天下茶屋のおっちゃん(脊髄梗塞)

(脊髄梗塞「前脊髄動脈症候群、後脊髄動脈症候群」)
 

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 2014-10-18.第7回脊髄梗塞患者と家族会IN東京

第7回脊髄梗塞患者と家族会、東京戸山サンライズ

平成26年10月18日

お話合いメモ

 

 排便管理(日本せきずい基金ニュース61号より抜粋)

1、水分 一日500ml以上の飲水。運動量、天候、体重等も勘案。

2、食事 一日の食物繊維質15gもしくは18gの摂取。

3、排便のタイミング、頻度は結腸、直腸の慢性的な過度の膨満を避ける。

 ・タイミング  毎日、同じ時間に食事摂取(腸管運動が活発)に合わせる。

 ・頻度    食事・水分摂取、身体状況により異なるが毎日もしくは隔日

4、薬剤の種類 膨満性下剤、便軟化剤、刺激性薬剤、浸透性下剤、腸管運動促進剤(薬品名省略)

5、効果的なテクニック

 ・便器で息むとき前傾、横傾の姿勢が効果的。 ・温かい飲み物の摂取

 ・時計回りに腹部マッサージ、プッシュアップや深呼吸も。

6、直腸刺激

 ・指刺激 手袋に油滑剤を塗り肛門、直腸を刺激 ・摘便  指を使っての排便

 ・科学的な直腸刺激 座薬や浣腸での排便

 

排尿管理 日本せきずい基金ニュース62号より抜粋)

管理の目標は腎機能、膀胱機能の維持、向上と尿路感染症の予防

保存療法

@  行動療法 患者自身の動作によって自排尿に導く理学的手法 残尿が生じる。

A  カテーテル自己導尿 ・間欠カテーテル法 ・留置式バルーンカテーテル法・コンドームカテーテル ※消毒方法、カテーテルの種類、費用等各人の対応。

B  薬物療法 薬剤によって膀胱のか活動を抑制する

C  電気刺激 骨盤底筋、膀胱内に電気刺激を与え神経の協調性を促進

※定期検査 画像、尿検査を実施、変化があれば尿水力学的検査を必要に応じて行う。

 

痛み痺れへの対応(整形外科、神経内科、心療内科等の横断的課題)

@  投薬 ガバベン、リリカ等、漢方薬 座薬

A  神経ブロック、脊髄電気刺激療法、鍼、マッサージ、温湿布

B  心がけ(若園さん資料より)

・痛みの強くなる因子・・不眠、疲労、不安、恐怖、怒り、悲しみ、うつ態、社会的・個人的孤独感、苛立ち

・痛みが和らぐ因子・・人とのふれあい・会話、気分の高揚、熟眠、気晴らし、楽しいことへの集中、やすらぎ

 

リハビリ(体力、身体の可動域の維持、向上で日常生活のレベルアップ)

・急性期、慢性期、神経損傷部位、年齢、生活環境等によって対応に違い。

・医療機関の指導の下、在宅での自主リハビリは重要。身体状況は各人千差万別、それぞれの工夫を加えて持続、継続が大事。天下茶屋のおっちゃんのホームページの「リハビリT」「リハビリU」が参考になります。

・体幹(腹筋、背筋等)の強化リハビリで腸管運動が活発になり排便に好影響。

 

その他

・これから冬に向かっての冷え対策

・皮膚管理 褥瘡、水虫、巻爪

・むくみ

・医療、福祉制度情報 

 

防災対策(兵庫県にお住いのさるるさんの我が家の防災対策です)

阪神淡路大震災から御嶽山の噴火まで日本は天災害列島の様相、最近の災害の多さを心配して、さるるさんからメールを頂きましたので下記紹介致します。

 

昨年、大阪の会で防災対策の話をうまく話せなかった反省と、最近の異常気象を想定して 我が家の防災用品の置き方を少しかえてみました。

水害に関しては、地域の避難所が我が家より低いところにあるので家庭内で縦避難を基本としました。陸の孤島になることを考えると まず食事ができればなんとかなるだろうと考え 台所脇の物置に食糧重視の防災用品コーナーをつくりました。下の画像はその一部です。

 

  上段  左  水用ポリタンク

      中  青い袋はスワニー社のキャリーバッグ (ショッピングバッグ)

         杖代わりにもなる優れ物で 私だけでなく家族がケガをした時を想定しています。その右に非常持ち出し袋(市販品)

  中段  左  非常食 {ご飯類,缶パン,おかず缶(五目豆、千切り大根、キンピラごぼう、サバ味噌煮),レトルトカレー}

           

        洗車用バケツ(中に 紙コップ,紙皿,割り箸,ティッシュ,ウェットティッシュ,ラップ,ゴミ袋 )頑丈なので 行楽時は私のイスになっています。

      右  整理用バスケット,非常持ち出し袋(食糧重視) 

  下段      車いす(白いカバーがかかっている)父の足が弱っているので非常時は荷物を抱えて乗ってもらう。

写真の右外に 水,お茶,スポーツドリンク のペットボトル(野菜ジュースが品切れ中)があります。

ガレージ(という名の物置)に  ブルーシート,毛布,クーラーボックス,タープ(陽、雨除けテント),延長コード,七輪などを置いています。

これらは ほとんどが秋祭りの桟敷席に使う物です。また、地震など建物に被害がでた場合必要になりそうな物です。

さらに備えたいのが 簡易のソーラーパネルと蓄電池とエアマットです。これはアウトドアでとても便利そうなので

使いやすそうな物を探しています。

これらの準備は我が家にとっては 難しいことではありませんでした。

というのは、お花見(等の行楽),秋祭り の準備と重なる部分が多いからです。

非常食で特別なものは ご飯とパンだけです。おかず類は 買い物に行けない日のおかずになります。飲み物は日常飲む銘柄を安くなった時にケース買いしているだけです。

非常持ち出し袋に入れていない物で迷っているのが常備薬とメガネです。

これらは 邪魔になるかもしれないと思いつつ、日常使うかばんに入れるほうがよいのでは?と思っています。

災害発生時 行政はまず広く浅く皆にいきわたるサービスを考えるのではないかと思います。皆といいながら私はその「皆」に本当に入っているでしょうか? 行政の初動で期待できそうにないことはできる範囲で備えるのが得策だと思います。何より自分で選んだ物だと使いやすいです。

これは我が家のやり方ですが、考える一助になれればと思います。

「防災」と堅苦しく思うと面倒になるので、実用品で防災グッズになりえる物、趣味的に使えて防災グッズになりえる物、と方向性を定めて用意してきました。

例えば 食品類はまさに実用品ですね。缶づめは スーパーの売り場では肉,魚介類のものが多いので野菜のおかずは通販で買いました。普段の食卓にもう一品という時に野菜のおかずは助かります。

フルーツ缶もいいかもしれません。甘い物は少量でも元気になりますし喉を潤しますから。

趣味的なものは、寝袋です。年に数回 流星群を観察(眺める)するのですが、夜空を見上げるのも長時間になるとつかれるものです。3シーズン対応、洗濯機OKの物を見つけたので早速購入しました。封筒型で 広げると約2畳のレジャーシートとしても使えます。寝袋が冬対応でないので、エアマットがあれば少しは寒さを凌げるかと次に欲しいものとしてあげました。もし、避難する事態になった時にエアマットと寝袋があればどれだけ避難生活の質をあげられるかと考えます。

あとは 家族の行動パターンを考え、水害,自宅半壊,自宅全壊、のパターンを考え どう連絡を取り合うかをもう一度考えてみようとおもっています。

長々と書きましたが 実際にはどれだけ役に立つのやら・・とも思います。

心配性の私が 深刻にならずに準備するには 楽しみに結び付けるのが一番なんです。近々 七輪で魚でも焼いてみましょうか。

 

参加者ネーム 司会者、患者と家族会、世話役あーちゃん
   
   

 

2011年度家族会報告資料

第四回脊髄梗塞患者と家族の会  よし1さんからの報告です。
H23.11.23 2011,1,23 大阪身体障碍者スポーツセンター「 アミティ舞洲」

災害は忘れた頃にやってくる

震災・風水害など災害への対策は十分ですか。災害時の障害者にとって常備用品・装具等の身近な確保は何よりも大切なことです。
障害者の災害対策としては、次のようなことが考えられます。(日本オストミー協会を修編)

自助

自宅に常備用品・薬・装具を保管し、災害発生に備えて用意周到に準備を進めておく。災害時の避難には常備用品・装具を持ち出し、避難所では十分に注意してトラブル(排尿・排便等)を未然に防ぐ。

