第2章 心霊治療・・・その本当の意義
「これまでに成し遂げられてきた事は確かに立派ですが、まだまだ頂上は極めておりません」
世界的に知られる心霊治療家のハリー・エドワーズ氏が助手のジョージバートン夫妻と共に交霊会を訪れた時シルバーバーチはそう語りかけた。(訳者注-今は三人ともこの世にいないが、〝ハリー・エドワーズ心霊治療所〟Harry Edwards Healing Sanctuaryはその名称のままレイ・ブランチ夫妻が引き継ぎ今も治療活動を続けている)
シルバーバーチは続けてこう語る・・・
「あなた方はこれまでの努力がまさに花開かんとしております。これまでのことは全てが準備でした。パステスマのヨハネがナザレのイエスの為に道を開いたように、これまでのあなた方の過去は、これから先の仕事のため、つまりより大きな霊力が降りてあなた方と共に活動していく為の準備期間でした。
ほぼ完璧の段階に近づいているあなた方三人の信頼心と犠牲的精神とそれを喜びとする心情は、それ自らが結果をもたらします。霊の力と地上の力との協調関係がますます緊密となり、それがしばしば〝あり得ぬこと〟と思えることを成就しております。条件が整った時に起きるその奇跡的治療のスピードに注目して頂きたいと思います」
エドワーズ「何度も目の当たりにしております」
「大いなる進歩が為されつつあること。多くの魂に感動を与え、それがさらに誘因となって他の大勢の人々にその次元での成功(単なる病気治療にとどまらず魂の琴線に触れさせること)を修める努力が為されつつあります。常にその一つに目標をおいて下さい。
すなわち魂を生命の実相に目覚めさせることです。それが全ての霊的活動の目標です。他は一切構いません。病気治療も、霊的交信を通じての慰めも、さまざまな霊的現象も、究極的には人間が例外なく神の分霊であること、即ち霊的存在であるというメッセージに目を向けさせて初めて意義があり、神から授かった霊的遺産を我がものとして宿命を成就する為には、ぜひその理解が必要です。
それが困難な仕事であることは私も良く承知しております。が、偉大な仕事ほど困難が伴うものなのです。霊的な悟りを得ることは容易ではありません。とても孤独な道です。それは当然のことでしょう。
もしも人類が昇るべき高所がいとも簡単に辿りつくことが出来るとしたら、それは昇ってみるほどの価値はないことになります。安易さ、呑気さ、怠惰の中では魂は目を開きません。刻苦と奮闘と難儀の中にあって初めて目を覚まします。これまで、魂の成長が安易に得られるように配慮された事は一度たりともありません。
あなた方が治療なさる様子を見て、いとも簡単に行っているように思う人は、表面しか見ていない人です。今日の頂上に到達するまでには、その背後に長年の努力の積み重ねがあったことを知りません。治療を受ける人が満足しても、あなた方が満足してはなりません。
一つの山頂を極めたら、その先にまた別の山頂がそびえている事を自覚しなくてはいけません。如何でしょう。私の話は参考になりますでしょうか。あなた方は既に良くご存じのことばかりでしょう」
エドワーズ「分っていても改めて認識する事は大切なことです」
「こうした会合の場は、地上の人間でない私どもがあなた方地上の人間に永遠の原理、不滅の霊的真理、顕幽の区別なく全ての者が基盤とすべきものについての認識を新たにさせることに意義があります。物質界に閉じ込められ、物的身体に関る必要性や障害に押しまくられているあなた方は、ともすると表面上の物的なことに目を奪われて、その背後の霊的実在のことを見失いがちです。
肉体こそ自分である、今生きている地上世界こそ実在の世界であると思いこみ、実は地上世界は影であり、肉体はより大きな霊的自我の道具に過ぎない事を否定することは実に簡単なことです。
もしも刻々と移り行く日常生活の中にあって正しい視野を失わずに問題の一つ一つを霊的知識に照らしてみる事を忘れなければ、どんなにか事が楽に治まるだろうにと思えるのですが。残念ながら現実はそうではありません。
こうした霊界との協調関係の中での仕事に携っておられる人でさえ、ややもすると基本的義務も忘れ、手にした霊的知識が要求する規範に叶った生き方をしていらっしゃらない事があります。知識は大いなる指針となり頼りになるものですが、手にした知識をどう生かすかと言う点に大きな責任が要請されます。
治療の仕事に携っておられると、さまざまな問題・・・説明できないことや当惑させられること・・・に遭遇させられることでしょうが、それは当然のことです。私どもは地上と霊界の双方の人間的要素に直面させられどおしです。治療の法則は完全ですが、それが不完全な道具を通じて作業しなければなりません。
人間を通して働かねばならない法則がいかなる結果を生み出すかを、数学的正確さを持って予測する事は不可能と言う事になります。
たとえ最善の配慮を持って拵えた計画さえも挫折させるほどの事情が生じることがあります。この人こそと思って選んで介した何年にもわたる準備計画が、本人の自由意志による我がままによって水の泡となってしまうことがあります。しかし全体としてみれば霊の地上への投入が大幅に増えていることは喜んで良いと思います。
