第10章 あらためて基本的真理を
シルバーバーチが霊媒を招待した時はいつも温かい歓迎の言葉で迎えるが、古くからの馴染の霊媒であればその態度は一層顕著となる。これから紹介する女性霊媒とご主人はハンネン・スワッハー・ホームサークルの結成当初からのメンバーで、最近は永らく自宅で独自の交霊会を催しておられ、今回は久しぶりの出席である。
夏休み後の最初の交霊会となったこの日もシルバーバーチによる神への祈願によって開始され、続いて全員にいつもと同じ挨拶の言葉を述べた。
「本日もまた皆さんの集まりに参加し、霊界からの私のメッセージをおとどけすることができることを嬉しく思います。
僅の間とはいえ、こうして私たちが好意を抱き且つ私たちに好意を寄せてくださる方々との交わりを持つことは、私たちにとって大きな喜びの源泉です。こうした機会に自然の法則に従ってお互いが通じ合い、お互いの道において必要なものを、喜びと感謝のうちに学びあいましょう。
もとより私は交霊会という地上界と霊界との磁気的接触の場をもつ希少価値はよく理解しており、私が主宰するこの会の連絡網の一本たりとも失いたくない気持ちですが、次の言葉が一般論としても私個人にとっても真実ですので、明確に述べておきます。
それは、私はしつこい教説によって説き伏せる立場にはないと考えていることです。面白みのない霊的内容の教えを長い説教調で述べることは私の望むところではありません。
そのやり方ではいかなる目的も成就されません。私が望むやり方、この交霊会で私がせめてものお役にたてることができるのは、ここに集われた全ての方に・・・例外的な人は一人もいません・・・ともすると俗世的な煩わしさの中で見失いがちな基本的真理を改めて思い起こさせてあげることです。物的生活に欠かせない必須性から問題を生じ、その解決に迫られたときに、言いかえれば日常生活の物的必需品を手に入れることに全エネルギーを注ぎ込まなければならないときに、本来の自分とは何か、自分はいったい何者なのか、なぜ地上に生活しているのかと言ったことを忘れずにいることは困難なことです。
・・・そこで私のような古い先輩・・・すでに地上生活を体験し、俗世的な有為転変に通じ、しかもあなた方一人ひとりの前途に例外なく待ち受けている別の次元の生活にも通じている者が、その物的身体が朽ち果てた後にも存在し続ける霊的本性へ関心を向けさせていただいているのです。それが基本だからです。
あなた方は霊的な目的の為にこの地上に置かれた霊的存在なのです。そのあなた方を悩まし片時も心から離れない悩みごと、大事に思えてならない困った事態も、やがて消えていく泡沫(ウタカタ)のようなものに過ぎません。
と言って、地上の人間として責務を疎かにしてよろしいといっているのではありません。その物的身体が要求するものを無視しなさいと言っているのではありません。正しいのは平衝感覚、正しい視点を持つこと、そして俗世的な悩みごとや心配事や煩わしさに呑み込まれてしまって自分が神の一部であること、ミニチュアの形ながら神の属性の全てを内蔵している事実を忘れないようにすることです。
そのことを忘れず、その考えを日常生活に生かすことさえできれば、あなた方を悩ませていることがそれなりの意義を持ち、物的、精神的、霊的に必要なものをそこから摂取していくコツを身につけ、一方に気を取られて他方を忘れると言うことは無くなる筈です。
こう言うと多分〝あなたにとってはそれは結構でしょう。所詮あなたは霊の世界の人間です。家賃を払う必要も無い、食料の買い出しに行く必要も無い、衣服を買いに行かなくてもよい、そう言うことに心を煩わせることが無いのですから〟とおっしゃる方がいるかもしれませんが。確かにおっしゃる通りです。
しかし同時に私は、もしもあなた方がそうしたことに気を取られて霊的なことを忘れ霊の世界への備えをするチャンスを無駄にして、身につけるべきものも身につけずに、こちらへ来られた時に果たしてどう言う思いをなさるか、それも分っているのです。こんな話はもうたくさんですか?」
「とんでもございません。いちいちおっしゃる通りです」とその女性霊媒が答えると、
「私の言っていることが間違いで無いことは私自身にも確信があります。地上の全ての人にそれを確信させてあげれば視野が広がり、あらゆる困難に打ち克つだけの力が自分の内部に存在することを悟って取り越し苦労をしなくなり、価値ある住民となることでしょうが、なかなかその辺が分って頂けないのです。