共助

日頃から障害者・介助仲間との連絡網を作り、いざという時の助け合いの輪を広げて災害時に支えあう。災害発生時の障害者団体への一報も役に立つ。

公助

災害時における装具販売店からの常備用品・装具の緊急輸送、避難所での緊急対応など。

避難方法は大丈夫

被害対策・・・物落下、        帰宅・・・ 方法

*非難方法・・・自走、車椅子、車、エレベーター。

 ・・・・車椅子、車、エレベーター使用不可。如何する。

高齢者・・・・介助者、お願いしておく。

災害時・・・・上下水道の断水。停電。電話不通、連絡方法は如何する。

備えあれば憂いなし

障害者が災害に対してどのように対処するのがよいのか、過去の教訓を生かしてまとめてみました。
皆さんがそれぞれに工夫されている方法の参考にしてください。(日本オストミー協会を修編)

まずは周到な用意を・・・・避難時に持出す装具の用意

  • 1. 日常の交換・装着のために保管している常備用品(薬・サプリメント等)・装具とは別に、避難時の『手持ち用常備用品・装具』として、用品・小物類も必要最小限含めて2週間分(災害時に日常使用している常備用品・装具が入手できるまでの安全確保に要する日数)をまとめておく。手持ち用装具は、「小さなバッグ」に入れておくと使い勝手や持ち運び・保管の面で便利である。
  • 2. 衣服のポケットなどに入れて肌身から離さず所持する『緊急用常備用品・装具』として、用品・小物類を必要最小限含めてまとめておく。
  • 3.緊急時に役に立つ。常備品・装具類の利用方法を検討しておく。補助用品、介助用品
  • 4. 交換の手間が省ける、とか避難所などの不便な場所でよい方法。

 .           () 排尿・排便用品/・・・おむつ、用便用具。

小物類は、装具の装着時に使用するものをいい、紙、ティッシュペーパー、ウェットティ   シュ、タオル、ビニール袋、ボールペンなどのほか、使用済み装具を捨る時に入れるゴミ袋がある。

 

災害へ備えるポイント

持出す装具の保管方法

  • 1. 『手持ち用装具』は、非常持出用としてすぐ持ち出すことができる安全な場所に保管する。できれば複数箇所に分散しておくとよい。
  •  常備品・装具の耐用年数は2年程度と考えて、中身は早めの1年ごとに交換する。
  • 2. 『緊急用装具』は、すぐ身に着けられるような場所に置く。中身は時々交換する。
  • 3. 排尿・排便も『手持ち用装具』として保管しておく。
  • 4. 自己導尿の人はカテーテルを忘れずに。

緊急連絡用の携帯メモを作る

  • 1. 災害時の緊急連絡用として、携帯メモを要領よくまとめておく。携帯メモには、日常使用している常備品・装具の各商品名や購入先など緊急連絡先の電話番号を記載する。市町村役場。
  • 2商品名は、商品の箱などに掲載されているメーカーの表示を参考にして記入する。この場合、商品・装具の変更が生じることも考慮して鉛筆書きとするのがよい。携帯メモは、『手持ち用装具』および『緊急用装具』と一緒にしておく。

(注)

使用したことのある商品名も記入しておくと、緊急時の品切れのときに役に立つ。

装具に変更を生じたときは、記載内容の訂正を忘れずに。

 3.常備品・ 装具購入先・市町村役所の電話番号は、携帯電話にも登録しておく。

災害発生時の行動について避難する時には

  • 1. 『緊急用常備品・装具』は、身体障害者手帳などと一緒に衣服のポケットなどに入れて肌身から離さず所持する。
  • 2. 『手持ち用装具』は、避難所へ持ち出して身近に置いておく。携帯電話・充電器、懐中電灯、ペットボトルなどその他の非常用物品と一緒に『非常持ち出し袋』(リュック・サック)に詰め込むのがよい。

特に注意すべき点

  • 1. 避難しない場合でも、念のため『手持ち用装具』を確認し、『緊急用装具』を衣服のポケットなどに入れて肌身から離さず所持する。
  • 2. 水分補給は大切なので十分に摂取する。ペットボトルなどを常備して避難所へ持ち出す。

装具の緊急調達

  • 1. 常備品・ 装具を持ち出せなかった場合、あるいは手持ち分が残り少なくなった時は、避難所で災害時救援物資の支給を申請して受け取る。ただし、一部の地方自治体では、特定物資の支給体制が整っていないところもある。
  • 2. 受け取れる常備品・装具は、日常使用しているものとは限らないので、入手できるもので間に合わせるしかない。
  • 3. 電話が復旧した時点で、補装具販売店へ連絡して日常使用している装具を届けてもらう。補装具販売店と連絡が取れないときは、装具メーカーの相談窓口へ連絡する。

介助者・仲間と連絡を

  • 1. 災害時には、孤立を防ぐ横の連絡が大事といわれている。相互の連絡により、安否確認、励まし合い、情報交換、常備品・装具の融通など支えあうことで安心が得られる。
  • 2. 組織的な連絡網がある障害者組織、相談支援のほか状況把握に基づいて関係方面に救援を依頼することもできる。

外出時の災害対策も忘れずに

  • 1. 外出先や勤務先で通常所持している『外出用装具、常備用品』は、出先での災害の遭遇も考慮に入れて、避難時の『手持ち用常備品・装具』と同様に、常備用品・小物類も必要最小限含めて常時2週間分を保有しておくと安全の確保につながる。
  • 2. 『緊急用常備品・装具』も、肌身から離さず所持する。なお、『緊急用常備品・装具』は災害時だけでなく、普段のちょっとした外出に携帯すれば、トラブル発生の時に役立つほか、『外出用常備品・装具』を紛失したときのアクシデントにも緊急対応できるので、肌身離さず所持する習慣を身につけておきたい。
  • 3. 上記の『外出用常備品・装具』は、自宅では避難時非常持出しの『手持ち用常備用品・装具』とは別の場所に置いておく等で、分散保管の安全性を高めることになる。

その他の留意事項

  • 1. 普段から市町村役所が定めている自宅近くの『避難所』を確認しておく。
  • 2. 災害発生時における家族との連絡方法を決めておく。災害用伝言ダイヤル『171』(局番なし)    の使用方法を覚えておくと、災害時の電話がつながらないときに役立つ。
  • 3. 近所の人達との付き合いを大切にする。
  • 4. 防災訓練などへ参加して、予備知識を高めておく。
  • 5. 家具類の転倒防止対策を行う。できれば家屋の耐震補強を行う。

* 1 外出時の不安・・・トイレ、装具、車椅子。

  2 災害時の不安…災害備え。避難所保管。

  3 老後の不安・・・自分で出来ない。  認知症。

* 非常用、持ち出し、備蓄。――親戚分散保管。 入浴出来ない時如何する。

考える、準備しておく事。――――慌てない対応をすべき。――――

 

 2010年度、脊髄梗塞と患者 家族会、報告、東京 (戸山サンライズにて  )

司会 本日は遠くからお集まりいただきましてありがとうございます。今回は宮城、茨城栃木、埼玉、東京、千葉、神奈川、静岡、三重、京都、大阪、広島から19組、33人の参加です。年に一度めったにない機会ですからいろいろお話ができればと思います。まずはおっちゃんのご挨拶をお願いいたします。

おっちゃん

本日ここに、三回目の脊髄梗塞患者と家族会が開けることに成りましたのも、お二人の世話役さんのご協力があってこそと感謝します。
まだまだ組織化された団体ではありませんが何とか後続の発症者に私たちの経験をお話したり、書き残すことが 少しの安堵感と自分でも頑張り次第で健常者に近づく事が できることを知って頂けるなら本当に幸せに存じます。
今回世話役さんから沢山の資料を集めていただきました。
今までは恥ずかしくて、自分だけなんだろうか?と聞けなかったこと、それは皆さん知りたいことだと思います。アンケートに結果が出ています。少しは安心して頂けるのではと思います。

私は平成5年当時九十八パセント垂れ流しの寝たきり、手術もできない悶々とした日々を過ごす中、どうしても確かめたい事があり外出許可を取り、家内に天王寺にある大きな本屋に連れて
行ってくれるように頼みました。
此の本屋さんは二階でしたが 幸いエスカレーターがあり助かりました。医学書コーナーに行き片っ端からめくりました。全部英語で分からないのですが何冊めかに人体神経系統写真なるものを見つけました。
高価でしたが買って帰りました。
神経とは毛細血管のようなものを想像していました。系統図をよく見ていると六角形の繋がりのような写真辞書を引いてみる、細胞?神経というのは、細胞の繋がりなんだ!!無知な私は初めてしりました。
細胞!ひょっとして育つたり、再生能力を持って居るのでは?そんな思いでした。
以前ある先生から、米兵が戦闘機で不時着して下半身不随に成り、脳から命令を出しながら
独自のトレーニングの結果生還した話!
そして自分の足の親指が少し動いたような気がしたこと!よし決まった、必ず歩いて帰る繰り返し繰り返しのリハビリしかないと心に決めました。
そして森田先生と出会い、此の先生一つの事出来るまでやらせる先生です。
そして今日に至っています。