現実にあなた方が患者の痛みを和らげ、あるいは治療してあげることが出来ていると言う事実、苦しむ人を救うことが出来ていると言う事実。お仕事が広がる一方で衰えることが無いと言う事実。たとえ藁をも掴む気持ちからであっても、大勢の人々が救いを求めて来ていると言う事実。こうした事実は霊力がますます広がりつつあることの証拠です。
霊力によって魂が一旦目を覚ましたら、その人は二度ともとの人間には戻らないと言う考えがありますが、私もそう考えている一人です。言葉には説明し難い影響、本人も忘れようにも忘れなれない影響を受けているものです」
エドワーズ「その最後の段階で病気の治癒と真理の理解との兼ね合いがうまくいってほしいのですが、霊的高揚と言うのはなかなか望めないように思います」
「見た目にはそうですが、目に見えない影響力が常に働いております。霊力と言うには磁気性を持っており、一旦出来上がった磁気的な繋がりは決して失われません。一個の人間があなたの手の操作を受けたと言う事は・・・〝手〟と言うのは抽象的な意味で用いたまでです。
実際には身体に触れる必要はありませんから・・・その時点でその人と磁気的なつながりが出来たと言う事です。つまり霊の磁力がその人の〝地金〟を引きつけたと言うことで、その関係は決して切れることはありません。
その状態を霊の目すなわち霊視力で見ますと、小さな畑の暗い土の中で小さな灯りがともったようなものです。理解力の最初の小さな炎でしかありません。種子が芽を出して土中から頭をもたげたようなものです。暗闇の中から初めて出てきたのです。
それがあなた方の為すべき仕事です。身体を治してあげることは結構なことです。それに文句をつける人はいません。が、魂に真価を発揮させること、聖書流に言えば魂に己を見出させること、それより遥かに大切です。魂を本当の悟りへの道においてあげることになるからです」
ここでサークルのメンバーの一人が述べた…「心霊治療で治った人の中には魔術的なものが働いたと考える人がいます。つまり治療家を一種の魔術師と考え、神の道具とは考えません」
「それは困ったことだと思います。何故かと言えば、そう言う受け取り方はせっかくのチャンスによる最も大切な悟りの妨げになるからです。霊的な力が治療家を通して働いたのだと言うことを教えてあげれば、病気が治ったと言うことだけで全てが終わらずに、それを契機にもっと深く考えるように成るのですが」
エドワーズ「治療後も霊的な治癒力が働き続けている証拠として、時折、その時は効果が見えなかった人から一年もたってから〝あれから良くなってきました〟と言う手紙を受け取ることがあります」
「当然そうあってしかるべきです。霊的な成長だけは側からどうしようもない問題なのです。
このことに関しては以前にも触れたことがありますが、治療の成功不成功は魂の進化と言う要素によって支配されております。いかなる魂も、治るだけの霊的資格が具われない限り絶対に治らないと言うことです。身体は僕です。主人(アルジ)ではありません。」
エドワーズ「未発達の魂は心霊治療によって治すことが出来ないと言う意味でしょうか」
「そういうことです。私が言わんとしているのは、正にそのことです。ただ〝未発達〟と言う用語は解釈の難しい言葉です。私が摂理の存在を口にする時、私はたった一つの摂理のことを言っているのではありません。宇宙のあらゆる自然法則を包含した摂理のことを言います。
それが完璧な型(パターン)にはめられております。ただし法則の裏側に又別の次元の法則があると言うふうに、幾重にもなっております。然るに宇宙は無限です。誰にもその果てを見ることは出来ません。それを支配する大霊(神)と同じく無窮なのです。すると神の法則も無限であり、永遠に進化が続くと言うことになります。
物質界の人間は肉体の宿った魂です。各自の魂は進化の一つの段階に在ります。その魂には過去があります。それを切り捨てて考えてはいけません。それとの関連性を考慮しなくてはなりません。肉体は精神の表現器官であり、精神は霊の表現器官です。
肉体は霊が到達した発達の段階を表現しております。もしもその霊にとって次の発達段階に備える上での浄化の過程としてその肉体的苦痛が不可欠の要素である場合には、あなた方治療家を通じていかなる治療エネルギーが働きかけても治りません。いかなる治療家も治すことは出来ないと言うことです。
苦痛も大自然の過程の一つなのです。摂理の一部に組み込まれているのです。痛み、悲しみ、苦しみ、こうしたものは全て摂理の中に組み込まれているのです。話はまた私が何時も述べていることに戻ってきました。日向と日陰、平穏と嵐、光と闇、愛と憎しみ、こうした相対関係は神の摂理なのです。一方なくしては他方も存在しえません」
メンバーの一人「苦しみは摂理を破ったことへの代償なのですね」
「〝摂理を破る〟と言う言い方は感心しません。〝摂理に背く〟と言って下さい。確かに人間は時として摂理への背反を通して摂理を学ぶ他ないとこがあります。あなた方は完全な存在ではありません。完全性の種子を宿してはおりますが、それは人生がもたらすさまざまな境遇に身をおいて見ることによってのみ成長します。痛みも嵐も困難も苦しみも病気もないようでは魂は成長しません。
摂理が働かないことは絶対に在りません。もし働かないことがあるとしたら、神ではなくなり、宇宙には調和もリズムも目的も無くなります。その自然の摂理の正確さと完璧さに全幅の信頼をおかねばなりません。なぜなら人間には宿命的に知ることのできない段階があり、それは信仰心で持って補うほかないからです。
