石垣りん いしがき・りん(1920—2004)


 

本名=石垣りん(いしがき・りん)
大正9年2月21日—平成16年12月26日 
享年84歳(文誉詩章鱗光大姉)
静岡県賀茂郡南伊豆町子浦1611 西林寺(浄土宗)



詩人。東京府生。赤坂高等小学校卒。小学校を卒業した14歳の時に日本興業銀行に事務員として就職。以来定年まで勤務し、詩を次々と発表。職場の機関誌にも作品を発表したため、銀行員詩人と呼ばれた。『表札など』でH氏賞受賞。『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』『略歴』などがある。






 

夜中に目をさました。
ゆうべ買ったシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。

「夜が明けたら
ドレモコレモ
ミンナクッテヤル」

鬼ババの笑いを
私は笑った。
それから先は
うっすら口をあけて
寝るよりほかに私の夜はなかった。
                                      
(シジミ)

 


 

 風景を見ながらも、風景を眺めている自分を見ているというふうな多重性のある詩を書いた。〈自分の住む所には 自分の手で表札をかけるに限る 精神の在り場所も ハタから表札をかけられてはならない 石垣りん それでよい〉——。
 平成16年12月26日、心不全のため杉並区の浴風会病院で逝った詩人の表札は凛とした寂寥感に包まれていた。翌年2月に山の上ホテルで行われた「さよならの会」で、谷川俊太郎が弔辞を朗読した。
 〈贈られた詩集1DKいっぱいに積まれ その詩の山をベッドにあなたは夜毎眠ったとか 家の 血縁の悪夢から詩へと目覚めて だがその先にあるもっと新しい朝は もうこの世にないことに あなたは気づいていたに違いない〉。



 

 東京・赤坂で生まれ育った石垣りんの父母のふるさと南伊豆子浦。小さな漁村の入り江の陰、この寺の小高い墓山をのぼっていくと、山腹にへばりつくような石垣家の墓域があった。
 四歳の時に死んだ母、父、のちの母、祖父母、二人の妹たちが眠るところ。少女の日、村人の目を盗んで抱いた母の墓に石垣りんも眠っている。眼下の入り江は凪、防波堤に二人三人の釣り人、白黒の子猫が寝そべっている。潮騒とカモメの声、ポンポンとエンジン音を響かせて釣り船が入り江の外にでていった。冬の日差しはやわらかく墓石を包んでいる。
 ——〈いつか裸になって 骨だけになって あの家族風呂のようなところへ。………あたたかいに違いない。〉——詩人の声が聞こえてくる。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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