私が裁判官だったころ (9) 2001.6.18

2年目の夏

1982.8月
土浦ピカデリーにて、「男はつらいよ」観る。
第28作目。
子供2人連れて行く。
お盆の日曜日のためか、満員だった。

8.24
昨年に続き、筑波山に行く。
ケーブルで登る。
頂上からの、見晴らしは、良かった。
ロープウェイで降りる。
バスで、土浦に戻る。

真鍋のお祭り。
子供たちは、登山帰りで疲れているはずだが、神輿を担ぐため、休みもせずに、出て行く。

10月
土浦の花火大会が、盛大に行われる。
時期はずれなのは、翌年に備えての、業者の新作発表大会だからとのこと。

裁判官懇話会に出席

9月
お茶の水の喫茶店ウィーンにて、懇話会刑事分科会の進行について、協議しました。
大都市近郊の支部における掲示裁判の実情報告を、私が担当することになりました。
その後、元裁判官近藤莞爾氏を囲む会に出席。東京の湯島会館にて。

同期の裁判官から、電話あり。
懇話会前日の10/9、東京の平河会館に、数人集まるとのこと。

10.10
裁判官懇話会が、上智大学にて開かれました。
午前10時30分から、分科会。
その後、元最高裁判事坂本吉勝氏の講演。
続いて、全体会。

全体会のテーマは、裁判官養成制度について、など
新任の34期の方から、研修制度の実情が報告されました。
10年間続いた、東京地裁での新任研鑚制度が、終わったこと、
今年度からは、新任判事補が、大庁に配属されることとなり、そこで研鑚が行われることになったという。
そして、11月には、東京に戻り、研修の結果報告をするらしい。

刑事分科会。
私はこちらに参加しました。
出席者は、いずれも実務担当の裁判官であり、実りある討論がなされたと思います。
ただ、少し、時間が足りなかったかと思う。

終了後、同期が集まり、懇親会。

午後11時24分、上野発の最終列車にギリギリで間に合い、土浦に戻りました。
数日来、東京にいたので、家に戻るのは久しぶりとの気持ちがしました。

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