霊の宝は神の子一人一人の意識の内部に隠されているのです。しかしそうした貴重な宝の存在に気付く人が何と少ないことでしょう。あなたはどう思われますか」と言って、今度はご主人の方へ顔を向けた。
「まったく同感です。ただ、その事を何時も忘れないで居る事が出来ない自分を情けなく思っています」と御主人が答えると、
「それが容易でないことは私も認めます。しかし、もしも人生に理想とすべきもの、気持ちを駆り立てるもの、魂を鼓舞するものが無かったら、もしも目指すべき頂上が無かったら、もしも自分の最善のものを注ぎ込みたくなるものが前途に無かったら、人生はまったく意味が無くなります。もしもそうしたものが無いとしたら、人間は土中の中でたくる虫けらと大差ないことになります」
「本当に良い訓えを頂きました」
「そう思って頂けますか。私には、してあげたくてもしてあげられないことが沢山あるのです。皆さんの日常生活での出来事にいちいち干渉できないのです。原因と結果の法則の働きをコントロールすることは出来ないのです。またあなた方地上の人間は大切だと考え、私は下らぬこととみなしている事柄が心に重くのしかかっていることがありますが、その窮状を聞かされても私はそれに同情する訳にはいかないのです。
私にできることは永遠不変の原理をお教えすることだけです。物質の世界がすみずみまで理解され開拓され説明し尽くされても、宇宙にはいかなる人間にも完全に知り尽くすことのできない神の自然法則が存在します。それは構想においても適応性においても無限です。
もしも日常生活に置いて決断を迫られた際に、あなた方の全てが自分が霊的存在であること、大切なのは物的な出来事ではなく・・・それはそれなりの存在価値があるにしても・・・その裏側に秘められた霊的な意味、あなたの本性、永遠の本性にとっていかなる意味があるかと言うことです。
物的存在は何時かは朽ち果て、地球を構成するチリの中に吸収されてしまいます。と言うことは物的野心、欲望、富の蓄積は何の意味も無いと言うことです。一方あなたと言う存在は死後も霊的存在として存続します。あなたにとっての本当の富はその本性の中に蓄積されたものであり、あなたの価値はそれ以上のものでもなく、それ以下のものでもありません。
そのことこそ地上生活に置いて学ぶべき教訓であり、その事を学んだ人は真の自分を見出したと言う意味において賢明なる人間であり、自分を見出したと言うことは神を見出したと言うことになりましょう。
地上生活を見ておりますと、あれやこれやと大事なことがあって休む間もなくあくせくと走り周り、血迷い、やけになりながら、その一番大切なことを忘れ、怠っている人が大勢います。私達の説く教訓の中でもそのことが一番大切ではないでしょうか。
それが、いったん霊の世界へ行った者が再び地上へ戻って来る、その背後に秘められた意味ではないでしょうか。それを悟ると言うことによって生きる喜び・・・神の子として当然味わうべき生甲斐を見出してもらいたいと言う願いがあるのです。
それはいわゆる宗教あるいは教会、教義、信条の類、これまで人類を分裂させ戦争と混沌と騒乱を生んできたものより大切です。少しも難しいことではありません。自分と言う存在の本性についての単純きわまる真理なのです。なのに、それを正しく捉えている人はほんの僅かな人だけで、大方の人間はそれを知らずにおります」
再び霊媒である奥さんが、自分の支配霊も心霊治療を行うことがあると述べ、遠隔治療によって本人の知らないうちに治してあげていることもある事実を取り上げて、こう尋ねた。
「そう言う場合はなぜ治ったかを本人に知らせてあげるべきだと思うのです。つまりそれを契機として、自分が神の子であることを知るべきだと考えるのですが、私の考えは正しいでしょうか、それとも多くを望みすぎでしょうか」
「理屈の上では正しいことです。が、とりあえずあなたの治療行為が成功したことに満足し、そのことを感謝し、同時にその結果としてその人の魂を目覚めさせてあげるところまで行かなかったことを残念に思うに止めておきましょう。
大切なのは、まず病気を治してあげることです。その上に魂まで目覚めさせてあげることはなお一層大切なことです。が、一方は成就できても他方は成就出来ない条件のもとでは、その一方だけは成就して、後は〝時〟が解決してくれることを待ちましょう。魂にその準備が出来るまでは、それ以上のものは望めないからです。