次に少し心の問題に触れたいとおもいます。

ある日私の店に、三人の家族連れが来てくださいました。
お父さん、お母さん、娘さんでした。娘さんは二十歳前後で大変美人でした。脊髄梗塞の関係ではないと思います。初めて来たんですけどおっちゃんのHPをいつも見て癒されています。そうですか!ありがとう御座います。
おっちゃんは全然動けなかった時なんか!死にたいなどと考えた事はなかったですか?娘さんが言われました。お父さんお母さん、神妙な顔をしてお母さんはうつむいていました。
お父さんは私の方をじっと見ていました。
どの様に答えようか!一瞬頭の中で自分の娘が浮かびました。そうですね、全然動けなかったあの頃は、ベットの上から窓の外をぼーっと眺めながら、そんな事ばかり考えていました。
どうして留まったのですか?家族の私に対しての思いが感じ取れるから、それを振りきって、自分だけが楽に成ろうとすることは失礼だと思ったから!それでは親に対しては?
それが一番卑怯で失礼なことですよ娘さん、(おこり口調になったと思います)お母さんが慌てて
バックからハンカチを取り出し泣きじゃくり、肩が震えていました。
娘さんも大粒の涙をぬぐいもせず来てよかったと!言いながら笑みました。お父さんは上を向き必死にこらえていました。
また来ます。言って帰えられました。何日かして書き込みがありました。皆さんも目にしたとおもいます。
ここにお集まりいただきました皆さんも大なり小なりこのような経験があると思います。
しかし、生きると決めたからには、努力!挑戦!そこには、必ず自己責任が伴います。
長くなりますとお話合いの時間が少なくなりますんので 私のしゃべりは、これで終わります。活発なお話し合いをお願いします。

司会 それでは参加者の方の自己紹介をお願いいたします。

ヤマさん

栃木県からやってきました。平成20年11月の突然発症しました。すぐ直ると思っていましたが回復せず、褥瘡が次々とできて寝返りができない事が今一番つらいことです。薬はバイアスピリンとソレイシル〜。排便排尿の事もあり皆さんお話を聞きに参りました。

へっぽこ院長さん

後ほど私のお話をする予定なのでよろしくお願い致します。

ハマさん

三回目の参加になります。故郷の母親が2008年に急性大動脈乖離・スタンフォードA型を発症、転院転送後手術、胸から下が動かず最終的に脊髄梗塞と診断される。現在、褥瘡がひどくなりほとんど寝たきりで加えて痛みがひどく医療用麻薬を使うようになった血管系の病気なのでリハビリをやることも難しい。トイレは自己導尿、排便は摘便で行っている、少しでも良くなって欲しい。

アサさん

平成7年発症、救急病院に2ヶ月、その後所沢の国立リハビリテーション病院に6ヶ月入院、入院中小樽の右近さんの所で1週間リハビリを受ける。現在は、週3回介助者にリハビリをやってもらっている。2年前からJ-Workoutで月2度ほど訓練を受けている。完全麻痺のため歩くことは出来ないが、体幹を鍛えることで生活の維持・改善が出来るのでリハビリは必要と考えます

タニさん

初参加です。発症は平成21年4月で医者さえも最初分からなかった病気を妻がおっちゃんのホームページを探して繋がりました。家で趣味の大工仕事をしていた最中、突然脚が動かなくなった。痛みも半端でなく爪が欠ける位苦しんだ。救急病院で治療を受け東京リハビリセンターに行ったが動かない脚の訓練はなく上体の訓練ばかり。病院入院期間も3ヶ月だけ。右脚がが効くようになったので車の運転ができるようになった。お風呂、トイレは自立している。おっちゃんのようにはいかないが、絶対泣かないように頑張っています。

スギさん

神奈川県から一人できました。発症は7カ月前。トイレで突然お尻に異常な激痛、その場で歩行困難に。病院に搬送後ステロイドポンプで治療。翌日からリハビリと高圧酸素療法10日間。入院中脚を動かし続ける自分なりのリハビリをした。1か月間入院、その後は通院リハビリ。5ヶ月くらいまでは目に見える回復があった。現在はスポーツジムのトレーナーにメニューを作ってもらい筋力アップのトレーニングを続けています。

モリコさん

一回目の会に参加し今回二回目の参加です。首の脊髄神経を受傷して全身に麻痺が広がった。歩けるが、身体全体に麻痺が残っている。手の神経が冒されているので、動くが使えない。踵、背中、お腹に痛みが出て手にも麻痺が残っている。リハビリのため散歩をしていましたが痛み特に股関節の痛みがひどくなり散歩はやめ現在は家の中で自分なりに工夫をしてリハビリをやっています。

フジさん

発症時、動静脈破裂で途切れていく意識の中で死ぬのではと思ったが助かった。1ヶ月くらい排便排尿もできなかった。車椅子から松葉杖それから少しずつ歩行ができるようになり今は歩行を取り戻している。心が弱くおっちゃんに掲示板で「ダメだな、ダメだな」と言われたが現在、仕事はできている。しかし最近お腹、背中の痛みがひどくなっているが何とか頑張っている。おっちゃんのホームページとの出会いにはとても感謝をしています。

サトさん

母親の代わりで参加しました。母親は9年前発症し現在の麻痺範囲は膝から下と脚の裏側です。歩行はロフストランドクラッチ杖を左右2本使い歩けます。年々リハビリをやらなくなっています。最近は股関節の痛みがひどくなり神経麻痺からくる痛みなのか、身体の姿勢、使い方から生じる痛みなのか原因がはっきりしないので困っています。これから歳をとるとどうなるかも心配です。

タナさん

平成18年、急性横断性脊髄炎を発症。症状は皆さんと同じ。脇腹にキリで刺すような痛み。最初の病院で便秘と言われた。病院を変えて下半身がピクリとも動かなくなり同時に褥瘡が次から次へと悪くなり一年間入院。その間病院でリハビリができた。退院時は少し回復した。ベートーベンの音楽を聴きながら「動くんだ動くんだ」と意識して動かしていたら少し動くようになった。今は100bくらい歩けるようになったが寝る時は死ぬほど痛い。痛みには薬(抗てんかん薬)で対処しています。身障者スポーツ大会で優勝をするぐらい元気でやっています

マエさん

痛みに苦しむ母親の代理で参りました。平成17年に発症、2年前バクロフェン手術(腹部に埋め込んだポンプから、微量のバクロフェンを脊髄の周囲の髄腔に直接、継続的に注入する治療法)受けましたが筋肉の硬直を防ぐ効果あったようだ。痛みがひどいので皆さんのお話を聞いて母を何とか励ましたいと思い京都に続き参加した次第です。

セキさん

平成12年発症。最初に右脚、翌日に左脚が麻痺で動けなくなり一週間安静にさせられた。おっちゃんのホームページを参考にしてリハビリを早くから始め歩けるようになった。自動車の運転もできるようになりましたが去年追突事故を起こしてしまいしました。

タカさん

入院中の妻と一緒に参加いたしました。妻が9月に腰が痛いと言ったので整形外科に行ったところヘルニアと診断され翌日、違う病院へ連れて行っても同じ診断。そして両脚が動かなくなり救急病院でも原因が不明。次の病院で2週間後に脊髄梗塞と言われただけで何もしてくれなかった。おっちゃんのホームページでリハビリの重要性をしりリハビリ病院を探して転院しました。いろいろなことを知りたいのでよろしくお願い致します。8月に結婚したばかりです。

イトさん

自覚症状が発症の2年前からあり、特に背中の痛みが死ぬのではと思うくらい酷くそれでも、いろいろな方法で散らしながら仕事を続けていた。血液検査で異常値が出たがそれも無視してしまった。その後、会社の朝礼の時、背伸びをしたら急に首が痛くなった。氷を当てられて様な痛み、立っていられず病院へ。ギランバレー症候群ではと言われた。横浜市大病院へ転院。検査の結果C3〜4脊髄梗塞と診断され人工呼吸器をつけられた。人工呼吸器から離脱した時は肺活量が600以下と聞いています。千葉の病院で痙性{ケイセイ・けいれん(); けいれん性まひの}コントロールを覚え電動車椅子も使えるようになった。現在は電動車椅子での生活で週一回の訪問リハビリとハリ治療をやっていますがハリは効果がありました。痛みは股関節がとても痛い。原因は膀胱結石や胆石が骨盤に影響しているのかも考えている。家族に心配をかけているのがとても辛いが、仕事もしています。来年春に向けては独居計画を立てています。

