痛みというものはなかなか表現できない。激痛はなかなか他人には理解してもらえない。我が家の場合は痛みに関して、かなり適切に対応してもらっている。ほったらかしで痛みを理解されなくて傷ついている患者がたくさんいると感じている。その様なことを考えサイトを運営している。いろいろなご意見を伺えればと考えている。
平成14年8月13日 東名高速下り車線日本坂トンネル出口付埠にて交通事故。救急車にて焼津市立総合病院に入院。
「C5,6頚骨脱臼骨折、頚髄損傷、高度不全四肢麻痺」と診断され首の牽引や固定などの処置を受けた。 左手肘と肩がわずかに動くのみ指は動かない。右手両足は、まったく動かなかったが、意識は正常だった。
「身体がマリオネットになったみたい・」本人談、本人にも一生後遺症が残ると宣言され、残酷だなあ」
とそのときは思ったが今考えると、はやく心の準備ができて良かったと考えている
8月20日 手術のため東京・御茶ノ水の三楽病院に移送。
8月21日 首の骨を金属のプレートなどで固定する手術を受けた。
8月27日 手術をしたおかげで、ベッドから離れ、車いすに乗ることが可能に
9月10日 指が麻痺し握ることができないため、手に固定できるスプーンとフォークを使い、 看護師さんに手伝ってもらいながら、なんとか動く方の左手で食事をした。手術後、転院を要請されるがどこの病院に行けば良いのか良く判らない状態に。
9月17日 主治医の紹介で埼玉県三郷市のM病院に転院。頸髄損傷患者を受け入れる態勢が全く整っておらず不安な入院生活を過ごす。
四肢麻痺の患者には絶対必要な電動ベッドは特別室にあるのみ、差額ベッド付き添い人代で支出が膨大となる。しかし、看護師さんたちの対応は優しく丁寧で、褥瘡を作ることもなく過ごせたことに感謝している。
9月25日 兄からの情報で、頸髄損傷患者に対応している東京都武蔵村山市の国立療養所村山病院に転院。
9月30日 神奈川県厚木市神奈川リハビリテーション病院に転院。本格的なリハビリがスタート。
入院のお願いに行ったとき、退院後の予定について質問され「まだ考えていない」と答えたところ、入院を断られた。 入院したままで居続けられる問題があったようだ。家を改装し家庭の受け入れ態勢を整えることを約束することで入院を許可された5ヶ月の入院で、車椅子での移動、杖での歩行を獲得。
平成15年2月頃、ガスバーナーで焼かれるような下肢の灼熱痛。腰のジンジンする痺れを伴った痛みなどの「痛み」が現れ始め医者に訴えるが、あまり真剣に対応してもらえず。しだいに痛みは強くなる。
3月5日
神奈川リハビリテーション病院退院、家の改装がまだできていないのにもかかわらず病院の都合で退院を強く要請される。
3月30日 家の改装工事も完了し、自宅での療養生活開始、家がバリアフリーになっても、一人での生活は不可能。平日の午前中は、お手伝いの方にきていただき、午後からは訪問看護の制度を利用し、看護師さんにお願いした。
午前中ヘルパーを頼もうと思ったが家族共同のトイレ掃除はできない、食事も本人の分だけ、というのでシルバー人材センターからお手伝いさんを派遣してもらった。理学療法士にも来てもらったが痛みについては理解してもらえなかった。大げさ、怠け・心の傷等と、とらえられる。ネットで調べたが脊髄損傷患者の10人に2人ぐらいが疼痛で苦しんでいるようだった。脊髄損傷後の痛みは大変なもので、それまでネットで活動していた人が痛みのためやめてしまうという例もあることに気づいた。
痛みのため、せっかく取り戻した歩行も苦痛に。外出も拷問のように感じる日々が続き、引きこもりがちな生活に。
平成16年8月 藤田保健衛生大学病院リハビリテーション科、才藤栄一先生の診察をうける。痛みについて、親身に対応してくれる医者に出会ったのはこれが初めてで、本当に嬉しかった。 これまでは「もうやることはない」と言われていたがここでは「試すことはいっぱいある」と言われ救われた気分になった。また「リハビリは厳しく日常生活はなるべく楽に」といわれた。厳しくしないと甘えるというような、これまでの考えを改めた。
