天下茶屋のおっちゃん(脊髄梗塞)

(脊髄梗塞「前脊髄動脈症候群、後脊髄動脈症候群」)
 

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おっちゃんの現在まで

2001年5月15日から 人目のお客様です。

2015-9-27
 

 

身体障害者が仕事をするということ?
それは生きていると言う自信。世間様に邪魔者ではないという自信。障害が残るが人間であるという自信。そして家族の一員であると言う事。
障害者が働くには自分のやる気です。又一緒に働く皆の理解と協力です、私の場合は自営業ですから息子と家内が協力してくれます。(画像はクリックすると大きくなります)
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オシッコをする時私の場合
毎日どうしても必要な所はトイレです、私の場合は足首と足の指に障害があるので、洋式トイレで無いと困ります、オシッコの場合は、便座に座ります、左右どちらでも良いと思います、自分のやりやすい方にしましょう、腿の上にヒビテン液に浸したカット綿を三枚並べます、その中の一枚に、キシロカインゼリ−、塗っておきます、もう一枚で指の先とペニスの先端部分をきれいに消毒します、そしてネラトンカテ−テル(fr14)を取り出して先ほどぜり-を塗ったカット綿を取り、カテ−テルに満遍なく塗ります、左手でペニスを持って右の手でカテ−テルを持ち尿道に静かに差込みオシッコが出るところまで差し込みます、(男性、25センチ〜女性、7センチ〜)が目安です。いったんオシッコが止まったら2〜3センチ奥に入れます二回繰り返します、オシッコが残らないようにします、カテ−テルを抜き取ります、もう一枚残っているカット綿でペニスの先端をきれいにふき取りましょう、カテ−テルは外出先のときは使い捨てにしますが、自宅の時は水道の流水で必ず洗います、さやにヒビテン液を入れてこの中で消毒します、繰り返し1日使います、(朝6時〜次の朝6時、5回〜7回)。
2002-06-16
注意 キシロカインゼリーは長く使用した患者にショク症状が報告されたと言う事で、現在はイソジングリセリン液を鞘に入れて消毒しています。この薬はゼリーの役目もしますので、キシロカインゼリーは必要ありません。 担当医にご相談おねがいします。

 