私は知識を論拠として生れる信仰は決して非難しません。私が非難するのは何の根拠もないことでもすぐに信じてしまう浅はかな信仰心です。人間は知識の全てを手にすることが出来ない以上、どうしてもある程度の信仰心でもって補わざるを得ません。
と言って、其の結果として同情心も哀れみも優しさも敬遠して〝ああ、これも自然の摂理だ。仕方がない〟等と言うようになって頂いては困ります。それは間違いです。あくまでも人間としての最善を尽くすべきです。そう努力する中に置いて本来の霊的義務を果たしていることになるからです。」
幾つかの質問に答えた後、さらに・・・
「魂は自ら道を切り開いていくものです。その際、肉体機能の限界がその魂にとっての限界となり制約となります。しかし肉体を生かしているのは魂です。この二重の関係が常に続けられております。しかし優位に立っているのは魂です。魂は絶対です。魂はあなたと言う存在の奥に宿る神であり、神が所有しているものは全てあなたもミニチュアの形で所有している以上、それは当然しごくのことです」
エドワーズ「それはとても基本的なことであるように思います。先ほど心霊治療によって治るか治らないかは患者自身の発達程度に掛っているとおっしゃいましたが、そうなると治療家は肉体の治療よりも精神の治療に力を入れるべきであると言うことになるのでしょうか」
「訪れる患者の魂に働きかけないとしたら、他に何に働きかけられると思いますか」
エドワーズ「まず魂が癒され、その結果肉体が癒されると言うことでしょうか」
「そうです、私はそう言っているのです」
エドワーズ「では私達治療家は通常の精神面を構う必要はないと言うことでしょうか」
「精神はあくまで魂の道具に過ぎません。従って魂が正常になればおのずと精神状態も良くなる筈です。ただ、魂がその反応を示す段階まで発達していなければ、肉体への反応も起こりません。魂がさらに発達する必要があります。つまり魂の発達を促すためのいろんな過程を体験しなければならないわけです。それには苦痛を伴います。魂の進化は安楽の中からは得られないからです」
エドワーズ「必要な段階まで魂が発達していない時は霊界の治療家も治す方法は無いのでしょうか」
「その点は地上も霊界も同じです」
メンバーの一人「クリスチャン・サイエンスの信仰と同じですか」
「真理は真理です。その真理に何と名を付けようと、私達霊界の者には何の違いもありません。要は中味の問題です。仮にクリスチャン・サイエンスの信者が霊の働きかけを得て治りそれをクリスチャン・サイエンスの信仰のお陰だと信じたとしても、それはそれでよいのです」
エドワーズ「私達治療家も少しは役に立っているとは思うのですが、治療家を通じて患者の魂にまで影響を及ぼすと言うのはとても難しいことです」
「あなた方は少しどころか大いに貴重な役割を果たしておられます。第一、あなた方地上の治療家がいなくては私達も仕事になりません。霊界側から見ればあなた方は私達が地上と接する為の通路であり、一種の霊媒であり、言ってみればコンデンサーのような存在です。霊波が流れる、その通路と言うわけです」
エドワーズ「流れると言うのは何に流れるのですか。肉体ですか、魂ですか」
「私達は肉体には関知しません。私の方からお聞きしますが、例えば腕が曲がらないのは腕の何が悪いのでしょう」
エドワーズ「生理状態です」
「では、それまで腕を動かしていた健康な活力はどうなったのでしょう」
エドワーズ「無くなっています。病気に負けて病的状態になっています」
「活力が再びそこを流れ始めたらどうなりますか」
エドワーズ「腕の動きも戻ると思います」
「その活力を通わせる力は何処から得るのですか」
エドワーズ「私達の意志ではどうにもならないことです。それは霊界側の仕事ではないかと思います」
「腕を無理やり動かすだけではダメでしょう?」
エドワーズ「力ではどうにもなりません」
「でしょう。そこでもしその腕を使いこなすべき立場にある魂が目を覚まして、忘れられていた機能を回復すれば、腕は自然によくなると言うことです」
メンバーの一人「治療家の役目は患者が生まれつき具わっている機能にカツを入れると言うことになるのでしょうか」
「そうとも言えますが、それだけではありません。と言うのは、患者は肉体をまとっている以上当然波長が低くなっています。それで霊界からの高い波長の霊波を注ぐには一旦治療家と言うコンデンサーにその霊波を送って、患者に合った程度まで波長を下げる必要があります。
そう言う過程を経た霊波に対して患者の魂がうまく反応を示してくれれば、その治癒効果は電光石火と申しますか、いわゆる奇跡の様なことが起きる分けですが、患者の魂にそれを吸収するだけの受け入れ態勢が出来ていない時は何の効果も生じません。たとえまがった腕をまっすぐにするのはあなた方ではありません。患者自身の魂の発達程度です」
列席者の一人「神を信じない人でも治ることがありますか」
「あります。治療の法則は神を信じるか信じないかにお構いなく働くからです」
先ほど治療は魂の進化の程度と関係があると言われましたが・・・
