静岡新聞 コラム「窓辺」
47歳の時(1992年)に掲載された13編より

「地域計画」   6月11日

「地域計画」あまり耳にしない言葉だ。“こんな地域に暮らせたら幸せ ”という住民の思いを計画に移すことなのだが、長い間、お役所の計画に甘んじることが習い性になって、“こういう地域に住めたら”という願いを住民が持てるとは思ってもみなかった。しかし今、少しずつ事態は変化している。
十二人の住民からなる「はいばら未来塾」は「交流」をテーマとする町づくり「風の郷(さと)はりはら」構想を実験的に体験する一日を持ったのだった。歴史や風土に根ざした地域固有の文化を発信して、息の長い地域間の交流を実現した、中世期の勝間田の郷の例に学び、交流のメディアを風景、風味(お茶)風音(笛による日本音楽)に絞り、勝間田地域を交流の郷として整備しようとする構想だ。
晩秋のある日、ススキの揺れる川のほとりを、稲を干した畦道(あぜみち)を、旧家の土蔵を、暮れなずむ山城を、勝間田の歴史を語り合いながら延々と歩いた。川のほとりは子どもたちが歩き続けられるように広げて、ここに大きな木を、山城は野外舞台に、旧家は保存して…と、アイデア尽きない。自分の住む地域がこんなに魅力的なところだったとは。これなら私たちにも提案できる事はたくさんあると。
その夜、郷の山寺で住民たちが集い「笛と箏の演奏会」が催された。若い二人の真剣な演奏に、本堂は身じろぎもせぬ緊張に包まれた。聴衆の姿勢はだんだんと低くなり、まるで地の底に吸い込まれるようであった。西洋音楽を聴く雰囲気とは異なる住民の反応に、中世期に文化の中心地を創(つく)りだしたこの地の祖先と、人々は対話を始めたかのように思えた。風土のなせる技だと私は思う。長い一日を共にした塾生は「本当にぜいたくな一日だった」と言った。
このような試みを通して「地域計画」は住民の手により、さらに豊かな計画に練り上げられ、少しずつ身近な環境を塗り替える力になるのだろうと私は確信している。

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