あしあとを記したホームページです
かつて、こどもの周りにあった薮、畔道、廃屋といった「あいまいな空間」は、こどもの自由な遊び場であった。現在では、道路や公園が、唯一子供に与えられた管理された空間になってしまった。住民の主体的活動により、こどもが地域社会で成長する権利を実現しようとしているイギリスの例を紹介して、こどもの視点に立った町づくりのあり方を考える。
大人は老人になるための存在ではないように、こどもは大人になるための存在ではない
のだが、いつのまにかこども時代はあたかも大人になるための助走期間のように扱われる
ようになってしまった。
こども時代は、大人に保護され、その潜在能力を発達させる機会を適切に与えられるこ
とにより成長することができるかけがえのない時期である。こども達は生まれ落ちた時か
ら、立派な市民の一人であり、特別に保護され、教育される必要のある市民なのだと考え
ると、まちづくりの中にすぽっと抜け落ちてしまった視点があることに気付かされる。
私達の幼いころは、こどもを取り巻く小さな生活圏に、たくさんの「あいまいな空間」
があった。薮があった、畦道が、廃屋になったおばけ屋敷が、草でおおわれた土手が、曲
がりくねった道が。路地裏が、廃材置き場が、そして防空壕の跡が。危険の無い限り追い払
われることはなく「あいまいな空間」は子供達の自由な遊び場であった。こども達は伸び
やかな空間を、想像力にまかせて使いこなしてきたのだと思う。しかし今はどうだろう。
あいまいな空間は囲いこまれて目的のある空間に姿を変えてしまい、こども達を受け入れ
てはくれない。道路や公園が、唯一大人からこどもに与えられた管理された空間になって
しまった。車社会と経済成長最優先の考え方に奪われた「あいまいな空間」を現在の「こ
どものための空間」として取り戻すには、「こどもが地域社会で成長する権利」を認め、実
現する為の具体的な施策と、それを支える地域社会のしくみに変更を迫らなければならな
い。これは行政の責任としてではなく、市民全体で受け止める課題である。
財政の逼迫に苦しみながら「こどもが地域社会で成長する権利」を実現しようと努力す
るおとな達のいるイギリスの地域社会の例を紹介したい。
イギリスはもともと住民による主体的な地域活動が盛んで、相互扶助の伝統はそのルーツを16世紀に遡るほど長い歴史を持っている。多様な活動目的を持つ多くの組織が地域社会に網の目のように張り巡らされているが、その活動は日本で考えられているボランティア「他人のための献身」というよりも一人一人の人生を豊かにする活動として、職業生活と並行して位置づけられている。むしろ住民による主体的な活動無くして、地域社会での暮らしは豊かな充足感をもたらしえないという確信に裏付けられているように見える。
1994年のThe National Councilof VoLuntary Organisationsの統計によると、公益活動をする住民の登録団体はスコットランドを除くイギリス全土で17万団体、ボランティア活動をする団体は30万団体、1年間に自発的に地域活動に従事する延べ人数は2,300万人(イギリスの人口は6,000万人弱)と、何でも行政にお願いするのではなく“公”の活動を市民も支えている。
こどもの為に活動する団体は、ここ数年で急速に増加しており、特に就学前のこどもの為に活動するボランティアの人数は140万人にのぼる。“5才以下のこどものグループ”などの活動を支えるために、コミュニティワーカーやプレイオフィサーと呼ばれる5万人のスタッフが行政や民間基金による財政的支援を受けて派遣されている。(保育園、幼稚園は除く)地域社会に根ざしたこどものための活動内容は多岐にわたっている。美術・演劇・音楽・ダンス・体操、自然保護活動、歴史的遺産の観察、市民農園の運営など、こどもの個性に応じて選択できるように、企業によるビジネスとしてではなく、専門家を含めた住民のネットワークにより組織されている。地域社会が体力づくりなどこどもの発達を保障する一翼を担うという教育に対する姿勢の違いもあるが、毎週一度、地域のコミュニティセンターで、大人こどもを問わず誰でも、自分の好きな楽器を習うことが出来たり、プロの演劇家による指導でクリスマスに住民総出で劇を演じたりと、幼児期からこどもの多面的な発達を促すしくみが、住民の手によって組織されている。生涯学習は、ここから始まっている。
何かの目的のために固有の施設を建設することは稀で、民家や学校の一隅などを転用しながら利用しており、まちづくりは施設づくりからという日本の発想とは逆である。こどものためのまちづくりは、まずこども達をどういう市民に育てたいかという地域の大人たちの「意思」を出発点にしているからだ。
イギリス各地で活躍する民間団体は“もう一つの行政”と言えるほどに、様々なサービスを提供しているが、活動内容の多様性とレベルの高さを支える一つの要因は、各地の小さなグループをネットワークする全国組織の存在である。組織的なつながりかたは一様ではないが、活動資金集めの方法、組織運営のノウハウ、専門家の派遣、広報活動など地域団体の相談にのりながら、行政との連携やロビー活動を展開し、時には圧力団体になりながら小さな団体を支えている。「こどもの遊び」に関する全国ネットを持つ団体は現在30団体ある。中央の組織は日常活動の中から研究者を育て、シンクタンクの役割を果たしている。