「神を信じない人でも霊格の高い人があり、信心深い人でも霊格の低い人がいます。霊格の高さは信仰心の高さで計れるものではありません。行為によって測るべきです。良いですか。あなた方は治るべき条件の整った人を治しているだけです。ですが、喜んでください。あなた方を通じて知識と理解と光明へ導かれる人は大勢います。
みながみな治せなくても、そこには厳とした法則があってのことですから、気になさらぬことです。と言って、それで満足して努力することを止めてしまわれては困ります。何時も言っているように、神の意思は愛の中だけでなく憎しみの中にも表現されています。晴天の日だけが神の日ではありません。
嵐の日も神の法則が働いております。成功にも失敗にもそれなりの価値があります。失敗しなければ成功もありません」
信仰心が厚く、治療家を信頼し、正しい知識を持った人でも以外に思えるほど治療に何の反応も示さない人がいますが、なぜでしょう。やはり魂の問題でしょうか。
「そうです。必ず同じ問題に帰着します。信仰心や信頼や愛の問題ではありません。魂の問題であり、その魂が進化の過程で到達した段階の問題です。その段階で受けるべきものを受け、受けるべきでないものは受けません」
エドワーズ「治療による肉体上の変化は私達にも分るのですが、霊的な変化は目で確かめることが出来ません」
「霊視能力者を何人集めても、全員が同じ治療操作を見ることは無いでしょう。それほど(患者一人一人に違った)複雑な操作が行われているのです。かりそめにも簡単にやっているかに思ってはなりません。物質と霊との相互関係は奥が深く、かつ複雑です。
肉体には肉体の法則があり、霊体には霊体の法則があります。両者ともそれぞれにとても複雑なのですから、その両者をうまく操る操作は、それはそれは複雑になります。無論全体に秩序と調和が行きわたっておりますが、法則の裏に法則があり、そのまた裏には法則があり、それらが複雑に絡み合っております」
バートン夫人「肉体上の苦痛は魂に影響を及ぼさないとおっしゃったように記憶しますけど・・・」
「そんなこと言った覚えはありません。肉体が受けた影響は必ず魂にも及びますし、反対に魂の状態は必ず肉体に表れます。両者を切り離して考えてはいけません。一体不離です。つまり肉体も自我の一部と考えてよいのです。肉体なしに自我の表現は出来ないのですから。本来は霊的存在です。肉体に生じたことは霊にも及びます」
バートン夫人「では肉体上の苦痛が大きくて見るに見かねる時、もし他に救う手が無いと見たら、魂への影響を防ぐために故意に死に至らしめると言うこともなさるのでしょうか」
「それは患者によります。実際は人間の気まぐれから自然法則の秩序を踏まずに無理やりに肉体から分離させられていることが多いのですが、それさえなければ、霊は摂理に従って死ぬべき時が来たら自然に離れるものです」
バートン夫人「でも明らかに霊界の意思が故意に死なせたと思われる例がありますけど」
「あります。しかしそれはバランス(埋め合わせの)法則に則って周到な配慮の上で行っていることです。それでも尚魂にショックを与えます。そう大きくはありませんが」
バートン夫人「肉体を離れるのが早すぎた為に生じるショックですか」
「そうです。物事には必ず償いと報いとがあります。不自然な死を遂げると必ずその不自然さに対する報いがあり、同時にそれを償う必要性が生じます。それがどう言うものになるかは個人によって異なります。あなた方治療家の役目は患者の魂に、それだけの資格が出来ている場合に、苦痛を和らげてあげることです。その間に調整が為され、言わば衝撃が緩和されて、魂が然るべき状態に導かれます」
エドワーズ「絶対に生きながらえる望みなしと判断した時、少しでも早く死に至らしめる為の手段を講じることは許されることでしょうか。許されないことでしょうか」
「私はあくまで〝人間は死すべき時が来て死ぬべきもの〟と考えています」
エドワーズ「肉体の持久力を弱めれば死期を早めることになります。痛みと苦しみに見かね、治る可能性もない時、死期を早めてあげることは正しいでしょうか」
「あなた方の辛い立場はよく判ります。又私としても好んで冷たい態度を取るわけではありませんが、法則はあくまでも法則です。肉体の死はあくまで魂にその準備が出来た時に来るべきです。それはちょうど柿が熟した時に落ちるのと同じです。熟さない時にもぎ取ってはいけません。私はあくまでも自然法則の範囲内で講ずべき手段と指摘しております。例えば薬や毒物ですっかり身体を壊し、
全身が病的状態になっていることがありますが、身体はもともとそんな状態になるようには意図されておりません。そんな状態になってはいけないのです。身体の健康の法則が無視されているわけです。そう言う観点から考えていけば、どうすればよいのかはおのずと決まって来ると思います。何ごとも自然の摂理の範囲内で処理すべきです。本人も医者も、あるいは他の誰によってもその摂理に干渉すべきではありません。
勿論良いにせよ悪いにせよ、何らかの手を打てばそれなりの結果を生じます。ですが、それが本当に良いことか悪いことかは霊的法則にどの程度まで適っているかによって決まることです。つまり肉体にとって良いか悪いかではなくて、魂にとって良いか悪いかという観点に立って判断すべきです。魂にとって最善であれば肉体にとっても最善であるに違いありません」
同じくエドワーズ氏とバートン夫妻が出席した別の日の交霊会で、シルバーバーチはこう強調した。
