大岡 信 おおおか・まこと(1931—2017)


 

本名=大岡 信(おおおか・まこと)
昭和6年2月16日—平成29年4月5日 
享年86歳(天籟院殿勲譽叡信大居士)
栃木県栃木市藤岡町赤麻487 赤麻寺(真言宗) 



詩人・評論家。静岡県生。東京大学卒。読売新聞記者、明治大学教授、東京芸術大学教授を務める。谷川俊太郎らの「櫂」に加わり、昭和34年吉岡実、清岡卓行らと《鰐》を結成。詩と批評を発表した。昭和31年処女詩集『記憶と現在』以降、詩集に『春 少女に』『地上楽園の午後』など、評論に『蕩児の家系』『紀貫之』などがある。



 


砂浜にまどろむ春を掘りおこし
おまえはそれで髪を飾る おまえは笑う
波紋のように空に散る笑いの泡立ち
海は静かに草色の陽を温めている

おまえの手をぼくの手に
おまえのつぶてをぼくの空に ああ
今日の空の底を流れる花びらの影

ぼくらの腕に萌え出る新芽
ぼくらの視野の中心に
しぶきをあげて廻転する金の太陽
ぼくら 湖であり樹木であり
芝生の上の木洩れ日であり
木洩れ日のおどるおまえの髪の段丘である
ぼくら

新らしい風の中でドアか開かれ
緑の影とぼくらとを呼ぶ夥しい手
道は柔らかい地の肌の上になまなましく
泉の中でおまえの腕は輝いている
そしてぼくらの睫毛の下には陽を浴びて
静かに成熟しはじめる
海と果実

(春のために)



 

 歌人の父大岡博の長男として生まれ、旧制沼津中学校(現・沼津東高等学校)在学中から短歌や詩を書き始めた大岡信、読売新聞外報部記者、明治大学、東京芸術大学教壇に立つ傍ら旺盛な創作活動を進め、連歌・連句という日本古来の伝統詩形を現代詩に蘇らせる「連詩」を創始し、高い評価を受けた。また二十八年間の長きにわたって朝日新聞に連載された詩歌コラム「折々のうた」は広く読者に親しまれた。晩年は妻で劇作家の深瀬サキさんの看病を受けながら静岡県裾野市の自宅で闘病生活を続けていたが、言葉を生き,言葉を生かし、言葉と戯れ、言葉のもつ力を信じて詩作し続けた歩みも平成29年4月5日午前10時27分、誤嚥性肺炎による呼吸不全のため静岡県三島市の病院で終止符を打つことになった。



 

 没後大岡信は静岡県三島市の林光寺にある父・大岡博の墓に合葬されていたのだが、七回忌を期に栃木県藤岡町にある薬王山赤麻寺に移された。明治時代に、かの田中正造翁が足尾銅山鉱毒事件に端を発した谷中村・赤麻沼問題についての最後の演説をしたというこの寺の前には広大な渡良瀬遊水地が広がっている。山門を入り、本堂前に並んだ石造二体の仁王の間を進んで左折すると大きな十三重の石塔が見える。その左側にある同じ形をした小ぶりの十三重の石塔が大岡信の墓であった。左に経歴を刻した墓誌、墓前に「春の胎蔵界を さし貫く 冬の棍棒は すでに 春の棍棒 棍棒の春だ 大岡信」の石碑、季は春、宙は青、渡良瀬の流れはゆるやかで、土手の菜の花は真っ盛り。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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