私が裁判官だったころ (7) 2001.6.14

支部長が栄転

1982.3.25
支部長裁判官が、那覇地裁所長に栄転することになりました。
支部長裁判官は、昨年4月、私たちとともに、土浦に来たばかりであり、わずか1年での異動でした。
人事は、わからないですね。

4.月
土浦に来て、1年が経過しました。
家族で、真鍋小学校に、桜見物に行く。
真鍋小学校の、校庭には、年月を経た桜の大木が数本あり、ほれぼれするほど見事なのです。
それがちょうど、八分咲きといったところでした。

常任委員の選挙

4月
支部長交代により、常任委員の選挙が実施されることになりました。
土浦支部裁判官の代表を選ぶ選挙です。投票するのは、裁判官です。

常任委員としては、後任の支部長が順当ではありますが、選挙ですから、我々にも1票があり、選ぶ権利があります。
前支部長の人事のやり方は、私には、不満が残ることがありました。
そこで、部屋で、3人の裁判官で、選挙のことを話し合いました。

私が、「支部長よりも、W裁判官の方が、話を聞いてくれるので、私は、W裁判官に投票しようと思う」
とのべたところ、反論が相次ぎました。
曰く。
「波風の立つことは、止めた方がよい。もっと、円満に、」
「誰が投票したかは、筆跡で判る」
「投票されたほうが、迷惑だ」
など。

ちょっと待って・・・
それでは、何のための選挙なのか・・・

今回もそうでしたが、私が問題を提起すると、たいがい孤立状態となるのですね。
前任地の大阪では、こうではなかったように思いました。
東京管内だからこうなのか、裁判所が全体的にそうなってきたのか・・・

逮捕状の却下

5月
午後6時頃、T警察から、逮捕状の請求がなされました。
暴走族による暴力行為事件です。

犯行は明らかなのですが、問題がありました。
それは、逮捕状の請求までに、長時間経過していたことです。
事件発生は午前3時頃、その直後の午前4時頃から容疑者を署において事情聴取していたらしい。
午前4時から午後6時までとして、14時間であり、その間の調べが任意であるとは、認めることは出来ないであろうと、思いました。

さすがにこれに対しては、逮捕状は出せず、令状請求を却下しました。
もっと早い段階で、令状請求するか、緊急逮捕すべきだったのです。
基本的に人権侵害の性格を有する逮捕は、厳格な手続きが定められており、その要件を欠くときは、却下されねばならない。
そのチェックをするのが、裁判官の大事な仕事なのです。

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