「霊力の真の目的は(病気が縁となって)あなた方のもとを訪れる人の魂を目覚めさせることです。自分が本来霊的存在であり、物的自分ではないことに気付かない限り、その人は実在に対して全く関心を向けないまま地上生活を送っていることになります。言わば影の中で幻を追いかけながら生きていることになります。
実在に直面するのは真の自我即ち霊的本性に目覚めた時です。地上生活の目的は、帰するところ自我を見出すことです。なぜなら、一旦自我を見出せば、それからと言うものは(分別のある人であれば)内部に宿る神性を進んで開発しようとするからです。残念ながら地上の人間の大半は真の自分と言うものを知らず、従って不幸や悲劇に遭うまで自分の霊的本性に気付かないのが実情です。
光明の存在に気付くのは人生の闇のなかでしかないのです。あなた方がお会いになるのは大半が心身に異常のある方たちです。治療を通じてもしその人達に自分が霊的存在であるとの自覚を植え付けることが出来たら、もしその人達に霊的本性を目覚めさせることが出来たら、魂の内部に神の火花を点火させることが出来たら、やがてそれが炎となってその明りが生活全体に輝きをもたらします。
もとより、それは容易なことではありません。でも、たとえ外れた関節を元どうりにするだけのことであっても、あるいは何となく不調を訴えた人がすっきりした、と言うだけのことであっても、そうした治療を通じてその人に自分が肉体を具えた霊的存在であり霊を具えた肉体的存在でないことを理解させることに成功すれば、あなた方はこの世で最大の仕事をしていることになるのです。私どもが肉体そのものよりもその奥の霊に、より大きな関心を向けていることを理解していただかねばなりません。
霊が正常であれば肉体は健康です。霊が異常であれば、つまり精神と肉体との関係は一直線で結ばれていなければ、肉体も正常ではありえません。この点を良く理解して頂きたいのです。なぜなら、あなた方がご苦労なさっているお仕事において、あなた方自身にも測り知ることのできない側面だからです。
完治した人、痛みが和らいだ人、あるいは回復の手応えを感じた人があなた方へ向ける感射の気持ちも礼も、魂そのものが目覚め、内部の巨大なエネルギー源が始動し始めた事実に較べれば、物の数ではありません。あなた方は容易ならざるお仕事に携っておられます。犠牲と献身とを要求される仕事です。困難の最中に置いて為される仕事であり、その道は容易ではありません。
しかし先駆者の辿る道は常に容易ではありません。奉仕的な仕事には障害はつきものです。かりそめにも楽な仕事、障害のない道を期待してはなりません。障害は一つ一つ、困難の一つ一つがそれを乗り越えることによって霊の純金を磨きあげる為の試練であると心得て下さい」
エドワーズ「魂の治療の点では私達治療家の役割よりも霊界の治療家の役割の方が大きいのですか」
「当然そうなりましょう」
エドワーズ「そうすると私達が果たす役割は小さいと言うことでしょうか」
「小さいとも言えますし大きいとも言えます。問題は波長の調整に在ります。大きく分けて治療には二通りの方法があります。一つは治療エネルギーの波長を下げて、それを潜在エネルギーの形で治療家自身に送ります。それを再度治療エネルギーに還元してあなた方が使用します。
もう一つは特殊な霊波を直接患者の意識の中枢に送り、魂に先天的に具わっている治癒力を刺激して、魂の不調和すなわち病気を払いのける方法です。こう述べてもお分かりにならないでしょう」
エドワーズ「いえ、理屈はよく分ります。ただ現実に適応するとなると…」
「では説明を変えて見ましょう。まず、そもそも生命とは何かという問題ですが、これは地上の人間にはまず理解できないと思います。何故かと言うと、生命とは本質において物質とは異なるものであり、
いわゆる理化学的研究の対象とはなり得ないものだからです。で、私はよく生命とは宇宙の大霊のことであり、神とはすなわち大生命のことだと言うのですが、その意味は、人間が意識を持ち、呼吸し、歩き、考える力、その樹木が若葉をまとい、鳥がさえずり、花が咲き、岸辺に波が打ち寄せる、そうした大自然の脈々たる働きの背後に潜む力こそ、宇宙の大霊すなわち神だと言うのです。同じ霊力の一部であり一つの表現なのです。
あなた方が今そこに生きておられる事実そのものが、あなた方も霊であることを意味します。ですから同じである患者の霊的進化の程度に応じた様々な段階で、その霊力を注入すると言うのが心霊治療の本質です。ご承知の通り病気には魂に起因するものと純粋に肉体的なものとがあります。肉体的なものは治療家が直接触れる必要がありますが、霊的な場合は今述べた生命力を活用します。が、この方法にも限界があります。
あなた(エドワーズ)の進化の程度、協力者のお二人(バートン夫妻)の進化の程度、それに治療を受ける患者自身の進化の程度が絡み合って自然に出来上がる限界です。また、いわゆる因縁(カルマ)と言うものも考慮しなくてはなりません。因果律です。これは時と場所にお構いなく働きます」
エドワーズ「魂の病にもいろいろあってそれなりの影響を及ぼしていると思いますが、そうなると病気の一つ一つについて異なる治療エネルギーが要るのではないかと想像されますが…」
