第12章 苦難にこそ感謝を
「私は霊的な目を通して眺めることが出来ると言う利点のお陰で真理の様々な側面が見える立場にあります。あなた方は残念ながら肉体の中に閉じ込められていると言う不利な条件の為に、私と同じ視点から眺める事は出来ません」

これは今スピリチュアリズムを熱心に勉強し始めた初心者の夫婦を招いた時に、霊と物質と言う基本的なテーマについて語るにあたっての前置きである。続けてこう語る。

「あなた方は物質をまとった存在です。身を物質の世界においておられます。それはそれなりに果たすべき義務があります。衣服を着なければなりません。家が無くてはなりません。食べるものが必要です。身体の手入れをしなくてはなりません。身体は要請される仕事を果たす為に必要なものをすべて確保しなければなりません。物的身体の存在価値は基本的には霊の道具であることです。

霊なくしては身体の存在はありません。そのことを知っている人が実に少ないのです。身体が存在出来るのはまず第一に霊が存在するからです。霊がひっこめば身体は崩壊し、分解し、そして死滅します。

このことを申し上げるのは、多くの人達と同様に、あなた方もまだ本来の正しい視野をお持ちでないからです。ご自身のことを一時的な地上生命を携えた霊的存在であるとは見ておられません。身体に関ること、世間的なことを必要に重大視される傾向がまだあります。いかがですか。私の言っていることは間違っていますか。間違っていれば遠慮なくそうおっしゃってください。私が気を悪くすることはありませんから…」

「いえ、おっしゃる通りだと思います。そのことを自覚し、且つ忘れずに居ると言うことは大変難しいことです」と奥さんが答える。

「難しいことであることは私もよく知っております。ですが、視野を一変させ、その身体だけでなく、住んでおられる地球、それからその地球上の全てが存在出来るのは霊のお陰であること、あなたも霊であり、霊であるが故に神の属性の全てを宿していることに得心がいくようになれば、前途に横たわる困難の全てを克服していくだけの霊力を授かっていることに理解が行く筈です。生命の根元、存在の根元、永遠性の元は霊の中にあります。自分で自分をコントロールする要領(コツ)さえ身につければ、その無限の貯蔵庫からエネルギーを引き出すことが出来ます。

霊は物質の限界によって牛耳られてばかりはいません。全生命の原動力であり、全存在の大始源である霊は、あなたの地上生活において必要なものを全てを供給してくれます。その地上生活の目的は極めて簡単なことです。死後に待ち受ける次の生活に備えて、本来のあなたであるところの霊性を強固にするのです。身支度を整えるのです。

開発するのです。となれば、良いことも悪いことも、明るいことも暗いことも、長所も短所も、愛も憎しみも、健康も病気も、その他ありとあらゆることがあなたの霊性の糧となるのです。

その一つ一つが神の計画の中でそれなりの存在価値を有しているのです。いかに暗い体験も、・・・暗く感じられるのは気に食わないからにすぎないのですが・・・克服できないほど強烈なものはありません。あなたに耐えられない程の試練や危機に直面させられることはありません。その事実を何らかの形で私と御縁の出来た人に知って頂くだけでなく、実感し実践して頂くことが出来れば、その人は神と一体となり、神の摂理と調和し、日々、時々刻々、要請されるものにきちんと対応出来る筈なのです。

ところが残念ながら、敵があります。取り越し苦労、心配、不安と言う大敵です。それが波長を乱し、折角の霊的援助を妨げるのです。霊は平静さと自信と受容力の中ではじめてのびのびと成長します。日々の生活に要請されるすべてのものが供給されます。物的必需品の全てが揃います」

ここでご主人が「この霊の道具に吾々はどう言う注意を払えばよいかを知りたいのですが・・・肝心なポイントは何処にあるのでしょうか」と尋ねる。

「別に難しいことではありません。大方の人間のしていることを御覧になれば、身体の必要にばかり拘って精神ならびに霊の必要性に無関心すぎると言う私の意見に賛成して頂けると思います。身体へ向けている関心の何分の一かでも霊の方へ向けて下されば、世の中は今よりずっと住みよくなるでしょう。」

「霊をほったらかしにしていると言うことでしょうか。と言うことは身体上のことはそうまで構わなくてよいと言うことでしょうか。それとももっと総体的な努力をすべきなのでしょうか」

「それは人によって異なる問題ですが、一般的に言って人間は肉体のことは疎かにしていません。むしろ甘やかしすぎです。必要以上のものを与えています。あなた方が文明と呼んでいるものが不必要な用事を増やし、それに対応する為にまた新たな慣習的義務を背負いこむと言う愚を重ねております。

肉体にとってなくてはならないものと言えば光と空気と食べ物と運動と住居位のものです。衣服もそんなにあれこれと必要なものではありません。慣習上必要となっているだけです。

