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船弁慶《ふなべんけい》

切能
季節  秋
作者  小次郎信光 一書、世阿弥元清
典拠  不明 平家物語、吾妻鏡、源平盛衰記、義経記などに記載あり
作物  舟 櫂棹《かいざお》
前シテ  静御前(面・増《ぞう》または孫次郎《まごじろう》)
後シテ  平知盛《たいらのとももり》(面・怪士《あやかし》)
子方  源義経
ワキ  武蔵坊弁慶
ワキヅレ  従者
立衆    従者

物語

頃は文治の始め、平家を西海に討伐し大手柄をたてた源義経は、兄頼朝と仲たがいをし 都を出て西国を目指しておりました。
讒言によって兄の誤解を受け 都を去るのは口惜しいことですが 時を待って再起を計るため弁慶、静御前の他十余人の近しい物達を従えて夜の淀をたち 摂津の国大物の浦に宿を取りました。
弁慶は鎌倉殿にとがめられて都を落ちてゆく身で 静を伴うのは相応しくないことゆえ ここから都へ返すようにと義経に進言します。
義経は弁慶に「はからいそうらへ」と任せます。
静御前の許へと赴いた弁慶は君命として「これより都に御帰りあれ」と伝えます。
思いもよらぬ言葉に、何所までも義経についてゆくつもりの静は 驚き 怪んで 弁慶のはかりごとではないかと疑います。直接 義経に返事をしたいと言う静を伴って弁慶は主の許に戻ります。
義経は ここまでついて来てくれた志は神妙に思うが 思いがけず落人となった身で海を越えてまで静を伴うことは相応しくないから都に帰って時期を待つようにと言います。
義経の言葉で弁慶への疑いをはらした静は 恥じて謝ります。
弁慶は 人の噂を憚っての事で 義経公が心変わりをした訳ではないのだからと涙ながらに慰めるのでした。
義経の命で弁慶は静に盃を勧め、さらにひとさし舞うようにと促します。悲しみにうち沈む静でしたが 門出であるからと強いてすすめられて 烏帽子を冠り 謡いつつ舞います。

 渡口の郵船は風静まって出ず
 波頭の謫所《たくしょ》は日晴れて見ゆ

静は 越王勾踐を助けて呉王を滅ぼした後 政《まつりごと》から離れて風雅に暮らしたと言う陶朱公の故事を思い出し もとより無実の身であれば 西国で時を待つうちには頼朝の気持ちも変わるであろうと思い返すのでした。
舟子どもの纜《ともづな》をといて舟をだすと言う声に促され義経は宿を出ます。
うちしおれた静の様子にほだされてか 義経は波風の荒いことを理由に船出をのばそうと言い出します。弁慶は平家討滅の折の渡辺福嶋では大風をついて船を出したではないか 今とても同じことと船出を急がせます。
急に風がかわり船は揺れ 従者の一人は船にあやかしがついていると言い出します。
海上を見れば 西海に滅んだ平家の一門が波間に浮かんでいるでありませんか。
「桓武天皇九代の後胤《こういん》 平知盛の幽霊なり」と名乗りをあげて知盛の亡霊が出現します。西を目指して船出すると言う義経一行の声を聞き、一門の無念をはらすため義経を自分同様海に沈めようと出てきたのです。
知盛は長刀を取り あたりを払って波をおこし、潮を蹴立て 風を吹き掛け義経達の船を混乱させます。
義経は少しも騒がず刀を抜いて戦おうとします。弁慶は刀では亡霊にかなうまいと割って入り 数珠を押し揉んで怨霊を祈り伏せます。怨霊が次第に遠離るのを見計らって船を汀に寄せて引き離そうとしますが、なおも慕いよって来ます。
追い払い祈りのけるうちに、引き潮に揺ら流れて怨霊は見えなくなっていきました。

※謫所 配流せられている場所 配所 流刑地

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