あしあとを記したホームページです
私は何故仕事をしているのだろうと、ふと思うことがある。色々な事があった。主婦の身に起こる事は、私の身にも起こった。子どもの病気で最初の仕事を断念し、待望の仕事に出会った時には夫の転勤でまたもや振り出しに戻っていた。
女性が夫と子共と暮しを共にしようとする時、自分の人生を自らの意志で描ききることはできない。残された余白の中から一つ一つ落ち穂を拾い、紡ぎ合わせていく中で、女性は自分の人生を描いていく。私にとって落ち穂拾いは、自画像を描くプロセスのようであった。
私とは何か。私の好きなことは何か。残された隙間(すきま)の中からその可能性を掬(すく) い取る日々であった。真っ白なキャンパスに好きな絵を描くことより、容易ではなかったかとさえ思う。
いつか東京を出たいという夫の希望があり、私はその日のために、地方でも仕事に就けるよう消費生活相談員の養成講座を受けていた。子育て中の暮しの中から「消費生活」は必ず社会に重要な位置を占める問題になるという確信があったのだ。消費生活相談員をしての仕事を始めたのは、二年後の引っ越しの翌日からであった。
当時は欠陥住宅が話題をさらった時代であった。衣食はともかく住宅の問題は専門知識無しには解決できなかった。一団地全戸が欠陥を持つという事態に私は「住居は商品であってはならない」という思いを深くして、またもや建築を勉強する道にはまり込んでしまった。こうして私は現在の仕事に巡り合う。
高知の片田舎で過ごした中学時代は明けても暮れても小説を読んでいた。ジイド、ヘッセ、スタンダール、パールバック…ことごとく悲しい運命に翻弄(ほんろう)される女主人公に、だれかに頼る人生でなく、自分の足で歩こうと固く決意した思春期の胸の亢(たか)まりを今でもはっきりと思い起こすことがある。
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