私は決して肉体ならびにその必要条件を疎かにしてよいと言っているのではありません。肉体は霊の大切な道具ではありませんか。肉体的本性が要求するものを無視するようにとお願いしているのではありません。私は一人でも多くの人間が正しい視野を持っていただき、自分自身の本当の姿を見つめるようになっていただきたいのです。

まだ自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい霊を備えた肉体だと思い込んでいる人が多すぎます。本当は肉体を具えた霊的存在なのです。それとこれとでは大違いです。

無駄な取り越し苦労に振り回されている人が多すぎます。私が何とかしてなくしてあげたいと思って努力しているのは不必要な心配です。神は無限なる叡智と無限なる愛です。われわれの理解を超えた存在ですが、その働きは宇宙の生命活動の中に見出すことができます。

驚異に満ちたこの宇宙が、かつて一度たりともしくじりを犯したことのない神の摂理によって支配され規制され維持されているのです。その節理の働きは一度たりとも間違いを犯したことがないのです。変更になったこともありません。廃止されて別のものと置き換えられたこともありません。

今存在する自然法則はかつても存在し、これからも永遠に存在し続けます。なぜなら完璧な構想のもとに全能力の力によって生み出されたものだからです。

宇宙のどこでもよろしい、よく観察すれば、雄大なものから極小のものに至るまであらゆる相が自然の法則によって動かされ、規則正しくコントロールされていることがお分かりになります。途方もなく巨大な星雲を見ても、極微の生命を調べても、あるいは変転極まりない大自然のパノラマに目を向けても、さらには小鳥、樹木、花、海、山川、湖どれ一つとってみても、ちょうど地球が地軸を回転することによって季節の巡りが生まれているように、すべての相とのつながりを考慮した法則によって統制されていることがわかります。

種をまけば芽が出る・・・このいつの時代にも変わらない、摂理(キマリ)こそ神の働きの典型です。神は絶対にしくじったことがありません。あなた方から見放さない限り神はあなた方を見放すことはありません。(訳者注=神がしくじるという言い方はいかにも幼稚にひびくが、われわれが不安や心配を抱き取り越し苦労が絶えないということは、裏返せば神の絶対的叡智に対する信仰が不足していることを意味し、これを分かりやすく表現すれば神がしくじるかもしれないと思っていることになる)

私は神の子すべてにそういう視野を持っていただきたいのです。そうすれば取り越し苦労もなくなり、恐れおののくこともなくなります。

いかなる体験も魂の成長にとっては何らかの役にたつことを知ります。その認識のもとに一つ一つの困難に立ち向かうようになり、首尾よく克服していくことでしょう。そのさ中にあってはそう思えなくても、それが真実なのです。あなた方もいつかは私達の世界へおいでになりますが、こちらへくれば、感謝なさるのはそう言う暗い体験の方なのです。

視点が変わることによって、暗く思えた体験こそ、そのさ中にあるときは有り難く思えなくても、霊の成長を一番促進してくれていることを知るからです。今ここでそれを証明して差し上げることはできませんが、こちらへおいでになれば自ら証明なさることでしょう。

こうしたことはあなたにとって比較的に新しい真理でしょうが、これは大変な真理であり、また多くの側面を持っています。まだまだ学ばねばならないことがたくさんあるということです。探求の歩みを止めてはいけません。歩み続けるのです。正し霊媒の口を突いて出るものを全部鵜呑みにしてはいけません。

あなたの理性が反発するもの、あなたの知性を侮辱するものは拒絶なさい。理に適っていると思えるもの価値があると確信できるもののみを受け入れなさい。何でもすぐに信じる必要はありません。あなた方の判断力にしっくり来るものだけを受け入れればいいのです

私達は誤りを犯す可能性のある道具を使用しているのです。交信状態が芳しくない時があります。うっかりミスを犯すことがあります。伝えたいことのすべてが伝えられないことがあります。他にもいろいろ障害があります。

霊媒の健康状態、潜在意識の中の思念、頑なに固執している観念等が伝達を妨げる事もあります。その上、私たちスピリット自身も誤りを犯す存在だと言うことを忘れてはなりません。死によって無限の知識のすべてを手にできるようになるわけではありません。地上時代より少し先が見えるようになるだけです。

そこであなた方より少し多くを知った分だけをこうしてお授けしたいと思うわけです。私達も知らないことが沢山あります。が、少しでも多くを知ろうと努力を続けております。

より開けたこちらの世界で、知り得た価値ある知識をこうしてお授けするのは、代わって今度はあなた方が、それを知らずにいる人々へ伝えて頂きたいと思うからです。宇宙はそう言う仕組みになっているのです。実に簡単なことなのです。私達は自分自身のことは何も求めません。

お礼の言葉もお世辞も要りません。崇めてくださっても困ります。私達はただの使節団、神の代理人に過ぎません。自分ではその使命に相応しいとは思えないのですが、その依頼を受けた以上お引き受けし、力の限りその遂行に努力しているところなのです」