としたのであった。

それで次に考えたのが、金峰山登頂の後、大弛峠 (おおだるみとうげ) の方へと進み、縦走路途中にある朝日岳まで行って、そこから来た道を引き返す というものである。 こうすれば金峰山から国師ヶ岳、 甲武信岳、破風山、雁坂嶺、笠取山 飛竜山雲取山 ・・・ と続く奥秩父の主脈縦走コースの一角を踏めることになるのだが、 どうも色々な本を読むと 朝日岳は金峰山ほど 「華」 がある訳ではなく、 縦走路上の 1ピークに過ぎないような感じがするし、 登山自体が少々中途半端である。

そこで更に頭を捻ったところ、大胆にも (?) 大弛峠経由で下山することを思いついたのであった。 というのは、私の持っている 1989年版昭文社の 「奥秩父2 金峰山・甲武信」 によれば、 金峰山から朝日岳を往復して登りと同じコースを下山するとすると、 朝日岳から金峰山荘までは約 3時間40分かかることになっており、 それなら朝日岳からそのまま大弛峠まで進んで、大弛峠から林道を廻目平まで下り、 そこから金峰山荘まで戻った場合と 30分ほどしか違わないことが分かったからである。
しかも、 大弛峠からは一踏ん張りすれば 国師ヶ岳や奥秩父の最高峰である北奥千丈岳にも登れる訳で、 このことに気がつくと このルートが俄然魅力あるコースに思えてきたのであった。

ただ問題は大弛峠からの林道歩きがかなり長いことであるが、これは大弛峠までクルマで来る登山者も多いので、もしかしたら帰りは乗せてもらえる可能性もあるやもしれず ということで、 とにかくこのコースの魅力の前に 曖昧さを残したままこのコースを採用することにしたのであった。

さて、このように俄然このコースを辿ることに興奮を覚えてきたのであるが、それはこのコースに国師ヶ岳が含まれているからである。
私の過去に書いた拙文を読んで頂くと、 「実は前から登りたかった」 という山が時々唐突に出てきて 戸惑いを覚えられることが多いと思う。 私は登りたいと思う山を心にいくつも持っていて、 それらの山を私の性格から来るものだろうか (奥ゆかしいというべきか、陰険というべきか・・・) 無闇には口に出さないものだから、 急に 「登りたかった山」 が出てくることになるのである。
登ってきた山に対しその山を選んだ理由を付けるために、 あとづけで 「登りたかった山」 と書いている訳では決してないのであるが、 このように日頃心に秘めていて、急に 「登りたかった山」 と書くと、 やや誤解を受けるかもしれない。 こういう訳であるからご容赦頂きたい。

そして、この国師ヶ岳も 「実は前から登りたかった山」 なのである。
私は登山を始めた最初の 1年間は丹 沢を中心に登っており、 従って購入したガイドブックも山と渓谷社のアルペンガイド 「丹沢」 だけであったのだが、 突如丹 沢以外の山にも登りたくなって購入したのが 同じアルペンガイド・シリーズの 「奥秩父・大菩薩峠」 「東京周辺の山」 なのである。
そして丹 沢以外で登った最初の山は大菩薩嶺だったのだが、 これを機にガイドブック 「奥秩父・大菩薩峠」 の隅々まで目を通したといっても過言ではなく、 その時目に付いたのが百名山 (大菩薩嶺、金峰山、瑞牆山、甲武信岳、両神山、雲取山) 以外では国師ヶ岳で、 先に述べた奥秩父の主脈縦走コースが大変魅力的に感じられたのであった。

しかし、奥秩父にある百名山を別々に全て登ってしまうと、この縦走コースに 2泊も 3泊も費やして歩くだけのモチベーションはなくなり、それでは日帰り登山を と考えても国師ヶ岳はあまりにも遠すぎる山だったのである。
無論、 大弛峠からのピストン登山を行えば日帰りはいとも簡単なのだが、 私の心情は大弛峠までクルマで登ることを良しとせず (これは私の持っている登山に対する拘りであって、 大弛峠までクルマで行く方々を批判しているのでは決してありません) 半ば諦めていた山であった。
それが今回のように金峰山から縦走すれば叶う訳で、 このことに気づいた時は本当に久々の興奮を覚えたのであった。