次は大の方です(うんこちゃん)私の場合。
トイレの中にカレンダ−を貼っておきます、排便した日に印を付けておき、毎日ラキソベロンを15滴、寝る前に飲みます、中2日して出ない場合は3日めに20滴飲みます。それでも駄目な場合は25滴、これで駄目なら浣腸です。やぎの糞のようになると浣腸しかありません。5日までには必ず出すようにします。息子にお前はトイレに行くのはどのような状態の時に行くかと尋ねると、うんこがしたいから行くといいます。私には最初理解できなかった、体のどの部分がどのような現象が起こるとか、こんなサインがあるとゆう答えがほしかったのに、しかし自分も健康な時は、息子のようにそれで生活が成り立っていたのだと思います。時間がたつにつれ自分成りに知恵がつきます、ラキソベロンで調整しながら排便をします、この時かなりの腹圧をかけます、肛門に意識を集中して、肛門を通過したのは解らないのですが、お腹が楽に成る事と、便器の中を確認します。そして1回排便したら必ずサルバLパットをブリ−フの中に入れお尻にあてがいます。2回目の排便は待ってくれません、何故なら、最初の排便は便の先端が固めに成っているので、詮の役目をしますが、2回目が出る時があります、この時は待ってくれません、半日間当てていて出なければ大丈夫だと思います。私はどんなに店が満席であっても、少しでもおかしいと思ったらすぐにトイレに行きます。それでも失敗はあります、急いでいってガスだけの事も、これの繰り返しです。今ではガスだけなのか中身も付いているのか?かなりの確立で見極めが付くようになりました。
2004/08/15 この頃ラキソベロンを30滴に増量しました。予定した日に確実に排便したいからです。外室のない日を選んでいます。また、服用して20〜24時間は外室で来ません。
お風呂に入る時の注意
最初の外泊で、一番の楽しみはお風呂です、その頃はまだやっとつたい歩きが出来る程度でした。車で帰ってきて、息子に、おんぶしてもらい、階段は、一段一段座布団を敷き、這いながら膝で、上がります、上がるといっても自力では上がれないので、息子がお尻を持ち上げるようにして、後ろから押し上げてもらいました。やっとお風呂に入られる(^○^)。あっちこっちに捉りながら、やっと湯船に入ったのです、うわ〜・・慌てた慌てた、足を伸ばしたが、足に力が入らないので、足が浮き上がり、顔が沈んでしまつた!!、お風呂で溺れるところでした。お風呂にはしっかりとしたパイプの手摺が必要です。私の場合、腰から下のお尻側、ほとんど神経が有りません、前の方は、倒れた時は全然無かった、現在は、かなり回復しています、しかし足首から先は、神経の痛みと言うのか、しびれきっていると言うのか、大変痛みがあります。現在の医学ではこの痛みをとる事は出来ないそうです、何回目かの外泊の日は寒い日でした、お風呂を熱めにして入りました、神経は有るのかな?有ると思う、回路が狂っているのかな?お尻までつけた時何か、肛門から足の先の方に、ずずんと、感電でもしたような気がした、その時気持ちが悪くなり、立ちあがった、頭がふ〜となり立ちくらみと思った時、何だこれは!オチンチンから、白い液体が、あふれる様に出てきた。その時思った、精液がまだあるんだ、良かった。後日先生に話してみたのですがただ笑っているだけで、何も話してもらえなかった。
外出する時の注意
@買い物程度の外出の場合。 バックの中身ですが、カテ−テルを4本、ヒビテンに浸した、カット綿、(プラスチック製で、ふた付きの小さな容器)に入れて持ち歩く、キシロカインゼリ-を1本、これは言いにくいのでありますが、女性用の、ナプキンを2枚、(普通サイズ)どの様に説明すれば良いものやらわかりませんが、この病気は、時々、ペニスの先から、足の指の先まで、電流の様に、ビイビイビと来ます、この時にオシッコがもれる事があります。ナプキンで足りるぐらいの量です、もし沢山もれる様であれば、ヴァプホ-(飲み薬)私は1日2錠飲んでいますがもれる場合は1錠追加します。この薬は生きている限りは飲まなければ成らないと思います。目的地に着いたら必ずトイレの有るところを確認しましょう。和式、洋式、込み合うか?すぐに使用できるか?など知っておかなければ成りません。前の日からの予定の外出ならば、前の日は、ラキソベロンは飲まないで帰宅してから飲みます。

A祝い事、仏事、予定された外出の場合、前日までに排便できる様に、ラキソベロンとか浣腸で調整します。持って出るものは泊る日数によって追加しておきましょう、カテ−テルは1日7本〜8本、キシロカインゼリは1本で5日〜7日は持ちます、カット綿も忘れず、ナプキン5枚、サルバLパット3枚、浣腸1本、ヴァフホ−、ブリ−フは余分に2枚、お尻ふきティシュウ5枚、(市販されています)ラキソベロンは帰宅してからにします。必要であれば障害者手帳。

Bお葬式とか、急な外出の時は、4日までなら帰宅して浣腸をする様にします。

 

*誰も教えてくれない。誰にも聞けない!誰も書かない?
昔読んだ本のことを思い出しました。ある武将の奥方に、世の奥方はお幾つ位まで殿方を迎え入れることが出来るのですか?とお尋ねしたところ、奥方は恥ずかしそうに、火鉢のふちをなでながら、火箸を持ってほほを赤くして、右え左えと灰えをなでるのを見て、は〜は〜灰になるまででございまするか!恐れ入りましたと頭をたれたというお話。

