重々しい雰囲気の中、岡田さん何とか手術をしなくて車椅子でも生活できる方向で頑張りましょうよ。皆さん車椅子でも一生懸命生活してます、岡田さん頑張ろう!と言って看護婦さんが諭してくれました。廊下で岡田さ〜んと言う声もう晩御飯の時間です。俺達も外で済ませてくると言って3人で外に出ていった。食事も早々に済ませ、何となく天井を見上げていると、悲しいはずの自分が、頭の中が空っぽで、走馬灯のようになにかがぐるぐる回っている。何か話し有るの?息子の声に我に返った。うん”家を売るとか行ってるらしいけど、そんな必要は無いよ、私はこの病院に決めた、あの家と店はな!私はもう55歳なんだよ、雅隆、英子、良く聞いてや、こんな事に使ってほしくないんだ、やがてお前達夫婦にも子供が出来ると思う、五体満足に生まれてくるばそれで良し、万が一、子供に何かが有った時、そのために使ってほしい、私の言いたいことはそれだけだ。
昨日、家族にあのように言ったのですが、一体自分の体がどの様になるのか?依然として、下半身は動こうとしない。この頃は足首から下に痛みが出てきた。 だからバスタオルを巻くようにしている
。 風に当たるとなお痛みが増すような気がする。 排便がうまくできない。 錠剤の下剤は毎日飲んではいるが、便意を催さない。 家内が来てくれるのを待って、来たらとにかく車椅子に乗せてもらい、トイレに行きます
。 この病院は、洋式トイレは、男女一つづつしか有りません。 後は和式でパイプもなんにも付いていない。これには大変苦労した。私は体重が当時76キロ有りました。 家内は150センチ足らずの身長です、この体で私を抱いて便器に座らせるという作業は大変です
。 普通身体障害者のトイレは車椅子で中に入れますが! ここは入ることが出来ません。
小さなトイレに二人で入り鍵をかけ、これから作業が始まるのです。もっとうつむいて!これ以上あかんで、だってお尻が見えへんもん。 足が立てばお尻を持ち上げればすむことですが?とにかく指を入れてみようか?うん”あるよ!あるある、そこまで来ているから、力一杯いきんで。おまえそないいうけど、足たたんかったら力はいらへんで。何でもええから力入れて、よしよし出てきたよ、頑張ってお父さん。家内は夢中でかき出しています
。 そして喜んでさえいるのです。 この家内に、遠くない昔私は、女性問題を起こし、つらいつらい思いをさせました。なのに家内は、お父さんの、うんこ、なんか、何ともないよ、何でもしてあげる。こんな振る舞いをみていると、ただ申し訳なく、こんな事までさせて、悪いな”。はようせんと次の人待ってるよ、早く早く。
今日は何となく、憂鬱な日です。 今後どのような生活設計をすれば良いのか、店は改装をしてまだ一年足らず!車椅子でどんな生活が出来るのか?窓の外を見ながら、田舎に帰ろうか?しかし、加賀市の伊切町には帰りたくない
。こんな姿を、生まれ故郷の皆に見られたくない
。それなら家内の里の、お兄さんに相談しようか?(福岡県鞍手郡中山)博多で商売をしていた時も大変迷惑をかけ、心配ばかりさせたから(昭和36〜昭和47)とにかく一度来てもらって相談しようか?山の中の納屋でも借りて、家内と二人で自給自足、野菜でも作りながら生活しようかな?
