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頼政

頼政《よりまさ》

二番目
季節  春
作者  世阿弥元清
典拠  平家物語
作物  
前シテ  老翁(面・三光尉《さんこうじょう》)
後シテ  源三位頼政《げんざんみよりまさ》(面・頼政)
ワキ  旅僧

物語

旅の僧が京都の名刹を巡終えて、奈良へと向かう道すがら宇治の里へと差し掛かりました。遠国で聞き及んでいたとおり 山の姿、川の流れにも見所の多い名所です。
一人の老いた里人が通り掛かり、僧に何をしているのかと問いかけます。
僧は老人に宇治の里の名所旧跡を教えてくれるようにと頼みます。
老人は世を渡りかねてただ住んでいるだけの里の者に名所旧跡などは分らないと渋りますが、僧の重ねての頼みに槙の嶋、橘の小嶋ケ崎、慧心院等を教えます。
折しも朝日山に月がのぼります。橘の瀬に月影が射し、山も川もおぼろに霞む中を雪を積んだ柴舟が下ってくる様は聞きしに優る名所でありました。
見とれている僧に老人は平等院は御覧になったかと尋ねます。
見ていないと答える僧を老人は平等院へと案内します。
扇型に芝がうえられているところは何かと僧は尋ねます。
それは 昔、源三位頼政が高倉宮《たかくらのみや》を奉じて戦った戦に敗れ、扇をしいて自害したあとで「扇の芝」と呼ばれていると老人は教えます。
文武両道に秀でた頼政が無念の死を遂げ、路傍の草の露となって顧みる人もないとは痛わしい事と僧は悲しみます。
老人はその戦は丁度今月の今日の事であったと言います。
その昔の戦は他人事ではなく、自分は旅寝の僧の夢に姿を見せようとして来た源三位頼政であると言いおいて消えてゆきます。
僧は源三位頼政のあとを弔おうと扇の芝に仮寝をして約束通り頼政が夢にあらわれるのを待つのでした。
「血は紅い波となって楯を流し、緋縅の鎧を着た平家の武者達が網にかかった魚のように見えた宇治川。流れに浮かぶ泡のような浮き世ではかたつむりの争いのように儚いことであった。」
入道姿に鎧をまとった武将が現れ、戦の様子を語り 経を手向けるようにと頼みます。
僧に源三位頼政殿かと問われて 幽霊は「名乗る前に頼政と見現されるのは恥ずかしいが経を手向けられて成仏できるのはありがたい」と自らの成仏さまたげている負け戦の顛末を語り始めます。

「治承年間の夏の夜、自分の勧めた謀反が露見して高倉の宮とともに近江の三井寺へと落ちのびた。気付いた平家は時をおかずに追っ手をかけ、数万騎もの兵を東へ向けたと聞き さらに大和路をさして急いだ。不眠不休の逃避行で高倉の宮は平等院に着くまでに六回も落馬する程であった。平等院に御座所を設け、宇治橋の板をはずし 源氏の白幡を風になびかせて敵を待った。
ついに源平の兵は宇治川の南北に対峙し、鬨の声矢叫びの音もおびただしく戦端が開かれた。味方は筒井の浄妙一頼法師が橋桁で戦った。橋ははずされていて水かさは深い。とても敵は渡れまいと思ったが、田原の又太郎忠経《ただつね》が宇治川の先陣は我なりと名乗りをあげ三百余騎を率いて群鳥の羽音のように音高く川に乗り入れ、巧みに馬を操り兵に下知して、一騎も欠けることなく渡りきった。
味方は半町程ひいた後、これを最後と戦った。敵味方入り乱れるうちに頼みの息子達も討ち取られた。これまでと思い、平等院の庭の この芝の上に扇を敷き 鎧を脱ぎ捨て辞世の歌を詠んだ。

埋れ木の花咲くことも無かりしに身のなる果は哀れなりけり

これも前世の因縁ゆえ 弔いたまえ。」

源三位頼政は扇の芝の草蔭に帰るように消えていきました。

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