第4章 ジョン少年との対話
第1節 人間の目と霊の目
11歳のジョン君にとってこれが最初の交霊会だった。幼い時に妹を失い、今度は父親を不慮の事故で失って母親と二人きりとなったが、母親がシルバーバーチを通じて聞いた二人からのメッセージを何時もジョン君に語っていたので、11歳の少年ながら、すでに死後の世界の存在を自然に信じるようになっていた。
まずシルバーバーチからお父さんと妹がここに来ていますよといい、二人ともジョン君と同じようにわくわくしていると言うと、
ジョン「僕は妹のことをよく知らないんです」
「でも妹の方はジョン君のことをよく知っておりますよ」
ジョン「僕がまだちっちゃかった時に見たきりだと思います」
「いいえ、そのちっちゃい時から今のように大きくなるまで、ずっと見て来ております。ジョン君にはみえなくても、妹の方からはジョン君が良く見えるんです。同じように二つの目をしていても、ジョン君とは全く違う目をしています。壁やドアを突き通してみることが出来るんですから」
ジョン「そうらしいですね。僕知っています」
「ジョン君のような目を持っていなくても、よく見えるんです。霊の目で見るのです。霊の目で見るとはるか遠い先まで見えます」
第2節 霊に年齢は無い
ジョン「今妹は幾つになったのですか」
「それはとても難しい質問ですね。なぜ難しいかを説明しましょう。私達霊の成長のしかたはジョン君達とは違うのです。誕生日と言うものが無いのです。年が一つ増えた、二歳になった、と言う言い方はしないのです。そう言う成長のし方をするのではなく、霊的に成長をするのです、言いかえれば完全(パーフィクト)へ向けて成長するのです」
ジョン「パーフィクトと言うのは何ですか」
「パーフィクトと言うのは魂の中のものが全て発揮されて、欠点も弱点もない、一点非の打ちどころのない状態です。それがパーフィクトです」
ジョン「言いかえればピースですか」
(Peaceには戦争に対する平和と言う一般的な意味以外に、日本語で旨く表現できない精神的な意味が幾つかある。ここでは悟り、正覚と言った意味であるが、少年がその様な難解な意味で使うのはおかしいし、さりとて平和の意味でもないので、言語のままにしておいた。多分何の悩みも心配もないことを言っているのであろう)
「そうです。パーフィクトになればピースが得られます。しかし実を言うと〝これがパーフィクトです〟と言えるものは存在しないのです。どこまで到達しても、それは永遠に続く過程の一つの段階に過ぎないのです。何時までも続くのです。終りと言うものが無いのです」
第3節 死は悲しいことではない
ジョン「でもパーフィクトに手が届いたらそれで終わりになる筈です」
「パーフィクトには手が届かないのです。何時までも続くのです。これはジョン君には想像も出来ないでしょうね。でも本当にそうなのです。霊的なことは始まりも終りもないのです。ずっと存在してきて、休みなく向上していくのです。
ジョン君の妹も大きくなっていますが、地上のように身体が大きくなったのではなくて、精神と霊が大きくなったのです。成熟したのです。内部にあったものが開発されたのです。発達なのです。でも身体のことではありません。幾つになったかは地上の年齢の数え方しか言えません。
そんなことよりジョン君に知って欲しいことは、もう分ってきたでしょうけれど、妹とお父さんはいつも側にいてくれていると言うことです。これはまだまだ知らない人が多い大切な秘密です。何時も一緒にいてくれているのです。
ジョン君を愛し力になってあげたいと思っているからです。こんなことを人に話しても信じてくれませんよね? みんな目に見えないものは存在しないと思っているからです。このことを理解しない為に地上では多くの悲しみが生じております。
理解すれば死を悲しまなくなります。死ぬことは悲劇ではないからです。後に残された家族には悲劇となることがありますが、死んだ本人にとっては少しも悲しいことではありません。新しい世界への誕生なのです。全く新しい生活の場へ向上していくことなのです。ジョン君もそのことをよく理解して下さいね。妹のことは小さい時に見たことがあるからよく知っているでしょう」
ジョン「今この目で見て見たいです」
「目を閉じれば見えることがあると思いますよ」
ジョン「この部屋にいる人が見えるようにですか」