私が倒れたのは55歳のときです。いい歳をして何がHだ!何がSEXだ!と言われる方がいらっしゃると思います。それは五体満足、健常者の思われることだと思います。突然機能がストップしたり、最初から機能しなかったとしたら!こんな不幸でさびしい事はないと思います。
入院中は何の心配もしていなかったのです。だって Hな本を読んだり、ヌードのグラビヤなどを見るとちゃんと反応していました。バルーンにつながれていると言うのに、カテーテルの細い部分を乗り越える勢いでしたから!しかし看護婦さんが来ると、いつも子供のおちんちんの様に萎縮してちじんでいました。

このころはHの事より、とにかく立って歩けるように、それたけしか考えていなかったように思います。人間とは欲の深いものです。それは自分なりにリハビリは頑張りました。立てれば歩きたい!少し歩けるようになれば、もっと歩きたい。そして出来るものなら、元通りになりたい。リハビリ専門病院の、入院生活も4ヶ月になり病院側から、もうそろそろ退院という事を考えて下さい、といわれ夕食後同室の3人で屋上に上がり今後の事を話し合いました。
そこでいろんなことを話し合いましたが、岡田さんは?と聞かれてとまどいました。「気になっている事があるんだよな〜」、「なんですか?」「あんた達SEX出来るの?」こうちゃん(この方大学に合格したばかり脳梗塞片麻痺)「僕は出来ると思う、岡田さん出来ないの?」斎藤さん(このかた42〜3脳梗塞片麻痺)「俺この間の外泊のときできたよ!」「それは良かったですね〜、私もこの間の外泊のとき、挑戦したけど、うまく出来なかった。」

男3人でそんな話をしていたのですが消灯時間なのでベットに戻りましたが、なかなか寝付かれません。

私は病気をするまでは、Hをするのに薬の力など借りる必要がなかったのです。そして入院中もそれなりに反応していましたので心配はなかった。しかし外泊のとき思い知らされました。家内は健常者ですから、ちゃんと感じ取ってくれます。が私はちゃんと普通サイズに勃起しているのに、家内の中に入っている事すら感じ取れないのです。倒れたときのショック、これが2回目のショックです。これで私も終わりだな!男のなりをした物体に過ぎないのかな?勃起する機能は残っているが、感覚機能がなくなっているのです。

ある時Hなビデオを見ていました。すると、おちんちんがむずむず反応して、大きくなっきたのです。あれ!と思い、なんとなく触ってみたのです。すると先端部分が少し感覚があります。前におふろに入った時射精した事を思い出しました。これならマスターベーションをするように鍛えたら、少しずつでも感覚が戻るのではないか?それからは暇を見てはマスターベーションのリハをしました。それには必ずビデオが必要でした。何日かしたときに、ついに射精しました。これは視覚によるものが大とは思いますが、射精した事は事実です。しかしまだ射精の時、あの快感は!薄いです。お風呂で射精した時とは明らかに違いました。

脊髄の梗塞したと思われる所に、つんつん!!としたものを感じました。これもリハだと思います。私は今年で62歳になりました。発病から8年です。もし若い方が、私のような病気になった時、諦めないでください。私の年でも、少しずつですが、回復しています。リハを繰り返す事が大事です。このような事は前例がないからか、本にも、体験談の中にも、書かれてありません。私も恥ずかしいのですが、これからもし発病した時は、 (特にお若い方)このようなリハをすれば少しずつでも回復する事を覚えて置いてください。

 

2002-6-16

最近の事です!射精のとき、以前の快感には及びませんがそれに近い物になりつつあります。皆さんあきらめないで下さい!必ずいい結果が出ると思います。

足は第二の心臓 (歩くと言う事)(^レ^;)
テレビ等で、足は第二の心臓です。と言っていました。其のとおりだと思います。なかなか毎日とは行かないのですが、(ラキソベロンを飲んだ日は、いつ出るか判らないので其の日は避けなければ成りません)出来るだけ歩くようにしています。町内の升目を一周します。(車のメーターで息子に測定させました。5キロメター強です)此れを1時間5分ぐらいで歩くようにしています。そこでえらい事が判りました。歩く前に、必ず導尿をしてから出ます。其の時足の甲が、かなり浮腫んでいます。杖は両方持って出ます。歩き始めは、なんでもないのですが、少し疲れると、左の足は外向きになります。なんでもない平らなところで、つんのめります。

