新後撰和歌集 秀歌選

【勅宣】後宇多院

【成立】正安三年(1301)十一月二十三日、下命。嘉元元年(1303)十二月十九日、奏覧。

【撰者】藤原(二条)為世。和歌所開闔(かいこう)、長舜。連署、二条為藤定為・長舜・津守国冬・津守国道。

【書名】撰者の祖父為家が撰した続後撰集の名称に追随したものと思われる。

【主な歌人】藤原定家(32首)・藤原為家(28首)・藤原為氏(28首)・西園寺実兼(27首)・後嵯峨院(25首)・亀山院(25首)・後宇多院(20首)・伏見院(20首)・鷹司基忠(20首)、後二条天皇(18首)・藤原俊成(18首)・藤原家隆(18首)

【構成】全二〇巻一六一二首(1春上・2春下・3夏・4秋上・5秋下・6冬・7離別・8羇旅・9釈教・10神祇・11恋一・12恋二・13恋三・14恋四・15恋五・16恋六・17雑上・18雑中・19雑下・20賀)

【特徴】(一)構成 恋歌が六巻あるのは後撰集に倣ったものであろうが、巻数を増やした必然性は感じられない。わずか二十一首、しかも秀作は皆無の離別部を復活させたことなども理解し難い。哀傷の部を立てず、哀傷歌を雑の部に収めているのは新勅撰集・続後撰集を踏襲したものである。巻二十に賀を配したのも続後撰集に倣っているが、それと共に巻十に神祗を置いたのは勅撰集の晴儀性に対する意識の強さを感じさせる。
(二)取材 選歌範囲は『勅撰次第』に「近古限年紀事自天仁元年、至正安三年」とあるように、堀河天皇の天仁元年(1108)を上限とし、当代までの「近古」の歌を集めている。主な選歌資料としては、後宇多院が本勅撰集のため嘉元元年(1303)頃に詠進させた嘉元百首をはじめ、弘安百首、千五百番歌合、弘長百首、六百番歌合、久安百首などが挙げられる。
(三)歌人 入集歌数上位三位までを御子左家の嫡流が独占し、歌道家意識があからさまに打ち出されている。尤も、当時、持明院統(歌壇としては京極派)と大覚寺統(同じく二条派)の対立があったにしては、撰歌は割合に公平で、例えば撰者為世の十一首に対し、対立派の京極為兼は九首採られている。なお津守国助(17首)ほか津守氏の歌人が優遇されているため、「津守集」の綽名を得たという(井蛙抄)。
(四)歌風 前代までの傾向を守り、平明温雅な作風の歌が多い。ことに後嵯峨院、法皇(亀山院)、院(伏見院)、太上天皇(後宇多院)と、並び立つ上皇達のおおどかな歌いぶりが印象的である。



     羇旅   


 上

題しらず                   太上天皇

春くれば雪とも見えずおほ空の霞を分けて花ぞちりける(18)


文永二年七月、白河殿にて人々題をさぐりて七百首歌つかうまつりける時、橋霞を
                     前大納言為家

にほの海やかすみてくるる春の日にわたるも遠しせたの長橋(33)


題しらず                  順徳院御製

難波がた月の出しほの夕なぎに春の霞のかぎりをぞしる(34)


河霞といふ事をよませ給うける         太上天皇

音はしていざよふ浪も霞みけり八十(やそ)うぢ川の春のあけぼの(38)


待花といふ事を             前関白太政大臣

しづかなる老の心のなぐさめにありしよりけに花ぞまたるる(56)


 下

題しらず                   西行法師

あくがるる心はさても山ざくらちりなむ後や身にかへるべき(91)


春の歌の中に                鎌倉右大臣

かづらきや高間の桜ながむれば夕ゐる雲に春風ぞふく(110)


題しらず                  順徳院御製

春よりも花はいくかもなき物をしひてもをしめ鴬のこゑ(114)


春暁月を                 前大納言為家

かねの音は霞のそこに明けやらで影ほのかなる春のよの月(143)


暮春の心を                後嵯峨院御製

暮れて行く春の手向やこれならんけふこそ花はぬさとちりけれ(155)



更衣のこころをよませ給うける          御製

たちかふる名残や猶ものこるらん花の香うすき蝉のは衣(157)


千五百番歌合に              宜秋門院丹後

ほととぎすなれも心やなぐさまぬをば捨山の月に鳴く夜は(191)