「全く同じではありません。さっきも言った様に〝霊の目〟で見るのです。霊の世界のものは肉眼では見えません。同じように霊の世界の音は肉体の耳では聞こえません。今お父さんがとても嬉しいとおっしゃっていますよ。勿論お父さんはジョン君のことを何でも知っています。何時も面倒を見ていて、ジョン君が正しい道から反れないように導いているからです」
第4節 考えることにも色彩がある
ジョン「僕に代わって礼を言って下さいね」
「今の言葉はちゃんとお父さんに聞こえていますよ。ジョン君にはまだちょっと理解は無理かな? でもジョン君がしゃべること、考えていることも、みなお父さんには分るのです。フラッシュとなってお父さんの所へ届くのです」
ジョン「どんなフラッシュですか」
「ジョン君が何か考えるたびに小さな光が出るのです」
ジョン「どんな光ですか。地上の光と同じですか。僕たちの目には見えないのでしょうけど、マッチを擦った時に出るフラッシュの様なものですか」
「いえ、いえ、そんなものじゃなくて、小さな色のついた明りです。ローソクの明りに似ています。でもいろいろな色があるのです。考えの中味によってみな色が違うのです。地上の人間の思念はその様に色彩となって私達のところへ届くのです。
私達には人間が色彩の固まりとして映ります。いろいろな色彩をもった一つの固まりです。訓練の出来た人なら、その色彩の一つ一つの意味を読み取ることが出来ます。と言うことは隠しごとは出来ないと言うことです。その色彩が人間が考えていること、欲しがっているもの、そのほか何もかも教えてくれます」
第5節 スピリチュアリズムはなぜ大切か
ジョン「スピリチュアリズムについて知るとどういう得をするでしょうか」
「知識は全て大切です。何かを知れば、知らないでいる時よりその分だけ得をします。知らないでいることは暗闇の中を歩くことです。ジョン君はどっちの道を歩きたいですか」
ジョン「光の中です」
「でしたら少しでも多くを知らなくてはいけません。知識は大切な財産です。なぜならば、知識からは生きる為の知恵が生れるからです。判断力が生れるからです。知識が少ないと言うことは持ち物が少ないと言うことです。分りますね。
ジョン君は今地球と言う世界に住んでいます。自分では地球と言う世界が広いと思っていても、宇宙全体から見ればほんのひとかけら程の小さな世界です。その地球上に生れたと言うことは、その地球上の知識を出来るだけ多く知りなさいと言うことです。それは次の世界での生活に備えるためです。
さてスピリチュアリズムのことですが、人生の目的は何かを知ることはとても大切なことなのです。なぜなら、人生の目的を知らないと言うことは何のために生きているのかを知らずに生きていることになるからです。そうでしょう。
ジョン君のお母さんは前よりずっと幸せです。なぜなら、亡くなったお父さんや妹のことについて正しい知識を得たからです。そう思いませんか」
ジョン「そう思います。前よりも助けられることが多いです」
「ほらジョン君の質問に対する答えがそこにあるでしょう? さて次の質問は」
第6節 原子爆弾は善か悪か(本書の出版は1952年)
ジョン「地上の人間が発明するものについて霊の世界の人達はどう思っていますか。例えば原爆のこと何かについて」
「これは大きな質問をされましたね。地上の人達がどう考えているかは知りませんが、私が考えていることを正直に申しましょう。
地上の科学者たちは戦争の為に実験と研究にはっぱをかけられ、その結果として原子エネルギーと言う秘密を発見しました。そしてそれを爆弾に使用しました。
しかし本当はその秘密は人間が精神的、霊的にもっと成長してそれを正しく扱えるようになってから発見すべきだったのです。もう後100年から200年後に発見しておれば地上人類も進歩していて、その危険な秘密の扱い方に手落ちが無かったでしょう。
今の人類はまだうっかりの危険性があります。原子エネルギーは益にも害にもなるものを秘めているからです。ですから、今の質問に対する答えは、地上人類が精神的、霊的にどこまで成長するかに掛っています。分りますか」
ジョン「最後におっしゃったことが良く分りません」
「では説明の仕方を変えてみましょう。原子エネルギーの発見は時期が速すぎたと言うことです。人類全体としてまだ自分たちが発見したものについて正しく理解する用意が出来ていなかったために、それが破壊の目的の為に使用されてしまったのです。もしも十分な理解が出来ていたら、有効な目的の為に利用されたことでしょう。