トヨさん

4年前に突然発症。最初は下半身が全然動かなかったが医師からリハビリで動くようになると言われた。半年後の退院時には2歩杖で歩けるようになり現在は一本杖で歩いています運転免許センターで脚が使えるので普通車でも大丈夫と言われたが心配なので手動式の車でどこにでも出掛けている。お尻、股関節がときどき痛むことは辛いが日常生活はだんだん楽になってきている。

モリカツさん

病院に入院していた弟のことです。退院が決まった7月に背中が痛いと言った翌日、突然脚が動かなくなった。神経内科で脊髄梗塞と診断されたが何もされないまま元の入院していた病院に戻されてしまった。リハビリ病院からも断られてしまう。病院をたらい回しにされている。本人は一人暮らしなので今後どうしていいのか大変困っている。おっちゃんのホームページを見て希望をつなぎ本人の代わりに参加しました。

コセさん

発症は2000年。仕事の途中、腹痛で救急車で病院へ。原因が分からず3軒目の脳神経外科で脊髄梗塞の診断。下半身が動かなくなったが一週間で導尿もとれ3週間後歩けるようになり退院。最初の病院で痛み止めのポルタレン効いたのかもしれない。高圧酸素治療もしたが効果は分からない。現在、左脚裏、右脚がしびれている状態。痛み、痺れは立っても座っても痛い。痛み痺れは何かに夢中になっていると忘れるので気持ちの問題も大きい。また天候等で身体の調子が大きく変わってくる。

シオさん

2001年12月外出中、今までにない気持ち悪さに襲われ暫く休んでいたが下半身が動かなくなり救急車で昼に大学病院へ。医師が次々来たが原因が分からず、夜8時とか9時に脊髄梗塞と診断された。三週間経過、退院時に「あなたは一生寝たきり」言われリハビリ病院に転院。1%でも歩ける可能性があれば何とか歩行訓練を粘り強くお願いした願いを受け入れたくれた。一年半の入院中、自主リハも徹底的にやった。左脚の回復が早く右脚も一か月後には動くようになった。今は右脚に装具を付けて杖で歩けるようになっている。リハ病院退院後PNF治療(人の潜在能力を引き出すためのリハビリ、ストレッチ)テラピス(ドイツ生まれのリハビリストレッチ)ジェイワークアウト(脊髄損傷者のトレーニングジム)等でリハビリを続けている。その時動いていても,すぐ忘れてしまう。続けることが大切。
司会 今までのお話で何か質問があれば?

フジさん

八年前から痛み止めでいろいろ薬(デパス・ハルシオン・ディトトリウム?)を飲んでいるが一日中ボーとしてしまい、運転など一時間位しか危なくてできない。そのため人との関わりもおっくうになる。先ほど医療用麻薬のパッチがあると聞き試してみたい。

モリコさん

・痛みの治療に神経内科からペインクリニック行った。脊髄損傷に効果があるかどうかと言われたが、点滴等の治療と痛み止めに麻薬のモルヒネパッチを貼って生活していますが効果はあるようです。無理をしなければ効いたかなあという感じです。

司会 今回の会のテーマは排泄です、人によって薬や器具の使い方は大きく異なりますが日常生活をブログに書いているへっぽこ院長のお話を聞いてから皆さんから意見を伺います。

へっぽこ院長さん

自分の病気と身体のことについてお話をお話し致します。
「経緯」

平成17年1月発症。夜、右肩甲骨付近に激痛救急病院へ。肉離れの診断。痛み止めニア注射と薬をもらい帰宅。翌日整形外科で頸椎ヘルニアと診断され自宅に帰り排尿ができずそのうち脚が動かなくなった。救急病院へ搬送されステロイド等の治療で翌日帰れると言われたが夜には手が動かなくなった。緊急手術を行ったが回復せず検査4か月退院近くに脊髄梗塞で手術の必要は無かったと言われた。

「リハビリ」

当初はリハビリで15メートル位歩けたがそれが困難になった。リハビリ病院から自宅に戻り仕事を再開し在宅リハビリを続けるため小樽の右近氏とジェイワークアウトの訓練を受けた。仕事を通して得た知識をも加え毎日、朝、昼、夜1,5時間〜2時間妻の協力も得てリハビリを続けている。

「排尿」

尿意があり一日6〜10回セルフ・カテーテルで導尿をしています。時たまの膀胱炎以外、薬は飲みません。尿漏れは少ないですが仕事で我慢をした時、運動で激しく腹圧がかかった時、膀胱炎にたまにあります。尿が多く出る時はコーヒー等は関係なく飲水量が影響します。その他、気温、体位(横になってる時)、アルコール量、体調などいろいろな要因で変化します。自分のオシッコの溜まるパターンを知りその前に導尿するように心掛けています。

「排便」便意があったらトイレに行く様に自然に任せています。排便周期は週2〜3回。固い便だけの時や後から軟便が出て終了することもありいろいろです。ヨーグルト、プルーンは便を柔らかくするようです。下剤を使ったとき三日間下痢が続いたこともありやめている。最近は排便後便意をもよおしてもトレーニングのつもりで我慢している。多少の便秘でも薬に頼らず自力でやろうと思っている。

便失禁の原因と思われる藻は生もの(刺身、お寿司)冷え、抗生剤(膀胱炎の薬)下剤、精神的ストレス、風邪、その他原因不明あり。

3日から1週間に一回、の排便。便秘で死ぬことはほとんどない。

「痛み、痺れ」

痛み・痺れ・痙性もある。頸椎5番〜胸椎7番までの受傷、そのため全身に痛み痺れがある。痙性,痙縮、冷感(氷を抱いてるような感じ)灼熱感(火傷をしたような感じ)上肢、体幹、下肢にそれぞれあります。気圧や温度、湿度の変化にも敏感です。何千キロも離れた台風、エアコン、ストレスなどが痺れ、痛みにすぐ反応します。シャワーは針のように体を洗うタオルが火傷の上を紙やすりでこするようなその他いろいろな痛みとして身体に襲い掛かります。文献に運動で損傷した神経が修復するらしいですがその分痛み増すようです。私は一時期痛みで動けないほどでしたが今は逆に痛みは年々弱まっています。医療の常識も昔とは大きく変わってきています。運動中は水を飲んではいけない、野球選手の肩を冷やしてはいけない五十肩は安静になど科学的な根拠の無いことが信じられてきました。リハビリで運動の情報を再学習し体の中で情報を書き換えていくと言われています。痛みだけでなく触覚、固定覚、温度覚の良好な変化のある人も多い。痛みがあるとリハビリはやめるが、その後続けたらどうなるかのデータはない。それならばリハビリ運動をする価値あるのではないでしょうか。屈曲反射を続けることで、痙性が発現し動くようになってきた。

「疑問」

仕事をしていると所得制限という壁があります。1割負担が10割負担に、大変な身体状況を考えてくれず、杓子定規なお役人感覚です。うちの市では訪問入浴も使えずマッサージ券の発行もなく、ETCやNHKの受信料、車の税金くらいです。一番こたえるのは介護保険でないと訪問リハを受けられない事です。市に何とかならないのかと言ったら、「ならない」とか・・・

「最後に・・」

これから再生医療が思った以上進む予感がします。神経が再生しても麻痺が長ければ長いほど回復が遅れます。それは排泄や体のバランスなど多岐にわたるでしょう。骨折して数週間固定しただけでかなりの期間リハビリがかかります。研究者は回復に備えなさいと言っています。その日に備えて現在の努力が必要なのではないでしょうか。

司会 それでは皆さんからのお話を伺います。

タニさん

ラキソベロン下剤で排便をしていますがいつ出るのか時間がコントロールできないで困っている。排便後2,3日下痢が続くこともあり怖くて外出ができない。外出の際は3,4日前から服用を避けている。便意、尿意はいつもある、でもでない。できれば自力でやりたい。排尿は最初は何とか出していたが、医者に言われ導尿している。ウオシュレットを使うと自然排尿をする事もある。

イトさん

四肢麻痺の人はラキソベロンは使わない。いつ出るか判らない。ストレスや一滴違っても排便時間が分からない。排泄日を月曜、金曜の週二回、レシカルボン坐剤、摘便、浣腸でしています。その後パットをするが,ほとんど汚れない。排泄のタイミングを身体で憶える事(痙性・血圧が高くなる・ケイレン等)が大切で国立リハ病院で教えてくれた。酸化マグネシュム錠剤(カマ)を朝、センナ(アローゼン)を夜、排泄の前日はフェノールフタレイン系を服用、それから繊維質の野菜、牛乳等の摂取で便を出やすくしている。

アサさん

最初の病院でラキソベロンでおむつしていた。転院したリハ病院でおむつを取られ普通のパンツに。そしてレシカルボンで週二回、はじめはベット上、次はトイレでの排泄訓練をしてくれた。トイレ前のお腹を「の字」にマッサージ、出しやすいのは45度の前傾姿勢、息を吐きながらの力み、ウオッシュレットや指での肛門刺激など実践訓練を教えてくれた。二日おきに新聞、ラジオを持ち込み20〜40分かけて排便している。

タナさん

便意はあるがラキソベロンは全然効果は無かった。カマは副作用の報道があったのでやめている。便秘に効くプリセニドや漢方薬は効かなくなった。病院の処方の浣腸薬は使いにくいので市販の浣腸薬を使って排便をしている。排尿に関しては、デトルシトールカプセル2mgを使うと寝ているときに時々尿漏れがある。朝まで700ml尿が溜まることがある。肩こり用のロキソニンを服用すると8時間経っても100150mlしかでない。その様な経験はないか?