「民間団体と大学・研究機関」、「行政と民間」との間に人事交流が行なわれ、大学や研究所で研究に携わる彼らの研究成果が、政府の施策に変更をもたらしている。現場との接点から政策が生み出され、行政の制度や地域社会のしくみに変更を迫るところにイギリスの柔軟性を見ることができる。
具体的な施設づくりやまちづくりについて、住民の相談にのり、専門的、技術的に支援する専門家の集団も存在している。地域計画の住民参加は不可欠であるとの政府見解“Skef-fington Report”(1969年)が発表されてから、住民参加を促し支援する専門家の組織が、政府の支援を得て誕生したからだ。例えば“PLANNING AID for LONDON”は「都市計画に関する専門的なアドバイスを無料で提供する」組織で、年間1,000件程度相談を受けている。ACTAC(Association of Community Tecnical Aid Centres)は全国各地に支部を持ち“住宅団地.近隣公園・放置された荒廃地・町村の集会施設・遊び場の施設・自力建設による共同住宅・コミュニティセンター”など、住民が改善を必要とする箇所について相談にのり、技術的支援を行なっている。
“Women’s Design Service”(WDS)は女性の視点を「暮らしの環境」改善に生かすことを目的に、1984年に設立された女性による女性のための調査研究集団。こどもや高齢者などケアを必要とする人々の問題も活動対象にしている。相談事業や情報サービス、セミナーの開催、図書館の運営、地域計画などを、住民団体やボランティア組織、他の専門家集団、行政と連携しながら行なっており、本稿のテーマである「こどもの為のまちづくり」にも成果を上げている。WDSは1988年にロンドンカムデン地区自治体との共催で、「幼児を暖かく迎えるナショナルキャンペーン」をはり、全国各地の幼児と母親のグループや研究者の協力を得て、公共空間、交通問題、遊びの施設について詳細なデザインガイドラインに基づいた「Thinking of Small Children」
というまちづくりの提案を行なっている。
ガイドラインの要点をまとめると、幼児の問題は幼児だけでなくその保護者(母親とは限らない)と一体になって提案されている。子供の体格、特性を考慮すると、高齢者や障害のある人達と同様に、現在の町には危険で不都合なことが多いことを指摘している。具体的には“公共の場所での授乳場所の確保や、車に接して乳母車を置ける駐車スペースの確保、二人乗り乳母車が出入りできるエレベーターの入り口の幅の確保、男性トイレへのベビーベットの設置、子供を危険から守るバルコニーの手摺りの高さやバーの間隔、横断歩道を渡る距離と時間のバランス、歩道上の商品の設置の禁止、ストリートファニチャーの設置基準の設定、バスはみんなが座るまで出
発しない、駅員に女性の登用を”など、実際にこどもと町を歩かないと実感できない細やかな提案がなされている。
これら専門家の活動を支える経済的な基盤であるが、団体独自の事業収入、地方自治体や国から受ける援助、団体や企業、個人から受ける寄付が活動資金にあてられている。この場合の寄付は税制上の優遇措置を受けられるため、市民は税金を払うのと同じような感覚で、自分の興味のある団体に寄付を行ない、民間活動の多様性を支えている。
専門家の活動が行政から直接経済的支援を受けられるようになるには、ボランティアとしてただ働きに近い状態で住民とつきあった苦しい時期がある。行政はその成果を認め、行政が直接手を下すのではなく、民間の手に委ねて予算は計上する方向に踏み出していった。「PLANNING AID」のように技術的支援を必要とする住民組織に専門家を派遣する制度も定着し、市役所の入り口には「PLANNINGAID」の対象となる専門家のリストが置いてあるという具合である。
今まで述べたようなしくみのもとで実際にはどのような試みが行なわれているか二つの例をご紹介しよう。
・身近な環境改善……近隣公園の場合
イギリスの地方自治体の施策は自治体ごとに特色があり、一般化出来ないのだが、人口43万人のブリストル市では、地域住民の希望に沿って地域の環境を改善する試みが進められている。日本では公園緑地課に相当する部署に、コミュニティワーカーと呼ばれる住民と行政組織の架け橋となるコーディネーターが正規の職員として配属されている。コミュニティワーカーは少し手を加えれば改善可能な場所を探したり、住民の要望を聞き出す窓口になって場所の選定をすると、周辺の住民の中からこどものプレイグループや自然観察グループ、散歩を日課にする住民など、活動の中心を担える人材を探し出し、その地域の多くの住民が公園づくりに効果的に関われる