この様な時に杖が両方持ってないと転んでしまいます。かまぼこ型になった道路、傾斜のついた歩道此れは歩きずらいです。膝パット、肘パットなどあれば着けたほうが安全だと思います。こんな事を思いながら最終コーナーを回ったあたりから長い下り坂になります。私の場合、足の指がぷらぷらで押さえが利かないのでなおきついのかもしれません。よほど無様な歩き方をしているのでしょう!後ろから自転車が来たな?と思っていると、おはようさん〜〜頑張ってや!声をかけてくれます。嬉しいです。o(^-^)oこの様にして1時間5分ぐらいで帰ってきます。すると私流におしっこがなんとなくしたいと感じます。二階に上がっておしっこをする準備をします。トイレにはおしっこの量を測れるように、メモリつきのビーカーがいつも置いてあります。

カテーテルを挿入しておしっこをビーカーに取ります。ここで驚いたのです。日頃は何の気なしにやっていましたが!ある日1時間歩いて来て、どのくらいのおしっこが出るのかな?と思って計ってみました。なんと!450ccも出ているのです。靴下を脱いで見ると、すっきり病気前の足のようなんです。此れは驚きました。足が浮腫むといっては、シップ薬を貼ってたのが馬鹿みたいです。足の筋肉を動かせると言う事は、心臓と同じなんだな~と感心しています。

*ネットオークションで買った二台のマシーン

*Yahooのオークションで譲っていただきました。
サイクルマシーンを西東京の伊藤利之様からウォキングマシーンを四国の樫本靖宏様からリハビリに使いたいと申しましたらお二人ともなんと3000円で譲っていただきました。本当に有難うございました。お礼申し上げます。


これで雨の日とか少しの時間でも出来ます。外を歩いたりするのが一番だと思いますがこの間朝早くいつもの周回コースを歩いて帰ってきました。自分の家の近くまで来たとき、15人ぐらいの集団が道路いっぱいに座っているではないですか!回り道をしようかな?と思いましたがもう疲れ切っていたのでそこを通ることにしました。両方に杖を持ってよたよたしていました。すみません通してくれますか?と言うと何もいわず二人がやっと立ちながら私を上から下までなめるような目つきでなんだこのおっさん、と言わんばかりにのそのそと動き始めました。健康体の自分ならおそらく飛び掛っていたと思います。こんなのはどうしても許せないのです。

家に帰り家内に話すと、お父さん身体障害者だよ。何を考えているの?こっぴどく怒られました。だから当分は一人では外に出てのリハは避けようと思います。このマシーンで当分は頑張ります。

*ウオーキングとリハビリ
*(2002/3/31)
店に来てくださるお客さん。二月の初めから、お客さんがダイエットをかねて、以前私がマラソンの練習に走っていたコースを毎日歩こうと言う話が持ち上がり、薫さん(独身4?才)、まゆみさん(既婚4?才)手を上げました。その他のお客さんは、お二人が、一ヶ月続いたら、パチンコのカード(5000円)を一枚ずつ出します。またあるお客さんは、生ビール3杯とか色々と出ました。
そこで私も店の休みの日は、 ついて行く事にしました。 両方に杖を持って、健常者について歩くのは大変です。でもみんな私を気遣ってくれるので助かります。薫さんは前の方を歩いてくれます。私は真ん中、まゆみさんは後ろです。「お父さん」車が来たで!とか、後ろから自転車が来ます。
この3人は、バラエティーにとんでいます。薫さんは小柄、まゆみさんは大柄、私は両方に杖を持ち、女性軍は500ミリリットルのペットボトルに水を入れたものを両方の手に持っています。歩きながらいろんなことをします。体操の選手のように、横にやったり上にやったり、すれ違う人は振り返りながら、うわ”〜なに!ウオーキング?とかいっています。
さぞ道行く人は、おかしなトリオだと思っているで!そんな話をしながら1時間ぐらいで一周して帰ってきます。夜中の11時ごろ、お茶を飲んで帰ります。彼女たちは毎日私は土曜日だけです。1キロ減った!うわ”〜増えてる〜どうしょう、大変、ヘルスメーターに乗るところは誰にも見せません。女心やな!
問題の一ヶ月も無事に過ぎ、みんなからお祝いをしてもらい、口々に三日ももたへんと思ったのに、よう頑張った!おめでとう。これからは?ときかれて、もちろん続けます!元気なところを見せていました。
2002/06/23

