静岡新聞 コラム「窓辺」
47歳の時(1992年)に掲載された13編より

仕事と太陽と海   6月25日

五十歳をどのように迎えようかとここ数年考えていたが、私は“躍動”を選択することにした。「よくそんなエネルギーが残っているね。今、僕に必要なのは太陽と海なのに」。敬愛する弁護士の友人の言葉に、仕事をしながらも私の世界にはいつも“太陽と海”が同居していた事に気がついた。
自転車の前と後ろに子どもを乗せて、雪道を保育園から帰る時など三人して泣きべそをかいたものだった。黒い土をかき分けて進むもぐらを眺めて三人とも遅刻したこともあった。大晦日に仕事から帰ると台所がぴかぴかに磨かれていて子供たちの顔も輝いていた。“太陽と海”は時と共に姿を変えながら、働くことと共にあったのだ。
子育て期には子供の目線でもう一度子供時代をすごし、老身を介護しながら、来るべき老いを予見する。女性は自分の人生ともう一つの人生を二度生きる。子供と共に日常の暮しを見つめる中で多くの問題に出会い、エプロンのポケットにはいくつものテーマが詰まって行った。その頃の「何故」という問いが今も私を支えるエネルギーの一つになっている。
人は知識・感情・意思がその人の中でまとまっていると心身が躍動するのだという。女が元気だと言われるのは、仕事と“太陽と海”が共存する環境に身を置いて、知・情・意のバランスを上手にとってきたからだ。娘もそれを見ていた。
戦後五十年、日本は男性だけで社会を担うとどうなるか壮大な実験をして、元気を失ったのではないか。男女別々の棲(す)み分けを解消し、暮しを、労働を分かち合う方向に歩み出すことにより、日本の社会に元気なエネルギーが生まれるのだと思う。
固定観念を崩すと、人は知・情・意のバランスを取り戻し心身の躍動を始めるのだという。日本の企業社会は、女子学生を締め出して、もと来た道へ後戻りするというのだろうか。男女共に生きる道を選択して欲しい。仕事と太陽と海の共存する暮し、人間の顔をした社会にリデザインするには、この方法が最も近道なのだから。

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