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私の生まれたところ、伊切町の今昔伊切町300年の経緯
旧住所、石川県江沼郡篠原村字伊切
新住所、石川県加賀市伊切町
人口及び世帯数(平成20年06月現在)情報協力中道政憲様
年度 |
世帯数 |
推定人口 |
明暦 |
7 |
不明 |
昭和16 |
50 |
384 |
昭和22 |
56 |
392 |
昭和29 |
78 |
474 |
昭和39 |
81 |
436 |
昭和45 |
84 |
413 |
昭和52 |
98 |
476 |
平成元年 |
128 |
520 |
平成20 |
123 |
492 |
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*製塩について 明暦年間(1653)明治43年(1910)製塩をする。
明治43年の出来高 126,040斤
*製塩復活!
2011-3月 不審火により、塩たきの建物全部消失してしまい現在休業中!
平成15年6月吉日、伊切町の有志一同により製塩復活の試み!
伊切浜において製塩復活の様子画像(画像提供、小嶋美智子さま)
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*製塩第二弾
伊切の塩第ニ弾おくります。
ようやく梅雨が明け8月5日塩田開きをしました。市長さん始め、新聞、テレビ局、小学生の体験学習など、華々しい幕開けとなりました。 当日の式典には仕事で参加出来ず、その写真がとれなかったのは残念です。 塩味は昔の味がしました。(取材、写真提供、小嶋美智子さま)
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*漁業について
(地引き網)明暦年間移住と同時に漁業に従事する。明治末期2大勢力の地引き網(下瀬引き網) (上瀬引き網)が合併する。その他小網(家内網)があったが昭和37の高波にさらわれ漁業道具は流失し現在は地引き網3〜4統 定置網3統 刺し網3〜4統あるのみです。 現在の水揚げ高は1億円ほどと思われます。
* 水田について
当地には水田は少なかった。
藩政末期大聖寺藩主前田公が藩内の見回りで(巡視)当時その先導役を務めたところが其村のものとなったそうです。伊切町には殿様が潮津町より来られました現在の療養所前から平和の塔までの間をいただき(約5町)水田を耕作することが出来た。町民は粟や麦などを混ぜて食した。大正年代潮津の田え出耕作する方もありました。昭和17年戦時下の食糧増産で29町が完成し米の拠出する家も出てきました。昭和28年加賀三湖干拓事業の為水田5町歩畑地20町歩買収され昭和35年度より山林を切り開き水田39町歩が出来た。
水田面積 72町歩・・・・・・米4795表
畑面積 5町歩・・・・・・自家用作物のみ
山林 ・・・・・・・・ 保安林のみ
又畑作は作物を色々と耕作し山中-山代-大聖寺と振売行商をしたが現在はほとんど行商は行われていません、その代わり撚糸業が増えてきました。
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加賀の方言
ニャアニャ(娘さん)メエ−ロ(女)アネサマ(おかみさん)アンニャサマ(中年女性)オッカ(母)オンバ(乳母)バアバ(祖母)ネンネ(赤子)アンニャサマ(奥様)オワンサン(青年主人)オジマ(弟)オッサマ(伯父)アンカ(兄又は成年男子)ウラ(自分)ウララ(私ら)ヘゴムク(横向く)デンジャ又はドンジャ(どうしたの)ダラケ(馬鹿者)ベベしよう(SEXしよう)
伊切町生誕三百三十五周年
古人の言い伝えによれば、遠く明暦年間、越前福井の城主松平忠直公の若かりし頃の乱行(孕女惨殺)を逃れて越前の国坂井郡三国、及び棗村方面より安住の地を求めて当地に移住し集落を営めりと伝えられてまいりました。移住地は当時海岸よりの現在高速道路になったあたりかと思われます、(別紙図)の下屋敷だといわれており、次は上へ上がって屋敷割で現在は三回目ほどの移動かと思われますが、浜風に追われて次々と上へ上へと移動したものと思います。
江沼郡勢一覧及び江沼郡誌によれば(明暦年中越前の国坂井郡棗村より漁民七戸が移住し製塩と漁業を営めリ)と記されております。当町の古文書によれば大聖寺藩主前田様より、塩に付いては高く評価されたと伝えられており、明治四十三年まで製塩業に励んでまいりました。又昔からの口伝えによれば(何々どん)と呼ばれた家は当時移住された先祖だと言われております。
*昭和16年に町民の総意で伊切八幡神社が完成したものと思われます。 戻る
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*伊切町、屋号、印、初代先祖、等の覚書
戸主名 |
先祖 |
印 |
屋号 |
戸主名 |
先祖 |
印 |
屋号 |
浜本中宗 |
忠平衛 |
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おいたば |
中村勲 |
成右衛門 |
|
もよんどん |
西野孝一 |
籐右衛門 |
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とよもん |
佐々木一敏 |
三右衛門 |
|
ごんべどん |
西出清太郎 |
善助 |
|
ぜんすけ |
中出長市 |
長四郎 |
|
|
上出明平 |
七右衛門 |
|
ひっちょんどん |
中谷保彦 |
長次郎衛門 |
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じろんさ |
浜中健蔵 |
孫治郎 |
|
まぐっさ |
岡田広満 |
伝九郎 |
| でんくろさ |
浜谷 |
宗右衛門 |
|
くろんさ |
松原弘 |
間右衛門 |
|
まよんさ |
小島平治 |
源七 |
|
げんちょうじ |
松中行信 |
七郎右エ門 |
|
こえさ |
浜出哲郎 |
半與門 |
|
はんじょう |
元谷哲 |
右エ門 |
|
もとや |
荒井清 |
治郎エ門 |
|
なからい |
角谷健作 |
太助 |
|
たすけ |
清水ハル |
清與門 |
|
せんどん |
浜村年明 |
右エ門 |
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さんにょんさ |
脇坂武 |
宗右衛門 |
|
くよんさ |
南出行成 |
善助 |
|
|
北村修一 |
又與門 |
|
またぐさ |
元谷衛 |
栄蔵 |
|
えいぞ |
塩浦重吉 |
三郎右エ門 |
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しよんさ |
小坂武雄 |
定吉 |
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でまち |
北出庄一 |