千五百番歌合に          後京極摂政前太政大臣

ひぐらしの鳴く音に風を吹きそへて夕日涼しき岡のべの松(244)



 上

題しらず                 後嵯峨院御製

たが袖に秋まつほどはつつみけん今朝はこぼるる露の白玉(252)


題しらず                  順徳院御製

秋風の枝吹きしをる木のまよりかつがつみゆる山の端の月(341)


題しらず                土御門院小宰相

風のおともなぐさめがたき山のはに月待ち出づるさらしなの里(342)


建治二年九月十三夜、五首歌に       前中納言為兼

すみのぼる月のあたりは空晴れて山のはとほくのこるうき雲(345)


松月出山と云ふ事を       後光明峰寺前摂政左大臣

嶺たかき松のひびきに空すみて嵐のうへに月ぞなり行く(346)


 下

八月十五夜、十首歌たてまつりし時、秋浦    津守国助

浦人のこほりのうへにおく網のしづむぞ月のしるしなりける(366)



初冬の心を            後京極摂政前太政大臣

はるかなる峰の雲間の梢までさびしき色の冬はきにけり(441)


題しらず                 前中納言為兼

山風にただよふ雲のはれくもりおなじをのへにふる時雨かな(448)


建保四年百首歌奉りける時   光明峰寺入道前摂政左大臣

たのめおく古郷人の跡もなしふかき木の葉の霜の下道(458)


羇旅

月のあかかりける夜、かがみの山をこゆとて読み侍りける
                      前参議雅有

立ちよれば月にぞ見ゆるかがみ山しのぶ都の夜半の面かげ(568)


旅の心を                 前中納言定家

ふる郷を出でしにまさる涙かなあらしの枕夢にわかれて(583)


名所百首歌奉りける時             僧正行意

さすらふる心に身をもまかせずは清見が関の月をみましや(588)


題しらず                 前大納言為氏

清見がた打出でてみればいほ原のみほの沖つは波しづかなり(591)



 一

後法性寺入道前関白家百首歌に、忍恋      隆信朝臣

あはれとも誰かは恋をなぐさめん身より外にはしる人もなし(780)


題しらず                    御製

みせばやなくだけて思ふ涙ともよもしら玉のかかるたもとを(809)


 二

題しらず                  奨子内親王

よそにのみ猶いつまでか思ひ川わたらぬ中のちぎりたのまん(913)


 三

題しらず                 式乾門院御匣

分けわびぬ袖の別れのしののめに涙おちそふ道しばの露(1031)


 四

題しらず                 前大納言基良

さても又いかなる夜半の月影にうき面かげをさそひそめけん(1065)


洞院摂政家百首歌に、遇不逢恋       前大納言為家

忘れねよ夢ぞといひしかねごとをなどそのままにたのまざりけん(1074)


題しらず                  式子内親王

こひこひてそなたになびく(けぶり)あらばいひし契りのはてとながめよ(1113)


 五

題しらず                  二条院讃岐

今はさはなにに命をかけよとて夢にも人のみえず成るらん(1164)


百首歌たてまつりし時、遇不逢恋     前関白太政大臣

思ひねの心のうちをしるべにてむかしのままにみる夢もがな(1165)



 上

題しらず                    弁内侍

ながらへていけらば後の春とだにちぎらぬ先に花ぞちりぬる(1252)


夏の歌の中に                 雅成親王

色ふかき涙をかりてほととぎすわが衣手の杜になくなり(1279)


題しらず                 式乾門院御匣

忘られぬむかしの秋を思ひねの夢をばのこせ庭の松風(1292)


 中

山家の心を                  法皇御製

さびしさも誰にかたらん山陰の夕日すくなき庭の松風(1362)


 下

後京極摂政かくれ侍りけるあくる日、従二位家隆とぶらひて侍りければ
                     前中納言定家

昨日までかげとたのみし桜花一夜の夢の春の山かぜ(1520)


返し                    従二位家隆

かなしさの昨日の夢にくらぶればうつろふ花も今日の山風(1521)



百首歌よませ給ひける中に         後鳥羽院御製

亀の尾の岩ねを落つる白玉の数かぎりなき千代の行末(1566)


寄鶴祝言といふ事を              太上天皇

あしたづの雲ゐに通ふこゑのうちにかねてもしるし千世の行末(1595)




最終更新日:平成14年9月8日

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