行意 ぎょうい 治承元〜建保五(1177-1217) 号:山階僧正

松殿関白藤原基房の子。覚尊僧正の弟子となる。大峰・那智で修行し、建久八年(1197)、三部大法職位を受ける。元久三年(1206)、土御門天皇の護持僧となる。この時権僧正。その後、順徳天皇の護持僧もつとめた。建保四年(1216)、三井寺長吏。同五年十一月二十九日、入寂。四十一歳。
歌人としては、建保二年(1214)八月の内裏歌合、同三年(1215)の内裏名所百首、同四年閏六月の内裏歌合など、順徳天皇の内裏歌壇で活躍した。新勅撰集初出。勅撰入集二十八首。新三十六歌仙。『古今著聞集』巻五に逸話を残す。

名所百首歌たてまつりける時

伊勢の海はるかにかすむ波間よりあまの原なるあまの釣舟(続拾遺32)

【通釈】伊勢の海の遥かに霞む波間からあらわれた、天の原に浮かぶかのような、海人の釣舟。

【語釈】◇あまの原なる 天の原にある。「天の原」は空を広大な原に見なして言う。

【補記】下句は、霞んだ水平線に姿をあらわした小舟を、天空に浮かんでいるかと見立てたもの。同時に、天と海人が同音であることに目をつけた、言葉の上の遊びにもなっている。

【補記】建保三年(1215)、順徳院主催の名所百首。

おのづからいそしの御井やくもるらむ織れる錦を春の山かげ(建保四年内裏百番歌合)

【通釈】いそしの御井(みい)の水は、花を映して自然と曇っているだろうか。織り成した錦を張りめぐらしたような、春の山陰で――。

【語釈】◇いそしの御井(みゐ) 万葉集巻十三に「五十師乃御井」とあるのを、こう訓んだもの。現在「五十師」は「いし」と詠まれるのが普通。『五代集歌枕』には伊勢国の歌枕とする。所在等は不詳。「御井」は神聖視された水汲み場。◇くもるらむ 水面に映った花――いわゆる「花の鏡」が曇るだろうか、ということ。◇春 「張る」の掛詞。「くもる」「はる(晴る)」で縁語ともなる。

【補記】定家の判「右方、いそしのみゐを花のかがみにくもらせてにしきをはるの山かげ、と侍る、ことにたくみに思ひがたきさまなりとて勝」。

【本歌】作者不詳「万葉集」
山の辺の五十師の御井はおのづから成れる錦をはれる山かも

建保四年百首歌たてまつりける時

山城のときはの杜の夕時雨そめぬみどりに秋ぞ暮れぬる(新勅撰1270)

【通釈】山城(やましろ)の常磐の森に降る夕時雨――その雨も紅葉に染めることはなく、森を鮮やかな緑に濡らしたまま、秋は暮れていったのだ。

【語釈】◇ときは 山城国の歌枕。今の京都市右京区常盤。「ときは」は常緑の意も兼ねる。

【補記】山城には都が所在する。国の盤石であることを祝う心を籠めている。

【参考歌】九条良経「新古今集」
ときはなる山のいはねにむす苔のそめぬみどりに春雨ぞふる

内裏歌合建保二八十五

海原や千里の沖にすむ月の雲ふきはらへ大和島みむ(高良玉垂宮神秘書紙背和歌)

【通釈】大海原の遥かな沖に冴える月――その月を隠す雲を吹き払ってくれ。大和島を見ようから。

【語釈】◇大和島 大阪湾から見た大和国方面の山々。海越しに見るので「島」と言う。

【補記】高良大社(福岡県久留米市)に蔵される同大社の縁起書『高良玉垂宮神秘書』一巻の紙背に書かれた和歌。編者も成立年代も不明であるが、元応二年(1320)以後の編纂かという(『新編国歌大観』解題)。題詞は建保二年八月十五日の内裏歌合を意味しようが、不詳。

【参考歌】遣新羅使人「万葉集」巻十五
海原の沖へにともしいざる火は明かしてともせ大和島みむ

名所百首歌たてまつりける時

さすらふる心に身をもまかせずは清見が関の月を見ましや(新後撰588)

【通釈】さすらう心に我が身を委ねなかったら、こうして遥か東国の清見が関の月を見ることなど、あったろうか。

【語釈】◇さすらふる心 定まるところなく漂う心。漂泊に誘う心。◇清見が関 駿河国の歌枕。興津の海辺にあった関。富士や三保の松原を望む景勝地で、月の名所。

【本歌】増基法師「後拾遺集」
ともすればよもの山べにあくがれし心に身をもまかせつるかな

大峰にてよみ侍りける

夜をこむるすずの篠屋の朝戸出に山かげくらき嶺の松風(続古今912)

【通釈】一晩籠もっていた篠葺きの小屋から、朝、戸を明けて出ると、まだ山陰は暗く、峰を松風が吹きわたる。

【語釈】◇大峰 吉野から熊野へと連なる大峰山脈。修験道の行場が数多くあった。◇すずの篠屋 篠でこしらえた粗末な小屋。「すず」「篠」いずれも細い竹のこと。◇朝戸出(あさといで) 早朝、戸をあけて外に出ること。◇松風 松を鳴らして吹く風。

建保二年内裏秋十五首歌合に

今ぞ知るあゆむ草葉にすてはてし露の命は君がためとも(続後撰1197)

【通釈】今知りました。道なき道を歩き進む、その足もとに積もった草葉――そこに果敢ない命を捨て果てる覚悟で修行に努めたこと――それは大君のためであったと。

【語釈】◇あゆむ草葉に 草葉の上を歩むとは、道のないところを歩むということで、山伏修行を暗示する。◇草葉にすてはてし 地に積もった草葉に身を朽ちさせる覚悟で修行に励んだことを言う。◇露の命 露のようにはかない我が命。「草葉」「露」は縁語。◇君がためとも 君のためであると。この君は順徳天皇を指す。作者は天皇の護持僧であった。

【補記】建保二年(1214)八月十六日、順徳天皇主催の内裏歌合、題「秋懐」、六十七番左勝。定家の判詞は「左の、あゆむ草ばとおきて、露のいのちと侍る、猶みどころおほく侍れば、勝ち侍るべし」。『万代集』にも入集。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日