「全くその通りです。人間は三位一体の存在です。一つは今述べたスピリットで、これが第一原因です。存在の基盤であり、趣旨であり、全てがそこから出ます。次にその霊が精神(マインド)を通じて自我を表現します。これが意識的生活の中心となって肉体(ボデイ)を支配します。この三者が融合し互いに影響しあい、どれ一つ欠けてもあなたの存在は無くなります」
エドワーズ「一方通行ではないわけですね」
「そうです。霊的ならびに精神的発達の程度に従って肉体におのずから限界が生じますが、それを意識的鍛錬によって信じられないほど自由に肉体機能を操ることが出来るものです。インドの行者などは西洋の文明人には想像も出来ないようなことをやってのけますが、精神が肉体を完全に支配し思いどおりに操るように鍛錬したまでのことです」
エドワーズ「心霊治療が魂を目覚めさせるためのものであり、霊が第一原理であれば、霊界側からの方がよほどやり易いのではないでしょうか」
「そうとも言えますが、逆の場合が多いようです。と言うのは、死んでこちらへ来た人間でさえ霊的波長よりは物的波長の中で暮らしている(自縛の)霊が多いと言う事実からお分かりの通り、肉体をまとった人間はよほど発達した人でない限り、大抵は物的な波長にしか反応を示さず、私達が送る波長には全く感応をしないものです。そこであなた方地上の治療家の存在が必要となってくるわけです。
霊的波長にも物的波長にも感応する連結器と言うわけです。治療家に限らず霊能者と言われている人が常に心の修養を怠ってはならない理由はそこに在ります。霊的に向上すればそれだけ仕事の範囲が広がって、より多くの価値ある仕事が出来ます。その様な法則が出来あがっているのです。ですが、
そう言う献身的な奉仕の道を歩む人は必然的に孤独な旅を強いられます。ただ一人、前人未踏の地を歩みながら、後の者の為に道標を立てていくことになります。あなたはこの意味がお分かりでしょう。すぐれた特別の才能にはそれ相当の義務が生じます。両手に花とは参りません」
エドワーズ「先ほど治癒エネルギーの事を説明された時、霊的なものが物的なものに転換されると言われましたが、その転換は何処で行われるのでしょうか。どこかで行われる筈ですが…」
「使用するエネルギーによって異なります。信じられない方がいらっしゃるかも知れませんが、古の賢人が指摘している〝第三の目〟とか太陽神経叢などを使用することもあります。そこが霊と精神と肉体の三者が合一する場なのです。これ以外にも患者の潜在意識を利用して健康な時と同じ生理反応を起こさせることによって失われた機能を回復させる方法があります」
エドワーズ「説明されたところまでは判るのですが、その〝中間地帯〟が何処に在るかよく分りません。どこで物的状態と霊的治癒エネルギーとが繋がるのか、もっと具体的に示して頂きたいのです。どこかで何らかの転換が行われているに違いないのですが・・・」
「そんなふうに聞かれると、どうも困ってしまいます。弱りました。分って頂けそうな説明がどうしても出来ないのです。強いて譬えるならば、さっきも言ったコンデンサーみたいなことをするのです。コンデンサーと言うのは電流の周波を変える装置ですが、大体あんなものが用意されていると想像してください。エクトプラズムを使用することもあります。ただし実験会での物質化現象や直接談話などに使用するものとは形態が異なります。もっと微妙な目に見えない・・・」
エドワーズ「一種の〝中間物質〟ですか」
「そうです。霊の念波を感じ易く、しかも物質界でも使用できる程度の物質性を具えたもの、とでも言っておきましょうか。それと治療家の持つエネルギーが結合してコンデンサーの役をするのです。そこから患者の松果体ないし太陽神経叢を通って体内に流れ込みます。その活エネルギーは全身に行きわたります。電気的な温みを感じるのはその時です。
知っておいて頂きたいことは、とにかく私達のやる治療法には決まった型と言うものが無いと言うことです。患者によってみな治療法が異なります。又霊界から次々と新しい医学者が協力に参ります。
そして新しい患者は新しい実験台に臨み、どの放射線を使用したらどう言う反応が得られたかを細かく検討します。なかなか渉(ハカド)らなかった患者が急に快方に向かい始めることがあるのは、そうした霊医の研究結果の現れです。
又治療家のところへ行く途中で治ってしまったりすることがあるのも同じ理由によります。実質的な治療と言うのは、あなた方が直接患者と接触する以前にすでに霊界側に置いて大部分が済んでいると思って差し支えありません」
エドワーズ「そうするともう一つの疑問が生じます。今霊界にも大勢の霊医がいると申されましたが、一方で遠隔治療を受けながら別の治療家の処へ行くと言う態度は、治療に携る霊医にとって困ったことではないでしょうか」
「結果を見て下さい。治ればそれで宜しい」
エドワーズ「なぜそれでいいのか、理屈が分らないと吾々人間は納得できないのですが」
「場合によってはそんなことをされると困ることもありますが、全く支障にならないこともあります。患者によってそれぞれ事情が違うわけですから、一概にいい切る訳には参りません。あなただって患者を一目見て、これは自分に治せる、とは判断出来ますまい。
治せるか否かは患者と治療家の霊格によって決まることですから、あなたには八分通りしか治せない患者も、他の治療家のところへ行けば全治するかもしれません。
