私が裁判官だったころ (6) 2001.6.13

選挙違反法廷での1場面

1982.3.7
前任者から引き継いだ長年にわたる選挙違反事件で、審理が終わり、論告・求刑させようとしたところ、弁護士から、「何故そんなに急ぐのか。最高裁の方ばかり気にして」と言われてしまいました。
この事件は、茨城県出身の某有名政治家の運動員の選挙違反であり、いわゆる連座制のため、有罪が確定すると、有名代議士は資格を失うのです。
そのため、このような事件では、弁護側は裁判を長引かせる作戦を取り、次の選挙まで引き伸ばそうとするのです。

しかしながらこれは、弁護権の濫用であり、裁判所としては、許せるものではありません。
いきおい、裁判官の訴訟指揮は、弁護側にとって厳しくなりがちです。
おそらく私の訴訟指揮の方法が、厳しく思えたのでしょうね。
それで、弁護士の上記の、「何故そんなに急ぐのか。最高裁の方ばかり気にして」との発言になったのでしょう。
多少、気が滅入りました。
あるいは、私の方も、審理を急ぐあまり、検察官との打ち合わせを優先し、論告を急いだ点は、フェアでなかったのかも知れません。

木枯らし会の旅行

3.月13日(土)、14日(日)と、木枯らし会メンバーで、送別会を兼ねた家族旅行がありました。
矢板の高原牧場に集合したのです。
私の家族5人は、午前9時に家を出て、筑波線、水戸線、東北本線を乗り継ぎ、更にバス、降りてから1キロほど歩き、ようやく到着しました。
早春の牧場は、入場者も少なく、広い牧場を、貸しきりに近い形で、楽しく過ごせました。
集まった子供たちは、すぐ友達になり、丘を駆け回っていました。
夕食後、食堂で、夜12時頃まで、皆でいろんなことを話しました。
我が家はロッジ1棟を借り、ゆっくり出来ました。

翌日も良い天気で、ボート、テニス、散歩等で過ごし、昼食後、解散となりました。
我が家は、遊び疲れた子供が昼寝に入ったため、しばらく残り、3時過ぎに帰途に着きました。
行きとは逆のコースをたどり、土浦に着いたのは、午後7時過ぎ。
つかの間の息抜きではありましたが、楽しい旅行でした。

仕事の配分のこと

3.23
土浦には、4名の裁判官がおりましたが、仕事の割振りにおいては、それなりに各自の意見が反映されておりました。
ところが、4月以降のH判事補の事務分配について、若干もめたのです。

H判事補は、私より1年後輩で、4月で6年目となり、特例判事補として、単独で法廷を主宰できるようになります。
そこでH判事補の希望は、単独で、民事事件の一部を担当したい、ということでした。
そこで、支部長裁判官から、民事事件を少し回してもらい、代わりに、H判事補の少年事件の一部を渡すと言うことになっていました。
つまり、交換ということですね。
ところが、いつのまにか、少年事件はそのままとし、民事事件だけを回すという方向に、話が進んでいたのです。
これでは、H判事補の担当が一方的に増えるだけなので、交換ではありません。
そこで、私から支部長裁判官に対し、少年事件についても、渡す時期と分量をはっきりさせた方が良いのではないか、と述べたところ、 その後、W裁判官から、提案があり、皆で話し合いました。

私の意見
① 特例判事補となった以上、H裁判官と、W裁判官、M裁判官、私は、裁判官として、同格である。
よって、単独事件を担当したいと言うH裁判官の希望は、出来るだけ尊重すべきである。
② H裁判官の希望であるからと言って、一方的に職務を増やすのは、妥当ではない。
交換が望ましい。
③ 仮に、一方的にH裁判官の職務を増やすとした場合、その増やす分は、全体を見て公平に決めるべきである。

M裁判官の意見
② については、反対。
本人が希望した場合は、見返りなしでもやむを得ない。

このように意見を述べた後、結局、支部長の判断に任せることになりました。

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