肉体は治った。続いて魂の方を、と言うべきことになるべきところですが、そこから進化と言う要素が絡んできます。魂がそれを受け入れる段階まで進化していなければ無駄です。しかしたとえ全面的に受け入れてもらえなくても、何の努力もせずにいるよりは何とか努力して見る方が大切です。それは私達すべてが取るべき態度です。ともかくも手を差しのべてあげるのです。受け入れてくれるかどうかは別問題として、ともかく手をさしのべてあげることです。努力の全てが報われることを期待してはなりません。
病気が治り魂も目覚める、つまり治療の本来の意義が理解してもらえるのが最も望ましいことです。次に、たとえ魂にまで手が届かなくても、病気だけでも治してあげると言う段階もあります。さらにもう一つの段階は、たとえ治らなくても治療行為だけは施してあげると言う場合です。
要請された以上はそう努力しなければなりません。が、たとえ要請されなくても施すべき場合があります。受けるよりは施す方が幸いです。施した時点を持ってあなたの責任は終わります。そして、その時点からそれを受けた人の責任は始まります。
「人間は自分の前世を思い出してそれと断定できるものでしょうか」
「もしその人が潜在意識の奥深くまで探りを入れることが出来れば、それは可能です。ですが果たして地上の人間でその深層まで到達できる人がいるかどうか、極めて疑問です。その次元の意識は通常意識の次元からははるかにかけ離れていますから、そこまで探りを入れるには大変な努力が必要です」
「そうした記憶は現世を生きている間は脇へ置いておかれるとおっしゃたことがあるように思いますが」
「それなりの手段を講ずることが出来るようになれば、自分の個性の全てを知ることが出来ます。しかし、あなたの現在の進化の段階においては、果たして今この地上に置いてそれが可能となるかとなると、極めて疑問に思います。つまり理屈では出来ると言えても、あなたが今まで到達された進化の段階おいては、それは不可能だと思います」
「神は特別な場合に備えて特殊な力を授けると言うことをなさるのでしょうか」と、かつてのメソジスト派の牧師が尋ねた。
「時にはそう言うこともなさいます。その人物の力量次第です。最も、神が直接干渉なさるものではありません」
「神学には〝先行恩寵〟と言う教義があります」
(苦を和らげるために前もって神が人の心に働きかけて悔悟に導くと言う行為の事=訳者)
「ありますね。神は毛を刈り取られた羊への風を和らげてあげると言う信仰です(*)時にはそう言うこともあることは事実ですが、神と言えども本人の受け入れ能力以上のものを授けることは出来ません。それは各個の魂の進化の問題です。私がそうした法則を拵えたわけではありません。法則がそうなっていると言うことを私が知ったと言うことです。
皆さんも何時かは死ななくてはなりません。霊の世界へ生れる為に死ななければなりません。地上の人間にとってそれが悲しみの原因になる人がいますが、霊の世界の大勢の者にとってはそれは祝うべき慶事なのです。要は視点の違いです。私達は永遠の霊的視点から眺め、あなた方は束の間の観点から眺めておられます」
(英国の小説家ロレンス・スターンの小説の中の一部で、弱きものへの神の情けを表現する時によく引用される=訳者)
ここでサークルの二人のメンバーが身内や知人の死に遭遇すると無情感を禁じ得ないことを口にすると、シルバーバーチはこう述べた。
「霊に秘められた才覚のすべてが開発されれば、そう言う無常観は覚えなくなります。が、これは民族並びに進化に関る問題です。私にはその全ての原理を明らかにすることはできません。私とて、全てを知っているわけではないからです。あなた方より少し多くのことを知っているだけです。
そしてその少しばかりをお教えすることで満足しております。知識の総計と較べれば微々たるものですが、私は神の摂理が地上とは別個の世界に置いてどう適用されているかをこの目で見て来ております。
数多くの、そして様々な環境条件のもとでの神の摂理の働きを見ております。そして私がこれまで生きてきた三千年の間に知り得た限りにおいて言えば、神の摂理は知れば知るほどその完璧さに驚かされ、その摂理が完全なる愛から生まれ、完全なる愛によって管理され維持されていることを、ますます思い知らされるばかりなのです。