ウオーキング仲間の「まゆみさん」から、お父さん、私プールにいってんねん、お父さんも一緒に行こうと誘われました。家内同伴で先月から行っています。家内はちびちゃん、まゆみさんは姉御さんタイプで大柄です、私は体は大きいが、ヨチヨチ歩き、またまたへんなトリオの誕生です。
着替えを終えてプールの入り口で合流します。お父さん、私に摑まって、まゆみさんの大きな背中を見ながら両方の肩に摑まります。家内は、私の後ろで、よろけない様にお尻のあたりをガードしています。皆何が始まったの!驚いてみています。アヒルの親子の行進です。最初は、ジャグジー風呂に入ります。はい、お父さんこっち、お母さんこっち、中にいる人たちは、どうぞどうぞ!といって譲るのです。まゆみさん、にこっと会釈して、ごめんネ、となれた物です、助かります。

1レーンは、水中歩行の方々 2レーンは、少し泳げて、途中で休んでもいいレーンです。3レーンは、25メートル泳げる、中級のレーンです。私達はこの⒊レーンを1時間30分ぐらいかけて利用しています。次はサウナに20分ぐらい、又最後にジャグジ風呂に入り全部で3時間あまりです。

まず水中歩行するとき私の場合、足全体の力がないのと、足首の垂れ下がりをカバーするために、なるべく足は高く上げ、抜き足差し足のように歩きます。するとうまく足首から下の方が、つまたてのようにならず、足の裏から着地できます。手で水をかく様にして進みます。
次のレーンでは、平泳ぎです。クロールはやはり出来ません。バタ足がぜんぜん出来ないのです。以前身障者の方が、手だけでクロールで泳いでいるのを見た事があるのですがこれはまだまだ訓練が必要ですね。普通出来ない事が水の中なら出来る事もあります。工夫次第ではいろんなことが出来るのではないだろうか!しばらくはこれとウォキングを続けるつもりです。

*2002/10/07

足の甲に、斑点が沢山出てきました。これは老人性のしみだとばかり思っていました。しかしそこからじくじくして傷のようになりなかなか回復しないので、病院で診ていただきました。これは手術するしかないとの診断です。ガ〜クンです。感覚があまりないところに、立ち仕事をするものですから、静脈の中の弁が崩れてしまい、血液が心臓まで帰らず、逆流しているそうです。だから傷も回復せず、それで血液も浄化されず膝から足首の辺りをぐるぐる回っているそうです。結果、足もむくみ、斑点が出るのだと!この斑点は血液の中にある鉄分が沈着しておこるそうです。その手術を11月11日にすることに決定しました。その結果は又報告いたします。

2003/08/02

先週から、西成トレーニングジムに通っています。家内も二の腕の下のたるみが気になるようで!二人で周一ですが、機械を相手に励んでいます。私も下半身の弱さを少しでも強化できたらと思い、太ももから関節ふくらはぎを中心にして、機械と格闘しています。最初ですので2時間程度です。インストラクターの教えを頂きながら少しでも下半身が鍛えられればと思っています。今年の夏は涼しくて汗を流すにはいい環境です。体重、体脂肪、血圧、そして準備運動、などをしてから、機械を相手に事細かに記入しながら進みます。慣れてくればもっと速やかに進めるようになると思います。お若い方もいらっしゃいますので邪魔に成らないようにとも思って気を使っています。