誰かが窓にパンを置いたのだろう、鳩が来て無心に食べている。 あんな狭いところで良く落ちないものだと思って!何となく足を見ると、左の足首から先がないではないか!顔色ひとつ変えるでなく、お前達は、甘えてるんじゃないのと、いいたげに、黙々とパンを食べている。 生きる!これが生きると言うことなんだと思う。ごめんごめんお昼ご飯に間に合う様来るつもりが、店の仕入れが多かったもので、と言う家内に、両手があるからご飯ぐらい一人で食べられるわ!と言う自分の醜さ、腹が立つ、私の腹の中を見透かしたような顔をして、雅隆が明日頃テレビを持ってくると言うてたよ、テレビ見てたら気分もまぎれるでしょ。うん”頼むわ、と言えばいいのに、テレビは見る気にならん、とにかく素直じゃない。この間も、お見舞いに来てくれた方が、心配して、バル-ンは長くなると体に良くないですよ。帰られてから、それならバル−ンに変わる物を教えてよ、無いからこれ付けてるのに、日本政府の野党のような事を言うな! と言って家内に当り散らすのです、情けないですね。
昨夜はなにを考えるでもなく、寝つかれなかった。 窓越しに見える赤と黄色の点滅信号、その下にあるはずの青が見えない。 今の自分を物語っている様で悲しいものがある。先日も石川の田舎から3人、京都から2人5人の兄弟が見舞いに来てくれたベットの周りを5人で取り囲み寝ている私を上から除きこむ様に見られたのは初めての体験である、有難うとは言う物の、内心こんな無様な格好を見られたくないと!それなら自分で始末をしようか!そんな事が頭の中を行ったり来たりしていると、突然あの連隊がやってきた
!病院があるからなおやるのか?けたたましい騒音である。朝方の4時を回った頃何事も無かった様に去っていった。
若いエネルギ−をもてあましているのだろうか?終戦直後、日本の子供が、進駐軍の兵隊さんに、パパ、ママ、ピカドンデハングリ、と言って物乞いをしている姿と、現在の東南アジアの子供たちが、生きるためにゴミの山から、ビニ−ル袋などを拾っている、このアンバランスはどの様に理解すれば良いものやら、そんなこんなで夜が明けて、歯を磨き、(ベットの上で看護婦さんが持ってきてくれた洗面器で磨く)朝食を済ませ、うとうとしていると、岡田さん点滴よ!看護婦さんの声、ごめん夢見てた!どんな夢なの?窓から飛び降りようとしてた。駄目よ!ここは駄目、よその病院に行ってからやってよ〜!と冗談ぽく笑わせてくれた。誰かがどうしてもここでやりたいの!といって病室一度大爆笑でした。
今日は先日から言われてた検査の日です。腿の付け根の動脈からカテ−テルを差し込み頭の血管像影の検査の様です。この検査は大変きついと、病室の皆が口をそろえて脅します。岡田さん目玉が飛び出しまっせ!24時間動かれへんで!動いたら動脈から血が天井まで噴出しまっせ!などなどであります。車椅子に乗せられ検査室に行く途中看護婦さんに、本当にそんなにきついのですかと尋ねると、看護婦さん笑いながら、岡田さん、大きな体して気が小さいのね!病室の皆は順番に皆を脅すのよ!!面白いから。検査室に入って麻酔をされたのか、朦朧としていると、先生の、始めますと言う声が聞こえ、目の前に二つの画面が見えます、その瞬間頭蓋骨をくもの巣で包むように血管が映し出されます、これだ!目に圧迫感があり熱いものを感じました。病室に帰り、皆に目玉が飛び出し頭が割れたと言うと、手をたたいて皆が喜びました。それぞれが病気と言う魔物を持っており、自分のこれから、たとえ仕事に復帰できたとして、どのような位置に置かれるのか、などなど、考えたくないので、大きな声で大きな動作で振舞うのだと思う。
看護婦さんが2人やってきて、鉄の板を脚の下に当て、包帯でぐるぐる巻きにして、腿の付け根のところに3キログラムぐらいの砂袋を乗せ、明日の朝9時まで動かせたら駄目ですよ
! しかし私の両足は動かしたくても動かない、だから平気だと思っていたが、最近足首からさきが大変痛むのに輪おかけて重石を載せられおなじい位置に何時間も置くのは大変な苦痛を伴います。夜明け頃になって、親しくして頂いている向かいのベットの、中谷さんが、大丈夫?と言って覗いてくれました。すみません、足の場所を少し変えて、かがとの下にタオルを敷いてください、有難う、これで楽になりました。
