西園寺実兼 さいおんじさねかぬ 建長元〜元亨二(1249-1322) 号:後西園寺入道相国

太政大臣公相の三男。母は大外記中原師朝女。妻は源顕子(内大臣道成女)・花山院師継女ほか。子には左大臣公衡・右大臣公顕・同兼季・永福門院・昭訓門院(亀山院后)・後京極院(後醍醐天皇后)ほかがいる。
建長七年(1255)正月、叙爵。侍従・近衛少将・中将などを経て、弘長元年(1261)正月、従三位に進み公卿の列に加わる。文永三年(1266)十月、権中納言。同四年十月に父公相を、同六年六月に祖父西園寺実氏を相次いで失い、二十一歳にして家督を継ぎ関東申次の重職を襲う。以後、ほぼ半世紀にわたり幕府との折衝役にあたった。この間、大覚寺統と結んで勢力を伸ばしていた洞院実雄に対抗して持明院統の煕仁親王(のちの伏見院)に接近、建治元年(1275)十一月、煕仁が立太子すると春宮大夫となり、即位後の正応元年(1288)六月、秘蔵っ子の長女(のちの永福門院)を伏見天皇に入内させた。同年十一月、右大将を兼ね、従一位に昇叙される。同二年、伏見天皇の皇子胤仁親王(のちの後伏見天皇)の立太子を実現させる。同年内大臣に、正応四年(1291)太政大臣に進んだが、翌年辞官。正安元年(1299)、出家。法名は空性。北山西園寺の別業に隠居し、家を公衡に譲るが、正和四年(1315)九月に公衡を亡くすと再び武家の執奏となり、朝廷の顧問として重きをなした。同年十二月、既に懸隔の生じていた京極為兼を失脚させる。元亨二年(1322)九月十日、薨去。七十四歳。花園天皇宸記には「性質朴にして、文才少し」云々とある(「文才」は漢文の才)。琵琶の名手で、伏見院・後伏見院ほかの師であったという。なお後深草院二条の『とはずがたり』では「雪の曙」の名で主人公の恋人として登場する。
西園寺家に仕えた京極為兼を庇護し、自らも京極派に属して新歌風の開花に尽力した。続拾遺集初出。勅撰入集は計二百九首。玉葉集では伏見院・定家に次ぎ入集数第三位、続千載集では後宇多院に次ぎ第二位。文保百首・弘安百首・嘉元百首に詠進。弘安百首の草稿と見られる「詠百首応制和謌」、小家集『実兼公集』などが伝わる。

  5首  2首  6首  2首  1首  5首 計22首

性助法親王家に五十首歌よみ侍りける時

風ふけば柳のいとの玉ゆらもぬきとめがたき春のあさ露(続後拾遺46)

【通釈】春の朝、柳の細い枝に数珠のように付いた露の玉――風が吹けば、ほんの暫くの間さえ留め得ず、散らしてしまう。

【補記】「柳のいと」は柳の枝の細いのを糸に喩えて言う。「玉ゆらも」は露の縁語として「玉」を掛けている。

【参考歌】和泉式部「続集」「続後撰集」
緒をよわみたえて乱るる玉よりもぬきとめがたし人の命は
  白河院「金葉集」
風ふけば柳のいとのかたよりになびくにつけてすぐる春かな

嘉元二年後宇多院に百首歌たてまつりける時、鶯を

ささ竹のよはにや来つる閨ちかき朝けの窓にうぐひすのなく(風雅57)

【通釈】昨夜の間にやって来たのだろうか。朝、寝室に近い窓辺の笹竹で鶯が鳴いている。

【補記】嘉元百首。「ささ竹の」は竹の節を「よ」と言うことから、同音の「夜」を導く枕詞となる。また、窓近くの笹竹に鶯が隠れていることも暗示している。

【参考歌】平兼盛「拾遺集」
み山出でて夜はにや来つる時鳥暁かけて声のきこゆる

花の歌の中に

咲きみてる花のかをりの夕づく日かすみてしづむ春の遠山(玉葉204)

【通釈】春の遠山を見よ、咲き満ちた桜の花の色に滲む夕日が、ぼうっと霞んだまま山の端に沈んでゆく。

【補記】「花のかをりの夕づく日」とは、山桜の白と夕陽の紅がぶつかって、山の稜線のあたりに漂う霞が二色に滲んでいる情景であろう。壮大華麗な春の落日の景。

羇中花を

風かをる雲にやどとふゆふは山花こそ春のとまりなりけれ(続後拾遺98)