さて、登山の状況はまた別途登山記録に書くが、今回の登山は前回の雑記帳で望んだ 「涼」 を求めるには十分であった。 というのは、山はガスがかかり、太陽も時々しか照らなかったことで、 かなり涼しい状態であったからである。 金峰山、国師ヶ岳、北奥千丈岳 それぞれの山頂からの展望はほとんど得られなかったのは残念であるが、 ガスが下からドンドン湧いてくるといった状態の山も久々であり、 本来今の時期は梅雨のまっただ中であることを考えると、 文句は言うのは罰が当たる気がするのである。

また、憧れの国師ヶ岳ではガスに包まれてほとんど展望を得ることができなかったことに加えて、小蝿がうるさくてやや興ざめであったが、静かな山で大変良かったと思う。 アルペンムードもあり、 またシャクナゲの樹林帯など 奥秩父らしさを満喫できた登山であった。

ところで、懸案の大弛峠からの林道歩きであるが、イヤー長い長い。延々と続く林道には本当にくたびれさせられた。
途中、親切にも クルマに乗りませんか と声をかけて下さったご夫婦がおられたが、 昨日この林道を下ろうと考えた時には 「あわよくばクルマに乗せてもらえるかも」 と考えていたにも拘わらず、 生来のへそ曲がりなのか、 あるいはここまで来たら最後まで歩き通したいという意地が出てきたのか、 口から出たのは何と 「結構です」 という言葉であった。
折角声を掛けて頂いたにも拘わらず断ってしまい、 今 流行りの 『変人』 と思われたに違いないが、ご容赦頂きたい。 ご親切に声を掛けて頂いたことに本当に感謝する次第である。

しかしそれにしてもこの林道歩きはあまりにも長い。いつまで続くとも分からない道のりに 「クルマに乗せてもらうべきだった」 と後悔の念も途中から出だし、 意固地な自分に腹を立てながら歩き続けること 2時間13分、 ようやく金峰山荘の駐車場に着いたのであった。

地図上では 4時間の道のりを約半分の時間で歩ききったのだから、我ながらなかなか ヤルな とも思うのだが、最後の方ではカーブを曲がる度に長い一直線の道が目の前に現れるのを見て、 ただため息をつくといった状態であった。 そして、時間の目安となる目印がないまま手探り状態で進む中、 ようやく左手の林の向こうにクルマが走っているのを認めた時は 本当に心から嬉しく思ったのであった (その道は金峰山荘からの道で、今歩いている林道と合流する Y字路が廻目平だからである)

ようやく着いた廻目平であったが、ホッとするのはまだ早く、そこから金峰山荘へ向かう道は、距離は短いもののこれまた地獄であった。これまで下りだった道はこの Y字路から登りに変わり、 緩い傾斜とは言え、 疲れた身体に 文字通り歯を食いしばりながらの歩きを強いられたからである。
今年最初の登山であった黒川鶏冠山では、 道を間違えてかなり苦しい車道登りを強いられることになったが、 やはり年初に起こったことは今年 1年 何回も起こるようである。
やっとの思いで金峰山荘の駐車場に辿り着いた時には、 足の裏には水ぶくれが出来、 腰は痛いは、足が棒のようだはで、 本当にクタクタであった。

しかし、涼しい山を満喫し、しかも永年の念願であった国師ヶ岳への登山も果たせたことで、 今回の登山は との評価を下せると思う。 自分の体力に改めて自信が持てた次第で、 今年の夏、ハードな登山を求めてさらに山登りに励みたい。
次はどの 「実は前から登りたかった」 山に行こうか。