おっちゃん

仕事をしているのでトイレに時間をかけられないのでラキソベロンを使用しています。使用量、時間の記録を克明につけ最初は30滴から始め15年かけて23滴飲んで20時間後にトイレで排便というのが最適というところにたどり着いた。出たかでないかは臭いと視覚で確認する。カマなどを試してみたいのだが、医者に即効性はないと言われ、躊躇している。脚の感覚はないのだが異常反応をする。風呂の冷たいタイルに脚が触れたり、熱いお湯に入れると勝手に精液が出てしまう。

サトさん

母は薬を使わずヨーグルトを飲んでトイレをしています。10日間お通じがなく苦しむことがあります。薬等でコントロールするのは大切ですが自然に任せることで排便の神経を回復させることは出来ないのでしょうか。

アサさん

脊髄神経の再生治療ではなく直腸、膀胱を司る神経の治療研究進めばいいですね。

へっぽこ院長

運動と知覚に迷走神経が関わりがあるという研究がある。性機能を失った人が訓練によって機能を取り戻したという研究結果もあり、神経は繰り返しの訓練で失われた神経回路の代わりにバイパスが形成されるのかも知れません。IPS細胞を使った再生医療が実用化されてもゼロから出発するのではなくリハビリを積み重ねて5〜6の段階からスタートできるよう準備が大切ですね。運動も排泄も自然の形に近づける訓練も必要ではないでしょうか。

シオさん

入院していた病院で下剤は飲まないように言われていたので摘便で排便をしていました。退院後リハビリをして腹筋を鍛えたせいかお腹に力が入り時間はかかりますが自力排便ができるようになりました。時間はかかるし、出かけるときは不安だがその様にしている。

アサさん

リハビリをやって出やすくなっている。やはり、腹筋だとか背筋の体幹を鍛えることが大切ではないか。

コセさん

便通についていろいろな薬を試しましたが私に一番合ったのは漢方薬の「大建中湯」です。薬局やお医者さんも処方してくれます。

スギさん

腰椎2番を受傷しています。入院1週間出なかった。酸化マグネシュウムを使ったらゆるくなりトイレに間に合わなかったことがある。今は便意を僅かに感じ自力で排便しています。朝起きて必ずトイレに行き食事後腸の動きが活発になるので再度排便をする。朝は必ず出ても出なくてもトイレでしゃがむ。排便の神経もそれによって回復し便の通過感も出てきた。肛門の外の随意括約筋を割り箸や指を挟んで意識しての開け閉めや、肛門に力を入れて5分間止めるトレーニングでトイレに間に合うようになった。食事も繊維質の多い野菜を摂り、ヨーグルト(ビフィズス菌入り)を朝晩100g食べ続けている。
司会 これから自由討議ということでどんな事でも結構ですからお願いいたします。

ヤマさん

何年か前、保険の改正があり病院から「この病気はどこへ行ってもかかれる病院はありませんよ」言われた。リハビリは現在他のところでやっていますが病院ではやってくれないのでしょうか?

へっぽこ院長

知人の整形外科医の先生に運動機能が向上、改善すれば病院で継続してリハビリを受ける事ができると言われた。実際、3ヶ月の間に目に見える形で運動機能が亢進しなければいけないので非常に難しいですね。骨でもない限り無理。国にお金が無いから弱い人間の所から削りましょうというスタンスでいろいろ制限が出てきています。おっちゃんを国会に送り出すのはどうでしょう。

おっちゃん

脊髄梗塞を世間にアッピールすることも必要なので自分がT−シャツに「脊髄梗塞」という文字を書いて大阪ー京都を歩くというアイデアありますが、24時間テレビにルートがあれば自分がやってもいいと思っています。皆さんどうでしょうかね?

参加者から拍手

司会 その他、ご意見はありませんか。

タニさん

お腹の筋肉をビビッと動かす器具を使っているのですが、そういうのは効果はどうなんでしょう?

フジさん

ラクして筋肉を鍛えようと思わない方がいいですよ。先生に言われたことはインナーマッスル(姿勢を調整したり関節の位置を正常に保つ身体の奥の筋肉)鍛えなさいと言われ実践している。

アサさん

入院当初からオムロンを使っていますけどリハビリを続けることで、全然反応の無かった脚の筋肉に最近大きな反応が出てきた。麻痺したところにいろいろな刺激を与え続けることは大事ですね。腹筋を強くするのに腹式呼吸も効果がありました。

タナさん

運動するときに息を吸って止めたままは頭にきますから気を付けないと。

アサさん

電動ベッドの角度を変えて上半身を起こす腹筋運動もあります。

タナさん

上半身を鍛えるために4キロくらい車椅子を漕ぐのと朝起きたら腹筋運動、歩行器を使ってのスクワットを100回、脚を手で押さえて蹴り上げたり、押し上げたり、息を吐く動作だけでなく、吸う動作も体幹を鍛えることになる。

司会 その他には

モリカツさん

弟が入院中で、これからのリハビリはどのようにしたらいいでしょうか?

へっぽこ院長

在宅リハビリを支援している「レッツ」(年内で活動終了)という会があります。日本せきずい基金とリンクをしていますのでそこと相談するのも一つの方法ですね。

アサさん

NPO法人「日本せきずい基金」の情報はとても役に立ちました。私も基金の配布資料「脊損ヘルスケアー」「脊損慢性期マネージメントガイド」を読んで勉強しました。日本脊髄基金に連絡すれば送ってもらえる。

司会 もう5時になりました。まだまだ話したりないようですが第三回脊髄梗塞患者と家族の会を終了します。

誰かが

新婚さん頑張って下さい。(拍手)

終始、和気あいあいと会は終了いたしました。

 

 

「2009-11-07第二回脊髄梗塞患者と家族会、場所、京都 京大会館」


あいさつと自己紹介

<おっちゃん>

もみじの京都に良くおいで下さいました。二回目の会合ができましたのは、サイトを見た皆様やいろいろな方のおかげだと思います。 さて、平成5年頃は脊髄梗塞と検索しても一点のヒットもありませんでした。本当にこのような名前の病気はあるのかホームページをアップしてみたものの心配でなりませんでした。それが今はホームページを訪問して下さった方が8万カウントになろうとしています。いつまで続けられるかはわかりませんが身体の続くかぎりやっていきたいと思います。今日はお集まり下さいまして本当にありがとうございました。


<ああさん>

それでは自己紹介をします。 私は東京から来ました、昨年東京で参加しまして今年は世話役として参加しました。平成17年に発症し4年半になります。病院も変わりましたが、リハビリだけは週3回ほど介助を頼みましてやっています。歩行には至りませんが良い方向に変化が出てきました。痛みに付いても、このような会を通じて情報を得まして少しでも早く立てればと考えています。


<むらさん>

看護師をしています。最近、脊髄梗塞の患者さんと関わりを持ちました。何も情報がなく困っていたところ、おっちゃんのホームページに出会いこの会を知りました。いろいろな情報を得て活かしたいと思います。


<あらさん>

京都の新井です。発症は昨年の1月、当初はこの病気について何もわからず、主治医から原因不明・治療法はリハビリだけだと言われひたすらリハビリに励んだ。しかし、昨年の末に自宅で動くことがリハビリだと言われ毎日手探りで暮らしている。これからどうしていけばいいのか知りたいと思い参加しました。


<たなさん>

私は脊髄梗塞ではなく?脊髄炎です。発症が平成18年の6月、痛みが激しいので救急車で病院に行ったのですが消化不良の治療しか行われず、入院して二日目に足が動かなくなった。そこで京都の国立病院へ転院、脊髄炎と判明、寝たきりになり褥瘡(じょくそう)が発生、リハビリを専門にする病院へ転院、14ヶ月入院。当初は足の指も動かず痛みも激しい、脊髄梗塞と同じような状態であった。現在松葉杖を使い歩行できるまでになった。プールでの歩行などのリハビリを行っている、このあいだ身障者の大会で金メダルを取った。痛みに関しては大変なので是非皆様の話を聞きたい。


