あしあとを記したホームページです
ほんの二週間の旅先で、人恋しくなって踏み入れた教会で「またお越しください」と私の手を両の手のひらで包んで見送ってくれた、白髪の婦人の手の温(ぬく)もりが、今でも暖かくよみがえることがある。
私は旅に出る時、心することがある。今度はどんな差別を受けるのだろうかと。十五年前、イギリス人にとって、日本はまだ後進国だったのだろう。シェークスピア劇場で座席が分からずうろうろしている時、客席係があきらかに人前で私を罵倒(ばとう)した。
今回、ホテルや劇場など「公」の場で差別を受けることはなかった。しかし宿代を安くあげるために泊まった二軒の実“ハウスホーム”(家庭経営の宿屋)では、部屋も食事の席も、一番先に宿泊したにもかかわらず、最も悪い場所をあてがわれた。市民の暮しに近くなるほど差別は存在するのだ。
差別された人だけに差別される哀(かな)しさが分かるのだと思う。この体験を大事にしようと私は思う。
今、暮しの周辺には、何カ国にも及ぶ外国人がいる。日本にいながらにして、さまざまな文化に触れる機会を与えられ、私たちは試され、育てられているのだと思う。
ネパールの友人は、なぜか暖かい部屋に入っても、上着も帽子も脱ごうとはしない。日本人の感覚として私は不愉快な気持ちをぬぐいされなかったのだが、帰り際にいすを丁寧にそろえる彼らに、ネパールの礼儀作法が、日本のそれとは異なることを知らされる。
日常の中にあるカースト制度を目の当たりにすることもある。こうした経験を積み重ねて“自分の尺度で相手を見ない”いつも“そういうものなのか”と違いを楽しむ事ができるようになった。こんなこともあった。アメリカの若い青年が夕食に訪れた翌日、「友達に慣れてうれしい。この気持ちを伝えたくて。We love you」と似顔絵入りのカードをポストに入れていった。
旅先にいる彼らに、両の手のひらでそっと包む暖かさ伝えたい。人として対等であること、それ以上の暖かさは無いのだから。
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