第9章 良心の声
More Wishdumdf Silver Bilrchを読んだ読者からサークルあてに長文の手紙がよせられた。その大要を紹介すると・・・

〝私の知っている人のなかには神を畏れ教会を第一主義とする信心深い人が大勢います。その人達は確かに親切心に富み喜んで人助けをする人達で、教会が善い事正しい事として教えるものを忠実に守っております。ところが何でも無い筈の霊的事実を耳にすると、それを悪魔の仕業であるとか邪悪なことを言って恐れます。その無知は情けなくなるほどです。

ところで、こうした人達及びこれに類する、言わば堅実に生きる善人は、私の考えでは、偏見のない良心と、何世代にもわたって教え込まれてきた幼稚な教説によって汚染された良心との区別がつかなくなって居るのだと思います。

たとえば日曜日に教会へ出席しなかっただけで悩んだりします。彼らにとっては礼拝に出席することが神の御心に適ったことであり、善であり、正しいことであり、従って欠席する事は間違ったことであり、罪み深い事であるかに思えるのです。

そうした思考形式が魂に深く植え付けられた場合、一体どうすれば正常に戻すことが出来るでしょうか。彼らが呵責を覚えているのは本当はシルバーバーチ霊がおっしゃる偏りのない良心ではありません。

一種の偏見によって本当の良心が上塗りをされております。そこでシルバーバーチ霊にお願いしたいのは、本当の良心は何か、それと見せかけの良心とを見分けるにはどうしたらよいかを教えて頂きたいのです〟云々・・・

この手紙の主旨を聞かされたシルバーバーチは次のように答えた。

「地上においても霊界においても、道徳的、精神的ないし、霊的問題に関連してある決断を迫られる事態に直面した時、正常な人間であれば〝良心〟が進むべき道について適確な指示を与える、と言うのが私の考えです。神によって植え付けられた霊性の一部である良心が瞬間的に全面に出て、進むべき道を指示します。

問題は、その指示が出た後、それとは別の側面がでしゃばり始めることです。偏見がそれであり、欲望がそれです。良心の命令を気に食わなく思う人間性があれこれと理屈を言い始め、何か他に良い解決方法がある筈だと言い始め、しばしばそれを正当化してしまいます。しかしいかに弁明し、如何に知らぬふりをしてみても、良心の声が既に最も正しい道を指示しております」

サークルの一人「この手紙にはスピリチュアリズムは間違いであると思いこんでいる実直で真面目な教会第一主義の信心家のことが述べられておりますが・・・」

「それはもはや良心の問題ではなく、精神的発達の問題です。問題が全く別です。それは間違った前提に立った推理に過ぎません。私の言う良心は内的な霊性に関る問題において指示を必要とする時に呼び出されるものです」

・・・でも良心は精神的発達と密接につながっていませんか。

「繋がっている場合と繋がっていない場合があります。私は言わば良心とは神が与えた霊的監視装置(モニター)で、各自が進むべき道を的確に指示するものであると主張します」

・・・一人の人間は正しいと言い、別の人間は間違いだと言う場合もあるでしょう。

「あります。が、そのいずれの場合においても、自動的に送られてくる良心による最初の指示が本人の魂にとって最も正しい判断であると申し上げているのです。問題はその判断を受けた後で、それに不満を覚え、他にもっと楽で都合のよい方法は無いものかと、屁理屈と正当化と弁解を始める事です。しかしモニターによって既に最初の正しい指示が出されているのです。この説はあまり一般受けしないかも知れませんが、私の知る限り、これが真実です」

・・・東洋の宗教は古くから人間の内部に宿る神を強調していますね。

「私なら神の内部に宿る人間を強調したいところです。私に言わせれば〝人間の中の大霊〟といっても〝大霊の中の人間〟と言っても全く同じ事です。神と人間とは永遠に繋がりがあります。神は絶対に切れる事のない愛の絆によって創造物と繋がっております。

進化の程度において最下等のものから最初の天使的存在に至るまでの全存在が神の愛と生命活動範囲の中に治まっています。程度が低すぎて神から見放される事もなければ、高すぎて神を超えてしまう事もありません」

