後二条天皇 ごにじょうてんのう 弘安八〜徳治三(1285-1308) 諱:邦治(くにはる)

後宇多院の第一皇子。母は堀河具守女基子(西華門院)。遊義門院の猶子となる。後醍醐天皇の異母兄。子に邦良親王・邦省親王ほかがいる。大覚寺統・持明院統略系図
弘安八年(1285)二月二日生誕。同九年十月、親王宣下。永仁六年(1298)八月、両統迭立により後伏見天皇の皇太子に立てられる。正安三年(1301)正月、譲りを受けて践祚、この時十七歳。同年三月、即位。父後宇多院が院政を敷いた。同年八月、伏見院の第二皇子富仁親王(のちの花園天皇)を皇太子に立てる。徳治三年(1308)八月二十五日、病により崩御。在位七年。二十四歳。陵墓は京都市左京区北白川追分町の北白河陵とされる。
正安四年(1302)六月、二条為藤らを召して当座歌合を催す。嘉元元年(1303)、後二条院歌合を催し、内裏百首を召す。この際自らも詠んだ百首歌が『後二条院百首』として残る。新後撰集初出。勅撰入集計百首。嘉元三年(1305)自撰の御集『後二条院御集』(『愚藻』とも。以下「御集」と略)がある。

「後二条院御集」桂宮本叢書2・私家集大成4・新編国歌大観7
「後二条院百首」新編国歌大観10

  3首  2首  6首  4首  2首  2首 計19首

春雨

ながき日をふりくらしたる春雨はさびしきことのかぎりなりけり(後二条院百首)

【通釈】長い一日が暮れるまで降り続けた春雨は、これ以上ない程寂しいものであった。

【語釈】◇さびしきことのかぎり 寂しいことの極限。

【補記】嘉元元年(1303)に詠んだ百首歌。作者十九歳。

【参考歌】和泉式部「新勅撰集」
夢にだに見であかしつる暁の恋こそ恋のかぎりなりけれ
  慈円「千載集」
山里のあかつき方の鹿の音は夜はのあはれのかぎりなりけり

正安三年二月廿七日、日吉社に御幸ありて、次の日志賀の山の桜につけて内へたてまつらせ給うける   後宇多院御製

君ゆゑとけふこそみつれ志賀の山かひある春ににほふ桜を

【通釈】あなたのためと思って、今日見に来ましたよ。志賀の山の、山の峡(かい)ではないが、生き甲斐のある春に咲き誇る桜を。

御返し

志賀の山風をさまれる春にあひて君が御幸(みゆき)を花も待ちけり(新拾遺114)

【通釈】志賀の山では、風もおさまった泰平の春に遭って、父君の御幸を桜の花も待っていたのです。

【補記】日吉大社御幸の翌日、後宇多院が志賀山の桜の枝と共に歌を贈ってきた、それへの返事。「志賀の山」は琵琶湖西岸、桜の名所。後宇多院の歌の「かひある春」、後二条天皇の歌の「風をさまれる春」は、いずれも御代を祝して言う。

閑庭落花

人はこずさそふ風だに音たえて心と庭にちる桜かな(御集)

【通釈】待ち人は来ず、人の足音ばかりか、誘い立てる風の音さえ絶えて――静寂の中、今や心のままに散りしきる桜だことよ。

【補記】「心と…ちる」は、風の働きかけなしに桜がおのれの意思で散る、ということだが、この「心」は同時に、失意のうちにある作者の心でもあろう。

夕立

鳴神のこゑのとほちになるままにふりすぎてゆく夕立の雨(後二条院百首)

【通釈】ひとしきり降ったのち、雷鳴の音が遠ざかるままに、この地を通り過ぎてゆく夕立の雨よ。

【語釈】◇とほち 遠地。夕立と共に詠まれることが多かった歌枕「十市(とをち)」がやがて「遠地」と混同されるようになったものらしい。

【補記】嘉元元年(1303)に詠んだ百首歌。

時鳥(ほととぎす)

五月雨のはれま待ち出で山のはに雲よりたかく鳴くほととぎす(後二条院百首)

【通釈】五月雨の晴れ間を待って出て、山の稜線近く、雲よりも高く鳴くほととぎすよ。

【補記】これも嘉元元年の百首歌より。

【参考歌】二条院讃岐「新古今集」
五月雨の雲まの月のはれゆくをしばし待ちける時鳥かな

初秋

いとはやもすずしき風かをとめごが袖ふる山に秋たつらしも(後二条院百首)

【通釈】早くも涼しい風が吹くことか。乙女が袖を振るという布留山に秋がやって来たらしい。

【補記】嘉元元年(1303)に詠んだ百首歌。「をとめごが袖ふる」から歌枕の「布留山」(石上神宮が鎮座する山)を導くのは常套的であるが、秋風の涼しさが乙女の振る袖のイメージと響き合う趣向は新鮮。

【本歌】柿本人麻呂「万葉集」
をとめらが袖ふる山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我は

題しらず

うづら鳴く野原の浅茅うちなびき夕露もろく秋風ぞふく(新後撰290)

【通釈】鶉の鳴く野原の浅茅が打ち靡き、夕露をもろくも散らしながら秋風が吹く。

【補記】鶉・浅茅、ともに荒野のシンボル。「夕露もろく」には涙を暗示する。

二星別

袖ふるはほのかに見えて織女(たなばた)のかへる八十瀬(やそせ)の波ぞ明けゆく(御集)