霊峰 富士山  2001.07.25 記

7月20日金曜日は海の日で休みであったことから、週末は 3連休となった。
一方、 梅雨の方は最初の頃それらしい天候が続いたものの、 いつの間にか晴天が続くようになって、 今年の梅雨はどうしたんだろう と思っているうちに梅雨明け宣言が出されたという状況で、 身体では納得しても 頭の方が納得しないうちに盛夏となった感じである。
従って、 夏山に対する心の準備も今一つの状態で、 この 3連休もハテどこの山に行こうか迷うといった状態であった。

一応、20日の金曜日は身体の休養に当て、土曜日に山に行こうというところまでは決めたものの、テレビなどのニュースでどこの高速道路も渋滞である と言っているのを聞くと、 途端に気持ちの方が萎えてしまう。 さりとて、近間の山は皆 低い山であるから前にも書いたように 『涼』 を求めるにはあまり適さず、 かといって高い山は皆 高速道路を使って結構遠くまで行かねばならないことから、 行きも帰りも渋滞が心配だ ということで、 つまらないことではあるが結構山選びも悩ましい。

そしてこうした中、急遽思いついたのが富士登山であった。理由は、金曜日の夕方のニュースを見ていたら、天気予報か何かのコーナーで、横浜から見た富士山丹沢大山の姿が映っていたから という至極単純なものであり、 画面を見て、そう言えば富士山は近いし、 富士山に再登山するという手もあったなぁ ・・・ と急遽登ることを決めたという次第である。

この、富士山にもう一度登るということは、「富士山には 2度と登りたくない」、「富士山は眺める山で 登る山ではない」 などと日頃私が述べていることと矛盾しているのだが、 本当のところ、「日本百名山」 完登を目指す上で 富士山に対して抱いていた 1つの負い目が、 たまたま登る山選びに苦労している状況と重なって、 富士再登山を決めさせたと言っても良い。
その負い目とは、 1989年8月に富士山に登った際に、 本当の最高点を踏んではいないということである。

当時、山行はもっぱら電車中心であり、この時の富士登山も中央本線の大月から富士急行にて富士吉田まで行き、富士吉田からはタクシーにて中ノ茶屋まで行って、 そこから吉田口登山道を登ったのであったが、 中ノ茶屋を出発したのが 8時30分と遅く (これが精一杯) 頂上の一角である久須志神社に着いたのが午後3時過ぎであったものだから、 今から噴火口の周りを回るお鉢巡りをしたのでは日帰りは難しい ということで、 そのまま下山することにし、須走口へと下ったのであった。

ということで、前回は富士山頂上の一角は踏んだものの、誰もが知っている富士山の高さ 3,776mの地点 (剣ヶ峯) は踏んでいなかったのである。 従って、厳密には前回の富士登山は中途半端ということになる訳で、 このことが心の奥底に小さなしこりを生じさせていたのであった。
無論、普段はそんなことはおくびにも出さないのであるが、 先に述べた理由から、白根山 (登山禁止) ・ 逢ノ峯 ・ 本白根山から構成される中で 本白根山しか登っていない草津白根山 標高 2,700mの畳平から登ったことで 登山というレベルではなかった乗鞍岳と並んで、 富士山は内心忸怩たる思いをさせている山なのであった。

と、かような次第で急遽決めた富士再登山であったが、 やはり脳裏に浮かぶのはジリジリ照りつける太陽の下、 苦しかった六合目以降の登りのことである。
そこで、できるだけ体力は温存したいと考え、 今回はクルマで中ノ茶屋の更に先にある 馬返し まで進んで 1時間程時間を稼ぐこととし、 更に暑さのピークを避けるためにできるだけ早朝に登り始めるよう、 馬返し に着く時間を早めることにしたのであった。

そして、当日、馬返しに着いた時間は 6時18分。高速道路を河口湖ICへと進む途中で見えた、周囲に雲 1つない富士山の姿に、今日の登山のハードさを予感したのであったが、 実際の登山はジリジリと照りつける太陽から来るそれではなく、 吹きつける雨とガスによるものであった。
そう、 今回の富士登山は雨とガスでひどい目に遭ったのである (信じられない !)