2007-08-12

脊髄梗塞との因果関係は解りません。加齢のせいもあると思います。画像をクリックすると大きくなります。
圧力靴下をはいています。仕事の時はこの靴下をつけないと浮腫みます。 靴下を脱いだところです。このシミのような黒い部分は処置をしないと大きくなります。 現在はワーファリン100m2錠朝晩飲んでいます。 一度は血管を結ぶ手術をしましたが回復せず、病院を変えて現在はお薬の治療です。 血圧のお薬、アムロジン、バイアスピリン、ワーファリン、ベシケア、これだけのお薬を飲んでいます。
       
2007-08-11、37.9度(平熱35.5度)の発熱は膀胱炎と疲労ではないかと思います。こんなに尿が濁ったのは初めてです。        
2012-07-28

*リハビリ、ウオーキング孤独な時間

政治のことも!
日常のことも!
ただただ自分との戦いの始まり・・・

バンダナしめて、杖ついて、夜明けの街に出ていく
今日は体の調子良いのかな?
いつも考えることは同じ

息を整えながら、ハッハ、スッス、
この当たりに来るときつくなる
自分の弱さ!頭の中、もう一人の自分が

帰るのなら今だと!理由!何とでも言える
街頭に照らされた影が追っかけて来る
すぐに前に出た。すごいスピードで抜き去った

また後ろから追っかけてくる
コンビニの明るさで塚西の交差点
ここから左折する。上り坂が200メートルぐらい続く

こんな坂なんだ坂!繰り返し繰り返し心に叫び
2台の自転車が横並びに降りて来る水商売風なおしゃべり
この香り遠い日に嗅いだ記憶がよみがえる

坂を登りきり前方に、故大屋政子が設立した帝塚山病院
ここまで来るともう引き返されない!前に進むのみ
赤色灯が回っている。係員がすみません。頭を下げる

此方からお願いしますと案内してくれる
足が悪いと気を使ってくれている様子!有難うねとお礼する
ケーキ屋さんの交差点ビルの上の時計を見る

10分ぐらい遅れている年取ったんだな!納得する
認めるのは寂しい、北畠この辺でも空地が目立つ
やっぱり不況なんだな!前から自転車の3人組

真ん中の男の声、早く帰って寝転びたい〜
右端の若いと思われる女の声(まだ夜が明けていない)
私はテレビが見たい〜夜働くという事は、そーうなんだと納得

右側に大きな木が沢山、こんもりとした公園、思い出した
学生の頃読んだ「須磨寺付近」?間違いかな・・・
山本周五郎の処女作だったかな?青三(せいぞう山本周五郎)

東京から友人をたどって神戸にやってきた。昔はよくあったこと
そこは友人の兄さん夫婦の家、兄さんは外国に出張中である
青三は友人に、綺麗な義姉さんと羨ましいな!

一緒に生活するうちに、話し方、細くまっ白な指、立ち振舞
憧れから、淡い恋心を持つように!
ある日義姉さん(名前で書いてあったと思うが思い出せない)

青ちゃん、今日はいいところに連れて行ってあげるから
支度してと言われる。胸の高鳴りを感じていた。
電車から降りてしばらく歩くと幅の広い階段が見えてきた。

登り切ると広い境内が、与謝野晶子や正岡子規などの歌碑がある
義姉さんは、事細かに説明してくれた。ある武将がこのお寺を
建立したいきさつ、お寺の名前、上の空、別なことを考えている

ベンチに座リ、通称この寺は「須磨寺」というのよ、我に返る
このあと義姉さん、青ちゃん!私は奥さんなの、旦那さんは
今海外なの!このような内容であったと記憶しているが定かではない。

信号が見えてきた。あの信号を超えればまもなく家につく
家内のお疲れさんと言う声、血圧計を出して待っていた。
1時間20分、1年前までは1時間、20分は?衰えの証明!


 

 

 

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