私が裁判官だったころ (11) 2001.6.21

初優勝

1982.10.17
スポーツ店主催のダブルストーナメント、小山杯。
筑波国際コートにて。
I氏と組んで、参加。
1回戦8-2
2回戦6-0
3回戦6-0
準決勝6-0
決 勝6-1
初心者対象の試合だったようだが、ともあれ、初優勝である。
  ヨネックスの、テニス・ラケットを、賞品として、頂く。

裁判官を辞めようか

10月
このころからでしょうか。
裁判官を辞めようと考え出したのは・・・
八方塞がりで、先行きの暗い裁判所の中から、広い野原に踊り出たい・・といった風な気持ちがありました。

裁判官を辞めて弁護士になる方向への選択を、悔やむ気持ちは、全くないのが不思議といえば不思議でした。
裁判官生活を、10年近くやれて、弁護士になれれば、恵まれているとさえ思いました。

ただ、辞めるにしても、これまでおせわになった裁判所に迷惑をかける辞め方は、決してしてはいけない・・・
当然のことですが、このことは、強く意識していました。
残された裁判官生活は、あと1年半です。

10.26
F職員の、所長表彰祝賀会。
F氏の話では、裁判所に入ったのは27歳のときで、ちょうど取手簡裁に欠員があったので、入った。
以来、20年と6ヶ月とのこと。

祝賀会の席では、ふだん話さない人と、仕事以外のことでいろいろと話せて、有益でした。
用務員のSさん、タイプのEさん、など、顔は知っていても、話したことが無かった方たちです。

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