よう人材のネットワークをつくる。住民自身が情報収拾し、ビラをつくれるように技術指導も行なう。住民の構想がまとまりかけた頃に、市役所のランドスケープデザイナー(造園士)を同行して具体的な計画を決定する。これらの会議は主に休日や夜間に住民の住宅で延べ十数回行なわれているが、コミュニティワーカーは必ず同席して聞き役に徹している。いくつものグループが複数の案を出すため、この階段で1年かかることもあるという。
15坪程度の池を造った例を見たが、穴を掘りピニールシートを敷き、水道工事を行なうのもすべて住民の労力で行なわれ、3年経過した現在、水草に被われ魚が棲む様子から、とても手作りの人口池には見えなかった。計画の段階から住民が関わり資金集めに奔走し(基本的な費用は市が負担)、労力を提供した公園では、その後も自主的な管理が行なわれている。ひとつの事業が完成すると、住民は自信と技術をものにして、地域の環境改善に主体的にとりくむようになるという。行政の事業か住民の事業かわからない程に、混然一体となって住民の希望する公園につくり変えていく試みを、子ども達も一緒になって楽しみながらやっている。公募によって選任され
たコミュニティワーカーに対する住民の信望はあつく、コミュニティワーカーの存在無くしてこの試みは成功しないのではないかと思われた。完成後はこどもの遊びを指導し、相談にのるプレイオフイサー〈市の職員)がコミュニティワーカーに代わって登場する。
・市民農園づくりに参加する市民達……
WINDMILL HILL市民農園の場合
イギリス各地に市民の手による市民農園が増えているが、WINDMI LLHILL市民農園
はこのきっかけを作った第1号である。
住宅地の近くにある3,000坪ほどの空き地(市有地)が廃車置き場にされようとした18年前、環境の悪化を憂えた周辺の住民がブリストル市にこどもの為の公園を提案し「自発的な市民の意思に基づいて、地域住民のために地域住民自身の手で設立された独立した事業体」として市民農園はスタートする。計画の立案から公園づくり、事業の運営のすべてが住民の手で行なわれている。当初から現在のような農園を核にした多目的施設を構想していたわけではなく、18年間地域住民の要望に応えているうちに現在のような形に辿りついている。
活動内容は“農園の経営、小動物・家畜の飼育、収穫物の販売、周辺農家との連携、農作業の実習、自然教育・環境教育の体験、幼児・児童・中学生・高校生の為の施設の運営と教育、親子の遊び場の提供、ボランティアの養成、障害者・高齢者サロンの運営と能力開発、喫茶店・レストランの運営”と小さな敷地を有効に使って都市の真ん中にありながら、自然豊かな都市のオアシスが作られている。ほとんどの施設は手作りで住民の汗の結晶という雰囲気がある。この施設の利用者は多岐に渡るが、幼児の親子づれがもっとも多い。ここでは時間がゆったりと流れ、小さな動物を追いかけるこども達や、難しい遊びにおじいさんと挑戦する幼児の姿に、障害を持つ人と一緒に農作業に精を出すこども達の姿に、「こどもが地域社会で育つ権利」の実現にとりくんだ大人の思いが、ひしひしと伝わってくる。
昨年の運営費は経営収入40%、行政に代わって行なう地域支援事業から20%、行政から30%、民間基金や個人からの寄付が20%で総事業費は年間30万ポンド(約5,000万円)、人件費が3分の2を占めている。
施設の建設は先に述べたACTACの協力を受けている。WDCは逆にここからこどもの遊びに関する情報提供を受けるなど、市民団体は多様なネットワークを組んで自分達の理想とする社会の実現に向けて、それぞれの持ち場で楽しみながら奮闘している。
一国の文化的水準は、こどものしあわせの為にどのような施策を用意しているかで判断できる。こどものしあわせを実現するための具体的な施策を持たない社会に、明るい未来は無いと言いかえることも出来るのだろう。
こども時代に大きく見えたものや、遠くに感じられた距離が、大人になってみるとその小ささ、近さに驚くことは多くの人が経験している。この子供の空間認識からすると、こども達のための空間を用意することは、さほど難しいことでは無いように思われる。校庭の一部の転用や、未利用地や空き部屋をこどものために使うという発想の転換ができればである。
少子化社会を憂慮する声が高いが、女性が子供を生まない理由の一つは、学校の成績が優秀であるかどうか、ものごとをどれだけ知っているかどうか、大企業に就職できるかどうかなど、人々のしあわせの基準が痩せ細っている今の社会に、愛する子供を託す自信が無いという思いがあるからでもある。人間が一人一人の個性に応じて、人間らしく生き抜いていける多様な能力を育て、受容し、保障しようとする社会を人生のスタートの段階から用意することが「こどもの視点に立って町をつくる」ことだと、私には思えるのだ。
地域の個性にあった方法で、もっとも必要性の高い人々を計画の中心に据えて、試行錯誤しながら将来の市民を育てているイギリス社会の「おとなの勇気と知性」とそれを支える「しくみ」に学ぶことは多い。
www.yuko-yamagcti.net