本名=石井桃子(いしい・ももこ)
明治40年3月10日—平成20年4月2日
享年101歳
東京都新宿区原町2丁目34 瑞光寺(日蓮宗)
児童文学者・翻訳家。埼玉県生。日本女子大学校(現・日本女子大学)卒。文藝春秋社等の編集をへて欧米の児童文学の翻訳を手がけ、児童文学作品も創作した。はじめての創作『ノンちゃん雲に乗る』をはじめ、『クマのプーさん』などの翻訳がある。昭和33年自宅を開放して『かつら文庫』をはじめその活動記録は『子どもの図書館』としてまとめられた。

ああ、なんて深い空でしょう。もう一つの世界が、水のなかに、そして、ノンちゃんの足の下の土のむこうがわにあるようです。
にいちゃんはいつも、この池へ石をなげこんだりして、神主さんにしかられます。ノンちゃんは一度だって、そんなことをしたことはありません。この池だけでなく、どんな水たまりでも、空のうつるところなら、ノンちゃんはしずかにのぞくだけです。
ノンちゃんは、こわいのです。
もし水の底がぬけて、あの深い空におちてしまったら!
雨あがりの日、森のなかの水たまりをのぞくと、スギの木やヒノキが、まっさかさまにすっと、青い青い、深い空にむかってつき立っていて、ノンちゃんは思わずゾッとします、あすこへおっこったら、ものすごいでしょう!
まだ小さかったとき、ノンちゃんは、にいちゃんが小さい水たまりへとびこむのさえ、「おちる!おちる!」と、泣いてとめたものでした。
あの空が、うその空だとは、ノンちゃんはにはとても思えないのです。
ノンちゃんは、モミジの木によりかかって、じっとその青い空に見入りはじめました。
池のまん中に、まっ白い、やわらかそうな雲がうかんでいます。らくそうだなあ……。
「チチッ!」上のほうを、鳥が渡りました。
(ノンちゃん 雲にのる)
生涯独身を通した。生涯現役を貫いた。自宅の一部を開放して子ども図書館「かつら文庫」を開設し、児童文学の普及にも貢献した。
井伏鱒二によると太宰治があこがれていたという女性、約200冊の著訳書を著し、戦後の児童文学の分野に大きな足跡を残した石井桃子。
平成20年、最後の年の1月末、車いすで出席した朝日賞贈呈式でのスピーチ。
〈朝日賞をいただいた人間ですといってこの世を去るよりも、六つ七つの星に美しく頭の上を飾られて次の世の中に行きたいと思っています。栄えある賞の受け手として私をお定めになったとき、地面の上にひれ伏すような気持ちを味わわせてくれました〉。
その2か月ほど後の4月2日午後3時30分、老衰のため101年の生涯を閉じた。
どこからか沈丁花の香りが、幼い頃のうきうきするような気分をのせて漂ってくる町角、やわらかな午後の日が山門をつつんでいる。右隣にある保育園からは幼い子供たちの遊び声が響いてくる。
小さなお堂を囲むような墓域の中、桃の木の傍らにやさしげな自署を刻した「石井桃子の墓」があった。脇に置かれた石には、自身が選び刻ませた六作品『ノンちゃん雲に乗る』、『幼ものがたり』、『幻の朱い実』、『クマのプーさん』、『ピーターラビットのおはなし』、『ムギと王さま』の題字がある。
桃の木の根元では小雀が二、三羽遊んでいる。休石に腰掛けて作品名を読んでいると、小雀がチュンと鳴いて、墓前に捧げられていた白い花群れが、返事をするようにこくりと風に揺らされた。
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