前回の時は、六合目まではガスの中だったものの、六合目以降ガスがすっかり晴れて何も遮るもののない状態となり、直射日光にシンドイ思いをしたのであったが、 今回は全く逆で、 五合目近くまでは晴れていた天候も徐々にガスが周囲を覆いだし、 五合目の佐藤小屋を過ぎる頃には完全にガスの中であった。 そして、六合目以降は雨も降り出し、 結局、頂上を踏んでお鉢巡りを行い、 その後四合目付近に下りてくるまで雨は断続的に降り続いていたのである。

お陰で涼しい登山となり足取りは進んだものの、頂上のお鉢巡りは完全にガスと雨でほとんど何も見えない中を歩き回るという状況で、岩手山頂上のお鉢巡りと全く同じシチュエーションであった。 ただ、剣ヶ峯の二等三角点だけはしっかり踏んできたので、 これで富士山も登頂したと堂々と胸を張って言えるようになった訳である。
生憎の天候ではあったが、Such is climbing. 頂上を踏んで永年のつっかえが取れ、これでメデタシメデタシと言いたいところだが、 今回の登山は精神的にはそれ程スムーズではなかったのである。

というのは、この晴天続きだった中で選りに選って雨と言う状況に、私の落胆は大きく、さらに段々強くなる雨足に 「これは頂上まで行ったとしてもお鉢巡りは無理かもしれない」 と思い、 徐々に登高意欲を失い始めたからである。 そして、六合目以降は何もない岩と砂礫の道をただひたすら登り続けるだけ ということが分かっているだけに、 本日の登山が虚しく思え、 キリの良いところで引き返そうと本気で思ったのであった。

そして、暫く雨の中を登っていくと、上に山小屋が見えてきたので、あの山小屋にてUターンしようと決めたところ、何とそこには 七合目の文字があったのである。 これはちょっとした驚きであった。
私は、てっきりここは六合目かと思っていたからで、 これは大変嬉しい誤算である。 なんだか大変得をしたような気分になって 少しやる気が出てきたのであるから、 本当に単純である。

しかし何よりもUターンすることを止め、登り続けることを決定づけたのは、雨の中、苦しい坂を黙々と登り続けている老若男女の姿であった。 彼らはどう見ても、 私がイメージし、私が実践しているような登山とは異質の登山者、 むしろ富士山信者と表現した方が良いような方々が多い気がするのだが、 そういう人たちが登山道途中の岩にへたり込んで喘ぎながらも登り続け、 またある人は高山病の影響か、嘔吐までしながらも頑張って登っているのを見ると、 Uターンを考えた自分の我が儘が本当に恥ずかしくなったのであった。
最後まで登り切り、 お鉢巡りも行い、剣ヶ峯も踏むことができたのは そういった人々のお陰であり、 感謝せねばならないが、それにしても彼らはどういう人達なのであろう。

本当に富士山を信仰登山の対象として登っている人達もいるであろう。日本人なら一度は富士山に登っておかねばと思って登った人もいるであろうし、自分の体力を試そうと考えた人もいるであろう。 また、純粋に登山の対象として 丹沢やアルプスと同じレベルで考えて登っている人もいるであろうし、 夏の思い出づくりのためのチャレンジという人もいるであろう。

また、登山道では大変多くの外国人を見かけたが、彼らが日本一のフジヤマに登ろうとするのは何となく分からないでもない気がする。ただ、普段登山が趣味とはとても思えない人達まで (かなり脂肪太りした方々) 富士山に登っているのを見ると これまた分からなくなってしまう。 もしかしたら、今、日本にいる外国人の間では、 富士山に登ることがブームになっているのかもしれない。 イヤ、もしかしたら、 富士山に登ったということが 在日外国人の間でのステータスになっているのかもしれない。
まあ、とにかく、 大勢の人達が登っているのにびっくりさせられたが、 これほどいろいろな思惑の異なる人達が登る山はないのではないか という気がする。 明らかに先に登った金峰山とは登山する人の質が違うのである。
しかし、そういう人達によって最後まで登る気を起こさせられるようでは、 私もまだまだ甘い気がする。 本当に途中リタイアを考えた自分が恥ずかしい。