私も摂理のすみずみまで見届けることはできません。まだまだすべてを理解できるまでに進化していないからです。理解出来るのはほんの僅かです。しかし私に明かされたその僅かな一部だけでも、神の摂理が完全なる愛によって計画され運営されていることを得心するには充分です。
私は自分にこう言い聞かせているのです・・・今の自分に理解できない部分をきっと同じ完全なる愛によって管理されているに相違ない。もしそうでなかったら宇宙の存在は無意味となり不合理な存在となってしまう。
もしこれまで自分が見てきたものが完全なる愛の証であるならば、まだ見ていないもの、あるいはまだ理解できずにいるものも又、完全なる愛の証であるに違いない、と。
ですから、もしも私の推理に何らかの間違いを見出されたならば、どうぞ遠慮なく指摘していただいて結構です。私は喜んでそれに耳を傾けるつもりです。私だっていつどこで間違いを犯しているか分らないと言う反省が常にあるのです。無限なる宇宙のほんの僅かな側面しか見ていないこの私に絶対的な断言がどうしてできましょう。
ましてや地上の言語を超越した側面の説明は皆目出来ません。こればかりは克服しようにも克服できない、宿命的な障壁です。そこで、私は、基本的な真理から出発してまずそれを土台とし、それでは手の届かないことに関しては、それまでに手にした確実な知識に基づいた信仰をお持ちなさい、と申し上げるのです。
基本的真理にしがみつくのです。迷いの念の侵入を許してはなりません。これだけは間違いないと確信するものにしがみつき、謎だらけに思えてきたとき、ムキにならずに神の安らぎと力とが宿る魂の奥の間に引きこもることです。そこに漂う静寂と沈黙の中にその時のあなたにとって必要なものを見出されることでしょう。
常に上を見上げるのです。うつむいてはなりません。うなだれる必要はどこにもありません。あなたの歩む道に生じることの一つ一つがあなたと言う存在を構成していく縦糸であり横糸なのです。これまでにあなたの本性の中に織り込まれたものはすべて神の用意された図案(パターン)に従って織られていることを確信なさることです。
さて本日もここから去るに当って私から皆さんへの愛を置いてまいります。私は何時も私からの愛を顕現しようと努力しております。お役に立つことならばどんなことでも厭わないことはお分かり頂いていると思います。しかし、楽しく笑い冗談を言い合っている時でも、ここにこうして集い合った背後の目的を夢ゆめ忘れないように致しましょう。神は何を目的として吾々を創造なさったのかを忘れないように致しましょう。
その神との厳粛なつながりを汚すようなことだけは絶対にしないように心掛けましょう。こうした心掛けが、神の御心に適った生き方をする者には必ず与えられる祝福、神の祝福を受け止めるに足る資格を培ってくれるからです」
(本章は一見何でもないことを述べているようで、その奥に宇宙の厳粛な姿を秘めたことを何の衒(テライ)も無く述べた、シルバーバーチ霊の圧巻であるように思う。特に〝私は自分にこう言い聞かせているのです〟で始まる後半の部分は熟読吟味に値する根源で、その中にシルバーバーチの霊格の高さ、高級霊としての証が凝縮されて居るように思う。
霊格の高さを知る手掛かりの一つは謙虚さであると言うことである。宇宙の途方も無い大きさと己の小ささ、神の摂理の厳粛さと愛を真に悟った者は自ずと大きなことは言えなくなる筈である。
反対に少しばかり齧(カジ)った者ほど大言壮語する。奥深い厳粛なものに触れていないからこそ大きな口が利けるのであろう。それは今も昔も変わらぬ世の常であるが、霊的なことが当然のこととして受け入れられるようになるこれからの世の中にあって、人の迷わせる無責任きわまる説が大手を振ってのさばることが予想される。そうしたものに惑わされない為にはどうすべきか。
それはシルバーバーチが本章で述べている通り、基本的真理にしがみつくことである。吾々人間は今この時点において既に霊であること、地上生活は次の段階に備えて霊的資質を身につけることに目的があること、人生体験には何一つ無駄なことが無いこと。ただそれだけのことを念頭に置いて地道に生きることである。
本章を訳しながら私はシルバーバーチの霊訓の価値を改めて認識させられる思いがして嬉しかった)