【通釈】ほのぼのと花の気を漂わせる風に流されてゆく雲――それに行く先を委ねて、今夜の宿を尋ねる、ゆふは山。ここでは桜の花の下が、春の宿りというわけだ。

【補記】「ゆふは山」は所在地など未詳。万葉集に見える「木綿間(ゆふま)山」の誤伝かとも言う。「ゆふ」に夕を掛ける。「とまり」は「行き着いた場所」「泊る場所」の両義ある。

【本歌】紀貫之「古今集」
年ごとに紅葉ば流す龍田川みなとや秋のとまりなるらむ
  崇徳院「千載集」
花は根に鳥はふるすにかへるなり春のとまりをしる人ぞなき

古寺残花といふ事を

春をしたふなごりの花も色くれぬとよらの寺の入相の空(玉葉283)

【通釈】去りゆく春の名残を偲ぶ花も、夕暮れて見えなくなった――豊浦の寺の入相の鐘が響く空の下。

【補記】「なごりの花」は晩春に咲く花、たとえば山吹など。「とよら」は明日香の豊浦。「とゆら」とも。推古天皇の頃に建立された豊浦寺があった。

首夏の心をよみ侍りける

花鳥のあかぬわかれに春暮れてけさよりむかふ夏山の色(玉葉293)

【通釈】花や鳥との名残惜しい別れのうちに春は過ぎ去って、今朝から心新たに向き合うのだ、夏山の新緑の色に。

【補記】詞書の「首夏」は、夏の始め、あるいは陰暦四月の異称。

文保三年後宇多院に百首歌たてまつりける時、夏歌

月うつる真砂(まさご)のうへの庭たづみあとまですずし夕立の雨(風雅414)

【通釈】庭に敷き詰めた砂利に水たまりができて、そこに月が映っている――止んだ後まで涼やかだな、夕立の雨よ。

【補記】文保三年(1319)、後宇多院が続千載集の選歌資料として召した百首歌。

乞巧奠(きかうでん)の心を

庭の(おも)にひかでたむくる琴のねを雲ゐにかはす軒の松かぜ(玉葉467)

【通釈】庭に出した机の上に、弾かずに供える琴――軒を吹き過ぎる松風が、あたかも琴の音を空に響かせているかのようだ。

【補記】乞巧奠は、七月七日の夜、諸芸の上達を願って牽牛織女に供物をする儀式。宮中では清涼殿の東庭に机を置いて物を供えた。「ひかでたむくる」は、調絃した琴を、演奏せずただ置いて神に供えることを言う。人の代りに松風が演奏してくれたのである。

【本歌】斎宮女御「拾遺集」
琴の音に峰の松風かよふらしいづれのをより調べそめけむ

秋歌の中に

夕づく日さびしき影は入りはてて風のみ残る庭の荻原(玉葉489)

【通釈】荻が密生する庭の草叢に射していた、物寂しい夕方の光――今はもうすっかり日が沈んでしまって、秋風ばかりが残り、荻をそよがせている。

萩露を

ま萩原露にうつろふ月の色も花になりゆく明ぼのの庭(玉葉505)

【通釈】萩原の露に映っていた月の光――それもいつしか輝きを失って、花の色にとって代られてゆく、明け方の庭よ。

【補記】「うつろふ」に「映る(露に月光が反映する)」「移ろう(時が経過し、衰える)」の両義を籠める。

題しらず

むら雲によこぎる雁の数みえて朝日にきゆる峰の秋霧(風雅530)

【通釈】叢雲を横切って飛ぶ雁の影――その数が数えられるほどはっきり見えて、峰にかかっていた秋霧は朝日に消えてゆく。

文保三年、後宇多院にたてまつりける百首歌の中に

入りかかるをちの夕日はかげきえて裾より暮るるうす霧の山(風雅662)

【通釈】山の端に沈みかけた遠くの夕日は、やがてすっかり光が消えて、裾の方から暗くなってゆく、薄霧におおわれた山。

【補記】時間の進行にともなう明暗の変化をヴィヴィッドに捉える、典型的な京極派の作風。「裾より暮るる」の大きな捉え方はこの作者らしい。

露をよみ侍りける

小山田の稲葉おしなみ吹く風に穂末をつたふ秋の白露(玉葉625)

【通釈】山裾の田の稲葉を押し靡かせて吹く風につれて、穂末から穂末を伝ってゆく秋の白露よ。

【参考歌】九条左大臣女「新拾遺集」
夕ぐれの野べ吹き過ぐる秋風に千草をつたふ花の上の露
  京極為兼「三島社奉納十首」「夫木抄」
ならびふす尾花の袖のかさなりて穂末をつたふ秋のしら露

