摂政兼平の息子。母は権大納言藤原実有女。冬平の父。
後深草天皇の康元元年(1256)正月、叙爵。右中将に任官後、同二年正月、従三位に叙せられる。同年十一月、さらに正三位に昇叙され権中納言に任ぜられる。亀山天皇の弘長二年(1262)正月、内大臣。文永二年(1265)十月、右大臣に進み、同五年正月、従一位に昇る。同年八月、東宮傳を兼ねる。同十二月、左大臣。同月、関白氏長者となるが、文永十年五月、これを辞した。後宇多天皇の弘安八年(1285)四月、太政大臣に就く。同十年八月、辞職。正和元年(1312)三月二十九日、出家。法名は理勝。翌年七月七日、没。六十七歳。
嘉元元年(1303)頃、嘉元百首を詠進。頓阿『井蛙抄』に歌道執心の記事がみえる。続拾遺集初出。勅撰入集は計八十五首。
早春の心を
いつしかも霞みにけらしみ吉野やまだふる年の雪も
【通釈】早くも霞がかかってしまったようだ。吉野山では、まだ旧年中に降り積もった雪も消えていないのに。
【語釈】◇いつしかも 早くも。「いつのまにか」の意にもなり得る。◇ふる年 「古る年(旧年)」に「降る」の意を掛ける。
【補記】吉野は応神天皇や雄略天皇ゆかりの聖地。山深く、春の訪れは遅い土地とされた。それゆえにこそ、吉野山に霞が立ちこめることは確実な春の徴証として、都の人々から大変めでたいことに見なされたのである。早春詠に相応しいおおらかな詠みぶり。
【参考歌】後鳥羽院「新古今集」
ほのぼのと春こそ空にきにけらし天のかぐ山霞たなびく
春雪を
かつ消ゆる庭には跡も見えわかで草葉にうすき春の淡雪(風雅40)
【通釈】次々と消えてゆく庭の地面には跡さえ見分けることができず、草の葉にうっすらと積もって見える、春の淡雪。
【語釈】◇かつ消ゆる 雪が降るはしから次々に消えてゆくさま。「かつ」は一方である作用がなされると同時に、他方で別の作用がなされている、といった状態をあらわす副詞。
【補記】早春の若葉にうっすらと積もる淡雪。消えやすい春の雪の趣を繊細に捉えている。嘉元元年(1303)頃、後宇多院に詠進した百首歌。
待花といふ事を
しづかなる老の心のなぐさめにありしよりけに花ぞ待たるる(新後撰56)
【通釈】平穏無事に暮らす老の心の慰めとして、若かった昔よりもずっと花の咲くのが待ち遠しく思えることよ。
【語釈】◇ありしよりけに 昔そうだったよりもひどく。以前も桜の開花は心待ちされたが、年老いてその度合いが甚だしくなったということ。古今集の読人不知歌に先例がある(「忘れなむと思ふ心のつくからに有りしよりけにまづぞ恋しき」)。
【補記】老境における「待花」。閑雅とばかり言えない、切なさを帯びた心情である。制作事情などは不明。
雨中落花
ふりくらす雨しづかなる庭の面にちりてかたよる花の白波(玉葉248)
【通釈】一日中静かに降り続く雨――庭の地面に散った花びらは、雨水の流れと共に、白い波が寄せるように一方へ押し寄せてゆく。
【補記】「花の白波」は散った花びらを波になぞらえて言う。平安末期から用例があり、趣向に新味はないが、「ちりてかたよる」に見られるような観察の綿密さに手柄のある歌であろう。
【主な派生歌】
つくづくと雨ふる里のにはたづみちりて波よる花のうたかた(鷹司清雅[風雅])
霧中雁を
秋山のふもとをめぐる夕霧にうきて過ぎゆく初雁のこゑ(続千載430)
【通釈】秋の山の麓を取り囲む夕霧の中、浮き漂うように飛び、鳴き過ぎてゆく初雁の声。
【補記】「霧中雁」は中世以後しばしば見られる歌題。霧の中で姿の見えない雁の声ばかりが聞こえる、といった趣向が多い。
長月の比、伏見殿にまゐりけるが、前大納言時継深草の山庄に一夜とまりて、かへるとて読み侍りける
かりにきてたつ秋霧の曙にかへるなごりも深草の里(玉葉740)
【通釈】「かりにだにやは」と伊勢物語に詠まれたこの土地、かりそめにやって来て、秋霧の立つ曙に帰ってゆく――心残りも深い、深草の里よ。
【語釈】◇伏見殿 後深草院・伏見院の離宮。京都市伏見区桃山。◇前大納言時継 平氏。後深草院の執権。
【補記】友人の山荘に泊めてもらい、翌朝帰る時の作。狩・仮、立つ・発つ、なごりも深き深草の里、と掛詞を連ねる。伊勢物語を背景とし、恋の風趣も薫る。
【本歌】「伊勢物語」第百二十三段
野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ
冬歌の中に
そともなる楢の葉がしは枯れおちて時雨をうくる音のさびしさ(玉葉872)
【通釈】家の裏手の楢(なら)の広い葉が枯れ落ちて、時雨を受けてたてる音の、なんと寂しいことよ。
【補記】「葉がしは」は、食べ物を盛ることが出来るような広い葉。
【参考歌】藤原忠通「新古今集」
ねやのうへに片枝さしおほひそともなる葉広がしはに霰ふるなり
百首歌たてまつりし時、遇不逢恋
思ひ寝の心のうちをしるべにて昔のままにみる夢もがな(新後撰1165)
【通釈】心のうちに面影を抱きながら眠りにつく――その面影を道しるべとして、昔のままに恋人と逢う夢が見たい。
【補記】嘉元百首。
題しらず
忘れずと
【通釈】忘れていないと、誰に話して自分を慰めようか。心にありありと浮かぶ、昔の思い出話を。聞いてくれる相手などいるものだろうか。
嘉元百首歌たてまつりけるに、松
こととはむ古木の松よなれのみや我がしのぶ世の昔をも見し(玉葉2182)
【通釈】尋ねよう、古い松の木よ。私の慕う昔の良き時代を見て知っているのは、おまえだけではなかろうか。その頃の話を私に聞かせてくれないか。
【補記】嘉元百首では第三・四句「それのみやわがしる程の」とあり、自分自身についての懐古に過ぎなくなる。
題しらず
あはれなり思ひしよりも永らへて昔を恋ふる老の心は(続千載1959)
【通釈】しみじみと哀切なことだ、思っていたよりも長生きして、昔を恋しがる老いの心は。
【参考歌】衣笠家良「弘長百首」
あらましに思ひしよりもながらへて花と月とにながめなれぬる
公開日:平成14年10月18日