条件が異なるからです。その背後つまり霊界側の複雑な事情を知れば知るほど、こうだ、ああだと、断定的な言葉は使えなくなる筈です。神の法則には無限の奥行きがあります。あなた方人間としては正当な動機と奉仕の精神にもとづいて、精一杯、人事を尽くせばよいのです。こうすれば治る、これでは治らないとかを予断出来る者はいません」
エドワーズ「細かい点は別として、私達が知りたいのは、霊界の医師は必要とあらばどこのどの治療家にも援助の手を差しのべてくれるかと言うことです」
「霊格が高いことを示す一番の証明は人を選り好みしないと言うことです。私達は必要とあらばどこへでも出かけます。これが高級心霊界の鉄則なのです。あなた方も患者を断るようなことは決してなさってはいけません。
あなた方はすでに精神的にも本質においても永遠の価値を持った成果をあげておられます。人間的な目で判断してはいけません。あなた方には物事の裏側を見る目が無いのです。従って自分のしたことがどんな影響を及ぼしているかもお分かりになりません。
しかし実際にはご自分で考えておられるより遥かに多くの貢献をしておられます。あなた方の貢献は地上で為し得る最上の最大のものの一つであることに自信を持って下さい。
一所懸命治療をしても何の反応も生じなくても、それはあなたの責任ではありませんし、あなたの協力者(バートン夫妻…例えばエドワーズ氏が患者の頭部に手を当ててバートン夫妻が左右の手を握って祈念すると言う形での協同治療の事で、エドワーズ氏に代わって夫妻が治療すると言う意味ではない)の責任でもありません。
全ては自然の摂理の問題です。ご承知のように奇跡と言うものは存在しません。全ては無限なる愛と無限なる叡知によって支配されているのです。あなたと協力者のお二人に申し上げます。常に霊の光に照準を当てるように心掛けて下さい。この世的な問題に煩わされてはなりません。(エドワーズ氏は治療費を取らずに自発的な献金で賄っていたために慢性的な資金不足の問題を抱え、借入金の返済も滞りがちで、運営の危機に直面したことが何度かある)
これまで幾つもの困難に遭遇し、これからも行く手に数々の困難が立ちはだかることでしょうが、奉仕の精神に徹している限り克服できない障害はありません。全てが克服され、奉仕の道はますます広がって行くことでしょう。あなた方のお仕事は人々の苦痛の除去、軽減、解放をもたらすだけではありません。あなた方の尊い献身ぶりを見てそれらを見習おうとする心を人々に植え付けています。
そしてそれがあなた方をさらに向上への道へと鼓舞することになります。私達はまだまだ霊的進化の頂上を極めたわけではありません。まだまだ先は遥かです。なぜなら霊の力は神と同じく無限の可能性を秘めているのです」
サークルの一人「患者はあくまで一人の治療家のお世話になるのが好ましいのでしょうか」
「一般論としてはお答えしにくい問題です。何故かと言いますと、大切なのはその患者の霊的状態と治療家の霊的状態との関連だからです。心霊治療にもいろいろと種類があることを忘れてはなりません。霊力を全く使用しないで治している人もいます。自分の身体の持つ豊富な生体エネルギーを注入することで治すのです。
霊の世界は全く関わっておりません。それは決していけないことではありません。それも治療法の一つと言うに過ぎません。ですから、患者の取るべき態度について戒律を設ける訳には参りません。ただし、一つだけ好ましくない態度を申せば、次から次へと治療家を代えていくことです。それでは治療家にちゃんとした治療を施すチャンスを与えていないことになるからです。
私達霊界の者は何とか力になってあげたいと臨んでいても、そう言う態度で訪れる人の周りには一種のうろたえ、感情的なうろたえの雰囲気が漂い、それが霊力の働きを妨げます。ご承知のように霊力が一番働き易いのは受身的な穏やかな雰囲気の時です。その中ではじめて魂が本来の自分になり切れるからです」
エドワーズ「一人の治療家から直接治療を受けながら別の治療家の遠隔治療を受けると言うのはどうでしょうか」
「別に問題はありません。現にあなたはそれを証明しておられます。他の治療家に治療してもらっている人をあなたが治されたケースが幾つもあります」
バートン氏「私は祈りの念が霊界へ届けられる経路について考えさせられることが良くあります。祈り方にもいろいろあり、特に病気平癒の祈願が盛んに行われています。その一つとして患者へ向けて祈念時間が永いほど効果があると考えている人がいます。
一体祈りは霊界でどういう経路で届いているのか知りたいのですが」
「この問題も祈りの動機と祈る人の霊格によります。ご承知の通り宇宙は隅から隅まで法則によって支配されており、偶然と奇跡とかは絶対に起こりません。もしその祈りが利己心から発したものであれば、それはそのままその人の霊格を示すもので、そんな人の祈りで病気が治るものでないことは言うまでもありません。ですが、
自分を忘れ、ひたすら救ってあげたいと言う心情から出たものであれば、それはその人の霊格が高い事を意味し、それほどの人の祈りは高級霊界にも届きますし、自動的に治療効果を生む条件を作り出す力も備わっています。要するに祈る人の霊格によって決まることです」
バートン氏「祈りはその人そのものと言うことでしょうか」
「そう言うことです」