今日は、朝早くから、石川県加賀市、から幼友達が見舞いに来てくれた、進男と哲郎です、彼らは、本当の友達と言うのか、物心がついた時からずっと一緒でした。特に進男は私の従兄弟でもあり高校まで一緒でした。会うまでは知った人にはこんな姿は見せたくないと思っていました、でも会った瞬間涙が出るほど嬉しかった!幼い頃の友達そのものなんだな!嬉しくて嬉しくて!あの頃は、哲郎には、今風に言えば、いじめであったと思います、通学の時に皆のかばんを持たせていました、お使いもさせたと思います、それを遊びの中でうまく消化していたのでしょうか?誰一人仲間から外れるでなく田舎の悪がきそのものでした。私達は死ぬまで仲間だと痛感しました。彼らが帰った後私は決心しました、必ず立って歩けるようにどんな努力でもしよう!そのために体を鍛えてきたんだ!出来ることからやろ!まずバル−ンをクラップしてオシッコの感覚を感じ取る訓練から始め様と思った
。
垂れ流しは嫌だ!何かあるはず、何かを感じたらクラップをはずしてオシッコの量を測り、ノ−トに付ける様にしよう
!オシッコは1回にどれだけ出るのか?1日に何回出でるのか?息子に聞いてみた、お前どんな時にオシッコに行くの?オシッコしたいから。”あほ”もっと具体的に言わんかいな!膀胱がちくちくするとか、オチンチンがずきずきするとか、何か無いのんかいな?そんな事考えてオシッコしたこと無いわ。自分も健康な時はそんな事考えないで毎日の生活が成り立っていたんだろうと思う、とにかく自分で何かを感じ取らなければ始まらない!何かちくりとしたような気がしたのでクラップをはずしてみた、ベットの横につるした袋にオシッコがたまる、メモリは150ぐらいのところだ、これは少ない、今の感じはオシッコに関係無かったのか?何回も繰り返して何かを感じ取らなければ・・・・・・・。
今日は手術があるせいか、早めの回診です。岡田さん、便のほうはうまく行っていますか?駄目ですわ”相変わらず家内の手を借りてほじり出しています。困ったね!それも含めて紹介状を書きますので、来週から近くの、O病院の泌尿器科に週に一回通院して下さい、心配事、今後の事、専門医に相談しなさい。はい解りました、看護婦さん、O病院て何処ですか?どうして行くのですか?廊下の窓から見えるでしょ、そんなに遠く無いから車椅子で行けますよ、はっきり決まり次第こちらから詳しいことはお知らせします。お願いします。この間からバル−ンをクラップしてオシッコの感覚を探ろうと思うのですがなかなかうまくいきません、しかし1日に何回オシッコが出るのか?何となく解ってきたのです、だいたい6回から7回です、そして1回に出る量は350から400ぐらいだと思います、座っていると解らないのですが!上を向いて寝ていると、膀胱の出口なのか”オチンチンの付け根なのか解らないのですが、350ぐらい溜まると、ちくちくなのか!づきづきなのか?そんなきがします。
この間看護婦さんに叱られました、夜寝るときは必ずクラップをはずして下さい!寝ている間に満タンになったら危険です、気をつけて下さい。どうもすみません、看護婦さんからみればいやな患者だと思います、自分勝手にやっているのですから!しかし何かをしなければ不安なのです、全然動こうともしない両方の足をみているのが!ヘルパさんが岡田さん、シ−ツかえるから、車椅子に乗って、だっこしてあげるからと言って両手を出してきた。大丈夫です、自分で移れます、ベットの手すりと車椅子の手すりを持って、ひょいと移って見せた。この患者さん両足動かないのにすごいことするわ!携帯のベルが鳴って、息子が今からテレビを持っていくという電話、気分も少しは落ち着いたので、今日じゃなくても今度の店の休みの時でいいよと言って電話を切った。