・・・全てが大霊の一部だからですね。

「そうです。一部と言っても説明が困難ですが、人類の全てが神性の一部を有しております。これは大変な真理で、これさえ理解され生活の規範とされるようになれば、世界の全ての人間が霊的な威力を呼び覚まし、日々生じる問題について新しい視野で対処出来るようになるでしょう」

・・・神は全ての界層において平等に顕現しているのでしょうか。それとも地上の人間だけがそれを悟れないでいる、あるいは捉え損ねているのでしょうか。それとも人間が死後の界層を進化していくにつれて神の顕現の分量が増していくのでしょうか。

「それは要するに受容力の問題です。神は無限です。無限なるものに際限はありません。制限がありません。神の恵みは果てしなく広がっています。知りつくすと言う事は絶対に出来ません。人間とは何時までも進化し続ける存在です。進化するにつれて受容力がまします。受容力がますにつれて理解力が増し、かくしてその分だけ神を理解出来る事になります」

・・・ここに二人の人間がいて、一人は元気盛りでもう一人は死期を迎えて肉体との関係が希薄になっているとします。この場合、後者の方が霊的な影響を受け易いのでしょうか。

「必ずしもそうとは言い切れません。肉体から離れると言う事は必ずしも進化を決定づけるものではありません。私の世界にも地上の人間より進化の程度の低い霊がそれはそれは大勢います。確かに肉体はその本性そのものの為に人間の精神の表現をしておりますが、人類全体として言えば、地上のいずれにおいても霊性の発達の為の余地がふんだんに存在します」

・・・その発達の為に努力する事が霊の為になるのだと思います。そうでなかったら地上に存在する意味が無い事になるからです。肉体と言うハンディを背負いながら成長しようと刻苦することが魂にとって薬になるのだと思います。

「勿論ですとも、困難を克服しようと努力する時、次々と振りかかる障害に必死に抵抗していく時、不完全さを補い完全へむけて努力する時、その時こそ神性が発揮されるのです。それが進化の諸相なのです」

・・・地上と言う事は魂の修行場としていろんな面で有利であると言った趣旨の話をよく耳にします。地上的闘争をくぐり抜けねばならないと言うことそれ自体が、地上のよさでもあると言えると思うのです。

「おっしゃる通りです。当然そうあらねばなりません。もしそうでなかったら地上へ生れてくる事も無いでしょう。宇宙の生命の大機構の中にあって、この地上も其れなりの役割があります。地上は保育園です。訓練所です。いろいろな事を学ぶ学校です。身支度をする場です。

潜在している才能が最初に芽を出す場であり、それを人生の荒波の中で試してみるところです。そうした奮闘の中ではじめて真の個性が形成されるのです。闘争も無く、反抗も無く、困難も無く、難問も無いようでは、霊は成長しません。進化しません。奮闘努力が最高の資質、最良の資質、最大の資質、最も深層にある資質を掘り起こすのです」

・・・若くして他界した場合はどうなるでしょうか。

「そう来ると思っていました」

・・・これには二つのケースがあると思うのです。一つは、もしそれがその人の寿命であれば、それまでに霊的にはすでに他界する準備が出来ていた場合。もう一つは死後その埋め合わせのために物質界との接触を通じて進化を得る場合です。

「あなたは親切な方ですね。質問なさると同時に二つも答えを用意して下さいました。ご質問に対する答えは、古くからある恐怖の輪廻転生思想と、私の説く再生説即ち前回の地上生活での不足分を補う為の地上のどこかに誕生すると言う、この二つの説のうちのどちらかをお選びください。

あなたの気にいられた方をお取りになればよろしい。私の説はすでに良くご存じでしょう。しかし、ここで強調しておきたいのは次の点です。

よく分らない事が沢山あります。私達も所詮全ての知識は持ち合わせておりません。しかし同時に、矛盾を恐れずに申し上げれば、神は完全であるが故に摂理も完全です。(全ての知識は持ち合せないと言いながら神は完全あると断定するのは明らかに矛盾しているが、第十章の後半で、過去三千年の体験からそう信じるに足るだけの証を手にしているのだと述べている)

