私が裁判官だったころ (5) 2001.6.11

1982年の年が明ける

1月4日、仕事始め、軽く飲む。
法廷係りのO職員から、PM4時以降に法廷を入れていることについて、苦情を言われてしまいました。
酔余の言であることは無論だが、ショックでした。
裁判官は、事件の処理だけでなく、職員の勤務条件の問題も考えていかねばならないのです。

事務配分の変更

1982.1.12
年が明けて、職員の事務分配が変更になり、民事執行の一部をI職員が担当することになりました。
民事執行の担当者が、これまで1人だったのが2人となったのです。
ところがこれに対しては、これまで担当していたI職員から不満が出たので、私は、先輩であるW裁判官に相談しました。
民事執行は、私の職務でしたから。

W裁判官は、その段階では、担当変更については把握しておられないようであり、どうもはっきりしないので、支部長裁判官に来て頂きました。
支部長裁判官の説明では、支部長判断で、1月1日付けで、民事執行を2人とし、各自が2分の1づつを担当することに決めたとのこと。
支部長の説明により、今回の事務分配の内容が明確になりました。
これに対して、不満のあるI職員が、私に不満を述べたようでした。

しかしながら、支部長権限での変更処置であり、明確な理由なくして元に戻すことは出来ません。
但し、変更した事実が、私に伝わっておらず、混乱が生じていたことは事実です。
その原因は、担当裁判官である私に対して、支部長から正確な説明がなされていなかったことだと考えたまし私は、支部長裁判官に対し、説明が不十分であったこと、今後は担当裁判官に十分な説明をして 頂きたいことを申し入れました。
私としては当然のことだったのですが、結果的に、他の裁判官の前で、私が支部長裁判官の釈明を求めるような形になってしまい、支部長裁判官は、不愉快な思いをされたかも知れませんね。そのことに後 で、気がつきました。

今回のことで、多少人間関係が気まずくなったとしても、それによって私の待遇(任地等)に影響が及ぶことは、まず、ないでしょう。
裁判官の地位は、憲法で保障されているのだから・・・
しかし、できるならば、対立せずにやっていきたいものだと思いました。

1982・1・29
お向かいの苗屋さんで生まれたばかりの白い子犬をもらい、モモタローと名づける。
2晩ほどすごく泣く。
夜中に起こされたが、昨日から手移しで粥を食べさせたところ、昨夜はおとなしかった。
まだ噛んで飲み込むことができず、空腹で泣いていたものらしい。

3. 2
鑑定嘱託のため、東京地裁へ行く。
同期のT裁判官と、昼食を法曹会館でとる。
久しぶりの東京地裁の印象だが、なぜか重苦しい。
土浦のほうが、はるかに明るいと、思いました。
すっかり、土浦びいきになっていたのでしょう。

前へ   次へ
私が裁判官だったころトップへ