伊東静雄 いとう・しずお(1906—1953)


 

本名=伊東静雄(いとう・しずお)
明治39年12月10日—昭和28年3月12日 
享年46歳(文林院静光詩仙居士)❖菜の花忌 
長崎県諫早市船越町1047 広福寺(曹洞宗)



詩人。長崎県生。京都帝国大学卒。旧制大阪府立住吉中学校(現・住吉高等学校)教師の傍ら、『コギト』への寄稿を中心に詩作。昭和10年処女詩集『わがひとに与ふる哀歌』を刊行。萩原朔太郎らの賞賛を受けた。16年三好達治らと詩同人誌『四季』に参加した。『夏花』『春のいそぎ』『反響』などがある。






 

八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。

運命? さなり、
あゝわれら自ら孤寂なる発光体なり!
白き外部世界なり。

見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木陰をつくれ。
われも亦、

雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。

(八月の石にすがりて)

 


 

 〈わが死せむ美しき日のために 連嶺の夢想よ!汝が白雪を 消さずあれ〉。
 白々と春まだ浅き広野を、西に向かって列車はひた走る。規則正しい軋音を枕に、花子夫人と二人の遺児に抱かれた伊東静雄の遺骨は故郷の諫早を目指している。思えば長い療養生活であった。
 〈せんにひどく容態の悪かつたころ。深夜にふと目がさめた。私はカーテンの左のはづれから白く輝く月につよく見つめられてゐたのだつた。まためさめる。矢張りゐた。今度は右の端に。だいぶ明け方近い黄色味を帯びてやさしくクスンと嗤つた。クスンと私も笑ふと不意に涙がほとばしり出た〉。
 昭和28年3月12日午後7時すぎ、悟りきった冷笑を浮かべて逝った静雄の想う故郷よ、いざ帰らん。



 

 旅人の夜は短い。待ち続けた詩人の夢が覚めるころ、透明な朝は明けた。乾ききった聖域に樹陰もなく、次から次へとこらえようもなく熱気がわき上がってくる。
 九州地方独特の風習であるのか、この寺の墓碑銘の多くには金箔が施され、灼熱の陽光に負けぬほどの輝きを誇っている。伊東家先祖の墓隣に「文林院静光詩仙居士」、「華岳院静室妙貞大姉」と夫妻の戒名が並び刻された碑、50年前、詩人の遺骨を抱いて帰郷した妻花子も今は同じ墓石の下に。
 本堂裏に繰り広げられる音も無き営み、華やぎ始めた真夏の陽の下に鎮まりかえった墓々、私の佇む乾いた位置に南風の運びきた孤影もついに届かなかったが、額からしたたり落ちたひとしずくが小さな模様を滲ませた。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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