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老松《おいまつ》

脇能 (太鼓あり)
季節  春
作者  世阿弥元清
典拠  飛梅は源平盛衰記 太平記などにあり 老松は不明
作物  
前シテ  老翁(面・小尉)
後シテ  老松の神(面・舞尉《まいじょう》)
ツレ  おとこ
ワキ  梅津某《うめづのなにがし》
ワキヅレ  従者二人

物語

都の西方に住む梅津のなにがしというものは常日頃 北野天神を信仰しておりました。
ある夜の夢に天神が現れて 我を信じるなら筑紫の安楽寺に参詣申せ と告げます。
梅津某は霊夢に従って旅立ち 九州の筑紫安楽寺を目指しました。世の中は泰平で 関所もなく 高麗や唐土からも使者の着く安楽寺までつつがなく来ることが出来ました。
安楽寺の境内では老人と青年が春の日ざしのもとで梅の花 松の紫色《しいろ》を讃えながら梅の木に囲いをしています。
梅津某は老人に名高い飛梅《とびうめ》とはいずれの木かと尋ねます。
自分達は「紅梅殿」とあがめている神木を呼び捨てにするとは 老人は咎めます。
道真公の御詠歌によって神木となった梅はいかにも「紅梅殿」と呼ぶべきであろうと梅津某も言葉を改めます。また、かたわらの松をなんと見るかと問われて 垣根でかこわれ 注連縄を張られた松が やはり神木である老松と気付きます。
青年は紅梅殿の花守で 老人は老松の木守でした。
梅も松も日本よりも中国で徳を現しました。唐代には文学が盛んで梅が尊ばれ「好文木」と呼ばれました。
秦の始皇帝が狩で大雨にあい ちいさな松の木の下に雨宿りしたところ その松はにわかに大木となり葉を繁らせ 帝を雨から守りました。帝は大夫の位を松に与え 以来松は大夫と呼ばれます。
梅と松の徳に感じ入った梅津某は 神木の木陰に寝て 神の御つげを待つことにしました。

老松の神霊が現れ 姿の見えない紅梅殿に話しかけます。
「この珍しい客人をどうやってもてなそう」
時は春 梅は色づき 松の緑も美しく 澄み渡った空に神楽が響きます。
老松は舞を舞い、自分のように千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで 大君に栄えあるように御守せよと 告げるのです。

※老松 飛梅
死後 北野天神として祭られた菅原道真公は 陰謀によって九州の太宰府に左遷されました。都を想い
 東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ
と 庭の梅を懐かしむ歌を詠みました。
すると 都から歌に詠まれた梅が飛来して根付きました。これが飛梅、紅梅殿です。
この梅を追って来たのが追松 転じて老松と言われます。

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