ところで、 帰りは渋滞を避けるため、中央高速道は使わず、 山中湖経由道志道にて帰ったのだが、 山中湖畔を走っていると、湖の向こうに富士山の姿がクッキリ見えたのである。 何と、登る前と下山後だけ富士山はその姿をしっかり見せてくれ、 登っている間だけ雨とガスで悩ませてくれた訳で、 これも霊峰故の不思議であろうか。


蝦 夷 富 士  2001.08.06 記

遂に北海道の山に登ってきた。 登った山は、後方羊蹄山 (シリベシ) で、 これで北海道に 9つある日本百名山にようやく手を付け始めることができた訳であり、 私としてはこれを機に 残りの山々についても今後頑張って登っていきたいと思う次第である。
なお、 今回の登山は家族旅行の途中に 私だけが我が儘を言って登らせてもらったものであることをここに付け加え、 この場を借りて、我が儘を許してくれた家族に感謝する次第である。

さて、北海道を家族で旅行するのは今回が 2回目となったのだが、 前回は道東 (網走、帯広)、道北 (富良野、旭川) を回ったことから、 今回は 道南 (函館)、道央 (ニセコ、札幌、小樽) を回るようにし、 その途中ニセコに泊まって、私 1人だけが後方羊蹄山に登る という計画を立てたのであった (私の登山中、家族はニセコ近辺を散策)

そして函館空港に着いたのが 午前8時過ぎ、外は霧雨の降る寒い状況で、とても夏とは思えない。
函館の朝市にて朝食を食べ、五稜郭や函館山を回ったものの、 寒さと霧雨、加えて函館山ではガスのためほとんど視界を得られない状態で、 前回の北海道旅行と似たような状況であった。
聞けば今年の北海道は冷夏らしく、 7月の日照率が 70%を下回り、 従って気温も低いものだからクーラーなどが売れないとのことである。 事実、函館からニセコまでの間、 道路脇に設置されていた気温表示計は 17度Cを示していたし、 登山後のことではあるが 2泊目の札幌の夜は寒さに打ち震えながらの市内観光であった。 それなのに一方で大阪などは 40度C近い気温があったというのだから全く驚きである。

このような天候であったものだから、函館市内を回りながらも 2日目の後方羊蹄山登山に対する天候不安が増してきたのであったが、ニセコに向かうにつれて 天候も回復の兆しを見せ始め、 昆布温泉近くではやや頂上に雲がかかってはいたものの、 翌日登る後方羊蹄山の姿を見ることができたので、 少し安心したのであった。
しかしホテルに着いて翌日の天気予報を見ると、 後志 (シリベシ) 地方は曇りとのこと、 雨はどうやら避けられそうであったが、山の上はまた別であるし、 雨は降らなくとも頂上ではガスに囲まれるのではないか という不安が増す。 ニセコに向かう途中で立ち寄った大沼公園でも、 湖面付近は晴れていたものの、 シンボルである駒ヶ岳は完全にガスの中で姿を見ることができなかったこともあり、 明日もこのような状況なのではないか というイメージばかりが湧いてくるのであった。
というのは、 今回と同じように家族旅行の際に私だけ離脱して登った岩手山では、 やはり雨とガスで視界が全く利かない状態であったし、 また後方羊蹄山と同じようにお鉢巡りができる山を思い浮かべれば、 先ほどの岩手山や先日の富士山も視界が利かない状態で あまり良い思い出がないからで、 今回の後方羊蹄山もあまり期待できないかもしれないと つい弱気になってしまうのであった。