そこで最初の質問に戻りますが、もしも地上の科学者の全てが正しい知識、霊的なことについての正しい知識を持っていれば、そうした問題について悩むことも無かったでしょう。出てくる答えは決まっているからです。霊的な理解力が出来ていれば、その発見の持つ価値を認識し、その応用は人類の福祉の為と言う答えしか出てこないからです」
ジョン「それが本当にどんなものであるかが分ったら、ただしい道に使う筈です」
「その通りです。自分の発明したものの取り扱いに悩むと言うことは、まだ霊的理解力が出来ていないと言うことです」
第7節 幽霊と霊との違い
ジョン「幽霊と霊とはどう違うのですか」
「これはとてもいい質問ですよ。幽霊も霊の一種です。が、霊が幽霊になってくれては困るのです。
地上の人達が幽霊と呼んでいるのは、地上生活がとても惨めだったために何時までも地上の雰囲気から抜け出られない霊が姿を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって強い憎しみや恨みを抱いたその念がずっと残っていて、それが何かの拍子にその霊の姿となって見える場合の、いずれかです。
幽霊騒ぎの原因は大抵最初に述べた霊、つまり地上世界から抜け出られない霊の仕業である場合が多いようです。死んで地上を去っているのに、地上で送った生活、自分の欲望しか考えなかった生活がその霊を地上に縛り付けるのです」
ジョン「もう質問はありません」
「以上の私の回答にジョン君は何点をつけてくれますか」
ジョン「僕自身その答えが分らなかったんですから・・・」
「私の答えが正しかったか間違っているかがジョン君には判らない・・・宜しい!わからなくっても少しもかまいません。
大切なのは次のことです。ジョン君は地上の身近な人達による愛情で包まれているだけではなく、私達霊の世界の者からの大きな愛情によっても包まれていると言うことです。目には見えなくてもちゃんと存在しています。何か困ったことがあったら、私かお父さんか妹か。誰でもいいですから心に念じて下さい。きっとその念が通じて援助に参ります」
別の日の交霊会で同じ原爆の問題が取りあげられ次のような質問が出された。
・・・国家が、そして人類全体が原爆の恐怖に対処するにはどうすればよいでしょうか
「問題のそもそもの根源は人間生活が霊的生活によって支配されずに、明日への不安と貪欲、妬みと利己主義と権勢欲によって支配されていることにあります。残念ながらお互い助け合い協調と平和の中に暮らしたいと言う願望は見られず、我が国を他国より優位に立たせ、他の階層の者を犠牲にしてでも我が階層を豊かにしようとする願望が支配しております。
全ての制度が相も変わらず唯物主義の哲学を土台としております。唯物主義と言う言葉は今日ではかなり影をひそめて来ているかもしれませんが、実質的には同じです。
誰が何と言おうとやはり金と地位と人種がものを言うのだと考えています。そしてそれを土台として全てのものを拵えようとします。永遠の実在が無視されております。人生の全てを目で見、耳で聞き、手で触れ、舌で味わえる範囲の、つまりたった五つの感覚で得られるほんの僅かな体験でもって判断しようとしています。
しかし生命は物質を超えたものであり、人間は土塊やチリだけで出来ているのではありません。化学、医学、原子、こうしたもので理解しようとしても無駄です。生命の謎は科学の実験室の中で解かれる性質のものではありません。魂をメスで切り裂いたり、科学的手段で分析したりすることはできません。
いかなる物的手段によって解明しようとしても、生命を捉えることは出来ません。なのに物質界の大半の人間は(生命を物質と思いこんで)霊的実在から完全に切り離された生活を営んでおります。最も大切な事実、全生命の存在を可能ならしめているところの根源を無視して掛ります。
地上の生命は〝霊〟であるが故に存在しているのです。あなたと言う存在は霊に依存しているのです。実在は物質の中にあるのではありません。その物的身体の中には発見できません。存在の種は身体器官の中を探しても見つかりません。あなた方は今の時点において立派に霊的存在なのです。