庄兵衛 |
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しょべさ |
南中寛治 |
喜平 |
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きいさ |
東出武男 |
権右エ門 |
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ぶえ |
山本康彦 |
弥平 |
|
やえさ |
太田俊助 |
五平 |
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ごへさ |
松永良雄 |
惣右エ門 |
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そよもじ |
北中忠雄 |
與兵衛 |
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よよ−じ |
平田清 |
庄三郎 |
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そざおじ |
松本吉之助 |
徳右エ門 |
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きっちょんさ |
佐々木政以 |
分家政以 |
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まさい |
高村長利 |
市治郎 |
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ちょざえもん |
鹿野清輝 |
分家長保 |
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ちょぼ |
森田隆志 |
平吉 |
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へけちょうじ |
岡田耕治 |
分家武雄 |
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おかたけ |
丸中義男 |
九兵衛 |
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くよおじ |
元谷作男 |
分家昨男 |
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もとさく |
長崎義男 |
六右エ門 |
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ろっきょんさ |
元谷え左美 |
文右衛門 |
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ぶんにょんさ |
脇坂久直 |
久三郎 |
|
きゅうざ |
和田勉 |
仁平 |
|
に−さ |
伊藤清 |
平助、善作 |
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へっけさ |
小坂洋一 |
五右エ門 |
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ごよもん |
小倉清太郎 |
分家竹次郎 |
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せいぞ |
安井利信 |
理平 |
|
り−さ |
中道政憲 |
弥三右エ門 |
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やそんさ |
竹中達男 |
伝七 |
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じんひち |
鹿野洋一 |
長平 |
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だいくさま |
福永誠一 |
長松 |
|
せいざいもん |
福岡福太郎 |
藤介 |
|
とすけ |
佐分佑次 |
孫右エ門 |
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まぐんさ− |
井上善七 |
孫三郎 |
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ぜんしろどん |
荒谷由雄 |
由與門 |
|
よっしょんどん |
東野勲 |
長五郎 |
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ちょごろ |
岡田盛好 |
分家伝三郎 |
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でんざ− |
宮崎俊隆 |
九右エ門 |
|
みや |
福永清志 |
新世帯 |
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|
福永正治 |
福太郎 |
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戻る |
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- 北陸高速道、片山津インタ−を降りたところが伊切町です。
- 北陸本線、加賀温泉駅下車(車で15分伊切町)
- 片山津温泉より(車で5分伊切町です)
- 産業、農業、撚糸、観光地引き網、
加賀温泉駅周辺リニューアル2005−09現在
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加賀温泉正面 |
正面2 |
正面3 |
正面4 |
駅前ショップ街 |
柴山潟右手.片山津温泉 |
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篠原東小学校 (昭和25年度卒業) |
同窓会 加賀市中央公園内セミナハウス(あいりす)平成12年4月15日16日で行われました。
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今回出席出来なかった、田中美知江さんです。北海道北見市在住です。片山津中学1年のころ、北海道に越され、48年になろうとしています。現在、ご主人様とご家族、幸せにお暮らしの、お便りがありました。ひばり会の皆様にくれぐれもよろしくお伝えくださいとのことでした。 |
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ご主人と2ショットです。 |
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