シルバーバーチの霊訓(十一)
トニー.オーツセン(編)
1987年4月 近藤 千雄(訳)

More Philosophy of Silver Birch
Edited by Tony Ortzen
Psychic Press Ltd. (1976)
London, England

まえがき
明日から週末となる寛いだ金曜日の夜のことだった。家の電話がけたたましく鳴った。テスター氏からだった。

「彼が行っちゃったよ」テスター氏があっさりとそう言った。
「行った? 病院ですか」
「違う! 連れて行かれたんだよ」
「連れて行かれた? どこへですか?」

そう聞き返しているうちにテスター氏の言葉の衝撃がやっと伝わってきた。動転したのか気が付いたら私は数週間前から止めていた煙草に火をつけていた。そしてもうタイプライターに向かっていた。パチパチという音と、時折通り過ぎる車の音以外は何も聞こえない、静かな永い永い夜がこうして始まった。

1981年7月17日のことだった。

他のスタッフに次々と衝撃のニュースを伝えてから、私はサイキックニューズ社の事務所へ向かった。気が重かった。そして顔は幾分ほてっていた。

しかし今は瞑想したり思い出に耽っている場合では無かった。電話をしなければならない。電報を打たねばならない。明日のサイキックニューズ紙を組み換えないといけない。

そうした用事を一通り済ませた後、また重い足を引きずりながら家に帰った。もう夜明けも近い。私は孤独感を噛みしめながらモーリス・バーバネルの死亡記事を書いた。本人の承諾も得ずに、また求められもしないのに、若輩の私がその仕事を引き受けて、恐縮の気持ちを禁じえなかった。

その日が明けて再びサイキックニューズ社へ出向いてから私は、書斎の中からバーバネルが〝最後に出すべき記事〟として用意しておいた原稿(日本語版(十)「シルバーバーチと私」)を取り出して読んだ。

60年余りにわたって氏は数え切れないほどの交霊会や心霊的な行事で常に最前列席(リングサイド)に座り続け、〝ミスタースピリチュアリズム〟のニックネームをもらっていた。その彼が今、その存在を自ら必死に擁護し賛美し訴えてきた霊界へと旅立ってしまった。

その現実を目の前にして私は、ふと、数年前にその原稿を預かった時のことを思い出した。それを一読した時、〝今度これを読む時はもうこのご老体はあの世へ行ってしまっているんだな〟という感激がよぎったものである。それが今まさに現実となってしまった。霊は肉体の束縛から離れ、その肉体は今は静かに横たわっている。

不思議なことに、数週間前にボス(と我々は情愛をこめて呼んだものである)が私に若かりし頃のことをしみじみと語ってくれた。私には大きな明かりが消えたような想いがした。どうしようもない孤独感と心もとなさが襲ってきた。目の前でドアが閉じられた感じで、これから先、サイキックニューズ社はどうなるのか、誰も知る由もなかった。

私が初めてボスと会ったのは私がまだ二十歳の、ジャーナリストとしての駆け出しの時代だった。以来私は彼から多くのことを学んだ。ジャーナリズムのことだけでなく人生そのものについて教えてもらった。

四十歳ほどの差があったので、互いの関係には祖父と孫のようなものがあった。私が見当違いのことを口にすると、度の強い眼鏡越しにじっと見つめ、ほんの一言二言注意するだけで、全てを若気の至りにしてくれていたようである。

またサイキックニューズ社は五時半が終了時刻で、スタッフは必ずバーバネルの部屋まで来て〝帰っても宜しいでしょうか〟というしきたりになっていたが、私だけはただドアをほんの少し開けて頭を首まで突っ込んだだけで、何も言わなくても良かった。ボスの方もちらっと私の方へ目をやってにっこりと笑って頭をコクンとするだけだった。

バーバネルほど精力的に仕事をした人間を私は知らない。何時も誰よりも早く来て、帰るのはいつも最後だった。そうした中にあっても部下の誕生日はちゃんと覚えていて、上等のたばこをプレゼントする心遣いを忘れない人だった。

私の人生を運命づけた二十歳の誕生日のことを今も鮮明に思い出すことが出来る。ボスが昼食をご馳走してくれると言うので一諸に出かけると、珍しくパブ(ビールと軽食のでる社交場)へ行った。

アルコールは滅多に口にせず、こういう場所へは一度も来たことのない人なので驚いたが、さすがに自分はトマトジュースと〝ピクルス抜き〟のサンドイッチを注文した。そして私への誕生日のプレゼントとして、今夜シルバーバーチの交霊会へ招待しよう、と言った。それが私にとって最初のシルバーバーチとの出会いだった。

シルバーバーチはこの病める、お先真っ暗の、混乱した地上世界にもたらした慰安と高揚の大きさは到底言葉では尽くせるものではない。あらゆる民族、あらゆる時代、あらゆる文化に通用する永遠、不変の真理である。

しかしそれは同時に霊媒モーリス・バーバネルとその献身的な伴侶だったシルビア・バーバネルの功績でもあった。この二人の〝神の僕〟は真に勇気のある魂だった。今もそうであろう。そしてこれからもずっとそうであろう。二人は任されたブドウ園でコツコツと厳しい仕事に精励して、次の仕事場へ旅立っていった。

バーバネルにもいろいろと欠点があった。われわれもみな同じである。彼自らよく言ったものである。

「ラクダに自分のコブは見えないものだよ」

が、彼は何ものも恐れず、何ものにも媚びることなく、神の計画の推進のためにシルバーバーチと共に大きな役割を果たした。このコンビは文字通り地球の隅々の無数の人々に声をかけ、人生に疲れ悩める人々に希望を、暗く沈んだ心に一条の光明を、そして混乱と疑念の渦巻く所に平穏と確信をもたらした。

今二人は霊界にいる、さしあたっての地上での使命を全うしたばかりである。図太い神経と決意と確信を持って説いた霊界の美しさと恵みと叡智をゆっくりと味わっていることであろう。

引き続いて二人の旅の無事を祈る。そして、ささやかながら、われわれからの愛と敬意と賞賛の気持ちを手向けよう。
トニー・オーツセン


訳者注-これは全十巻のシリーズが完了したあとすぐに始まった、オーツセン編集による新シリーズの第一巻Silver Birch Companionの〝まえがき〟(要約)である。

その後さらに二冊出版されているが、この第一巻はなぜか前シリーズのうちのWisdom of Silver Birch(日本語版「三」巻)とMore Teachings of Silver Birch(同「五」)から抜粋ばかりで構成されており(〝まえがき〟の中でもそう断っている)、したがって改めて訳出する意味がない。が、今お読みになられてお分かりの通り、その〝まえがき〟はバーバネルの人柄をしのばせる内容になっており、同じオーツセン編の本書の〝まえがき〟として代用させていただいた次第である。


近藤 千雄