<のかさん>

昨年11月発症、最初ギランバレー症候群の診断を受ける。3日の治療の後脊髄梗塞と診断10ヶ月入院、現在に至っている。診断後3日後ぐらいに高齢なので歩くことも立つこともできない一生おむつで車椅子の生活ですと主治医に言われる。リハビリで立つことや歩行器で歩くことができるようになった。痛みはすごくきつい、今7種類ぐらいの薬を飲んでいる。主治医には痛みは治まらないので一生飲み続けることになると言われれているが、不安なので皆さんの情報や意見を聞きたい、高齢でもリハビリをがんばりたいと考えています。


<まえさん>

平成13年に発症、12年ほど痛い、痛くてリハビリもでき眠れない状態です。原因がわからないこともあり皆さんにその辺をお聞きしたい。


<わかさん>

7年前東名高速での事故で妻が頸椎損傷しました。痛みは半年後に発症、資料のように腰・手・足に灼熱痛、見た目は何ともないが日々痛みと闘っている。後ほどこのことについてお話しすることになります。


<せきさん>

インターネットで話すのとは違うので参加させて頂きました。平成12年に発症、来年1月には丸10年になる。5年過ぎて医者にも見放されて現在自分なりにリハビリをしている。サボりがちになるが皆様の話を聞かせて欲しい。


<まえさん>

母親の代理で参加。平成17年の5月に発症、下肢の麻痺で寝たきりの状態。1年ほど前、バクロフェン手術(手術で腹部に埋め込んだポンプから、微量のバクロフェンを脊髄の周囲の髄腔という場所に直接、継続的に注入する治療法)をしたが痛みには効果がない。今年脊髄刺激療法という脊髄に電気を流す手術をすすめられた(こちらの方が痛みに効果があるとのこと)しかし、母親が不安がりやってはいない。しびれと痛みがあり皆さんの話を聞きたいと思い参加した。


<いわさん>

7年前に病気で大量出血、脊髄に流れる血管を圧迫、脊髄梗塞と似た症状になった。その結果、前脊髄炎症候群の病名が確定。名前がわかるまでは不安だった、おっちゃんのホームページにたどり着きリハビリしている。


<はまさん>

昨年母親が急性大動脈乖離・スタンフォードA型を発症、93%まで24時間以内で死亡する症例。五島列島に住んでいるため二次救急までの対応しかできないのでドクターヘリで長崎の国立病院にて手術。手術後胸から下が動かず脊髄梗塞と診断される。病院ではベッドから車椅子、車椅子からトイレのリハビリしかやっていない。足に触っても感覚はなくほとんどベッドでの生活になっている


<とよさん>

3年前に発症、ある日突然下半身が動かなくなる。原因不明・治療法はリハビリだけ、ただ歩けるようにはなれますよと言われた。半年間入院して二本杖で帰ることができた。それから1年ぐらいで一本杖その後現在に至っている。リハビリは歩くことぐらい、病院からは日常生活がリハビリと言われた。膝から下の痛みと座っているときに尻の痛みがある。


<くまさん>

現在入院中。今年3月末に発症、突然足が動かなくなって入院、脊髄梗塞と診断される。現在リハビリ専門病院にいる。リハビリは上肢と腹筋など残っている筋肉を強め自分で何とか動けるようにと言うこと、足に装具を付け間にジョイントを入れ平行棒の間を歩く、同じ状態で二本杖を使い歩くなど。足はほとんど動かない、車椅子上で右足だけが床から10pぐらい浮かせられるぐらい。ベッドに起きて逆への字型に座ると、おしりが痛くなってくる。柔らかい車椅子に座って12時間すると痛くなってくる、おしりと下肢のしびれがずっとある。痛みを訴え医者から処方してもらった。

薬を飲むと(一日3)一日中ボーッとしっぱなしになるため一日2錠にしてもらった。痛みの消え方は1020%、ボーッとなるのは40%ぐらい。脊髄損傷の人の話を聞くと痛みはないという、どちらが良いのか。夕方6時過ぎになると痛いのでベッドに横になるが、そうすると下肢が動かないので何もできない。ものを取るときはまた車椅子に乗らなければならない、先日配偶者を亡くし現在独り身なので精神的にもつらいところがある。脊髄梗塞に関するサイトがなく、やっとおっちゃんのページにたどり着いた、でもチョッと読みにくい。京大のIPS細胞でどうにかならないのかと考え、すすんで実験台になっても良いと思っています。


<あいさん>

兄が1911月に発症、首から下が動かず固定されていた。下肢が動いていたので兄に尋ねると勝手に動いているということだった。そこで全身をさすっていた。その後どこが一番痛いのかと聞いたら右手だという、そこで右手を“ほぐして”いったら、足の動きが止まった。整体や気功をやっているので治ると確信した。四日間ぐらい通ってさすっていたが、変化がないのでネットを調べた。

そこで、おっちゃんのページにたどり着き内容を読んで絶対安静ではいけないと思い兄のところに通った。医者が来ない時、朝9時から午後6時頃まで身体をさすった。最初は排泄も意志通り行かないぐらいだったのが、3ヶ月ぐらい続けると回復し現在は自転車に乗れるぐらいまでになった。医者は治療法がないと言うことで絶対安静を指示するが、筋肉や関節が固まらない様さすったりが大切だ。


<こせさん>

発症は20002月、仕事に行く途中の自家用車の中で腹痛、仕事場に着いたとたん、救急車で病院に運ばれる。最後、脳神経外科の病院で脊髄梗塞の診断。最初は下半身動かず、導尿・下剤による排便だった。ひょっとすると、一番最初の病院で痛み止めのボルタレンを処方されたのが効いたのかもしれないと考えている。一週間ぐらいで導尿がとれて3週間で歩けるようになったので退院となった。右下肢の痛みとしびれが残っている。寒い地方なので冬は特にきつい。

不自由な右足で運転して事故を起こした。現在、右足アクセル・左足ブレーキで運転している。右足の麻痺が昂進してきたら、左足アクセルに変えようと考えている。便意がはっきりしないためか直腸穿孔になり現在人工肛門である。便器に座るのも立つのもつらかったので、立ったまま処理できる人工肛門は良い面もある。人工肛門になると、それだけで障害年金3級になると知り驚いている

*参加者、無記名アンケート*

発症から現在に至るまで

後遺症の対処状況

 

 

発症年月日

身体機能の後遺障害状態

痛み、痺れの状況、程度

膀胱、直腸障害の有無

リハビリ

痺れへの対応(薬の使用状況、効果のご意見)

トイレ関係の対応排尿、排便方法、失敗時の対処の仕方

その他、日常生活で役に立つ情報や困っている事など、なんでも

Aさん

H21.3

両下肢麻痺 立位、歩行困難

尻痛、両下肢痺れ

あり

病院での上肢、腹筋トレーニング、足首ストレッチ、長下肢装具トレ、ベッド上リハ

メチクール(効果なし)+テレスミン(1020%軽減、眠気伴う)

自己導尿(昼3時間、夜6時間おき)毎朝排便(薬無し)

 

Bさん

H14.7

下肢麻痺、現在、外出時杖使用

腰から下,我慢できる程度のジンジン、締め付けられるような痛み)

発症一ヶ月感覚なし,その後正常

週一回整体院歪み矯正、ほぐし、その後加圧リハビリ、翌日マッサージを各1時間

副作用で眠気が伴うので薬は不使用

 

 

Cさん

H17.5

両下肢麻痺

痛み痺れ頻繁にある

あり

ほとんどしない

ボクロフェン手術を試みたが効果なし

 

脊髄刺激療法について情報があれば教えて欲しい

Dさん

H12.1

下半身痺れ(足首、土踏まずが特に)

痛みは無いが痺れをきつく感じる(薬のせいか?)

あり

ストレッチ、負荷運動

ツムラ牛車腎気丸2.5gエパデールS900r(痺れを強く感じるようになった)

自力排尿、人工肛門

温泉療法、健康サンダル、立位傾斜台

Eさん

H19

正座、しゃがみは出来ないが杖歩行が出来る

膝下の痺れが酷い。座位でのお尻の痛みがある

何とか自力で出来るが尿もれはよくある

散歩を兼ねて歩くようにしているが他には特にしていない。

ガバベン1日3回3錠ずつ。パキシル夜1錠

夜、一回自己導尿、残尿は日によって違うが万が一出なくなったとき自分で出来れば安心なのでしている。もれ対策にいつもパットを使用

痺れ痛みの治療法、薬を一番知りたい。尿もれ対策も薬が効果が無いので教えて欲しい。

Fさん

H12.2

下肢疼痛、痺れ、歩行障害

常に痺れている

ストマのため直腸の障害無し、膀胱障害少しあり

特にしていない

現在、投薬治療無し

 

ストマのため排便は楽。排尿は何とか自然にできる

 

Gさん

H21.10

両下肢麻痺

あり

ベッド上で上肢筋力運動、下肢拘縮予防の関節可動訓練

 

痺れ痛みなし

浣腸、下剤使用。尿道カテーテル挿入中

 

Hさん

H20.1

歩行障害,足の痺れ

右足に強い痺れ

なし

特にしていない

特になし

便秘気味なので市販薬使用。

今後のリハビリをどの様にしたらよいのか? 