そして案の定、翌日 5時過ぎにホテルを出てみると空には薄い雲がたれ込めており、ホテル裏手のニセコアンヌプリはその中腹から上を雲の中に隠していて、 さらに後方羊蹄山に至っては完全に雲の中で、 その存在さえも不明の状態であった。
それでも折角のチャンスを逃すまじと、 真狩コースの登山口まで女房にクルマで送ってもらったのであるが、 登山口に近づくほど空の色は暗くなってくるようで、 山は完全に雲の中、ガスはかなり麓まで下りてきていて、 下手をすれば山の上では雨かもしれない と覚悟した程であった。

ところがである、普段の行いが良いためであろうか (^^;) 初めはガスの中であった山道も 2合目半を過ぎて山腹を巻くようになってからは雲の上に飛び出したように俄然視界が良くなり始め、 斜面を横切る道には薄日が差し、 視界の利く斜面から下の方を見下ろせば、 雲の切れ間から麓の田畑をも見ることができたのであった。 ただ、その切れ間の向こうには雲の波が遠くまで続いていたことから、 地上では曇り空ということになるのであろう。

そういう訳で、懸念したガスは 3合目以降はほとんどなく、噴火口跡 (父釜) の一角に登り着いた時には、ありがたいことに噴火口全体を見渡すことができる状況に恵まれたのであった。
ただ、さすがに頂上からの視界はあまり得られず、 雲の波が遠くまで続く中、 尻別岳や遠くに札幌岳 (と思う) がポッカリ島のように浮いているのが見えるだけで、 反対側もニセコアンヌプリの双耳峰の先が見えるだけであった。

私はこの噴火口跡 (父釜) を時計と反対回りに回ったのであるが、ゴツゴツとした岩場を越えてまずたどり着いたのが 1,898mと書かれた標識のある場所で、 ここは後方羊蹄山の最高点のようである。 そして、その最高点から少し先にポツンと寂しそうに三角点があり、 さらにその先にも羊蹄山と書かれた標識が立っていたからややこしい。
やはり 1,898mの標識のあるところがこの山の頂上と言って良かろうと思うが、 三角点の場所が砂礫の中にコンクリートで固められていて、 ルートの取り方によっては見過ごしてしまうような状態になっていたのは残念である。

なお、話が逆になったが、この後方羊蹄山はわずか 1,898mの高さしかないにも拘わらず、高山植物が豊富で素晴らしい。特に北山と呼ばれる小さな噴火口跡 (母釜) の高みの斜面には、 黄色い花のメアカキンバイや薄紫色の花を持つイワブクロが見られ、 このような高山植物のお花畑も久々であったことから、 その美しい光景を大いに楽しんだのであった。 初めての北海道の山ということで興奮していたのかもしれないが、 久々にワクワクした気分を味わった登山であった。

なお、登山の詳細は別途登山記録の方で述べたいが、登り始めたのが 5時58分。頂上の一角に着いたのが 9時5分、最高点に達したのが 9時37分であった。
予想外に早く着いたため、 女房に携帯電話で連絡して、 15時に倶知安コースの下山地点である半月湖の所まで迎えに来てくれるように頼んでおいたのを 13時30分に訂正し、 ゆっくり下山を開始したのであった。
途中、 今日はあまり人に会わないなどと考えていたら、 本日 8月2日は木曜日で平日、 普段なら会社で仕事をしているはずであり、 同僚はこの時間机に向かっているはずであることを思い出したのであった。 そう思うと、優越感もあってか、 北海道のこの山が余計に素晴らしい山に思えてきたからおかしなものである。

下山後、国道5号線から眺めた後方羊蹄山はやや横に長いような気がしたものの、その独立した姿はまさに富士山 (蝦夷富士) そのものであり、積雪期や残雪期に見たら、 その姿が格段と引き立つであろうことが想像できたのであった。
約束の時間までまだ余裕があったので国道5号線と比羅夫駅との分岐まで歩き、 そこで家族と合流して倶知安温泉まで行って汗を流したのであったが、 先ほどまで登っていた山を見ながら露天風呂に浸かるというのは最高の気分である。 やはり北海道は良いなあ。


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