死んでこちらへ来てから霊的なものを身につけるのではありません。母体に宿った瞬間からすでに霊的存在であり、どうもがいて見ても、あなたを生かしめている霊的実在から離れることは出来ません。地上の全生命は霊のお陰で存在しているのです。霊なしには生命は存在しません。なぜなら生命とはすなわち霊であり、霊とはすなわち生命だからです。
死人が生き返っても尚信じようとはしない人は別として、その真理を人類に説き、聞く耳を持つ者に受け入れられるように、何らかの証拠を提供することが私どもの使命の大切な一環なのです。
人間が本来は霊的実在であると言う事実の認識が人間生活において支配的要素とならない限り、不安の種は尽きないでしょう。今日は原爆が不安の種ですが、明日はそれよりさらに恐ろしい途方もないものとなるでしょう(水爆、さらにはレーザー兵器のことを言っているのであろう)が、地上の永い歴史を見れば、力による圧政はいずれ挫折することは明らかです。
独裁的政治は幾度か生れ、猛威をふるい、そして消滅して行きました。独裁者が永遠に王座に君臨することは有り得ないのです。霊は絶対であり天与のものである以上、初めは抑圧されても、何時かはその生特権を主張するようになります。
魂の自由性fredom(*)を永遠に束縛することは出来ないのです。魂の自在性liderty(*)を永遠に拘束しつづけることも出来ません。自由性と自在性は共に魂が決して失ってはならない大切な条件です。人間はパンのみで生きているのではありません。物的存在以上のものなのです。
精神と魂とを持つ霊なのです。人間的知性ではその果てを計り知ることの出来ない巨大な宇宙の中での千変万化の生命現象の根源的要素である霊と全く同じ不可欠の一部なのです。
(freedomとlidertyは英語において共通性の多い単語で、日本語訳でもその違いが曖昧であるが、私はここではfreedomとは外部からの束縛が無いと言う意味での自由性、lidertyとは内部での囚われが無いとの意味で自在性と訳した)
以上の様な真理が正しく理解されれば、全ての恐怖と不安は消滅する筈です。来る日も来る日も煩悶と恐れを抱き明日はどうなるだろうかと不安に思いながら歩む事が無くなるでしょう。霊的な生得権を主張するようになります。なぜなら霊は自由の陽光の中で生きるべく意図されているからです。内部の霊的属性を存分に発揮すべきです。
永遠なる存在である霊が閉じ込められ制約され続けることは有り得ないのです。何時かは束縛を突き破り、暗闇の中で生きることを余儀なくさせている障害の全てを排除していきます。正しい知識が王座に君臨し無知が迷走してしまえば、もはや恐怖心にかられることも無くなるでしょう。
ですからご質問に対する答えは、とにもかくにも霊的知識を広めることです。全ての者が霊的知識を手にすれば、きっとその中から、その知識がもたらす責務を買って出る者が出てくることでしょう。不安の種が尽きない世界に平和を招来する為には霊的真理、視野の転換、霊的摂理の実践をおいて他に手段はありません」
第8節 真理普及は厳粛な仕事
「ストレスと難問の尽きない世界にあっては、正しい知識を手にした者は真理の使節としての自覚を持たねばなりません。残念ながら、豊かな知識を手にし、悲しみの中で大いなる慰めを得た人が、その本当の意義を取り損ねていることがあります。霊媒能力は神聖なるものです。
いい加減な気持ちで携ってはならない仕事なのです。ところが不幸にして大半と言ってよい霊媒が自分の能力を神聖なるものと自覚せず、苦しむ者、弱きもの、困窮せる者の為に営利を度外視してわが身を犠牲にすると言うところまで行きません。
また、真理の啓示を受けた者・・・永い間取り囲まれていた暗闇を突き破って目も眩まんばかりの真理の光に照らされて目覚めた筈の人間の中にさえ、往々にして我欲が先行し滅私の観念が忘れ去られて行くものです。まだまだ浄化が必要です。
まだまだ精進が足りません。まだまだ霊的再生が必要です。真理普及の仕事を託された者に私が申し上げたいのは、現在の我が身を振り返ってみて、果たして自分は頭初のあの純粋無垢の輝きを失いかけていないか、今一度、その時の真摯なビジョンに全てを捧げる決意を新たにする必要はないか。
時の流れと共に煤けてきた豊かな人生観の煤払いをする必要はないか。そう反省して見ることです。霊力の地上への一層の顕現の道具として己の全生活を捧げたいという熱意にもう一度燃えて頂きたいのです」