静岡新聞 コラム「窓辺」
47歳の時(1992年)に掲載された13編より

設計者の喜び   4月16日

「いいわね。他人様(ひとさま)のお金でいろんな夢が描けて」と言われることがある。我が家を建てるなど一生の一大事なのに、私はその一大事を仕事として何度も経験するのだから、ほんとうに幸せだ。
住まいを設計するときには、その家族の”幸せ感”は何だろうと思いを巡らせる。家族そろって食事しているとき、家族がみんな健康だと思うとき、子どもがよく勉強している姿を見るとき、自然の中で家族そろって遊んでいるとき幸せと思う…とさまざまである。私がそのような問いを発するときにその家族が一番最初に心に浮かべているイメージを私は大事に思う。その幸せ感が、暮しの中の多くの場面で実現できるよう、その家族の持っている豊かさや個性を知ることが、プランの骨格を決める上で非常に重要である。
この家族には毎朝、洗面しながら朝日に輝く木の葉のそよぎを見られるよう洗面所を用意しよう、この家族にはむしろ子どもたちと三人でゆったりと入浴できるようお風呂を用意しよう、この御主人は壁に向かうより大きな窓に向かった方が落ち着くのだろうと、家族の持つ感受性や嗜好(しこう)を、イメージを広げながら設計するプロセスは、まるで役者のようだと私は思う。
家族の希望をそのまま空間に移し代えるだけでは専門家とは言えない。私たちが望んでいたのはこういう暮しだったのですと、建て主がまだイメージできていなかった部分を引き出して、家族の持つ個性に豊かな刺激を与えられるような、のびやかで安らかな空間を提供できれば設計は成功と言えるのだろう。
建築家の中には、建て主の家族を演ずるのではなく、演出家気取りで、家族が踊らされる作品を作ってしまう傾向があったことは残念である。
この家族にどこまでなり切れたのだろうと自問することがある。設計することは、その家族を好きになることである。それができないことが分かる場合もある。設計には人としての双方の相性が必要であるようだ。価値観の全く異なる人に、本当の役者ではない私たちはなれないからである。

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