【通釈】別れの袖を振るのはほのかに見えて、織姫が帰り道に幾つも越えてゆく川瀬の波が、次第に明るくなってゆく。

【補記】「八十瀬」は数多くの瀬。川が幾つもの瀬に分かれて流れているところを言う。惜別の情をもっぱら言外ににおわせ、余情溢れる七夕歌の秀逸。

山初雁

ながめわびぬ鳴きすててゆく初雁のつばさにうすき山のはの雲(御集)

【通釈】眺めているうちに憔悴してしまった。鳴きながら通り過ぎてゆく初雁の翼に、うっすらとかかる山の端の雲よ。

【補記】初雁は秋にやって来る最初の雁。その声を「鳴きすててゆく」と聞いたのは異例。

(すすき)をよませ給うける

白露のをかべの薄はつ尾花ほのかになびく時は来にけり(続後拾遺270)

【通釈】白露の置く、岡辺の薄――その穂が出たばかりの尾花がほのかに靡く季節になったのだ。

【補記】初句は白露が「置く」から「をか」を導く。また「ほのか」の「ほ」には穂を掛けている。嘉元元年(1303)の百首歌。

古寺紅葉

初時雨ふりぬる寺の鐘のおとに暮れて色そふ山のもみぢ葉(御集)

【通釈】初時雨が降り出し、古寺の鐘の音とともに暮れてゆく頃になって、いちだんと鮮やかな彩りを添える山の紅葉よ。

【補記】あたりが暗くなる寸前、時雨に濡れて色鮮やかさを増す紅葉。古寺の晩鐘の響きがひときわの風情を添える。

百首御歌の中に

もみぢ葉の深山(みやま)にふかく散りしくは秋のかへりし道にやあるらん(風雅727)

【通釈】紅葉した葉が山奥に深く散り敷いているのは、これが秋の帰って行った道なのだろうか。

【参考歌】大江匡房「千載集」
龍田山ちるもみぢ葉を来て見れば秋は麓にかへるなりけり

月前雪

吹く風にちりかひくもる冬の夜の月のかつらの花のしら雪(御集)

【通釈】冬の夜、吹き荒れる風に雪が散り乱れ、月夜を曇らせる――あたかも月の中の桂の木に咲いた花が、白雪となって降りしきるかのように。

【参考歌】在原業平「古今集」
桜花ちりかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに
  藤原清輔「新勅撰集」
雲ゐよりちりくる雪はひさかたの月のかつらの花にやあるらむ

【補記】月夜を曇らせる雪を、月の桂から散り落ちる花びらに見立てた。清輔の先蹤歌がアイデアだけで終わっているのに対し、掲出歌は余韻縹渺、情趣の深さで遥かにまさる。なお、月に桂が生えているとするのは中国渡来の伝説だが、この桂は日本で言う落葉樹の桂ではなく、桂花(キンモクセイ)の類であろうという。とすればこの「花の白雪」には格別の芳香さえ添わることになる。

海辺雪

夕しほのさしける跡と見ゆるかな(みぎは)をおきてつもる白雪(御集)

【通釈】夕潮がここまで満ちて来たしるしと見えるな。波打ち際を残して積もっている白雪だよ。

【補記】打ち寄せる波と積もった雪とに挟まれて、一帯の砂浜があらわれている渚。新鮮な着眼。

歳暮

むかしべとなりゆく年の惜しさこそ花紅葉にもなほまさりけれ(後二条院百首)

【通釈】過去の方へと去ってゆく一年の名残惜しさは、桜や紅葉との別れにもなお勝るものだ。

【補記】現代のように多様な記録媒体がなかった往時、過ぎ行くひととせへの愛惜の念はいかほど強かったか、このような歌を読むと改めて思い知らされる。

寄夢恋

恋しさの寝てや忘るると思へどもまた名残そふ夢の面影(玉葉1597)

【通釈】恋しさは眠れば忘れるかと思ったけれども、また心残りが増えてしまった――夢で見たあの人の面影よ。

【補記】正安四年(1302)六月、二条為藤らを召して行なった当座歌合での作。

恋の御うたの中に

いとどなほ歎かんためか逢ふとみて人なき床の夢のなごりは(新後拾遺1016)

【通釈】夢に恋人を見て心を慰めると言うが、私はこのうえ更に歎くために見たのだろうか。逢ったと思ったら恋人はいない床に、ただ夢のなごり惜しさばかりが残って。

【参考歌】藤原俊成女「続後撰集」
あふと見てさめにしよりもはかなきはうつつの夢のなごりなりけり

雑御歌の中に

浦の松の木の間にみえて沈む日のなごりの浪ぞしばしうつろふ(風雅1705)

【通釈】入江の松の木の間に見えながら海に沈む夕日――その残光に映える波が、日没のあとも暫くたゆたっている。

【補記】初句「浦の松」とする本もある。風雅集という京極派の勅撰集であることを考えれば字余りが相応しく思える句。

題しらず

難波潟あしべはるかに晴るる日は声ものどかにたづぞ鳴くなる(続千載1639)

【通釈】難波潟の、蘆の生える岸辺が遥かに見渡せる――こんなによく晴れた日は、鳴きながら飛んでゆく鶴の声も悠々と穏やかに聞こえる。

【補記】さびしげな情趣で詠まれることの多かった難波潟の蘆原を明るく歌い上げている。


公開日:平成14年11月12日
最終更新日:平成19年09月25日