Iさん

H16.1

腰より下部の機能障害

運動をした場合夜痛みを強く感じる

有、自己導尿、排便は下剤と浣腸時に適便

官庁

歩行練習、家では歩行器、病院で松葉杖(両)で約40mほど歩行、片松葉杖と手摺をもって、高さ20pの階段5段を一往復。

、処方を受け服用してるが、効果はわからない又夜にムクミがでる

I自力排尿で150〜200mlでるが必ず残尿が400〜500mlあり自己導尿。定期的に便所にいくが長時間外出時はパットをつけている

皆さん歩いておられると聞きましたが、私も歩いていますが少し歩くと痛みが襲ってきて歩行を止めてしまう。

Jさん

H5.5

医師に寝たきり垂れ流しと言われたが今は杖をつけば歩けるようになっています

毎日、痛みとムクミが酷い

有。自己導尿、排便は薬を使用

毎日、杖2本で5km歩くようにしています

今はチョッと間,全部やめています

日に6〜7回自己導尿。2〜3日に排便、ラキソベロンで調節し、オムツのようなあてものをし、布団の上にゴムが裏についてる敷物をしています。

 

Kさん

H14

歩行障害

有り

強い

車椅子に捕まり歩く

セルシン錠を時々飲む

自己導尿一日七回、適便一日一回出てもでなくても

膝から下が特に痛く夜ねむれない日が続く、昼寝もあまり出来ない。

Lさん

H14.8

高度不全四肢マヒ。立位、歩行回復

腰から下の灼熱痛(足の周りに沢山のストーブを並べて焼かれてるよう。手指の痺れこわばり、特に左小指のちぎれると思うほどの痛み。

有。自己導尿(一日2 )それ以外はトイレで自尿.酸化マグネシュウム(便を柔らかくする)とパントシン酸(腸を動かす)の助けを借りて自然排便

週一回OTPTPTでは筋肉をほぐしてからの歩行、ハーネスで体を固定、縣下してトレッドミルでの歩行(1.5km設定で5分を2)

リオレサール、ノイロトロビン、トレドミン、ガバベン、セルシン、翼突筋除痛療法、ハリ治療

腸の薬(パンシトン)で動かしているため、急激に便意が襲い、間に合わない事が年に数回ある

 

Mさん

H19.11

発症時、首から下のマヒ。その後歩行回復、自転車も乗れる

全身のしびれ

有り(悪し)

現在はしていない

自分で行っている

 

 

 

Nさん

H17.8

両下肢麻痺、立位、歩行困難

最近、就寝時太もも附近に強い痛みで目が覚めることがある(リハビリをした日に発現する)

自己導尿16回、2日に一度レシカルボン坐剤で排便。酸化マグネシュムと整腸剤ビオフェルミンを服用 

週三回自宅で介助リハビリ、月二回リハビリジムでのトレーニング、随時自主リハ

入院当初メチコバールを処方してもらったが効果なし

尿意が無いので溜まり過ぎ(400ml以上)に注意していたが最近、おしっこサインで反射で出るようになった。便意が無いため下剤は時間コントロールができず失敗をしたのでレシカルボン坐剤でコントロールしている。潤滑剤の残りで布団を汚す事があるので敷布の下にシートを敷くのと、危ない時はお尻に当て布をしている。

 

 

発症年月日

身体機能の後遺障害状態

痛み、痺れの状況、程度

膀胱、直腸障害の有無

リハビリ

痺れへの対応(薬の使用状況、効果のご意見)

トイレ関係の対応排尿、排便方法、失敗時の対処の仕方

その他、日常生活で役に立つ情報や困っている事など、なんでも

発症から現在に至るまで

後遺症の対処状況

 

決算報告

遅れましたが、昨年の脊髄梗塞患者と家族の会の会計を報告します。
2009年第2回脊髄梗塞患者の会 決算報告 会計、世話役(O-Koseki)

収入 47,587

参加費 21,500
前回残金 26,087
計 47587

支出 24,660

会場費 9,660
お茶代 5,000
講演お車代 10,000
計 24,660

残金 22,927

残金は、次回会場費等に回します。
 

これまでの経過2009脊髄梗塞患者と家族の会 若園さんの講演

痛みというものはなかなか表現できない。激痛はなかなか他人には理解してもらえない。我が家の場合は痛みに関して、かなり適切に対応してもらっている。ほったらかしで痛みを理解されなくて傷ついている患者がたくさんいると感じている。その様なことを考えサイトを運営している。いろいろなご意見を伺えればと考えている。

 

平成14813日 東名高速下り車線日本坂トンネル出口付埠にて交通事故。救急車にて焼津市立総合病院に入院。

C5,6頚骨脱臼骨折、頚髄損傷、高度不全四肢麻痺」と診断され首の牽引や固定などの処置を受けた。         左手肘と肩がわずかに動くのみ指は動かない。右手両足は、まったく動かなかったが、意識は正常だった。

「身体がマリオネットになったみたい・」本人談、本人にも一生後遺症が残ると宣言され、残酷だなあ」

とそのときは思ったが今考えると、はやく心の準備ができて良かったと考えている

    820日  手術のため東京・御茶ノ水の三楽病院に移送。

    821日  首の骨を金属のプレートなどで固定する手術を受けた。

    827日  手術をしたおかげで、ベッドから離れ、車いすに乗ることが可能に

    910日  指が麻痺し握ることができないため、手に固定できるスプーンとフォークを使い、
看護師さんに手伝ってもらいながら、なんとか動く方の左手で食事をした。手術後、転院を要請されるがどこの病院に行けば良いのか良く判らない状態に。

    917日  主治医の紹介で埼玉県三郷市のM病院に転院。頸髄損傷患者を受け入れる態勢が全く整っておらず不安な入院生活を過ごす。

          四肢麻痺の患者には絶対必要な電動ベッドは特別室にあるのみ、差額ベッド付き添い人代で支出が膨大となる。しかし、看護師さんたちの対応は優しく丁寧で、褥瘡を作ることもなく過ごせたことに感謝している。

    925日  兄からの情報で、頸髄損傷患者に対応している東京都武蔵村山市の国立療養所村山病院に転院。

    930日  神奈川県厚木市神奈川リハビリテーション病院に転院。本格的なリハビリがスタート。

入院のお願いに行ったとき、退院後の予定について質問され「まだ考えていない」と答えたところ、入院を断られた。
入院したままで居続けられる問題があったようだ。家を改装し家庭の受け入れ態勢を整えることを約束することで入院を許可された
5ヶ月の入院で、車椅子での移動、杖での歩行を獲得。

平成152月頃、ガスバーナーで焼かれるような下肢の灼熱痛。腰のジンジンする痺れを伴った痛みなどの「痛み」が現れ始め医者に訴えるが、あまり真剣に対応してもらえず。しだいに痛みは強くなる。

       35     神奈川リハビリテーション病院退院、家の改装がまだできていないのにもかかわらず病院の都合で退院を強く要請される。

   330日 家の改装工事も完了し、自宅での療養生活開始、家がバリアフリーになっても、一人での生活は不可能。平日の午前中は、お手伝いの方にきていただき、午後からは訪問看護の制度を利用し、看護師さんにお願いした。

午前中ヘルパーを頼もうと思ったが家族共同のトイレ掃除はできない、食事も本人の分だけ、というのでシルバー人材センターからお手伝いさんを派遣してもらった。理学療法士にも来てもらったが痛みについては理解してもらえなかった。大げさ、怠け・心の傷等と、とらえられる。ネットで調べたが脊髄損傷患者の10人に2人ぐらいが疼痛で苦しんでいるようだった。脊髄損傷後の痛みは大変なもので、それまでネットで活動していた人が痛みのためやめてしまうという例もあることに気づいた。

        痛みのため、せっかく取り戻した歩行も苦痛に。外出も拷問のように感じる日々が続き、引きこもりがちな生活に。

平成168月  藤田保健衛生大学病院リハビリテーション科、才藤栄一先生の診察をうける。痛みについて、親身に対応してくれる医者に出会ったのはこれが初めてで、本当に嬉しかった。 これまでは「もうやることはない」と言われていたがここでは「試すことはいっぱいある」と言われ救われた気分になった。また「リハビリは厳しく日常生活はなるべく楽に」といわれた。厳しくしないと甘えるというような、これまでの考えを改めた。