嘉元百首歌奉りける時、秋歌

草木みな明日みざるべき色もなしわが心にぞ秋は暮れける(玉葉831)

【通釈】草木は皆、明日になれば違った様子に見えるというものでもない。それなのに今日限りで秋の景色が見納めと思えるのは、私の心の中で秋が暮れてしまったということなのだ。

【補記】「明日みざるべき色もなし」とはつまり、明日も皆同じ色に見えるはずだ、ということ。心のありようこそが四季を分かつという、京極派が固執した季節観。

持明院殿にて五十番歌合侍りし時、冬雲を

夕日さす嶺の時雨の一むらにみぎりをすぐる雲の影かな(玉葉865)

【通釈】夕日の射す峰に時雨がひとしきり――その時、我が家の庭の石畳の上を過ぎてゆく雲の影よ。

【補記】峰にかかった雨雲が、傾いた陽射しのために、遠く離れた庭に影を落として行ったのである。意表をつく着眼。乾元二年(1303)閏四月の仙洞五十番歌合出詠作。配流地の佐渡から帰京した為兼を迎えての、京極派にとって記念すべき歌合であった。

朝雪といふ事を

野も山もひとつにしらむ雪の色にうす雲くらき朝あけの空(風雅844)

【通釈】野も山もひとつに白くなった雪の色――そこへきて、薄雲がひどく暗く見える明け方の空だことよ。

恋の歌の中に

恋しさはながめの末にかたちして涙にうかぶ遠山の松(玉葉1577)

【通釈】切ない思いを胸にじっと眺めていると、遥か彼方、涙に曇る視界に、次第に形をなして浮かんで来る、遠くの山の松の木よ――あたかも私の恋しい思いが形を取ったかのように、孤独な寂しい姿で

【補記】孤松に我が恋の象徴を見ている。

嘉元三年十二月十四日 新院御幸北山時御歌合 朝天象

西の峰にうつろひそむる朝づく日よもの山にぞ影はみちゆく(実兼公集)

【通釈】西の峰に曙光を映しはじめた太陽――それにつれて、周囲の山々に光が満ちわたってゆく。

【補記】嘉元二年(1304)〜三年頃の歌を中心に集めたらしい小家集『実兼公集』の巻頭歌。新院(後伏見院)の北山御幸に際しての歌合での作。「朝づく日」に新院を、「よもの山」に実兼ほか伺候する人々を寓意。

文保三年百首歌の中に

見るままにあまぎる星ぞうきしづむ暁闇のむらくもの空(風雅1624)

【通釈】掻き曇る一面の星空――見るうちに、星明かりが雲間に浮んだり沈んだりしている。暁闇の中、叢雲の渋滞する空に。

【補記】「うきしづむ」とは、星明かりが雲の中から浮かび上がってはまた雲に閉ざされてゆく様。「暁闇」は、月の出ていない明け方の暗闇。

題しらず

久方の月はむかしの鏡なれやむかへばうかぶ世々の面影(玉葉1975)

【通釈】夜空の月は昔を映し出す鏡なのだろうか。向き合えば、その時その時の懐かしい面影が次々と浮かんでくる。

【先蹤歌】源師光「御室五十首」
ながむればみぬ世の事もおぼえけり月や昔の鏡なるらん
  後鳥羽院「御集」
広沢の池にやどれる月かげや昔をうつす鏡なるらむ

夢をよみ侍りける

ぬるがうちは今や昔にかへるらん昔や今の夢にみえつる(玉葉2459)

【通釈】夢では、昔のことがたった今のことのようにありありと目に見える。眠っている間は、今の私が昔へと帰ってゆくのだろうか。それとも、昔が今に戻って来て、夢に見えたのだろうか。

見せ聞かせ言はせ思はせはたらかせ我が身をつかふものぞ心よ(実兼公集)

【通釈】見せ、聞かせ、言わせ、思わせ、働かせ――よくまあ我が身を使うものだぞ、心よ。

【補記】『実兼公集』の巻末に置かれた「心」三首の初。他の二首は「さまざまにたづねもとめし我が心つひにしらずぞ袖はなりぬる」「もとめねば心のおくもあるものをたづぬればこそ遠ざかりけれ」。心の作用に対する強い関心・執着を突き詰めて詠んでいる。


公開日:平成14年11月16日