テグレトールなどの投薬を試す。(テグレトールは、ねむけ、白血球減少などの副作用が現れて使用中止)
9月〜10月藤田保健衛生大学病院に20日程入院。色々な薬を試したり、痛みを考慮したリハビリに取り組んだりする。
体調の管理、水分補給の調整、カテーテルの使用法などを身につけ排泄の自立を獲得。近所なら電動アシスト付きの車椅子を使い一人での外出もできるようになる。
平成17年9月
キッチンを改装、一人で炊事ができるようになる。
平成18年1月
藤田保健衛生大学病院に20日間ほど2度目の入院。1人で電車に乗ることもできるようになる。
3月 週1度藤田保健衛生大学病院へ、私鉄、JR、バスを乗り継ぎ2時間半かけての通院開始
平成19年2月
自分で運転できるように車を改造。
4月 1人で車を運転できるようになる。
8月 スポーツクラブに入会、水中ウオーキングに通うようになる。
平成20年9月 手の外側、小指から肘までの物が触れただけで痛みと感じる症状が悪化。車の運転、炊事、車椅子を漕ぐなどの動作が苦痛に。
10月 藤田保健衛生大学病院に3度目の入院。それまで服用していた、リオレサール、セルシン、ノイロトロピンにトレドミンが加わる。
平成21年3月 福岡市山田歯科にて線維筋痛症と診断される。翼突筋除痛療法開始。
あごから出る痛み信号を止める治療という。事故直後あごがガクガクするという症状があった。そのためもしかすると痛みが和らぐかもしれないと考え受診。結果、その症状がなくなるとともに、顔のむくみもとれほっそりしてきた。手足の動きもスムーズになったとリハビリの先生にも言われる。痛みが和らぐということは実感できていない。
7月 月2回のぺ一スで福岡まで飛行機で通院。ガバペン服用開始。ガバペンは腰から下の灼熱痛には効いているかもしれない。
痛みについて
脊髄痛、中枢性神経因性疼痛などの場合、普通の鎮痛剤は効かない。抗うつ剤・筋弛緩剤・精神安定剤などが処方される。しかし、劇的に効くわけではなく効いたか効かないかわからないぐらいである。その上、人により効き方がぜんぜん違う、副作用も複雑なので経験豊富な医者に処方してもらう必要がある。その様な医者が増えて欲しいものである。
治療薬
【現在使用中の薬】
リオレサール 抗痙縮薬 筋弛緩剤、
セルシン 精神安定剤 ベンゾジアゼピン系抗不安薬
トレドミン 抗欝薬 セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)
ノイロトロピン 下行性痩痛抑制賦活型疹痛治療剤
ガバペン 抗てんかん剤
将来期待できる薬としてはリリカがある。また、大麻由来の薬があるが日本では「大麻取り締まり法により完全に使用禁止になっている。いかなる理由でも使用した場合、医師・患者とも懲役刑となる。認可され効果をあげている国も多いのだから是非、認可して欲しいし、すべきである。皆さんも声を上げて下さい。
【将来的に期待する薬】
リリカ(プレガバリン) 30%以上の疼痛スコア軽減カンナビノイド系薬品 アメリカのいくつかの州、カナダ、オランダで脊髄損傷後の激しい痛みの治療に使用されている。わが国では、医療用であっても、大麻取 締法により禁止されている。例外は認められていない。
疼痛閾値
痛みに耐える力が弱くなる因子は、不眠・疲労・不安・恐怖・怒り・悲しみ・うつ状態・社会的個人的孤独感・苛立ち等。
痛みが和らぐ因子は、人とふれあう・会話する・気分が高まる・よく寝る・気晴らし・安らぎ、楽しいことへの集中等。脳の研究でもその様なことが痛みの感覚を下げるという結果が出ている。
痛みの原因による分類
国際疼痛科学会では痛みを大きく三つに分けている。
T侵害受容性疼痛 U神経因性疼痛(末梢神経性・中枢神経性) V心因性疼痛