バートン氏「大主教による仰々しい祈りよりも素朴な人間の素朴な祈りの方が効果があると言うことでしょうか」
「地位には関係がありません。肝心なのは祈る人の霊格です。大主教が霊格の高い人であればその祈りには霊力が具わっていますが、どんな立派な僧衣をまとっていても、筋の通らない教義に凝り固まった人間でしたら何の効果もないでしょう。
もう一ついけないのは集団で行う紋切り型の祈りです。案外効果は少ないものです。要するに神は肩書や数ではごまかされないと言うことです。祈りの効果を決定づけるのは祈る人の霊格です。祈りとは本来、自分の波長を普段以上に高めるための霊的な行為です。波長を高め、人の為に役立ちたいと祈る行為はそれなりの効果を生み出します。あなたが抱える問題について神は先刻ご承知です。
神は宇宙の大霊であるが故に宇宙間の出来ごとの全てに通じておられます。神とは大自然の摂理の背後の叡知です。従ってその摂理をごまかすことは出来ません。神をごまかすことは出来ないのです。あなた自身さえごまかすことは出来ません」
バートン夫人「治療の話に戻りますが、患者が信仰心を持つことが不可欠の要素だと言う人がいますし、関係ないと言う人もいます。どうなのでしょうか」
「心霊治療に限らず霊的なことには奥には奥があって、一概にイエスともノーとも言い切れないことばかりなのです。信仰心があった場合治り易いことは確かにあります。霊的知識に基づいた信仰心は魂が自我を見出そうとする一種の憧憬ですから、魂に刺激を与えます。あくまで自然の摂理に関する知識に基づいた信仰でして、魂が治る段階まで達しておれば、必ず治ります」
バートン夫人「神も仏もないと言っている人が治り、立派な心がけの人が治らないことがあって不思議に思う事があります」
「その線引きは魂の霊格によって決まります。人間の観察はとかく表面的で内面的でないことを忘れてはなりません。魂そのものが見えない為に、その人がそれまでにどんなことをしてきたかが判断できません。
治療の結果を左右するのはあくまでも魂です。ご承知の通り私も何千年か前に地上で幾ばくかの人間生活を送ったことがあります。そして死後こちらでそれより遥かに永い霊的生活を送ってきましたが、その間、私が何にもまして強く感じていることは、大自然の正確無比なことです。知れば知る程その正確さ、その周到さに驚異と感嘆の念を強くするばかりなのです。
一分の狂いも不公平もありません。地上だけではありません。私達の世界でも同じです。差引勘定をしてみればちゃんと答えが合います。何事も憂えず、ただひたすら心に喜びを抱いて、奉仕の精神に徹して仕事をなさることです。そして後のことは神にお任せすることです。
それから先のことは人間の及ぶことではないのです。あなた方は所詮、私たちスピリットの道具に過ぎません。そして私たちも又、さらに高い神霊界のスピリットの道具に過ぎません。自分より偉大なる力が全てを佳きに計らってくれているのだと信じて、全てをお任せすることです」
最後に、別の日の交霊会で再び心霊治療の話題が取り上げられた時の注目すべき霊言を紹介しておこう。パキスタンから招待された人が〝見たところ何でもなそうな病気がどうしても治らないことがあるのはなぜでしょうか〟と尋ねられたことに対して、シルバーバーチはこう答えた。
「不治の病と言うものはありません。全ての病気にそれなりの治療法があり」ます。宇宙は単純にして複雑です。深い奥行きがあるのです。法則の奥に又法則があるのです。知識は新しい知識へ導き、その知識がさらに次の知識へと導きます。摂理には際限がありません。叡知は無限です。
こう申し上げるのは、いかなる質問にも簡単な答えは出せないと言うことを知って頂きたいからです。全ては魂の本質、その構造、その進化、その宿命に関ることだからです。地上の治療家から良くこう言う言い分を聞かされます〝この人が治ったのになぜあの人は治らないのですか。愛と、治してあげたいと言う気持ちがこれだけあるのに治らなくて、愛も感じない、見ず知らずの人が簡単に治ってしまうことがあるのは何故ですか〟と。
そうしたことは全て法則によって支配されているのです。それを決定づける法則は魂の進化と関係しており、魂の進化は現在の地上生活によって定まるだけでなく、しばしば前世での所業が関っている事があります。霊的な問題は地上的な尺度では測れません。人生の全てを物質的な尺度で片付けようとすると誤ります。しかし残念ながら、物質の中に閉じ込められているあなた方は、とかく霊の目を持って判断することが出来ず、そこで、一見したところ不正と不公平なことばかり目につくことになります。
神は完全なる公正です。神の叡知は完全です。なぜなら完全なる摂理として作用しているからです。あなた方の理解力が一定の尺度に限られている以上、宇宙の全組織を極めることは不可能です。どうか〝不治の病〟と言う観念はお持ちにならないでください。
そう言うものは存在しません。治らないのは往々にしてその人の魂がまだそうした治療による苦しみの緩和、軽減、安堵、ないしは完治を手にする資格を身につけていないからであり、そこに宿業(カルマ)の法則が働いていると言うことです。
こんなことを申し上げるのは、あきらめる観念を吹聴する為ではありません。たとえ目に見えなくとも、何事にも摂理と言うものが働いているいと言う原則を指摘しているのです」