起床という看護婦さんの声で目が覚めた、今日も一日点滴で始まって、家内が来たらトイレにつれていってもらって、オシッコの感覚が有りとか無しとか、ノ−トに付けて、私が抜けたばかりに家族につらい思いをさせて、こんな私に、毎週顔を見に来てくれる人が二人います、風呂屋を営んでいる兄、寝間着のやすいのが本町に行ったらあったのでとか、目覚ましが要るだろうとか、何かの理由を付けては来てくれる、もう一人は、家内の縁続きの娘さんです、私の酒たばこをやらないことを知っていて、今日ケイキ屋さんの前を通って美味しそうだったので!今日は偶然パン屋さんの前を通ったので!この人達と、私の家族、そして田舎からわざわざ来てくれた人達に、受けたご恩は返さなくてはならない!それは一日も早く、自分の足で立ち上がり、入院中はお世話になりました、皆様のおかげでこんなに元気に成りましたと何時になったら言えるだろう、(@_@)火傷をしたように痛い足、内臓が肛門からはみ出すのではないかと思うほどの圧迫感、(便意とは違うもの)情けないこの足、と思いながら自分の足を眺めていた
。
”あら”何か動いたぞ!と思い自分の左の足をみながら力を入れてみた、わずかですが確かに動いた!看護婦さ〜んお願いします〜、天井のスピ−カに向かって叫びました。岡田さん何ですか〜。足が動きました。看護婦さんがすぐ来てくれて、本当に?動かしてみて。ほら少しですけど動くでしょ!。ほんとほんと先生呼んできます。といってリハビリの先生を呼んできてくれました。先生足を触りながらつねるやら持ち上げるなどして、岡田さんがんばり次第で、税金を払う方に回れるかもよ!と言って笑顔を見せてくれました。それが嬉しかった。来週からリハビリの先生をつけますからと言って先生は出ていった。
お父さん早く見せてあげて、家内はお見舞いに来てくださった方に、お礼も言わずに、早く足を動かせて見せろと言う、ほんのわずか足首が動いただけなのに、久しぶりにみる家内の嬉しそうな顔、よ−し!やるぞ〜。今までも仕事の合間に、ボデイビルジムにも通ってきたし、マラソンのトレイニングもやってきたので、どんなに辛いリハビリにも耐えられると思う。先生に基本的なことさえ教えていただけば、後は自分でできると思う、早くリハビリがやりたい。隣の病室からは、痛い〜、痛い〜、という女性の金切り声、まるでせっかんでもしているようである。この病院は病室でリハビリをするのです。先週O病院の泌尿器科に始めていきました、また検査です、大きな機械横のベットに寝かされ、尿道からカテ−テルを膀胱まで差し込み、ガス圧をかけ何かを感じたら合図をしなさいと言うのです
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次は、そのまま圧をかけるので、オシッコがしたくなったら合図をするように、今になって考えれば、あの時は感じたい気持ちが先で、本当に感じたのか疑問です。先生は今日の検査の結果、これでしたら、オシッコは出るようになると思います。そんなことを調べる検査だったのか?自分は毎日、バル−ンのホ−スをクラップして何かを感じて解放する訓練をしているので、そのぐらいの感じしかなかったのに、何か複雑な気持ち?家内は先生が出ると言うのだから出るようになると言う、しかし、機械が検査したのだが、合図をしたのは自分です、もやもやしながら、雨降りの道を、車椅子に乗って傘を差すのですが、自分の頭に持ってくれば、後ろで押している家内は濡れる、20分ぐらいの道中ですが色んな事があります 。先方の方から若い3人ずれの女性何やら楽しそうに喋りながらやってくる、それぞれに傘を差している、歩道の左側には自転車がたくさん止めてある、よけて待つのは車椅子の方です。自分も病気をするまでは、今通り過ぎた女性と同じく通り過ぎていたのだと思います。息子が病院に来るたびに言います
。この頃は、車椅子に乗った人とか、杖をついている人がやけに目に付くようになってしょうがない。勝手なものです。自分とか、身内が成らないと解らないのです。
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