いかなる困難が生じても、そして、たとえそれに対して私達があなたに満足のいく解答をお授けする事が出来なくても、それは神の計画に欠陥があるというのではありません。〝愛〟が宇宙を支配しているのです。無限の範囲と適用性を持つ愛です。一旦その愛があなたを通して働くようになれば、あなたは一変し、あなたの生を与えた霊力と一体になります」(先に述べた矛盾を超越してなるほどと実感を持って得心できると言うこと=訳者)

・・・こうした問題は限られた人間的理解力を超えていると言うのは本当でしょうか。私達は宿命的に理解不可能なのでしょうか。

「無限の顕現を持つ宇宙を理解しようとする時、人間の肉体的構造が一つの限界となる事は、一般的に言って事実です(霊覚者は別ということ)。決して知識欲に水を差すつもりで申し上げているのではありません。が、

私達はあくまでも現実を見失ってはなりません。幾十億と言う人間が生活する地上に目を向けてみましょう。その大半がここにいらっしゃる方が当たり前と思っている霊的真理に全く無知なのです。その知識からあなた方が得ている喜びが彼らには保証されていないのです。

その生活は悲劇と哀しみに満ちております。しかも、いずこに救いを求めるべきかも知らずにおります。ならば、私たちこそ、これまでに得た知識を少しでもそうした人達に分けてあげることでお役にたつ事が出来るのではないでしょうか。そうする事が知識を獲得した者が担う責任、つまりそれをさらに他の人々にも分けてあげると言う責任を遂行することになるのではないでしょうか」

・・・それこそが、こうして私達がこの部屋に集まっているそもそもの目的だと思います

「そうです。それが目的でここに集まっているのです。それこそが私達の双肩に掛っている仕事です。あらんかぎりの力を尽くしてその遂行にあたらねばなりません。吾々にとって可能な限りの人数を達成するまでは気を抜いて安心してはなりません」

ここで話題が変わって、もう一人の招待客が「夜空に見える星はただの物体でしょうか。それとも生命が存在するのでしょうか」と尋ねた。

「どうやら少し深みに入ってきたようですね。地上世界の知識もまだまだ限界に達しておりませんが、私達の世界に至っては遥かに限界から程遠い状態です。宇宙には最高界の天使的存在から、意識がようやく明滅する程度の最低の魂に至るまでの、様々な意識的段階にある生命が無数に存在します。

意識的生命が地球だけに限られていると思ってはなりません。地球は数限りなく存在する天体の内の、たった一つに過ぎません。無限なる叡知を持つ大霊が、無限なる宇宙において無限なる意識的段階にある無数の生命に無限の生活の場を与えることが出来ない筈がありません。

有機的生命の存在する天体は無数にあります。ただし、その生命は必ずしもあなた方が見慣れている形態をとる訳ではありません。以上の説明が私としては精一杯です」

・・・それもやはり人間的存在でしょうか。

「今私は少し深みに入ってきたと申し上げました。ある種の形態、すなわち形と大きさと運動を持ち、環境に働きかけることのできる意識的存在ですが、例外があるにしても、そのほとんどがあなた方が親しんでおられる形態の組織体と同じではありません。どうやらこれ以上の説明は無理のようです」

・・・あなたはそうした存在を御覧になったり話を交わしたことがおありですか。

「私の方からその天体にまで赴いて話をしたことはありませんが、あなた方の死に相当する過程を経た後、霊的形態に宿って話を交わしたことはあります。ですが、忘れないで頂きたいのは、あなた方が地上の生命と全く類似性のない生命に言及されると、それをなぞらえるべき手段を見出すのが困難なのです」

(地球人類が他の天体上の意識的生命を云々する時、とかく人間的身体と同じ形態を具えたものを想像しがちであるが、各種の霊界通信から推察すると、むしろ地球人類の方が特殊な部類に属し、幾千億と知れぬ天体上には人間の想像を超える形態を具えた存在が躍如たる生命活動を営んでいるようである。

シルバーバーチが説明困難と言ったのは、なぞらえるべきものが見当たらないのも一つの理由であるが、うっかり説明し始めるとつい”深み”にはまりこんでしまって、にっちもさっちもいかなくなるという危惧がある様である。むろんそれ以上に、今の人類にそんなものは必要ないという配慮もあることであろう)