テグレトールなどの投薬を試す。(テグレトールは、ねむけ、白血球減少などの副作用が現れて使用中止)

  9月〜10月藤田保健衛生大学病院に20日程入院。色々な薬を試したり、痛みを考慮したリハビリに取り組んだりする。

体調の管理、水分補給の調整、カテーテルの使用法などを身につけ排泄の自立を獲得。近所なら電動アシスト付きの車椅子を使い一人での外出もできるようになる。

平成179月    キッチンを改装、一人で炊事ができるようになる。

平成181月    藤田保健衛生大学病院に20日間ほど2度目の入院。1人で電車に乗ることもできるようになる。

     3月    週1度藤田保健衛生大学病院へ、私鉄、JR、バスを乗り継ぎ2時間半かけての通院開始

平成192       自分で運転できるように車を改造。

     4月   1人で車を運転できるようになる。

     8月   スポーツクラブに入会、水中ウオーキングに通うようになる。

平成209月   手の外側、小指から肘までの物が触れただけで痛みと感じる症状が悪化。車の運転、炊事、車椅子を漕ぐなどの動作が苦痛に。

     10月   藤田保健衛生大学病院に3度目の入院。それまで服用していた、リオレサール、セルシン、ノイロトロピンにトレドミンが加わる。

平成213月   福岡市山田歯科にて線維筋痛症と診断される。翼突筋除痛療法開始。

          あごから出る痛み信号を止める治療という。事故直後あごがガクガクするという症状があった。そのためもしかすると痛みが和らぐかもしれないと考え受診。結果、その症状がなくなるとともに、顔のむくみもとれほっそりしてきた。手足の動きもスムーズになったとリハビリの先生にも言われる。痛みが和らぐということは実感できていない。

     7月   月2回のぺ一スで福岡まで飛行機で通院。ガバペン服用開始。ガバペンは腰から下の灼熱痛には効いているかもしれない。 

痛みについて

 脊髄痛、中枢性神経因性疼痛などの場合、普通の鎮痛剤は効かない。抗うつ剤・筋弛緩剤・精神安定剤などが処方される。しかし、劇的に効くわけではなく効いたか効かないかわからないぐらいである。その上、人により効き方がぜんぜん違う、副作用も複雑なので経験豊富な医者に処方してもらう必要がある。その様な医者が増えて欲しいものである。

 

  治療薬

  【現在使用中の薬】

   リオレサール  抗痙縮薬 筋弛緩剤、

   セルシン    精神安定剤 ベンゾジアゼピン系抗不安薬

   トレドミン   抗欝薬 セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)

   ノイロトロピン 下行性痩痛抑制賦活型疹痛治療剤

   ガバペン    抗てんかん剤 

 将来期待できる薬としてはリリカがある。また、大麻由来の薬があるが日本では「大麻取り締まり法により完全に使用禁止になっている。いかなる理由でも使用した場合、医師・患者とも懲役刑となる。認可され効果をあげている国も多いのだから是非、認可して欲しいし、すべきである。皆さんも声を上げて下さい。 

 【将来的に期待する薬】

   リリカ(プレガバリン) 30%以上の疼痛スコア軽減カンナビノイド系薬品 アメリカのいくつかの州、カナダ、オランダで脊髄損傷後の激しい痛みの治療に使用されている。わが国では、医療用であっても、大麻取              締法により禁止されている。例外は認められていない。

 疼痛閾値

 痛みに耐える力が弱くなる因子は、不眠・疲労・不安・恐怖・怒り・悲しみ・うつ状態・社会的個人的孤独感・苛立ち等。

痛みが和らぐ因子は、人とふれあう・会話する・気分が高まる・よく寝る・気晴らし・安らぎ、楽しいことへの集中等。脳の研究でもその様なことが痛みの感覚を下げるという結果が出ている。 

 痛みの原因による分類

 国際疼痛科学会では痛みを大きく三つに分けている。

 T侵害受容性疼痛 U神経因性疼痛(末梢神経性・中枢神経性) V心因性疼痛 

 一般的な痛みはTの侵害受容性疼痛で身体の異常を知らせるための痛みです。神経因性疼痛というのは神経が傷つくことで発症すると見られています。妻の場合はUの神経因性疼痛と考えられる。(これだけではないが)脊髄の損傷である。中枢神経性の神経因性疼痛であり、この疾病を患った人は普通の社会生活を送ることができるのはたった3割ぐらいとも言われている。そのため自殺を試みる人も見られる。 

我が国の医療の問題

 痛みについて医者が理解していない。これが一番の問題。痛みというと一般的な医者は“侵害受容性疼痛”と考える。そうでない場合は“心因性疼痛”と診断してしまう。患者にとって痛みが“心”の問題とされる程つらいものはない。医者から言われると本人もそう思ってしまい“自分の心がけが悪い”“怠けている”と自分を責めることになる。家族にも同様の説明をされると家族からも責められる。このような悲しい状況が結構多くあるのではないか。

 神経因性疼痛は痛み止めが効かない。そのため“抗うつ剤・抗てんかん剤”等が処方される。しかし、それらを勉強している医者は大変少ない。知識のない医者はどうしようもなくなるので、匙を投げてしまう。(下にある医者のブログからのコピーを記す) 

※我家のWebサイトを見たあるお医者さんのコメント

 ページを拝見し、改めて痛みと言うのは他者には理解されにくく患者さんにとって辛い症状なのだなと思いました。僕も研修医の頃に、癌で脊髄損傷になり激しい痛みを訴える患者さんを受け持ったことがあります。痛み止めがあまり効かず、患者さんも精神的に追い詰められていました。患者さんだけではなく、家族も辛い症状を聞くことでとても辛い思いをされているようでした。患者さんは医療に対して失望し苛立っており、僕は会いに行くのがとても辛く、患者さんに対して逃げ腰でした。今から思うととても後悔しています。

 辛い気持ちを受け止めてあげる余裕がなく、また、どのような治療も効かないので自分に出来ることはもう無いのだとあきらめてしまっていました。しかし、患者さんは自分の症状から逃げることは出来ないのですよね。辛い気持ちを受け止める、大きな心を持たなくてはいけないと思います。

(内科医フロッガー先生のブログより転載) 

具体的な問題は次の通り

【脊髄損傷後のリハビリプログラムに疹痛管理が入っていない】.

外国の資料では疼痛管理が入っているが、日本のそれにはほとんど見られない。痛みに対する認識が患者側のものとなっていない。

【ドラッグラグの問題】

外国で使われている薬が日本で認可されるまで相当の時間が経ってしまう。

【制度が優先され、患者のものになっていない】

病院のシステムが患者の環境や事情を考慮する体制になっていない。家をリハビリ用に改装するのにあと半月必要なのにもかかわらず、即退院を要求され転院のための苦労を強いられた。

【医療機関の横のつながりが確立されていないため、適切な情報が得られない患者が多い】

手術の後どこの病院でリハビリすればよいのかちっとも教えてくれない。我が家の場合は友だちの紹介で良い病院を見つけられたが、それがなかったら、どうなっていたかわからない。 

ペインピジョン(ニプロ)

人工的に作った痛みに似た刺激と、痛みとを比較することで痛みの大きさを数値化する機械。普通人が耐えられる限界100400(朝日新聞患者を生きるより)。一般的に痛い病気として知られる関節リュウマチ患者の平均値400(報道ステーション特集線維筋痛症による)。妻の測定値は1013(平成213月末)普通の人には信じられないぐらい大きな痛みを妻は常に抱えていることがこれにより分かる。

あまり普及していないが痛みの深刻さを医療者に伝える手段として有効ではないか。 なかなか患者の数が多くないこともあり難しいが、このような会を通して患者の力を合わせ声を上げていきましょう。

拍手

 

 

2010-3-1

wakazonoさんより下記の情報を頂きました。

昨年末、厚生労働省による「第1回慢性の痛みに関する検討会」 が行われたとの情報を得ました。

大阪大学の柴田政彦先生により、脊髄損傷後疼痛について詳しく述べられています。
議事録が公開されています。
 http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/12/txt/s1210-10.txt
 わが国の痛みに対する医療は随分遅れています。今後、痛み
医療に対する国家的取り組みが進むといいですね。
 また、日本せきずい基金さんから『脊損慢性期マネジメントガイド』が刊行されました。

その「第6章 脊損慢性期疼痛」に痛みについて詳しく述べられています。
もし、お持ちでなければhttp://www.jscf.org/news/#news_data_no_0
にてお申し込みされるとよいかもしれません。

 

 

 

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