一般的な痛みはTの侵害受容性疼痛で身体の異常を知らせるための痛みです。神経因性疼痛というのは神経が傷つくことで発症すると見られています。妻の場合はUの神経因性疼痛と考えられる。(これだけではないが)脊髄の損傷である。中枢神経性の神経因性疼痛であり、この疾病を患った人は普通の社会生活を送ることができるのはたった3割ぐらいとも言われている。そのため自殺を試みる人も見られる。
我が国の医療の問題
痛みについて医者が理解していない。これが一番の問題。痛みというと一般的な医者は“侵害受容性疼痛”と考える。そうでない場合は“心因性疼痛”と診断してしまう。患者にとって痛みが“心”の問題とされる程つらいものはない。医者から言われると本人もそう思ってしまい“自分の心がけが悪い”“怠けている”と自分を責めることになる。家族にも同様の説明をされると家族からも責められる。このような悲しい状況が結構多くあるのではないか。
神経因性疼痛は痛み止めが効かない。そのため“抗うつ剤・抗てんかん剤”等が処方される。しかし、それらを勉強している医者は大変少ない。知識のない医者はどうしようもなくなるので、匙を投げてしまう。(下にある医者のブログからのコピーを記す)
※我家のWebサイトを見たあるお医者さんのコメント
ページを拝見し、改めて痛みと言うのは他者には理解されにくく患者さんにとって辛い症状なのだなと思いました。僕も研修医の頃に、癌で脊髄損傷になり激しい痛みを訴える患者さんを受け持ったことがあります。痛み止めがあまり効かず、患者さんも精神的に追い詰められていました。患者さんだけではなく、家族も辛い症状を聞くことでとても辛い思いをされているようでした。患者さんは医療に対して失望し苛立っており、僕は会いに行くのがとても辛く、患者さんに対して逃げ腰でした。今から思うととても後悔しています。
辛い気持ちを受け止めてあげる余裕がなく、また、どのような治療も効かないので自分に出来ることはもう無いのだとあきらめてしまっていました。しかし、患者さんは自分の症状から逃げることは出来ないのですよね。辛い気持ちを受け止める、大きな心を持たなくてはいけないと思います。
(内科医フロッガー先生のブログより転載)
具体的な問題は次の通り
【脊髄損傷後のリハビリプログラムに疹痛管理が入っていない】.
外国の資料では疼痛管理が入っているが、日本のそれにはほとんど見られない。痛みに対する認識が患者側のものとなっていない。
【ドラッグラグの問題】
外国で使われている薬が日本で認可されるまで相当の時間が経ってしまう。
【制度が優先され、患者のものになっていない】
病院のシステムが患者の環境や事情を考慮する体制になっていない。家をリハビリ用に改装するのにあと半月必要なのにもかかわらず、即退院を要求され転院のための苦労を強いられた。
【医療機関の横のつながりが確立されていないため、適切な情報が得られない患者が多い】
手術の後どこの病院でリハビリすればよいのかちっとも教えてくれない。我が家の場合は友だちの紹介で良い病院を見つけられたが、それがなかったら、どうなっていたかわからない。
ペインピジョン(ニプロ)
人工的に作った痛みに似た刺激と、痛みとを比較することで痛みの大きさを数値化する機械。普通人が耐えられる限界100〜400(朝日新聞患者を生きるより)。一般的に痛い病気として知られる関節リュウマチ患者の平均値400(報道ステーション特集線維筋痛症による)。妻の測定値は1013(平成21年3月末)普通の人には信じられないぐらい大きな痛みを妻は常に抱えていることがこれにより分かる。
あまり普及していないが痛みの深刻さを医療者に伝える手段として有効ではないか。 なかなか患者の数が多くないこともあり難しいが、このような会を通して患者の力を合わせ声を上げていきましょう。
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